Episode266 陽翔が抱えるものと花蓮が作り出すもの
緋凰がそんな態度でいても私は目を見開いて、驚きを露わにした。
神童と言われるお兄様だって、事業に関わることは大学生になってからだったのに。緋凰家の事業規模を考えたら、いくら何でもそれは早過ぎるのではないか。
能力が優秀だからとかそういう問題じゃない。会社を引継ぐということは、多くの人間の人生を預かるということだ。
その重責をまだ幼く、多感な中学生の頃から背負わせるだなんて。
「そんな……緋凰さまが優秀だからって言っても、それは」
「生まれた時から俺に敷かれたレールは一つしかねぇ。母さんが放棄して気の弱い父親が中継ぎをして、そうして俺に投げられる。遅かれ早かれなら父親がプレッシャーで壊れちまわねぇ内に、俺が早く継いだ方がいいだろ」
「緋凰さまは不安じゃないんですか? だってまだ中学生です。私達はまだ、親に甘えても許される年齢じゃないですか」
親と口に出してからハッとする。
「そうです! お母様は、ご夫人はご存じのことなんですか!?」
「……さあな。一応家に関することだから、話は通してんじゃねぇ?」
「ちゃんと確認した方がいいですよ! というか、家族間での会話がなさ過ぎです!」
強く訴えても緋凰の態度は変わらない。
それどころか鬱陶しそうに時間を確認する始末だ。
「マジで時間ねぇから話は終わりだ。ほら出てけ」
「息子なんですから連絡を取るくらい…」
「――――これは“
怒鳴られ、ピリピリとした空気が発せられる。
「……っ」
今までにもメンチを切られたことはあったが、あんなのは可愛いものであったと、今の緋凰を見て思う。
鋭い眼差しに
「踏み込んでいい領域を間違えんなよ。他家の人間が口出すことじゃねぇ」
――――拒絶が滲んだ、底冷えするくらいの低い声音。
……言われなくたって解っている。お父さんのことは、緋凰にとって触れられたくない柔い部分だ。
私の言動は傍から見れば善意の押し付けにも見える。――――けれど。
「だったら何で私に話したんですか」
「あ?」
「お父様のこと。いくらでも誤魔化せた筈です。触れられたくないなら、どうして話したんですか。私相手に同情なんて引きませんよね?」
「お前…」
「自分のことを知って欲しかったからじゃないんですか」
もしかしたら最悪ここで縁が切れるかもしれない。
けれど緋凰は春日井に向けてだが、『亀子と向き合ってみたかった』と説明していた。
なら私だって、“緋凰 陽翔”と向き合うべきなのだ。
「私が先に本音で話したから、自分も私にそうしてきたのでしょう? 『向き合う』ということは、『解り合う』ということです。春日井さまと一緒ではありましたが、水泳で長年ともに時間を過ごした私だからこそ解りたいと思い、貴方が本当はどんな人間なのかを私に知って、解ってもらいたかったから話したんでしょう? ……気持ちを理解して私を助けて下さったように、私に助けて欲しかったんじゃないんですか」
この合宿中、私もただ自分の特訓だけに集中して過ごしていた訳じゃない。
同じ環境で過ごしてみなければ分からなかった緋凰の人となりを知って、だから色んなことに協力したいと思った。
「……貴方は素直じゃありませんけど、根は良い人です。憎まれ口ばっかり叩いて、けど春日井さまが大好きで、普通に一人の女の子に恋をしていて。あと人とのコミュニケーションが苦手で、私達の他にお友達のいない、ただの男子中学生です。貴方から直接話を聞いたから分かります。自分の傍にいなくても、ご両親のことを大切に思っていらっしゃること」
どうして私がそう感じたか。
何故なら緋凰は父親のことを話している時、父親が感じているプレッシャーについてその原因が母親にもあるとは言っていたが、その母親への非難など一つも口にしていなかったからだ。
自分が悪いと思うばかりで、母親に対する責めなどなかったから。それに……。
「会社を継いだり夫君の補助を担うことなく、他の道へと自由に邁進されているご夫人の邪魔をしたくないから、相談せずにいること。“演劇界の彗星”と御高名なご夫人です。国内を飛び出して、今や世界に通用する大女優となられていらっしゃいます。お仕事に忙殺される中でも、幼い貴方に会いに度々ご帰国されていらしたのは、あのアルバムが証明しています。お父様だけじゃなくて、貴方はお母様のことも好きだから」
相談すればきっと楽になる。けれど緋凰はそうしようとしない。きっとその先を見据えて、それが怖くて言えずにいる。
……自分の言動に対する相手の受け取り方を見誤ったせいで、大好きな人が離れていってしまったから。
「隠し撮りしたことにはケチをつけてきただけです。貴方がそうやって私に踏み込むなと怒ったのは、お母様に相談しろと言ってからです」
相談した先。緋凰はこう考えた筈だ。
「『父親のことを相談したら、母さんが今の仕事を辞めるかもしれない』。『母さんが家に戻ってきたら、父親が“緋凰”を追い出されるかもしれない』。――――『俺が母さんに相談したせいで』」
最後の言葉を口にし終えると、緋凰から放たれていた圧がふっと霧散した。
それを肌で感じ取り、知らずの内に身体が強張っていたようで、自然と肩から力が抜けていく。
