Episode281 彼女の覚悟、密やかな決意

 再び部屋の空気が重くなる。

 修学旅行が間近に迫ってからでは遅い。確定した段階で告げなければ、最悪の覚悟もできないのだ。


 桃ちゃんが固まっていたのは数秒だけ。彼女は見開いた目を元の形に戻して、小さく息を吐いた。


「そっか。やっぱり、そうなっちゃうんだ」

「撫子」

「教えてくれてありがとう、麗花ちゃん。……もしかして皆、このことで集まってたの?」


 頷く私ときくっちー。

 そんな私達を見て、桃ちゃんはクスッと笑った。


「皆、桃のためにありがとう。でも大丈夫! 前に言ったけど桃、ここに来てから変われたと思うの。だからもしアイツと修学旅行で会ったとしても、小学校の時みたいに受け身にはならない。アイツにどう思われても関係ない! もう桃には、桃の味方がたくさんいるから!」


 香桜女学院に来てから二年と半年を越した。

 その間で、彼女はとても大きく成長した。


 諦めずに前を向くようになった。人を信じたいと、もう一度そう思えるようになった。

 笑顔で会話できるようになりたいと、自分から行動するようになった。

 徳大寺に囚われたまま、ただ無為に二年と半年の時間を過ごしていた訳では決してないのだ。


「桃ちゃん。でも絶対に修学旅行中は一人にならないでね。トイレにも絶対誰かと一緒に行って。最悪旅行中は、桃ちゃんを真ん中に配置したフォーメーション組んで過ごそう!」

「有明学園生を見掛けたらすぐに逃げろよ! 許嫁じゃなくても、そこの生徒は全員お前の敵だと思って避けろ!」

「え、え? そこまでするの?」

「全員が全員そうという訳ではもちろんなくてよ。ですが今回ばかりはそうもいかない事情がありますの。クラス移動の時は少なくとも安全でしょうけど、少数行動の時が危険の最大値ですわ。二人とも、元より自由行動の際は『花組』で固まって行動しますわね?」


 麗花に問われ、一も二もなく同意する。


「もちろん!」

「そんなん当たり前じゃん。ずっとこの四人で固まってたんだぜ?」

「花蓮ちゃん。葵ちゃん……」


 瞳を潤ませる桃ちゃんに、にっこりと笑う。

 私達は絶対に貴女を一人になんてしないよ、と。


「私達で行動している間、大抵の輩は私と花蓮で撥ね退けることができますわ。私達二人は、どうも殿方からは避けられるようですし」

「去年の香桜祭がいい例だよね。麗花なんてパンフレットも受け取ってもらえずに、サッサと行かれちゃったもんね。まさか非モテ同盟がここで役立つとは思わなかったなぁ」

「承諾した覚えのない変な組織に、私を頭数に入れるんじゃありませんわよ!」

「「非モテ同盟……」」


 ポツリと同盟名を呟いた二人に顔を向けると、何とも言えなさそうな表情をしている。


「高嶺過ぎるんだろうなぁ……」

「ね。二人とも女子からしても高嶺の花だもんね」

「ん?」

「何ですの?」


 コソコソ話しているきくっちーと桃ちゃんに首を傾げると、二人から何でもないと返ってくる。

 なになに気になる~。


 そうして修学旅行での大体の行動指針は絶対に桃ちゃんが一人にならないことを必須条件とし、細かい対策は修学旅行中の行動スケジュールが明確になってから決めようと、その日はそれでお開きになった。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





< 毎日良いことばかりが続けばいいのですが、中々人生とはそう上手くいかないものだと痛感しました。前にも書きましたが、修学旅行の場所や時期が貴方の通う学園と重なってしまったんです。


 拓也くんにも伝えましたが、私は今回ばかりはそうならないようにと願っていました。私はこの学院でできた大切なお友達を守りたいんです。

 きっと貴方なら私のこの気持ちも、解って下さるだろうと思っています。……だからもしこの修学旅行中に偶然貴方を見掛けることがあったとしても、私から貴方に声は掛けません。貴方から声を掛けられても私は多分、貴方を無視します。


