Episode259 お互いが見ていること、知っていること

 その名前を口に出して言ったら緋凰からの引き摺りが止まり、たっくんも覆っていた手を顔から離して、怪訝そうな表情で私を見てきた。


「……徳大寺くん? 知ってるけど、何で花蓮ちゃんが彼のことを?」

「香桜でその人に近しい人と友人なんです。それであの、その人って拓也くんの目から見て、どんな人ですか? 有明でその人に関わる問題事とかあったりしません?」

「え?」


 決して興味本位のおふざけで言っているのではないと察してくれたのか、緋凰が腕を離してくれたので元の位置にまた座る。

 真剣な雰囲気を醸す私に戸惑っている様子ながらも、たっくんは徳大寺に対する彼の印象を教えてくれた。


「何か徳大寺くんのことをあまり良く思っていないみたいだけど、彼は僕らの学年でも優秀な生徒だよ? 新くんとだって仲良いし、僕も徳大寺くんには助けられることも多くて」

「え? た、太刀川くんと仲良し? 助けられてる??」


 私が抱いているイメージとはあまりにも違い過ぎる……というかまったく正反対のことを告げられて、思わず呆気に取られてしまう。

 桃ちゃんから聞いた人物像では家が持つ権力を笠に着た横暴男で、だから桃ちゃんを虐げたように、有明でも誰かを標的にして虐げているのではないかと、そう考えていた。けど、え? 何それ?


 それに次ぐたっくんからの衝撃の発言に、またもや私は耳を疑うこととなった。


「そりゃだって、僕らの代の生徒会長だし。さっき僕も役員してるって言ったけど、新くんも副会長してるんだ」

「はいい!?」


 何それ! 何それ!? どういうことなの!?


「あり得ない……!」

「あり得ないって。それはさすがに失礼だよ、花蓮ちゃん」

「で、でも」


 ムッとするたっくんに今度はこっちが戸惑ってオロつく様子は、第三者である緋凰の目には埒が明かないと映ったようだ。私達に聞こえるように溜息を吐き出して、彼へと視線を集めるように誘導してきた。


「つまりだ。お前はその徳大寺っつー男のことを聞いて、どうしたいんだよ? 実際にソイツと会って関わっている奴にとっちゃ、良い奴っぽいけどよ」

「それは……」

「お前が知ってること話してみねぇと分かんねーだろ。つーか会ってもねぇのにソイツの印象を人から聞いて決めつけんの、俺らみたいな人間からしたら命取りになんぞ」


 緋凰の最もな言い分を聞いて、唇を軽く噛みしめる。

 他者から齎される印象を真に受けて対象者の人物像を決めつけるのは、確かに悪手だ。


 自分の目でちゃんと見なければその人のことなんて本当の意味では分からないし、真実ではない。……そう、頭では分かっているけれど。



『お父さんに何度嫌って言っても本気にしてくれない! お母さんに言ってもお父さんのために我慢しなさいって言う! なんで? なんで桃が我慢しなくちゃいけないの!? 学校でだって助けてって言ったのに、誰も、誰も桃のこと、助けてくれなかった……っ!!』


『桃、アイツがいない女子校って分かっていても、怖い。無視されて、助けてくれないって、そんな思いがずっとあるから。優しかったのに、豹変されたらって』


『だからね、この一年間は思いっきり楽しむって決めたんだ! 麗花ちゃんと花蓮ちゃんがいなくなっても、桃はちゃんと皆と高等部で頑張っていけるって、二人に安心してほしいから』



 中等部で桃ちゃんの今までを見てきた。見てきたからこそ、彼女のことは分かるのだ。

 ……ごめんね、桃ちゃん。ちょっとだけ貴女の事情を話すよ。


「さっき、私は徳大寺という人と近しい人の友人であると話しました。実はその近しい人とは、彼の許嫁なんです」

「えっ」

「その子は彼とのその関係が嫌で香桜に来たと言っていました。正確には男性である彼が追ってこられない女子校に逃げてきた、というのが正しいでしょうか。ただ単に嫌だったから、という単純な理由ではありません。許嫁という関係になって、元々通っていた小学校から彼の通う学校へと転校させられた彼女は、そこで彼から酷い扱いを受けたそうです」


 髪を引っ張ることは好きな子に構ってもらいたいからだとも受け取れるが、それもされる側がどう受け取るかによって変わる。けれど最初は優しかったと彼女は言っていた。


「教えてくれました。彼女にとって酷いことを言われたと。周りにいる子は彼に逆らえなくて、助けてほしいと彼女が幾ら頼んでも、無視されたと。彼女の両親にもです。自分の身近にいる人は誰も自分のことを助けてくれないのだと限界が来て、そうして一人で逃げたのだと。だから入学した時、私の目から見ても彼女は挙動不審でした。人と目も合わせられず、縮こまって、話し掛けられても口を噤んで周囲を警戒して。事情を知った後では、それは明らかな人間不信故の行動だったと思います」


