Episode285 劇中外・二人の大誤算

『――ただ一人捕まってしまったイエスはその後、大祭司カイアファの館へと、兵士らに連れて行かれてしまいました。そして大祭司カイアファに尋問されたイエスは自らを神の子だと言い、カイアファはそれは神に対する冒涜だとして、イエスに死刑を言い渡します。その後大祭司カイアファはイエスの処遇の最終判断を求めに、ローマ帝国の総督ピラトの前へと連れて行きました』


 連れて行かれはしたが、イエスの処刑判決をこの時ピラトは保留とした。何故ならばカイアファたちが神を冒涜したから死罪!と訴えても、それはローマの法律と照らし合わせた際に何の罪も見出せなかったからである。

 けれど無罪としてもカイアファたちは納得しないし、これ以上イエス関連で騒ぎが大きくなるのもピラトにとっては頭痛の種。


「罪人イエス。お前はこの地の王であるか」

「それは貴方が言っていることですよね」

「……」


 ローマ帝国からこの地を治めるために派遣されている総督ピラト。

 王だと答えれば反逆の意志ありとして処刑も可能であったが、こんな返答をされたのでこれもボツ。


 しかしこの時ピラトは思い出したのか聞いたのか、イエスがガリラヤという地を中心に宣教活動をしていたことを知る。そしてイェルサレムには現在、そのガリラヤの国主であるヘロデが滞在していた。


 こっちの手には負えないからあっちで裁いてもらおうと考えたピラトはイエスをヘロデの元へと送るもしかし、イエスが何も答えなかったせいでヘロデの不興を買い、派手な着物をイエスに嫌がらせで着せて再びピラトの元へと送り返されてしまったのだ。


「マジで頭痛いんですケド」


 そうピラトが史実として呟いたかどうかは定かではない。

 劇ではオレンジからホワイトワンピースに衣装の高級度が進化した私が再び舞い戻ってきたのを目の前にして、そんな台詞を言われはしたが。


 先程も述べたように、ピラト側ではイエスに死刑相当の罪状などない。しかもピラトの妻からも「コイツの悪夢見たんですケド」と言われていて、死罪なんかにしたら罰が当たるのではと、むしろ無罪放免釈放!の頭になっていた。

 そしてピラトはまたもや思い出す。――そういや今、過越祭だったな、と。


 そうだ。祝いの祭りの日なのだから、恩赦が適用されるだろう。あ、そういや他に死刑決まっている囚人いたな。イエスコイツだけ恩赦したら不公平だな。でも囚人アイツ強盗犯だしな。あ、でも恩赦できるの元々一人だけだったわ。ヤッベ、マジでどうしよう……。


『――そうしてピラトはぐるぐると悩み続けました。悟った顔をしているイエスを前にして、何故出戻り判決待ちしているコイツが余裕そうで、何故自分がこんなに悩んでいるのかと腹立たしくなりました。そしてピラトはやっぱりコイツは自分の手には負えないと、その処刑判決を再び他人ひと任せにすることにしたのです』


 集まった群衆の前でピラトが大きな声で尋ねる。


「群衆共よ! この過越祭の時は、囚人を一人だけ釈放する習わしがある! お前たちは自らを神の子だとかたるイエスと、よそ様のお宅に入って金品食糧諸々の強盗という確実な罪を犯した囚人バラバ、どちらの釈放を求めるか!!」

「バラバで!」

「バラバに一票!」

「バラバしか勝たん!」

「マジで!?」


 イエスを処刑して罰が当たるなど御免こうむるピラトが敢えて処刑はバラバにしよう!と推したのに、というか普通に悪いことをしているバラバが釈放を求められることなどないと高を括っていたのに、群衆がまさかの逆バラバ推しで白目を剥きそうになるピラト。ヘロデの時と言い大誤算である。


 こうしてバラバは意気揚々と釈放され、弟子の会話に入れてもらえないし弟子に裏切られたし逃げられたし民衆からも見捨てられた可哀想な私は、私に関してだけ何もかも上手くいない腹いせにピラトから赤いローブをワンピースの上から着せられて、茨の王冠も被せられ、更に十字架を背負わされて刑場へと向かわせられた。


