番外編③ 300話到達記念SS ~とある香桜生の野望~

 ……――主よ、告解致します。私は罪深き子どもなのでございます。


 両親から正しき淑女、令嬢となるようにと。

 進学校であり校則も厳しく、人の世から隔離されたかのような場所にあるこの香桜女学院へと、私を送られてしまったのです。


 思えば幼少のみぎりより、私は同年代の子どもとは少しだけ異質な子どもでございました。


 自我が芽生え、催会という交流の場に参加させられるようになった年。私は両親とともに、とある方の開催されたガーデンパーティへ連れて行かれておりました。

 上流階級に属する者たちにとって社交とは縁を結ぶ、もとい情報収集の場でございます。


 ああそうなのです、主よ。両親は自分たちの姿を私に見せることによって、私にも彼らの真似をしろと示してきたのです。


 参加させられたガーデンパーティでは、私と同じ年の頃の子どもたちもそれなりに参加しておりました。彼等も親から事前に言われていたのでしょうか。いつの間にか大人と同じように、数人の子どもの輪が幾つか出来上がっておりました。


 大人と同じように笑い、大人と同じような行動をする。

 それが彼等にとっては普通のことなのでしょうが、私の目から見ると、それはとてもおかしな光景に映ったのです。


 私まであの中の一員になれと言うことなのかと思った瞬間、何だかとても気持ち悪くなりました。気持ち悪く思う私は、きっとあの中での唯一の異分子なのです。

 私はきびすを返し、彼等の姿が見えない場所へと一人移動しました。人目がないことを良いことに、私はそのまま地面へと直接お尻を着けて座り込み、温かな春の陽気が心地よいお庭の景色を見つめました。


 両親は可愛らしいと言っていたワンピースですが、私の好みではありません。私はどちらかと言うといま着ているフリルレースのものより、余計な装飾のないシンプルな選ばれなかったもう一着の方が好きなのです。


 そのままでいること、数分。私は不意に、自分の足首に何かが這うような感覚を覚えました。

 何かと思ってみると何と小さな黒きありが、地面と一体化した私の足を道の一部として、移動しているではありませんか。


 私はその光景をジッと見つめました。


「……なんてきれいなくろいせん」


 気が付けば、そんな感想が私の口から溢れておりました。

 ここはお庭の中でもあまり人が来ない場所なのでしょう。だから蟻も駆除されることなくここで生活できているのでしょう。


 小さな生命が一生懸命に描いているその漆黒の線を美しいと思い、飽きることなく見続けてどれほど時間が経過したことでしょう。

 私の姿がないことに気づいた両親が探しに来る頃には既にガーデンパーティは閉会に近づいており、蟻を足に纏わせたまま一人で座り込んでいた私を見つけた両親は、小さく悲鳴を上げました。


 どうも両親は私が道に迷い疲れて休憩していたら、蟻が足を登ってきて怖くて動けなくなっていたと勘違いしたようです。

 蟻が足から払い除けられてしまった時は、一生懸命に紡がれていたものが身勝手に壊されたような感覚に陥って、とても悲しくなりました。





 そんな出来事があってから数日後、私は記憶にあるあの漆黒の線を再現すべく、画用紙にクレヨンで線を描き続けました。何度も何度も黒のクレヨンで描きましたが、あの時のように私の心を満たす線を描くことは出来ませんでした。


 何故なのでしょう。満たされません。あの光景を描いた筈なのに、私の心がこれは違うと叫んでいるのです!


 一心不乱に黒のクレヨンで奇怪なものを描く私の姿は、両親にはとても奇異な姿として映っていたようです。この子を聖天学院に通わせるには……と、この段階で迷っておられました。


 満たされず乾いた心のまま、私は外に飛び出して蟻を探しました。もう一度同じ光景を目にしたら何が足りないのか、その正体が掴めそうだったからです。

 目を皿にして地面を必死にキョロキョロとしている私の姿は、屋敷の者の目にも奇異に映っておりました。報告された両親は頭を抱えたそうです。


 ですがそんなことを知らない私は、遂に我が家の庭で蟻の姿を発見致しました。

 思わず歓声を上げそうになったほどに気が高ぶりました。当時滅多に笑わないと言われていた私が笑顔になったほどです。


 ですがその蟻たちはあの時のように、線を描いてはおりませんでした。個々でわらわらと動き、自由行動を取っていたのです。

 私は再びしゃがみ込んで、その小さな黒き生命を見つめました。するとどうでしょう。


 私の目は一つの小さな穴に釘付けになりました。

 何と、そこから小さな黒き生命たちが入っては出て、出ては入ってとしていたのです。



 ――ぶらっくほーるとは、このちきゅうにもあったのか



 よくブラックホールというものを理解していなかった私は、あの時そんなことを思いました。恥ずかしい限りでございます。

 そして陳腐な表現ではありますが、まるで雷が落ちたかのような衝撃を受けたのです。何故自分が描いたものに心が満たされなかったのか、その理由が解ってしまったからです。


 私の描いたものには、輝きがなかったのです。そう――生命の輝きが!

 目で見たものの色だけを使って、私は一体何を表そうとしていたのでしょうか! 黒一色だけで命の輝きを表現できる訳がないではありませんか!!


 こうしてはいられないと私は再び走り出しました。

 途中両親に屋敷の中を走るなと注意されましたが、そんなの知ったことではありません。掴んだ勢いのまま、私はいまのこの気持ちを画用紙にぶち撒けなければならなかったのですから!





 ――そうして私は、ようやく乾いた心が満たされたのです。ですが満たされる代わりに、私はとても大きな代償を支払うこととなったのです。


 ああ、主よ。私はそんなにもおかしな子どもだったでしょうか? 乾いた心を満たすために欲望に従ったのが、そんなにも罪なことだったのでしょうか?