 たっくんは唖然としている。

 それはそうなるだろう。だからこそクリーンなことしか出てこなかった徳大寺に対して、私はあり得ないと言ったのだ。


「彼女も私と同じ生徒会に所属しています。同学年の生徒会メンバーは、皆彼女の事情を知っています。その許嫁の彼女は、諦めずに前を向いて努力しています。今では私達の他にも、笑顔で話せられる姿が多く見られるようになってきたんです。そして中等部からいなくなる私に、こう言ってくれました。この一年間は思いっきり楽しむと。事情を知る内の仲良しの二人がいなくなっても、彼女が皆とちゃんと高等部で頑張っていけるという姿を見て、いなくなる私達に安心してほしいから、と。――――ですから」


 自然と声が低くなる。

 そんな前を向いて必死に希望を掴み取ろうとしている桃ちゃんの妨げになるものは――決して許さない。


「元凶であるかたは、どう男子校でお過ごしになられているのかと気になりました。私としては碌でもない方だという印象しかありませんでしたので、拓也くんや太刀川くんと衝突したりしていないかと心配していたんです。ああ、あと彼女が仰るには、その男子校を彼の方が受験されたのも、彼女には当てつけと映っているようです。有明が国内でも有数の女子校である香桜とも肩を並べられる、男子校だからだと」


 ……それなのに、太刀川くんや拓也くんを差し置いて、生徒会長をしている? 太刀川くんと仲良し? たっくんのことを助けている? ――好印象?


 ハッと鼻で笑いたくなる。

 桃ちゃんの絶望は本物だった。ただの行き違いだったら、ああまでの人間不信にはならないだろう。いくら仲良しで大好きなたっくんから伝えられたことだとしても、そう簡単に抱いた印象は覆らない。


「すみません、拓也くん。貴方から見た徳大寺 正継が良い人間だと評しても、私は信じられないんです。貴方が彼と二年と半年を共に過ごしていたように、私も彼の許嫁と二年と半年、共に過ごしてきましたから」


 言い終えた後、麦茶を一口飲む。

 汗をかいたそれは既に温く、身体に篭った熱を冷ましてはくれなかった。


「……僕は徳大寺くんのこと、すごい人だって思ってるんだ。勉強でも生徒会の仕事でも要領が良いし、清泉でも人気者だった新くんとも今は肩を並べられるくらい、同級生から尊敬されていて。お父さんがあの徳大寺外務副大臣で、やっぱりすごい人の息子さんだなって。だから僕は、ちょっといま、聞いたことが信じられない。……ごめん」

「…………」


 ――――仕方がないことだ


 自分の目で見た確かだと思っていたことが、そのままクルリと真反対にひっくり返される衝撃は計り知れない。

 だって人は自分が正しいと思い込む。目で見なければ分からない。だからこそ、自分がその目で見たことしか理解できないのだ。それが真実となるのだ。――何て矛盾だろうか。


 静まり返った部屋に、緋凰の声が落ちる。


「俺からすりゃあどっちもどっちだな。互いに互いの片方しか見てねぇんだから、これ以上は何を言っても平行線にしかならねぇ。ソイツと会う機会がなけりゃどう話をしようがされようが、印象なんて変わることはねぇだろ」

