冬はつとめて
Episode237 迫りくる、終わりの足音
何だかんだ季節の巡りというものは早いもので、中間テストやら聖母月行事の時に少し触れたロザリオの月が過ぎ去れば、続いて慰霊祭と静修会にて亡くした人々への祈りと、派遣された神父さまからのありがたいお話を拝聴し心に刻んだ。
そうして月は本格的な寒さを迎える、十二の月へと至る。
十二月と言うと、世間はクリスマスシーズン。
街中では街路樹に飾り付けられたイルミネーションがチカチカと夜の景色に彩りを添え、その周囲を華やかで幻想的な雰囲気へと変化させる。
子どもたちはサンタクロースというイマジナリーに心躍らせ、大人になれば愛する人とともに過ごす特別な日。中学生はまだまだ子どもの範囲内だけど、子どもから大人へと成長を遂げる多感な頃である。
【香桜華会】の係わる行事としてはクリスマスミサがあり、去年を思い出せばそれは冬期休暇に入る前に行われた。
カトリックではキリストさまの生誕をお祝いするとても大事な日ではあるが、正確には十二月二十五日がキリストさまのお誕生日という訳でもないので、多少ズレてもお祝いすることこそに意義があるらしい。
まあそんな訳でミサの段取りもそうだけど、校内の飾り付けもそうだけど。
――私は中学二年生の冬というこの時期に頭を悩ませていることが目下、一つあった。
棚に収まっている本の背表紙を一冊一冊ずつ目を凝らして見つめ、気になった名前のものをメモして同室内に設置されてあるパソコンで調べるという作業を、私は日々淡々と繰り返していた。
最近時間があれば通っているここは、中等部校舎内にある進路学習室。
香桜女学院の高等部に内部進学せず、他校の高校受験を考えている生徒が主に利用する教室である。
将来への可能性は無限にあるため、取り寄せ保管されている高校受験過去問題集は豊富にあり県内だけでなく、県外の高校のも一定数あった。
と言っても乙女ゲー舞台である、聖天学院付属銀霜学院以外の高校を自宅から通える範囲内で探すとなると、百合宮家の令嬢が通っても問題ない学校はかなり絞られてくる。
出身高校は自らの将来に大きく関係するため、家族からも認められるような学校を選ばなければならない。
両親が高校受験を許してくれたからには、通う学校はしっかりと見極めなければならないのだ。
「……うーん。やっぱり玉宝院学園か
マウスをカチカチとクリックし、メモした該当校をネットの範囲内で調べまくってみたが、上記条件の他に校風やら有名大学の合格率諸々を考慮し見て、
もちろんどちらも倍率は低く、進学校としては間違いなく有名なところだ。
学院内での成績トップツーを死守し且つ、ガイダンスされる全国統一中学生模試を受けても上から数えた方が圧倒的に早い学力を身に付けている私。
中学受験のように余裕で合格圏内とは言い切れないが、まあ普通に合格圏内とは言えるだろう。
「……」
何だか調べれば調べるほどに気乗りしなくなってくる、受験校調べ。
香桜女学院を受験する時はあれ程皆と離れたくない、頑張って我慢しなきゃと思っていたのに、まったく人の心というのは移ろいやすいものである。お別れの時が来るのが早く感じる。
それでもこのまま香桜で進学という選択肢はない。
例え同じ高校に通えなかったとしても、会える距離にいたい。顔を見て話したい。――
叢雲学院のホームページをブラウザバックしてゆっくりとキーボードを打ち、カチ、とクリックして新たなページを表示する。
パッと目の前の画面に現れたのは――――聖天学院付属紅霧学院高等学校。裏エースくんが口にしていた、彼の最有力候補の受験先。
学院の紹介ページには歴代の大会成績がズラリと並んでおり、けれど卒業生の進学大学の名前を目にすれば、勉学を疎かにしていないことは見て取れる。
スポーツ重きの紅霧学院は、大学進学から本格的に自分の将来をどうするかを見定める人間が大半だ。
勉学に重きを置いている銀霜学院は内部生だと主に家の跡を継ぐ人間が軒並み進むため、高校時点で既に将来が決まっている者でほぼ占められている。
恐らく“私”が銀霜学院に在籍していたのも、『白鴎家の跡継ぎの嫁』という将来が決まっていたからだ。
中等部で白鴎 詩月の婚約者という立場を得ていたのだから、将来の夫となる人と交流を図る他にも、彼を学院で支えるべく“私”はそちらに進んだのだろう。
――けれど今は、婚約者になってはいない
夏に受験に関する話が両親から出なかった。
私が自分で進みたい道を探させてくれていると受け取っている。だから選ぶ進学先は慎重になるのだ。
カチ、カチ、とクリックしてスクロール。すると視界に映る、『入学者選抜実施要項』。
そこには学力検査の教科のみならず、実技検査という四文字があった。下に下にスクロールしていっても、ただ実技検査とあるだけで詳細は何もない。
私は大きな溜息を画面に向かって吐き出した。
「……学力だけじゃダメなんだろうなぁー……」
覇気のない呟きがポツリと溢れる。
小学校でも体育はほぼ黒歴史。現在でも体育の授業に関しては、常にクラスで運動神経が良い子中心のフォーメーションを取られていて、クラス一丸お守の憂き目に遭っている。
そんな私の保険体育の内申点に関してだとペーパーはともかく、実技に関してはお察しである。
手助けしてくれるのは嬉しいが、ガッチガチに守られて碌に活躍できないのは問題しかない。