……緋凰の威圧が解けた今、もうここで終わりにした方がいいのかもしれない。
けれどここまで喋ったからには、恐らく今回だけは枷となってしまっているあの言葉にも触れなければ、緋凰家の内情に関して彼は前に進めないと思った。
「『何でもできるんだから、頑張ったらできる』」
ピクリと緋凰の頬が動く。
「私からすると、貴方のその頑張り方は賛同できません。だって貴方だけ全部我慢しているじゃないですか。子どもらしく言ってもいい我儘も言えず、自分が我慢すれば全部上手くいくと思い込んで。そんなんじゃいつか壊れます。頑張っても受けたことのない重責なんて、中学生の子どもが
こうして話している内に気づいたことがある。
私は今まで何も考えずにただ事実として、“スポーツ大会の個人戦種目では賞総ナメの天才児”と口にしていたが、そもそも何故緋凰は度々大会に出場していたのか?
緋凰家の後継としての箔付けのためだけなら、スポーツじゃなくても書道とか音楽とか、そういった文化系のものでも良かった筈だ。
私はたっくんと再会した時、『陸上は個人、己との戦いと言っても過言ではありません』と告げた。
個人戦ばかり出場していたのは対戦相手とではなく、己との戦いでプレッシャー慣れをしようとしていたからじゃないだろうか?
ペアで出場できる種目だって春日井がいるんだから、彼と一緒に参加することだってできただろうに。
緋凰がスポーツ大会で個人戦にばかり出ていた理由が、もしもそうなのなら。
相談できないからこそプレッシャーに負けないために、己の精神力をそこで鍛えていたのだとしたら。
それは――――あまりにも哀しすぎる努力だ。
「……ちゃんと今のご自身の気持ち、ご両親にお伝えしないとダメです。確かに話さないことで守れるものもあるのかもしれません。ですが矛盾してますけど、話さないことで逆に壊れてしまうものだって、あるんですよ」
気持ちを言わなかったから壊れてしまった、ゲームの中の花蓮と白鴎の関係性。
婚約者の前でも“百合宮家の令嬢”として操り人形のように、お母様の言いつけ通り何も言わず微笑みを貼り付けたまま、ただただ現状を受け入れていたから。
本音を隠そうとして、けれど隠しきれずに溢れて、白鴎に近づく女子を陰で葬り去るように動いていた。
その結果が愛していた人からの断罪と、一家路頭――……。
「やってみて全部が全部、悪い方に行くなんて決まっていません。話してみないと分からないことだってあります。現に私はそうされて、緋凰さまのことを知りました。貴方の気持ちは貴方にしか分かりません。ちゃんと言ってくれないと、相手だって知りようがないんです。……まだ中学生の子どもなんですから、親に助けを求めてもバチなんて当たりません。貴方一人が全部を背負うことなんて、ないんですよ」
これで言いたいことは、すべて言い切った。
後は緋凰の反応を待つばかりであるが、彼は途中から目線をカーペットに落として無言のまま、そこに佇んでいる。
――ピリリリリ
重苦しい空気が漂う中で鳴ったその電子音。
空気を引き裂くそれは私の携帯から発されたものかと見ても、いつの間にか真っ暗に落ちていた画面は黒いままで。
視界の隅に動きがあったので再び緋凰の方を見たら、鳴っていたのは彼の携帯だったらしく、画面を確認してから耳に当てて通話し始めた。
「もしもし。…………ああ、」
チラと確認するようにとある方を見たので釣られて私もそちらを見ると時計があり、それは既に十七時四十五分を経過していた。
あ。確か出発時刻って、十七時半……。
「いや、まだ出ていません。家にいて……はい。遅れますが、ちゃんと向かいます。すみません。はい、そのように伝えて下さい」
そうして電話を終えた緋凰が、静かな面持ちで私に視線を向けてくる。
「いい加減出てけよ。もう終わったんだろ。つかウチのモンも時間知ってんのに呼びにこねぇとか、怠慢じゃねーか」
「……行くんですか」
固くなった私の声音に対する返答は、鼻でフンと一蹴だった。
「向こうから接触してきたんだから行かない選択肢は端からねぇんだよ。おい。出てくつもりねーんなら、目の前で着替えんぞ」
「いえ、出ます。お邪魔しました」
携帯を握りしめ、踵を返してドアへと向かいノブをガチャリと少しだけ開けて……私は最後に、この合宿に協力してくれたお礼を告げるために口を開いた。
「この一ヵ月、ありがとうございました。特訓して頂いてちゃんと体力も付きましたし、タイムだって縮みました。私のお願い……助けに応じて下さって、嬉しかったです」
返事を待つことなく部屋を出る。廊下にはお手伝いさん……最初に見つかって、けれど一番協力してくれていた
恐らく時間だと呼びにきてはいたのだが中で言い争っている声が漏れていて、声を掛けるに掛けれなかったのだろう。内容が内容だったし。
しょんぼりしながら小久保さんに結果を告げる。
「すみません、力及ばずでした……」
「いえ。坊ちゃんのために、ありがとうございました」
何もできなかったのにお礼を言われ、余計にへこんだ。
私と皆さんの努力も全部水の泡となり、緋凰にデータも渡せず仕舞い。虚しさが半端ない。アイツに憲法振りかざされて訴えられる前に、苦労して撮った写真を全部消去しなけれ、ば――――?