 私の心を満たした絵は、両親にとってはとても受け入れられるものではなかったのです。画用紙もクレヨンも取り上げられ、家に相応しい淑女となるように厳しい教育を施されるようになってしまったのです。


 私にとってそこはまさに地獄でした。こうであるべきと型に嵌められ縛られる私は、まるで翼をもがれて尚も鳥籠に閉じ込められた小鳥そのもの!

 ああ、何故なのでしょう。手が勝手にノートの上を動き出します。ダメです。ちゃんと文字を書き、問題に対する答えを書かなければ…………ああっ!!





 両親は私を聖天学院に通わせることを諦めました。異分子である私があの学院でやっていくには無理だと判断されたのです。

 無難な私立の小学校に通うこととなった私はその学校での六年間を自由気ままに、心の赴くままに過ごしました。もちろんちゃんと勉強もしました。心が満たされている状態ですので、ペンを手にしてノートを開いた状態でも勝手に手が動き出すことはありません。


 ああ、主よ。私の心の中にある世界こそが、私にとっての楽園だったのです。

 ああ、主よ! それなのに何故、このような試練を私に課すのですか……!




「――香桜女学院を受験しなさい、穂香ほのか

「え」

「小学校は諦めた。お前の自由にさせた。だが穂香、お前もこの家の子なのだ。薔之院家のご令嬢のようにとまでは言わぬ。それでもお前の将来のために、良い家に嫁ぐために頼むからもう少しは淑女らしくなってくれ……!」

「ああ穂香。貴女が芸術を愛していることは理解しています。私達には貴女のセンスが壁の向こう側にあることも理解しています! ですがその道で生きていける人間は一握りなのです。私達は可愛い貴女に平穏な道を歩いてほしいのよ……!」

「お父様……。お母様……」


 涙ながらにそう言われ、私も心の中で涙を流しました。


 主よ。両親は私に楽園に留まることを許してはくれなかったのです。異分子をどうにか同分子にしようとしていたのです。

 ですが異分子であれ、私は人間です。理性のある人間なのです。これも上流階級に生まれた者の定めだと、私はその宿命を受け入れました。受け入れるしかありませんでした。


 一時的でも自由を与えてくれたのです。私は人の子ですので、その恩に報いねばならないと理解しておりました。





 主よ! 主よ!!

 何てことでしょう! 何ということでしょう!!



 ――楽園は心の中だけではなく、目に見えるものでもあったのですね……!!




「ごきげんよう」


 凛と伸びた背筋。滑らかなストレートの髪。西洋の人形の如しその美しき小さなお顔立ち……! 容姿が持つものだけでなく、その美しさは彼女の内面から滲み出ているもの。



「ごきげんよう!」


 短めではありますがサラリとした御髪が悪戯な風に遊ばれる様は、それでも彼の方の美を損なうことはなく。武道に携わる方の持つ芯の強さが際立っていて。



「……ご、ごきげんようっ」


 声を絞り出すのも一生懸命。先を行くお二人の背中を必死に付いてゆく姿は、まるで今を必死に生きている生命の輝きそのものであり。



「――――ごきげんよう」



 ……おお主よ、何ということなのでしょう。私がいま目にしている現実は、まことにこの地上にある現実世界なのでしょうか?

 本当に彼女は私達と同じ人の子であるのでしょうか? 人の身でありながら、あれほどの儚さを持てるものなのでしょうか??


 …………無理です。今の私では彼女のあの、この世にあるとは思えない儚き美を現実のものとして表現することなど到底できません。不可能です。実力不足です……!


 おお、ああ主よ。やはりこれこそが私に課せられし新たな試練なのでございますね。

 学びましょう。この学院で淑女というものを学べば、彼女の美をこの手で現実に表現することも可能となるやもしれません。


 お母様、貴女の言葉は正しかったのです。この道はとても険しく遠い道です。……それでも。それでもきっと私は貴女の期待に応え、必ずや結果を残してみせましょう――……!



「――阪木さん」


 二年生に進級し四人で行動されるお姿を遠目から拝見して、再びのそんな決意とともに密かに拳を握りしめた時、私に掛けられる声がありました。


高見里たかみざとさん」


 彼女は私と小学校が同郷でございます。私は休憩時間中は自由帳にスケッチをしておりましたが、確か彼女の場合、男子と女子が揉めている場でよく仲裁に入っていたように思います。ああ、思い出しました。彼女に何か言われて流す男子の涙は、美しくないなと感じたことがありますね。


 高見里さんは今は薔之院さまと同じクラスです。

 私は百合宮さまと同じクラスですが、一体何用でしょうか?


「阪木さん。香桜祭での学年展示の件、既に耳にされておりますか?」

「学年展示……ええ。私のクラスは聖母マリアさまの像ですわ。百合宮さまをモデルにさせて頂きますの」


 そうなのです。立体作品となりますから、より集中しなくてはなりません。


「私のクラスは三大天使であるガブリエルさまです。阪木さん。本体はともかくガワはもちろん、そちらは白百合となりますわよね?」

「もちろんですわ。聖母マリアさまとなる百合宮さま……百合の掌中の珠リス・トレゾールを包むのは、白百合以外にあり得ませんもの」

「……それだけ確認できれば充分ですわ。ありがとうございます」


 一体何の確認だったのでしょうか? 口達者な方は頭の回転も速く、己の感性に邁進する私とはあまり共通する部分が見当たりません。

 離れていく彼女の後姿から視線を外して再び窓へと顔を向けましたが、当然そこには既に彼の四人のお姿はありませんでした。



 ――ああ、主よ。いつか必ずやこの手で、現実世界の楽園である百合の妖精姫を白きキャンバスに表現して見せますわ……

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