Episode265 俺を構え親父! 緋凰家仲直り大作戦!

 一ヵ月と半月ほどあった夏休み、もとい緋凰式運動能力向上大合宿も本日で最終日となる。ちなみに日付にして八月二十三日。

 八月丸々ではないのは、去年もあったことだが私に【香桜華会】のお勤めがある故だ。


 資料等は夏期休暇が始まる前に準備できているので、帰省する日にメンバーと軽く打ち合わせだけして、オープンキャンパスに臨むのである。……ああ、それが終わると香桜祭も始まるね……。


 紅霧学院の実技検査合格点を勝ち取るためとは言え、必死こいて鬼コーチの特訓に日々打ち込んできた私の元に、またあのそれなりに忙しい日々がやって来るのかと思うと、始まる前からもう屍になりそうだ。


 そして今やっと最後のトレーニングも終了し、達成感と共にオールウェザーコートの上……だと丸焼きになってしまうので、そこから外れた芝生の上に寝転がってローリングコロコロをする。


「はぁ~~。芝生の上はそれなりに冷たくて、上がった息も落ち着きます……」

「地面を転がる元気が残ってるくらいには成長したな。最初はマジで死んでたからな」

「体力ちゃんと付きました!」


 バッと起き上がり緋凰へ顔を向けると、鬼コーチは私を見ずにタブレットを見ていた。

 人と会話する時はちゃんと相手を見ないとダメって言った方がいいだろうか?


「基礎値は目標まで到達した。後は短距離のメニューを受験日までの休日は、香桜でサボらず復習しとけよ。何もしなかったら体力なんてすぐ落ちるからな」

「了解しました。……あの。私褒めたら伸びる子ですので、ちょっとぐらい褒めて下さい」


 緋凰はムチばっかりでアメなんてほとんどくれなかった。

 最後くらいいいだろうとアメを所望すると、彼はタブレットから視線を外して「はあ?」なんて言ってきた。


「何で俺がお前褒めなきゃなんねぇんだ。そもそもこの特訓はお前が自分で望んでやってることだろうが。やって当たり前のことを褒めてどうすんだ、馬鹿か」

「最後一言多いです! 女の子どころか人に向かって馬鹿って言うんじゃありません、クソ鬼!」

「お前ブーメランって例え知ってるか? ……はぁ。アーガンバッタガンバッタ、エライエライ」

「何て虚しいアメでしょうか」


 これが春日井であれば、彼はこちらが所望する前に必ずアメをくれる。

 ……そう思うと、何故彼が“劣”の評価を周りから下されているのかが分からない。


 全体的な能力から見れば確かに緋凰は優秀であるが、緋凰より春日井が優れているところなんて、数えきれないほどあるのに。

 何と言っても春日井は暴言を吐かない。お口悪くない。基本的に女の子に優しい。


 『基本的に』が付くことに関しては、彼が私に対して最近棘ッたからである。


 虚しいアメを頂いたところでシャワールームへと向かい、着替えて車に乗り込み帰還する。

 そして帰還した直後、体力の付いた私は今までのようにベッドで死んだように眠りに就くことなく、とあるものを手にして緋凰の私室へと乗り込んで行った。





「緋凰さま! 緋凰さままだいらっしゃいますか!? 緋凰さまちょっとお話があるんですけど!!」

「うるっせぇんだよ!? ドアガンガン鳴らしてんじゃねぇ! 令嬢なら軽いノック数回で済ませろや!」


 気が急いてバタバタやって来た勢いのままノックをしたから強く叩いてしまい、少々激しいノック音を出したことをメンチ切られながら怒られたものの、私は手にしたものを印籠の如く緋凰の顔面に突きつける!


「緋凰さまもこれ出して下さい! 早く!」

「俺はこれから用事あんだよ。携帯持って何がしたいのか知らねぇが、お前に構ってる暇はねぇ。お前だってこれから荷物纏めて帰り支度するんだろうが」

「ちょっ、閉めないで下さい! だからその前にデータを移すんですってば!!」

「データ?」


 ドアを閉められそうになり慌てて用件を言えば、緋凰が怪訝そうな表情で見てきたので強く頷く。


 元々決めていた、私が緋凰家を出る時間は十九時。

 特訓から帰って荷物を纏め最後の晩餐を頂いてから帰宅する予定となっていたのだが、朝食時にいきなり緋凰から、「夕方に用事できたから飯は一人で食っとけ」と告げられたのだ。


 その時点で私が密かに立てていた計画が少々狂った。

 そして用事は夕方の何時かということを私に協力してくれているお手伝いさんから聞いて、計画が大きく狂った。


 当初の私の計画では緋凰と摂る最後の晩餐後に彼の私室を訪ねて、意気揚々と鼻高々に、余裕をもって彼に渡すつもりだったのだ。

 それが最後の晩餐が成立しなくなり、果てには緋凰の出発時間が十七時半という。今が十七時十分であることを踏まえて、どれだけ私が焦ってここに来たかなど容易に想像がつくだろう。