 ちなみに何故ことごとく派手な衣装を着させられたかと言うと、誰からも神の子だと認められていないのに、一人で勝手に言っているだけの間抜けだと馬鹿にしているからだ。

 群衆らがイエスの釈放を願わなかった理由も諸説あるが、ただ結果としてイエスはその地の民衆から支持を得られずに処刑された。それだけである。


 十字架を背負って歩く場面から、刑場であるゴルゴダの丘に移る。

 ここまで私と同じく刑に処される囚人二名を引っ立ててきた兵士たちが、背負っていた十字架をセットすると手と足をその十字架に括り、はりつけにする。


「……貴方が本当に神の子であるキリストさまなら、自分で自分を救える筈でしょう。色んな奇跡を今まで起こしてきたと聞いた。ならばその奇跡でもって、私達も救ってくれよ!」


 一人の罪人がそう訴えたが、けれどもう一人の罪人がそれに反論した。


「お前は同じ刑を受けていながら、神を恐れてはいないのか! ……私達は仕方がないさ、それ相応の罪を犯したのだから。けれどこの人は。この人は、何の罪も犯してなどいないだろう。……主よ。貴方のお国でも私のことをどうか、思い出して下さいますよう」

「……貴方は」


 神を信じ、私の無罪を信じてくれるその人に私は微笑んだ。


「今日貴方は、私と天国にいます。我が父のいる、あの国に」


『――イエスらの刑場には、彼のことを嘲り嗤う者、嘆き悲しむ者など多くの民衆が集まっていました。涙をぬぐい泣き続ける女性信者たちですが、その中の一人たりとも、主と信じているイエスのために命を投げ打つと言う者はおりませでした。そうして……』


「な、何だ!?」

「急に空が暗く……!?」


 パッと照明が落ちる。落ちたのはステージだけでなく、観客席も含めた全体。

 突然の暗闇に包まれた世界では民衆らが驚きの声を上げて動揺し、戸惑う。このとんだオカルト現象は本来なら正午十二時から午後三時まで続くのだが、劇なのでそんな時間はリアルにかけられない。


 長時間もの間十字架に磔にされた私は、もう既に虫の息だった。

 そうして最期、第三幕のクライマックスを最後の力を振り絞って叫ぶ――!



我が神エリ我が神エリどうして私をお見捨てになったのですかレマ、サバクタニ――……!」



 ……そうして暗闇の中で、私は息を引き取った。


 少ししてから照明の明るさが戻る。

 目を閉じて首をガックシしている私を見て、刑場にいたピラトが叫んだ。


「馬鹿なっ! こんなに早く死ぬ筈がない! 早過ぎるだろう!? ……本当に死んでいるのか?」

「私が確かめましょう」


 そう言った兵士の一人が私の右脇腹のあたりを槍で突き刺す(本当に刺さってはいない)。


「動かないので、死んでいることに間違いはないでしょう。しかし……血の他に、水が出てきました。こんなのは、こんなのはあり得ません……」


 愕然とした声を漏らす兵士の演技は、目にしていなくてもその緊迫が伝わるものであった。



『――正午十二時からイエスが天に召された午後三時まで、その地の空を覆った闇。磔の最中、真ん中から裂けた聖所の幕。そしてイエスの亡骸から血とともにすぐに流れ出した水。それらはすべて、普通のことではありませんでした。刑場にいた者達はしかとこの異常をその眼で目撃したのです。イエスがただの人間ではなかったという、その証を。イエスは己に罪があったと認めたから大人しく刑を受けたのではありません。イエスを神の子と認めない、愚かな人間たちへ父である神の怒りが降りかからぬよう、己の死を以って神へと赦しを乞うたのです。ユダの裏切りが発覚した日、イエスは言いました。「私はただ人々を苦しみから救いたかった、それだけなのに」と。イエスはただ、人々の幸せを願っていたのです――……』



 第三幕はここで幕切れ。カーテンがゆっくりと閉じられていく中で、大きな拍手が巻き起こる。

 けれどステージに立つ者たちは皆カーテンが完全に閉じ切るまで動くことなく、その場に佇んでいた。


 ……ちなみにイエスを裏切った使徒、イスカリオテのユダ。劇中では裏切り者の彼のことは挟まなかったが、ユダはイエスの死刑が決まったその日に彼を裏切ってしまったことを後悔して、自らの手で命を絶っている。

 ユダがイエスに対してどのような想いを抱いていたにしても、最後に後悔するくらいなら……と私は密かに思ってしまう。


 ――命を絶つほど後悔するくらいなら、寄り添って解決する道を探せば良かったのに――……。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





「花蓮ちゃんのところすごかったね! コメディと真面目なシーンのふり幅が強烈だった!」

「アタシも噴き出さないようにめっちゃ我慢した! ユダとの最後の場面で花蓮が言ったやつ、アタシ背筋ゾクッとしたよ」

「ありがとう。シーン的なものはシナリオ制作係の子の力だし、でも大体コメディ要素が多かったから、反応どうかなってちょっと思ってたんだ。きくっちーのクラスも面白かったし、桃ちゃんのキリストも可愛かったよー」

