Episode238 花蓮の選択

 口の中がカラカラに乾いている。


 ――どうして。何で。嘘だ


 胸に渦巻くのはそんな、彼女の発言を受け入れることができない言葉ばかり。

 否定的で認められない思いが音となって溢れ出る。


「どうして紅霧学院なの? だって麗花、跡継ぎでしょ? それなら聖天学院の付属校でも、銀霜学院の方が合ってるんじゃ」

「薔之院のブランド嗜好は、主に上流階級に向けてのものですわ。フォーマル、カジュアル、ナチュラル。タイプは様々ありますけど、その価格帯は世間では手に取りにくいと認識しておりますの。なら私は両親とは異なった視野で、国内でどう展開していけば良いのか。そう考えた時に浮かんだのが、まだ部門のないスポーツウェアなのですわ」

「……それ、私に言って大丈夫?」


 麗花がクスリと笑みを浮かべた。


「まだ空想上のことですし、それに貴女のそういうことでの口の堅さは信用しておりますもの。百合宮家とは競合会社ということでもありませんし。ですからそう考えて、私が将来薔之院のブランドとして一番に手掛けるのであればと思ったのが、それなのですわ。でしたらやはり色々な面で、そちらに進むのが適していると思いましたの。幸いにして私の運動神経は良い方ですし。だから私は、紅霧学院を外部受験しますわ」


 そう言い切られる。そこには確かな彼女の考えがあって、理に適っていた。

 自分の将来を見据えた上での、最適な選択だった。


 どうしてこうなるの? 理由を聞いてしまったから、いやそれ以前に私が口出しすべきじゃないことくらい解っている。

 それでも、最後の足掻きをしたかった。


「……高校は一緒のところ、行けない?」


 嬉しそうな、けれど苦笑が混ざった麗花のその表情が答えだった。


「同じ学校で共に過ごせるのなら、それはもちろん嬉しいですけれど。ですが貴女の能力的には聖天付属であれば、紅霧学院よりも兄弟校の銀霜学院の方が合っておりますわ。……花蓮」

「なに」

「大学に進学するのであれば、また一緒に通えるかもしれませんわよ」


 そうだねと頷くことは――――出来なかった。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 夜。眠気の訪れない覚めた目を二段ベッドの下から、真上で眠る彼女との間にある隔たれたベッド裏に固定して、静かに見つめている。


 ――中等部の修了まではもうあと一年と、数ヵ月。


 その間で緋凰との婚約の話が出るかもしれないし、出ないかもしれない。

 そして麗花はきっと、何があっても紅霧学院への受験を覆すことはないのだろう。


 顔にそっと腕を乗せて目許を覆う。

 今思えば、確かにその布石はあった。私がだと気づかなかっただけだ。



『……本人のペースもありますけど、可能なら在学中に、人と普通に交流ができるようになって欲しいですわ』



 一緒にいられるのが中等部までだったから。



『でも、麗花ちゃんだけじゃなくて、花蓮ちゃんや葵ちゃんとも話せて、今までで一番、一番楽しかったの! ずっと、一緒にいられたらって……!』



 桃ちゃんが一層頑張ることを決意したのも、麗花ばかりか、私までもがいなくなることを知ったから。



『――花蓮くんは、このまま香桜で内部進学の予定か?』



 『妹』の麗花はいなくなる。雲雀お姉様のことを気にしたからじゃない。麗花がそうなら、私にも確認するのは当然のことだ。


 適性役職もそう言うことだ。本人の適性ももちろんだが、会計と書記はともかく会長と副会長はその仕事内容上、経験もなくいきなり抜擢されてこなすには難しい役職。中等部で経験があるからこそ、高等部でも活かせてよりスムーズに活動が行える。



『三年間、よろしくお願いしますわ』

『うん!!』



 入学前の合格者オリエンテーションで、麗花からそう言われた。私が中等部までしか通わないことを、あの時の麗花は知らなかった。

 六年間と言う筈だ。彼女側も、でない限り。



 ……麗花が決めた彼女の歩む道を手放しで応援することができれば、どれ程良かったか。

 不安と焦燥が募るのには明確な理由がある。


 麗花は初等部で過ごす最後の一年で、断罪に関わる一歩手前のことが降りかかっている。それが取り巻きの仕業ではなくとも、麗花が誰かに嵌められたことは事実。

 けれどそれを、彼女は自分のせいだと責めていた。



 ――“薔之院 麗花”が憔悴し精神を病んでしまったのは、本当に婚約破棄のショックが原因なんだろうか?



 あの時の麗花は取り巻きではない新田 萌のことを気にしていて、そのために口を噤もうと。本当のことを明かそうとせずにいた。彼女のことを守るために、自分がそれ悪意を負えばいいのだと。


 “麗花”は常に正々堂々としていた。

 緋凰の婚約者だからこそ衆目があるのも関係なく、彼等の逢瀬をいさめていた。緋凰のことが好きだったから。……好きだった、から?


 この現実では同じクラスになっても、麗花の眼中に緋凰はいなかったのに…………?


