Episode293.5 side 尼海堂 忍⑥ 修学旅行三日目 ~忍はその板挟みから抜け出せるか~

 自分は紅霧学院に内部進学する。しかし選択する四種目、球技・ダンス・水泳・陸上の内、柔道が当て嵌まるものは一つもない。

 これに関しては動きと間合いのリズムという点で、恐らくダンスになるのではないかと考えているが……まだまだ要検討である。


「……春日井くんと緋凰くんも紅霧学院」

「うん。でもそうか。尼海堂くんが紅霧で一緒なら、陽翔は……」


 ん? え、いやそこで緋凰くんの名前出されても困るぞ。

 彼には長期休暇の時にいきなり家に突撃されたかと思ったら、色々問答してこられてゲッソリしたからな。家にいるから逃げ場なんてなかった。


 ……けれど、そんな彼を見ていて何となく思うことがある。


「……そんなに心配しなくてもいいのでは」

「え?」

「緋凰くん、初等部と中等部では明らかに変わった。前に春日井くんも言っていた。『成長しようとしているから』と」

「……そうだね」


 親友幼馴染の緋凰くんを見ている目は正しい。変わろうと自ら自分に接触してきて、他人の助言を聞いて自分の中に落とし込んで消化して。

 言われるがままではなく、ちゃんと自分で考えてからそうした行動を取っている。


 そんなことを思っていると、話が穏やかな声で続いた。


「やっぱり尼海堂くん、よく人のことを見ているんだね。秋苑寺くんもよく尼海堂くんに会いに来るし、薔之院さんの隣にいるから陽翔もずっと君のことを気にしていて。それに……そんな君だから、薔之院さんもずっと隣にいたんだ」


 ――来たな、と感じた。


 彼が麗花のことをどう思っているのかが判らない。今までの言動から推測するに、麗花に対して彼が何らかの負い目を抱いていることには間違いない。

 負い目があるからずっと気にしていたのか、それとも別の何かがあって気にしていたのか。


 別の何か。それが恋情である可能性――思いはしたが、自分の所感としては微妙なところだ。

 彼もまた麗花に対して恋心を抱いていると言うのなら本当マジでえらいこっちゃだが、自分が今のところそれを微妙としているのは、彼からそんな浮ついたものを一切感じないからだ。


 恋をしている人間が醸すものが彼には当て嵌まっていない。負い目が表に出ていてそれが隠されている可能性もあるし、緋凰くんのことを気にしているからということもある。

 そしてその逆に彼が麗花に対して恋情を抱いていないと判断しきれないのは、かつて彼から一度だけ向けられたアレがあるせいだ。


 麗花の隣にずっといたから気づいていた。彼女が敢えて春日井くんから視線を逸らしていたこと。

 サロンで同じ一室にいることもあったのに、麗花は彼のいる方向に顔を向けたことがない。本に視線を落としているか自分と会話しているか、秋苑寺くんを撃退しているか。


 自分は知っていた。春日井くんがたまに麗花を見ていたことを。ずっと見つめているのではなく、ふと自然に視線を動かした先で彼女がいたというような、そんな感じで。

 ……自分はあの時彼から向けられたアレで微妙に避けていたが、後から思えば麗花もまた、彼を避けていた。四家の御曹司の中で女子に一番優しく、フェミニストであるにも関わらずだ。


 麗花は某トラウマ……百合宮先輩と親しく、彼に対して尊敬と憧れを抱いている様子だった。誰かと接した時の対応や態度なんかは同系統で、春日井くんはそんな百合宮先輩と雰囲気も似ている。自分は彼の微笑みの圧でトラウマを思い出すし。

 有栖川と中條がサロンで言い争っていた時に春日井くんにド正論をバッサリぶつけていたから、てっきりそれで彼とはあんまり相性が良くないのかと思っていたが、それを引き摺るような麗花ではない。


 だから後から思えばおかしかったのだ。城山はまだしも、彼女が春日井くんのことをずっと避けることが。

 だから三人で話した時のことで二人の間に何かがあって、それが元でこじれてしまったんだなと理解した。


 その拗れの元を春日井くんはあの時清算してきた訳だが、麗花は麗花でドストレートにぶつけられてああなったし。しかも聖天学院を離れるから交流も持たずに行った訳だし。修学旅行重なったし。ああ、そうだ。同じ場所にいま麗花もいるんだよな……。


「尼海堂くん」


 どこか真剣味を帯びた声にハッとする。

 自分は視線を向けたが相手は進行方向に真っ直ぐ向いていて、合わない。


「薔之院さん、こっちに帰って来るんだろ?」

「……その予定」

「なら外部受験してくる可能性もあるよね?」

「……」


 ――麗花は聖天学院に戻ってくる。

 銀霜学院か紅霧学院のどちらかは不明。だが薔之院家の跡取りということを考えると、可能性が高いのは銀霜学院の方。


「可能性は低いけど、もし。彼女が僕たちと同じ紅霧学院だったなら。もし彼女が僕のことを許していたとしたら。もし……彼女の僕への態度が軟化していたら、その時は――――僕から薔之院さんを守ってほしい」


 ……言われたことがすぐには頭に入ってこなかった。

 守る? ……麗花を、春日井くんから?