 パパッと携帯を操作し、出したデータを再び突きつければ、途端に真顔になる緋凰。


「いつ撮った」

「貴方の隙をついてに決まっているでしょう。見つからずに撮影するのに、どれだけ私が苦労したことか」

「憲法十三条に反してんぞ。俺に訴えられる前に消せ」

「私はお目めが潰れそうになる人間の写真を、いつまでも自分の携帯に残しておく趣味なんてありませんので、ご安心下さい。ちなみにこれは、貴方の家のお手伝いさんのご協力も得て行われたことです。ご留意下さい」

「はあ!? ……チッ、入れ」


 家を出る時間が差し迫っていることからこれ以上無駄に言い争っている暇はないと、舌打ち付きで中に入れてくれた。

 私も時間がないことを踏まえ、鼻高々にならずにササッと本題と目的を告げる。


「合宿初日に言ったと思います。この一ヵ月で写真をいっぱい撮りましょうと。撮ってやってもいいと言っていたのに早々に反故にされてしまいましたが、私はこれを日々の日課として密かに続けていました」

「完全に盗撮だな。勝手にスケジュールに組んでねぇことしてんじゃねーよ」

「はい。貴方に見つかればそうやって怒られることは目に見えていましたので、コソコソするしかなかったんです。貴方に見つからないようにと注意を向けていたおかげで、注意を向けていなかったお手伝いさんには早々に見つかって注意されるとともに、理由も吐かされました」


 何だその目は。未確認物体を見るかのような目で私を見るんじゃない。


「理由を聞いて、皆さんは私にご協力して下さいました。……雇用されている家の内情を外部に漏らさないのは、守秘義務として当然のことです。ですが、心がないロボットじゃないんです。皆さんだって、緋凰さまが生まれた時から今日まで貴方のことを見守られていました。……このお家のことをずっと見てきたんです」


 緋凰の写真をコソコソ撮る理由を話した時、その人はどことなく悲しそうな目をしていた。


 注意は受けてももうするなとお咎めを受けるどころか、他の人にも呼び掛けて私を緋凰に見つからないように死角に案内してくれたり、背中に隠してくれたりしたのだ。

 私の携帯で撮った緋凰の写真はそのほとんどが気難しそうな顔をしているものばかりだが、中には数枚だけ穏やかな顔をしているものがある。そういう顔をする時の緋凰は、いつもリビングにいた。


 彼が穏やかな顔をしている先にはいつも――――幼い頃に父親と写った、家族の写真があった。


 お手伝いさんの背中に張り付いたのちソファの後ろに隠れ、床を匍匐ほふく前進して飾り食器棚に反射した対象者と、その視線の先にあるものを一緒に撮影するにはそうした特訓後の屍である、私の涙ぐましい努力があったのである。

 初期の頃の私はその努力と引き換えに翌日には筋肉痛が酷くて、物言わぬむくろと化していた。


「時間がないからと、私と緋凰家で働かれている皆さんとの血の滲むようなサプライズを、だからこそここで台無しにされる訳にはいきません」


 私はここで携帯の一覧表示している写真データから目星をつけていた画像をタップして、画面いっぱいに表示させる。

 そして三度みたび、印籠の如くそれを緋凰へと突きつけた――!


「さあ緋凰さま。これが『俺を構え親父! 緋凰家仲直り大作戦!』にかかわる必須アイテム! 息子のお父さん大好き顔写真です!!」

「すげぇ。よくそんなダサくてクソなネーミング思いつくな。俺にはぜってぇ真似できねぇわ」

「いいですか緋凰さま! ここ、このアングル! 哀愁漂う視線の先にある写真立て。そこに嵌まる写真がどういったものかまで判別可能なこのアングルは、中々のものですよ! これをお父様に見せればきっと息子からの愛を感じ取って、寂しがらせてしまったと悔いた結果お家に帰宅して、『陽翔ごめんね!』って抱きしめて下さる筈です。……さあ、この天才パパラッチを今すぐ褒め称えなさい!!」

「着替えるから出てけ」

「まだ出ません! ――今からお会いされる方は、お父様でしょう?」


 聞いたのだ。出発の時刻と同時に、誰との用事なのかも。

 はあ、と大きな溜息が室内に落とされる。


「必要ねぇ」

「どうしてですか」


 私が理由を問うと、緋凰は。


「父親とは会社の引継ぎのことで会うからだ。……早くその座を俺に渡したいんだろうよ。もうすぐ高等部に上がるってんで、まだ上がってもねぇのに先の話を今の内から、少しずつ進めるらしい。だからンな個人的なモンのために会う訳じゃねぇから、要らねぇっつった」


 ――――まるで“それ”が普通のことであるかのように、そう言った。

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