 麗花が緋凰に執着したのは、仲の良い両親を将来の夫である緋凰に投影していたからだと、以前そう考えたことがある。

 ヒロインの視点から見る限り緋凰は、自身の婚約者である麗花のことは他の女性と同じように、緋凰家の跡取りである自分に縋って取り入るために周囲と自分に見せる態度を変えているのだと、そう思っているようなことを彼は口にしていた。


 ……でもそれって、何かおかしくないか?


 “麗花”は態度なんて変えていなかった。ゲーム上では空子と緋凰が会話を重ねている場に堂々と現れていた。

 そう。好きな筈の緋凰がその場にいても、彼女はキツいド正論を放っていたのだ。どこが変えている?


 緋凰が自分の麗花に対するそんな考えを吐露したのは、ゲーム中盤で空子が麗花からキツい諫めを受けて反論できず、心が折れかけていた時。



『薔之院のことなんか気にすんな。ンなこと言ってもアイツは俺じゃねぇ別のモン見て言ってんだ。俺自身のことなんて何も見てもねぇよ。――四季、お前と違ってな』



 そんなことを空子の名前を紡ぐ前までは、不機嫌を隠しもせずに彼女に告げていた。

 ヒロインの視点では、それを“緋凰家の跡取り”であるからなのだと認識していた。あの台詞回しだと、私でもそうだとしか考えられない。


 “私”と白鴎の関係もそうだけれど、“麗花”と緋凰の関係も何か変に感じる。辻褄は合っているのに、どこかおかしいと感じる。何かが違う。

 前まではそうだと納得していた筈なのに、どうしてそう思うのだろう?




『――、今更ですけれど。きっと私は――――だった――――』




 途端、何故か目頭が熱くなった。



 ――らしくない。どうして手を伸ばさないの


 ――どうしてそんな風に諦めるの


 ――――貴女が私に――――って、そう言ったくせに……っ!!



 覆っている腕を伝って、熱い何かがどこかに落ちてゆく。

 漏れそうになる嗚咽を強く唇を噛みしめて必死にこらえながら、心に巣食う諦念と後悔が表面に浮かび上がってくるのを何故と思う。


 また私の感情じゃない、“誰か”の感情。



 ……だって、。もうそれが最後だったって。良くなかった筈なのに。

 それでも前を向いて気持ちに蓋をした貴女に、次もまた言おうって。また会えるからって。だっては――……。



「ぅ、だからっ……!」



 ――――私が絶対に麗花を助けたいと思っているように。麗花もまた、私のことを助けてくれる





 熱い瞼の裏側で、白い壁に四方覆われた部屋の中、ベッドに腰掛けた生気のない彼女の顔が現れる。揺れるカーテンの動きに誘われるかのように、色を失った彼女の顔が自然な動きでそちらへと向いた。


 開いている窓から入り込んで揺れるカーテンの隙間から、オレンジ色の空が見える。暫くそれを見つめていた彼女の瞳から、一粒の滴がポタリと落ちた。


 唇が小さく動いて、震える。

 失われた筈の彼女の奥底から、最後に溢れ出したのは――――。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





「麗花おはよう!」

「……おはようございますわ。何してるんですの」

「え? いつ起きるかなーって」

「寝ている人の上に乗る正当な理由を二十文字以内で述べなさい」


 麗花の体内時計は正確なようで、いつもバッチリ五時四十五分に起床する。うん、本日も時間ぴったし。


「受験する高校決めたからって、宣言したくて」

「それいま言うタイミングですの? 相手の寝起き一番に言うことですの? いい加減おどきなさい」

「はい」


 二段ベッドの上から梯子はしごを使って降り、起き上がって目元を擦っている彼女を見上げた。


「麗花」

「何ですの」

「麗花」

「だから何ですの」

「れーいーかぁー」


 そこでようやく目を合わせてきた彼女に向けて、にっこりと笑う。


「今度は私が頑張る番だから! 楽しみにしてて!」

「は?」


 目は覚めているけど頭の活動は遅れているのか、『コイツなに言ってんの意味不明』みたいな顔をされるが、結局寝られなくて貫徹し、気持ちハイになっている私にはそんな反応も全く気にならなかった。


 春日井は言っていた。私はやれば出来る子だと。


 ドッジボールだって水泳だって、特訓して続けていたらちゃんと成長した。なら特訓次第で私は顔面にボールを受けてもビート板をなくしても、ちゃんと成長できると言うことだ。


 学力は問題ない。私が集中して努力しなければならないのは――――実技一択。

 そして寝ずにずっと回っていた頭は、ちゃんとその当ても弾き出していた。


「ふふふふふ…………ホーホッホッホ!!」

「……貴女今日、学校休んだ方がよろしいんじゃありません?」


 心配しないで麗花! 私はやれば出来る子だから!



 ――百合宮 花蓮、十四歳、冬。


 銀霜学院に本来在籍する筈の月編ライバル令嬢は、その兄弟校である――――紅霧学院への外部受験を決意していた。

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