普段がそんな感じで碌に自分で動けないので、いざ実技テストとなると大体やらかしているのだ。ヤダ何それ負のサイクルしかない。
「実技……実技検査……。うぅっ」
苦悶の呻きしか出ない。今のところ口から出るのはマイナス点しかない。
以前裏エースくんが無謀と言っていたように、私が紅霧学院を受験したとしても学院の校風上で実技検査の点数が学力検査よりも大きく影響するのなら、確実に私は受からないだろう。それが高位家格・百合宮家のご令嬢だとしてもだ。
受けたとしても自信しかない学力検査の結果次第では、ゲームの強制力さんが仕事をして現実では有り得ない流れで受験してもいない銀霜学院に行けなどという謎イベントが発生して、抵抗虚しく出荷されてしまうかもしれない。そんなことになったら私はキノコになるしかない。
「一緒の学校に行きたい……。自分の特殊な運動神経が恨めしい……」
カチ、と画面右上のバッテンをクリックして画面を消す。初期画面のアイコンが三つ四つ並んだ青の画面から視線を剥がして周りを見ると、最初は数人いたのに既にもう誰もおらず、一人貸切状態になっていた。
あれ、もしかして五時限目の予鈴鳴ったのに聞いてなかった!?と慌てて壁掛け時計を確認したら、時計の針は十三時と二十三分を指していて、まだ余裕がある。
何だたまたまかと安堵したところで外から数回ノックがあり、ガラリと開けて入ってきた人物を見て目を丸くした。
「あ、麗花だ」
彼女も私の声に反応して存在を目に留めて、こちらに近づいてきた。
「ごきげんよう。受験校調べですの?」
「うん。麗花は? もしかして私に何か用事でもあった?」
麗花が進路学習室を利用する理由がないのでそう尋ねると、ふるりと横に首を振られて否定される。
「いえ、私もこちらに用事がありましたの。そろそろ過去の問題集に目を通しておかなければと思いまして」
「え?」
過去の問題集と聞いて、一瞬思考が停止した。
停止してすぐ、心臓が嫌な跳ね方をし始める。
「……麗花、香桜で内部進学じゃないの?」
どうしても声が固くなるのを避けられなかった。
それをどう捉えられたのかは判らないがあまり気にしなかったようで、彼女はそれを特に何でもないことのように口にした。
「ああ、そう言えば貴女にはまだ伝えておりませんでしたわね。高校受験は両親との約束ですの」
そう初めに言い置いて、隣に座る。
「元々香桜女学院への中学受験は、一度でも私が貴女と学校生活を一緒に送りたかった、私の我が儘ですわ。受験前に両親に直談判して、条件付きで受け入れられましたの。それにウチの会社ブランドはグローバル展開して、主に海外が主戦場となっているのはご存知ですわよね? “薔之院”を継ぐ者としては、国内にも目を向けるべきだと考えておりますの。そうなりますと内部進学では私の場合、難しいのですわ」
どういう考えで何を言いたいのかが解る。
高位家格、薔之院家の一人娘。
彼女が家の跡を継ぐことなど、その生来の責任感の強さから窺い知れることだった。有数のお嬢様学校だとは言え、その中のどれほどの生徒が麗花のように、家の事業を引き継ぐ跡取りの立場であるのか。
それは限りなく少数で、将来を見据えての繋がりを作るのであれば、高校受験は必然だった。
「ですからエスカレーター式の聖天学院からの受験は、最初かなり反対されましたわ。きっと外部受験がなければ、私の我が儘は通らなかったでしょうね」
外部受験。
“薔之院 麗花”の口から。そんな言葉が、出てきてしまった。
高等部もある香桜女学院だからと安心していた。このまま彼女は内部進学するのだろうと。紅霧学院には行かないのだろうと。だから、私は。
跡継ぎ。将来の繋がり。……ちょっと待って。
その二つが該当するのなら紅霧学院じゃない。家の跡を継ぐ人間が軒並み進むのは、銀霜学院の方だ。
それなら何故ゲームの中の“薔之院 麗花”は、紅霧学院に在籍していた? ……え? それを言ったらアイツらもだ。緋凰と春日井。
どちらも跡継ぎの癖にどうして銀霜学院じゃなくて、紅霧学院だったのか。
麗花は“私”と同じ理由か? 緋凰の婚約者だったから、アイツのために同じ学校に?
跡継ぎ同士の婚約でも、共同経営となるなら条件
あ、ヤバい。何か混乱してきた。……でも麗花は緋凰と婚約していない。したのなら彼女から話が出ない筈がない。
グルグルと色んなことが頭を巡る中でも、ハッキリと確認しておかなければならないことが今、ただ一つだけある。
いつの間にか手を膝に置いて握り込んでいた。ジワリと汗が滲んでいる。
二人しかいない進路学習室で、遂に問いを発した。
「過去問に目を通すって、言ってたよね。どこ、受験するの?」
麗花は決めている。彼女の受験する高校を。
安心材料が欲しかった。違うと。
お願いだから。
――太陽編なんて始まらないと、言って
時間にしたらすぐの返答だった。
けれどその返答するまでの間で、一体どれだけの鼓動を刻んだことだろう。
「初等部までは通っていた、聖天学院。そこの付属の――」
嫌だと願う必死の祈りを嘲笑うかのように、それは。
「――――紅霧学院高等学校ですわ」
皆と過ごす平穏な日々の終わりは、確実に近づいてきていた。
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