「あ」
「お嬢さま?」
「私、ちょっとお部屋に戻ります!」
ピコンと閃いた私はそう小久保さんに告げ、急いで宿泊している部屋へと直行する。
戻ってすぐに手に持ったままの携帯を操作して電話を掛け、ほんのちょっとだけ待つと。
『はい、百合宮でございます』
「あ、北見さん! 花蓮です! すみません、お母様いらっしゃいますか!?」
『花蓮お嬢さま? ええ、はい。いらっしゃいます。少々お待ち下さいませ』
耳に優しい保留メロディーを聞きながらこれからの算段をつけていると、『もしもし花蓮ちゃん? どうしたの?』と久し振りのお母様の声が私を呼んだ。
『今日家に帰ってくる日でしょう? お迎えの時間が変わる?』
「お迎えは予定通り十九時で大丈夫です。すみません、ちょっとお母様にお聞きしたいことがありまして」
『あら、何かしら?』
「突然であれなんですけど、緋凰夫人に直接届くメールアドレスってご存じですか? 最悪お電話でも構いません。夫人にどうしても見てもらいたい写真があるんです」
ドキドキしながら告げれば、お母様は少し間を置いて。
『残念だけど知らないわね。お母様が携帯を持っていないの、知っているでしょう?』
「あっ」
仲良しイコール連絡先を知っている、という図式が木っ端微塵に砕けて散った。
そうだった。遊び道具はお正月の秘密ボックスを授けてきた古き良き時代の人であるお母様は、文明の利器をお持ちではなかった……!
「緋凰さまの写真……」
『陽翔くんの写真を送りたいの?』
「はい……。いいアングルで(お父様の写真と)仲良く撮れたので、その画像をぜひご夫人にも見て頂きたくて。緋凰さまは中学三年男子のお年頃ですので、恥ずかしがってご自分では送ろうとしないのです……」
『そういうことなのね。そうねぇ……お母様から直接は難しいけど、薔之院夫人、美麗さま経由なら連絡が取れるかもしれないわ』
「!」
立てた作戦全部失敗の結果に膝から崩れ落ちそうになったものの、けれどお母様から救いの一手が差し伸べられて、ハッと立ち直る。
『だけど美麗さまも樹里さまもお忙しい方だから、すぐに連絡は取れないかもしれないけど。それでもいいかしら?』
「はいぜひお願いします!!」
『そ、そう。じゃあまず美麗さまに連絡を取ってみるから、それまで待っていてちょうだい』
「分かりました!」
取り敢えず希望は潰えなかったので、安堵して一旦の通話を終えた。
緋凰に渡さずとも問題ない。ご夫人に頼ることを緋凰が頑なに拒否していたことを考えれば、これはちょっと真面目に善意の押し付けになってしまうが、何もしないよりはマシな筈だ。
それに写真を送るのは今日でなくともいい。会社のことはお父さんと会って話しても、全部が全部今日のことにはならないからだ。
この写真を見れば、きっと何かを感じ取って下さる筈。そこからご夫人が、どんな用件だとしても息子に連絡さえ入れてくれたなら。
「私はご夫人には何も話しませんよ。離れて暮らしている息子の近況写真をそのお母さんにただ送るだけですからね。気づいて文句を言う頃には、私は既に香桜にいることでしょう。と言うか自分と同じように近況写真をお父様ではなくお母様に送るだけなのですから、文句を言われる筋合いもありませんけどね。ホーッホッホッホ!」
――――私はきっかけを作っただけだから。そこからどうするかは貴方次第だよ、緋凰 陽翔
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