Episode256 朝食の席でのお誘い

 毎食顔を突き合わせて頂いている、緋凰家ダイニングでの朝食の席のこと。

 黄身が半熟トロトロの目玉焼きをカリカリに焼かれたトーストの上に乗せて、ナイフとフォークを駆使して一口サイズに切り分けいざ頂こうとした場面にて。


 朝からキリッとした表情で言い放たれた言葉に私は一瞬、まだ自分が夢の中にいるのかと疑った。


「おかしいです。ちゃんと携帯アラームを切って目覚めた筈なのですが」

「水掛けて起こしてやろうか」

「ちゃんと目覚めてますのでお気遣いなく」


 ミネラルウォーター入りピッチャーの中身を顔面(とは言ってもグラサン装備中)にぶち撒けられる危機を逃れ、発言の意図を考える。


 本日は丸一日特訓なしの身体をお休みさせる貴重な日であるが、奴は何と言ったか…………遊び? 遊びって何だ? 特訓メニューとは別にお遊びでしごくぞという話なのか?

 私が遊びという名の扱きはただのイジメではないのかと訴え出る前に、緋凰が更なる混沌を齎してきた。


「一日暇するお前には悪いが、今度は俺の特訓に付き合ってもらうぞ」

「確かに今日はもうベッドで転がっている予定でしたが。と言うか特訓、ですか? 緋凰さまの?」

「ああ。つか飯食べたあと散歩くらいしろや。食ってすぐ寝たら太んぞ」

「私は太りません!」


 二年生時、千鶴お姉様からの差し入れお菓子を平日五日欠かさず食しても一年巡った健康診断の結果、去年と体重数値は全く変化なしだった私だぞ! それに女の子に向かって太るとか失礼なことを言うんじゃない!


「いけませんね緋凰さま。キュン制度を導入してから今のところ貴方、マイナスキュンしか溜まっていませんよ」

「俺の知らねートコで変な制度導入してんじゃねぇよ。一々突っ込んでたら話進まねぇからもうスルーするが、俺はまだ男子とのコミュニケーションだったら難なく取れる。だが、問題は女子だ」


 そう言った緋凰の眉間にグッと深い縦皺が生成される。


「アイツは学院にいる他の女子とは違い過ぎている。だからアイツ以外の女子と交流を図ったところでその対応がアイツにも好意的に映るのかと考えたら、それは違うような気がしてな。アイツは常にしっかりと己の立場を理解して、それらしい学院生活を送っていた。他の女子と違って男子に色めいたりすることもなかったしな。特定の男子以外とは交流していなかったし、今までどう振舞えばいいのかハッキリと方向性が見えてこなかったが、けどそれもお前が昨日言ったことで、少しだけヒントを得たような気がしたんだ」

「私が言ったこと……?」


 それに昨日という条件が付けば、自ずと思い出される緋凰への助言。


「一言で言ってキュンポイントのことじゃないですか」

「そっちじゃねぇよ鳥頭。お前、一気に距離を詰めるより小さなことから始めろっつったろ? 確かに前に会った時、俺はアイツの好みを知ろうと思って色々前のめりになったところがあった。そのせいであ、穴が開きそうになるほど見つめるのは、マナー違反だと注意されたし。……そうだ。俺、アイツに注意されたんだよな……」


 待て。しょんぼり落ち込むのならまだしも、どうしてそこで照れたように目元を染めているんだ。いくら目が潰れそうな程の美顔がしているレアな表情でも、普段の態度とのギャップが凄まじい且つその表情をするに至るまでを聞いていたら、「こいつキモ……」としか感想を抱けない。