「…………何故」

「色々考えたんだ。色々考えて、その中でもまたちょっとあったりして。そうして思ったんだ。このままだと僕はまた、彼女を傷つける。多分そういう選択をしてしまう」

「……」

「こんなことを言っておいて紅霧学院じゃなかったら恥ずかしいけど、もう高等部が目前に迫っているこの時じゃないと言えないと思ったんだ。それにこんな話、学院じゃできないから」


 穏やかで凪いだ顔が自分を向く。


「薔之院さんの隣にいて、陽翔のことを見て理解してくれる尼海堂くんだから。だから君にお願いする。お願いばっかりして申し訳ないけど…………ごめん」


 それは何に対しての謝罪だ。まだ来てもいない、そうなるとは限らない未来のことを謝らないでほしい。

 自分の都合を無視して、四家の御曹司は皆勝手なことばかり言う。


 純粋に麗花を守ってくれていると思っていた秋苑寺くんはそうではなかったし、緋凰くんは城山派対策で忙しい時に麗花のことで協力しろとか言い出すし、更には極めつけがコレとか。何もなってないの白鴎くんだけじゃないか。

 どうしてよりによって春日井くんがそんなことを言い出すんだ。だって麗花は。


 麗花は春日井くんのことが、きっと好きだったのに――……。



「……あ」


 ピリリという高い機械音が鳴り、春日井くんが自身の携帯を取り出して相手を確認してから自分に断って出る。


「もしもし、陽翔? 僕たち……ああ、尼海堂くんと一緒なんだけど…………そう。今ー……大通りのあ、近いかな? そうそれが見える」


 相手は緋凰くんのようで合流するために掛かってきたらしく、周囲に目印となるものを探しているが意外と近い場所にいたようで、少し離れた場所から彼が携帯を耳に当ててこちらに向かってくるのが見えた。

 互いに同じタイミングで電話を切って向かい合えば、意外そうな顔で緋凰くんが自分を見てくる。


「珍しい組み合わせだな。夕紀と尼海堂が一緒にいるとか」

「珍しいも何も僕ら、同じクラスのファヴォリなんだけどね」

「そう言われりゃそうだな」


 そんなごく普通の気安い会話が為された後、「じゃあ行くか」と緋凰くんが口にしたところで――



「――あのクソ許嫁野郎っ!!」



 ――結構大きく響いたそんな声が聞こえたかと思ったら、自分たちが歩いてきた通りからバッと出てきた白いウサギのお面を着けている、シスターっぽいチャコールブラウンの制服……あっ、あれが香桜女学院の制服!

 とその制服を着た女子が猛スピードでこちらに向かって走ってきたかと思ったら、あっという間に自分たちの横を通り過ぎて行った。


 視線で追い掛けるがそのまま真っ直ぐと道を爆走している。……何なんだあれ。

 自分はそんな感じで大した反応はしなかったが、一緒にいる他二人はどうも違ったようだ。どちらも呆気に取られており、「……え、まさか?」「ぜってぇアイツ……」と口々に呟いている。


「ちょっとあるって言ってたよね?」

「……ああ。悪い、俺ちょっと行くわ」

「いや、僕も追い掛けるよ。手を貸せるかもしれないし。ごめん尼海堂くん、ここで」


 そう言って走り出す二人だが、何となく自分も付いて行った方が良いような気がして彼等の後ろを走る。こういう時の自分の勘は外さない。

 そんな自分に気づいて、顔だけ振り向いた春日井くんに告げる。


「気になる」

「あれ、意外と尼海堂くんて興味惹かれるタイプ?」


 別にそういう訳じゃないが、追い掛けている相手が香桜女学院の生徒ということで妙に引っ掛かってしまったのだ。

 緋凰くんのセンサーばかりか春日井くんも一緒ということで、自分の嫌な予感センサーがビンビンに反応している。


 ――ピリリリリ


 また誰かの携帯が鳴ったが、今度は緋凰くんの方だった。最初は無視していた彼だがずっと鳴り続けるので、走りながら仕方なさそうに確認すると。


「あ? ……あっ?」


 何故か追う背中と画面を交互に確認し、混乱したような顔で一度その場に止まる。


「陽翔、僕らはそのまま行くから!」

「あ、いやちょっと待…」


 引き留めようとした彼の声を置き去りに、取り敢えず見失ってはいけないので春日井くんと自分は白ウサギ香桜生の後を追うことを選択する。


 ――この追い掛ける・追い掛けないの選択した結果が彼等の関係に後々響いてしまうことに、この場にいる皆……自分でさえも気づける訳がなかった。

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