 何故かと言うと、私が彼女の不幸の引き金になる訳にはいかないからです。

 お聞きしました。彼女の許嫁である方と仲が良いのだと。それならば貴方とその方が一緒に行動している可能性も高いです。私は彼女を守るために彼女と一緒に行動します。……彼女を直接の不幸と引き合わせるなど、以っての外ですから。


 だから私が貴方を無視するのは、貴方のことが嫌いになったとか、気持ちがなくなったとか、そんなことでは決してないのです。

 『会いたい』という想いは、今もずっと変わっていません。拓也くんが貴方に事情を話してくれているかは分かりませんから、こうして私の正直な気持ちを綴っております。


 貴方と約束した三年の期日もあともう少しというところで、こんな事情が発生してしまってとても悲しいです。申し訳なく思います。貴方も頑張ってくれていると、聞いているから。

 本当にそうなるかは分かりません。ですがその時には言えないから、いま事前に言います。


 ごめんなさい。今度は私が貴方を無視します。本当はそんなことしたくありません。

 そうされて辛かったから、同じことなんて返したくありません。


 こちらの仲が良い友人から場所が北海道だと聞いた時、最悪と思いました。それは彼女の件と同時に、私がそうしなければいけないことをも確定してしまったからです。

 大切な人を守るために、もう一人の大切な人を傷つけることになるなんて、何て皮肉でしょうね。


 それでも私は、彼女の泣いている姿なんて見たくありません。

 幸せな人生を歩いてほしいと思うのです。

 彼女を縛りつける鎖など。逃れられない運命など、ある筈がありません。


 誰にだって幸せになる権利は、ある筈だから。>




 最後の一文を書き終えた私は重苦しい溜息を吐き出しながら、日課となっている裏エースくんへのラブレター日記を静かに閉じた。


「あー……もう、ほんっと最悪……」


 額に両手の指を添える形で机にひじをつく。

 小学校の修学旅行の時、たっくんにもうあんなことは御免だと言われた。そのまさかだ。


 あの時とは色々なことが異なっているとは言え、そのやり方が同じになってしまうだなんて。

 夏に会って話したことをたっくんが裏エースくんにも共有してくれていたら、まず誤解はされないと思う。

 むしろ意を汲んで、彼も私を避けてくれるかもしれない。


 だけどたっくんは言っていた。又聞きする方がダメだと思うと。

 それが緋凰のことでも徳大寺のことでも、彼に伝わっていない可能性がある。だって徳大寺に関しては彼らの中で築いている今までの友情を否定し、壊しかねないことなのだ。


 こちら側が勘違いしている線などないと思うが、でもそれはきっと向こうだって同じように考えている筈なのだ。

 自分の目で見たものを信じる。お互いに積み重ねてきた時間がある。


 けれど、私と裏エースくんだってそうだ。

 色々なことがあった。楽しいことも辛いことも、同じぐらい共有して経験した。

 そうしていつの間にか自然にお互いのことを、大切な存在だと――――ただ一人の恋しい人へと、想いが変わっていった。



 ――だから私も、裏エースくんを信じてる



 桃ちゃんに私の好きな人が許嫁と同じ学校に通っていると言っていなくて、本当に良かった。絶対に気を遣わせただろうから。

 優しい彼女は自分のせいでと、そうして自分を責めるだろうから。


 麗花は知っているけど口にしないだろう。

 心配はされるかもしれないが、桃ちゃんに気取られるようなことは避ける筈だ。



『突き放しても花蓮が俺を掴んで離さなかったように、俺も花蓮を離さない。物理的に距離は離れるけど、“ここ”だけは離れないし、離さない』



「今度は私が突き放しても、離さないでね。会えない時間より一緒にいた時間の方が長いんだから。ちゃんと、今もずっと……大好きだよ」



 会っても直接言えないから、一人で密やかに。

 誰にも明かせない本心が、貴方にだけは届くようにと願う。苦しい気持ちはすべて飲み込んで。


 私はこの日の夜、そんな決意を胸に抱いた。

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