「……会う機会なら、あるかもしれません」


 顔が上がり、視線が向けられるのを感じ取る。


「修学旅行ですが、香桜は十月に行われます。有明はいつですか?」

「こっちも十月、だけど」

「先輩方から聞いたお話ですと、毎年どこかの学校と行き先がかち合うらしく、その中でもよく一緒になるのが有明学園だそうです」

「!」


 ハッとするたっくん。

 会いたい人に会えるかもしれないという期待。会いたくない人に会うかもしれないという絶望。そのどちらかを取るならば、私は。


「私は、重ならなければ良いと思っています」

「え……」


 どうしてと視線が訴えてくる。私は微笑んで自分の気持ちを伝えた。



「怯えて泣いている子が傍にいるのに、私だけ楽しく笑うことなんてできませんから」



 たっくんの眉間がギュッと寄る。

 彼だって解っているのだ、どれだけ私が彼に会いたいと思っているのかを。それを口にする私が必死に隠している、もう一つの本音を。


「……有明の修学旅行先は、北海道だよ」

「そうですか。ならこちらは沖縄になるよう、夏期休暇が終わりましたらキリストさまにお祈りを捧げましょう」


 何か言いたそうに、けれど口を噤んだたっくんを視界に映してから立ち上がる。

 たっくんの近況も判り癒しパワーも補充でき、裏エースくんや徳大寺のことも知れた。もうここに留まる理由がなくなってしまった。


 緋凰へと振り向く。


「帰りましょう、緋凰さま。拓也くん、今日お会いできて良かったです。中々ままなりませんが、それでも久し振りにこうやってお話しできて、嬉しかったです」

「僕も」


 思いの外、強い声だった。


「僕も会えて良かった。元気な姿も見れたし、……あの頃から全然変わってないんだなって、安心した。花蓮ちゃん。紅霧学院の受験、頑張って。応援してる」

「……はい! ありがとうございます。それでは、また」

「うん、またね!」


 お別れの挨拶をし合ったが、たっくんは最後ちゃんと外まで付いてきてお見送りしてくれた。

 緋凰と共に車へ乗り込み、窓から姿が見えなくなるまで手を振り続けて――――私は発狂した。


「もおおおおぉぉぉっ! 何っで私と拓也くんが気まずくならないといけないんですか!? おかしいです! こんな世の中間違ってます!!」

「確認しなきゃ良かったじゃねぇか」

「せずにいられる訳がないじゃないですか! だって本当に心配だったんです! 香桜のお友達のように、私の可愛い拓也くんが虐げられていたらどうしようって!」

「お前のじゃねーだろ宇宙人」


 ぐああ……!と頭を抱えて唸り声を上げる私を横目に、「拓也の前じゃ言えなかったが、」と前置きして何かを話し出そうとする緋凰。しかし私はその発言の一部を聞き咎めてムッとする。


「どうして貴方、拓也くんのことを名前で呼び捨てにしているんですか。柚子島くんから始めなさい」

「名字より名前の方を先に知ったら、普通に名前呼びになんだろ。つーか本人が何も言ってこなかったじゃねぇか。お前にどうのこうの言われる筋合いはねぇな」

「キイィッ」

「話戻すぞ。どっちのことも知らねぇ話を聞いただけの俺からしたら、やっぱ何だかんだで付き合いの長ぇお前の方に傾くんだわ。で、その上で感じたことを話す。女の方は男子校に行った男のこと、自分への当てつけって思ったんだろ?」


 確認するように問われ、頷く。


「はい。そう言っていました」

「上流階級っつーのは、表面上の付き合いばっかで本音での付き合いなんかあんまねぇと思っている。足の引っ張り合いだってザラだ。だから俺らのような他と違う頭一つ抜けた家格の人間は、下にいる奴らの人間性を正確に見抜かなきゃなんねぇんだよ。解るだろ」

「……はい」


 過去に見抜けなかったことで私ばかりか、未来で他の人を巻き込んでとんでもないことが起きてしまった。緋凰の言うことは、私の胸に深く突き刺さった。


「だから計算高い奴なんかは相手に悟られないように、自分を上手く隠すことにも長けてるモンだ。俺らが人を見る目を養うよう、教育を施される程にな」

「……え? それ、は」

「もう少し突っ込んで事情聞くぞ。女は逃げただけで何もしなかったのか?」

「いえ。ちゃんと相手の方にもどうしてと理由を聞こうとしたそうです。ですが相手は彼女への当たりが強くなっただけで、彼女が両親に許嫁を解消したいと訴えても、相手側から白紙に戻す気はないと、突っぱねられてしまったと聞いています」

「なら男側はやっぱ気に食わねぇんだろ」

「気に食わない?」


 訝しむ私に軽く頷く緋凰。


「小学校で堂々とそういう振る舞いをしていたのは、女が自分に逆らわないように……言い方は悪ぃが、躾けてたんじゃねぇか? それが自分の手の届かない女子校に逃げて行った。相手から関係の解消も求められた。今までのやり方じゃ上手くいかねぇことが証明された。だからやり方を変えたっつーのが妥当だな」

「どういうことですか……?」

「……囲い込みってことなら、俺だって似たようなモンだ。本音なんてどこにもねぇ、利害だけを提示した婚約。例えそれが仮初のものだとしても当事者以外からしたら、その婚約しているという事実はに映る。周囲の野郎に向けて、アイツは俺の者だと示すことができる。男が考えてんのは、恐らくその逆だ」


 逆? 逆って……。いま緋凰が言ったのは当事者側の視点だ。その逆と言えば――。

 緋凰が考えている徳大寺の行動の意味に辿り着き、カッと頭に血が上りかける。


 ふざけている。本当にそんな考えでそのように有明で振舞っているのだとしたら、桃ちゃんは……っ。



「彼女のしたことを。それを逆手に取って、自分から逃がさないための鎖にするつもりですか……!!」



 ――緋凰の沈黙が、私の出した答えに対する返答だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る