「えっ。あ、ありがとう……」


 照れる桃ちゃんも可愛いです。使徒よりも背が低いから、宣教活動するのにちょこちょこ歩いていたのがとても微笑ましかったです。


「麗花ちゃんのところもすっごく良かった! 福音書の内容にちゃんとてらっていて、麗花ちゃんのマリアさまも綺麗だったよ!」

「……」

「麗花ちゃん?」


 褒められているのに反応のない麗花。彼女は眉間に皺を寄せて難し気な顔をしている。

 桃ちゃんは純粋な目であの第一幕を見ていたようだが、麗花がそうなっている理由を私ときくっちーは察してしまった。


「あー麗花。大好評だったんだから、機嫌直せって。な?」

「そうだよ。一番福音書の内容に衒った麗花のクラスが、香桜祭演劇総合賞を受賞したんだから」


 すると麗花はキッと眦を吊り上げた。


「しんっじられませんわ!! 一体どういうことですの!? 私のクラスは何故いつも私に黙ってコソコソするんですの!!?」

「言ったら怒られてやらせてもらえないからじゃない?」

「お黙り!」


 ありゃりゃ。これは相当おかんむりのようである。


「いやでもさ、普通に何の違和感もなかったところがすごかったよな。そりゃ部屋の花瓶に薔薇が飾ってあるのは全然普通に観れたけど、ガブリエルさまの衣装が赤くても『受胎告知』の背景が一面薔薇でも、ベツヘレムの道中に薔薇の花弁が敷かれていても、馬小屋に薔薇のクッションがあっても普通だったよ。さすが赤薔薇の聖おイングリッド・バーぶ」


 最後の一言が余計と判断して素早くその口を手で塞いだ。

 天誅されたくなかったらお口チャックしておくのだ、きくっちー。


 確かに麗花のクラスはストーリー進行も台詞も、とても真面目なものだった。さすが麗花の所属するクラスである。

 しかし彼女らはビデオカメラ撮影の日ではしなかったことを、香桜祭二日目の劇でやってのけてしまったのだ。


 ――どのシーンにも必ず薔薇に関わるアイテムを登場させるという、荒業を。麗花は謀に弱い。


 きくっちーが言っていた通り、部屋の花瓶に薔薇の違和感はなかった。

 けれど次第にその数を増やしていけば違和感は増すというもの……であるが、そこに麗花という薔薇の少女を投入すれば違和感なんてものは存在しない。観た後ではむしろない方が違和感を覚えただろう。


 思うに、恐らくきっと赤薔薇の聖乙女イングリッド・バーグマン過激派が麗花のクラスに存在しているに違いない。

 多分だが二回連続でみすぼらしい恰好、セットの中で麗花がマリアさまを演じることに耐えられなかったのではないかと思う。マリアさま、古代イスラエル王国ダビデ王の血を引いているお姫様だし。


 まあ二日目の演劇は香桜生身内にしか見せないし、やってやろうぜ!って気になったのかもしれない。

 今はこんなにプリプリ怒っているが、劇中では一切顔色も変えずに演じ切っていたのはさすが責任感プライスレスの麗花さん。そして恐らくそれが香桜祭演劇総合賞を受賞する決め手だった。


「おかしいですわ……っ。高見里さんに負けてからやっぱりおかしくなっていますわ……! 教室に帰って問い質そうとしましたのに、『私達はやりきりました! 後悔なんてしておりません!!』と言い切られて言葉が出てこなくなった私は、一体どうしてしまいましたの!? ああっ、『それを考えるのが神が生み出した、人間という尊い生き物ではないのですか?』が、耳に纏わりついて離れていきませんわ……っ!」

「大丈夫か麗花!?」


 ヤバい。二回も同じ人間に説き伏せられて、高見里さんが完全にトラウマになった模様。

 というか一体何の題材でディベートしたらそんな否定意見が出てくるのだ。しかも何か否定と肯定の立場逆転してない?


「も、桃、普通に感動したんだけど……。ダメだった……?」

「ううん、桃ちゃんは悪くないよ。大丈夫大丈夫」


 ご乱心した麗花をきくっちーが宥めるのを、そんな風にオロオロとして見ていた桃ちゃんを今度は私が宥める。

 そうして中等部生活最後の香桜祭は、平和に幕を下ろしたのであった。

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