 あとこの分では都合の悪い婚約が蹴られていることは無かったことにされているらしい。


 しかしこちらとしても私の大事な親友の今後が掛かっているので、お相手の方には申し訳ないけれども何とか緋凰の想いを受け止めて貰わないとならない。

 それにはやはり緋凰の唯一の女友達(※非公式)と言っても過言ではないこの私が、陰ながら頑張らなければならないということだ。


「えーゴホン。思い出し照れされているところすみませんが。それで私の貴重な休暇が潰されるのと、貴方の仰る特訓に何の関係が?」


 正直緋凰の照れ顔とか見せられてもこっちも反応に困るので、早く話を進めようと思って促せば、緋凰はハッと表情を戻して詳細を口にし始めた。


「結論から言えば一日俺に付いて俺を観察し、お前の目から見て、俺の対応のどこが良いか悪いかを教えてもらいたい」

「……ちょっと意味がよく解りませんね」

「は?」


 いやこっちが「は?」なんですけど。

 お前の今の説明のどこの部分が、最初に言った遊びに掛かっているんだ。


「もう少し詳しい説明を求めます」

「はぁ……」

「溜息吐かないでもらえますか。早速悪い部分出てますよ」

「……二人で外に出る。現実的なシチュエーションじゃなきゃ意味ねぇからな。家は無しだ。取り敢えず前回の別れ方がちょっとアレだったから、多分向こうの方が俺に対して気まずい筈なんだ。だからまずは俺が婚約の件は気にしてないって態度を相手に示さなきゃなんねぇ。その上で今後ともお前とは…………まずは頼れる友人として交流を続けていきたいと告げて、ようやく俺はスタートラインに立てると思っている」

「なるほど」

「それで、だ。そもそもその最初の交流が上手くいかなかったら話になんねぇだろ。アイツは他の女子連中とは違うが、亀子も他の女子連中とは変わってるからな。それならどっちかっつーと、お前が判断したことなら俺も多少は受け入れられる気がする。だから俺のシミュレーション……に、付き合ってほしい」


 思わずサングラスの内側で瞠目した。

 あの強引俺様が、それも亀子にお願いする姿勢を見せてきたのだ。これには驚かざるを得ないだろう。


 緋凰に好きな人がいることが発覚してからはちょいちょい彼のコミュニケーションについて口を挟んではいて、春日井からも確かに話には聞いていたがこうやって目の当たりにすると、自分の意思でちゃんと変わろうとしているのだなと、はっきりとそう思えた。


「分かりました、お引き受けしましょう。私も貴方にはこの度のコーチングでお世話になっておりますし」

「そうか! 恩に着る」

「え。あ、はい」


 嬉しそうな様子でお礼まで言われて、思わず抜けた返事になった。そしてすぐにハッとして思い直す。

 ……ダメだぞ、私! 緋凰が良い方向に変わろうとしているんだから、今までの態度と比較して一々気にしていたら緋凰に失礼だ。ちゃんとしなければ!


「それで緋凰さま。今日のお出掛けはどちらのご予定で?」

「場所はいくつか考えている。落ち着いて話せるホテルレストランか、中庭に噴水のある玲隴れいろう美術館、あとは春の盛りに行くと景色が素晴らしいと評されている、葦舘あしだて臨海りんかい公園くらい……何だ」

「え? 何ですか?」

「何だはこっちだ。グラサンしててもお前が意外って思ってんの、雰囲気で分かんぞ」


 待って。確かに思ったけど、そんな雰囲気を出した覚えは私にはないです。


「いえその、てっきりもっと何か映画館とかレジャー施設とか、デートっぽい場所を指定されるのかと思ったので」

「それは段階が進んでからだ。いいか、さっきも言ったが最初が肝心なんだ。どうあってもそこで失敗はできねぇ。幸いにして、互いの虫除けのためにされた婚約の提案だとあっちは認識してっから、俺がそ、そういう好意を抱いていると悟られないようにして立ち回れば、警戒も持たせず自然と次の交流に持っていけるだろ。話をするに最適且つ、誘っても不自然じゃない場所を選択するのは当たり前だろうが」

「正論過ぎてぐうの音も出ない」


 いやだって冬にあんなお花畑して、悪の親玉笑いしてた奴がこんなまともにものを考えているとか思うもんか。突拍子のないことを言い出さないか少し警戒してたんだぞ。――けど。


「そこまで深く考えていらっしゃるほど、本当にその方のことがお好きなんですね」


 途端、顔が真っ赤に染まった緋凰にふふっと笑う。


「そういう異性に誘われても不安を抱かせない且つ、ご自分の印象を良くする場所選択、良いと思います。あと緋凰さま。シミュレーションと仰るのなら、私もお相手の方に近い思考で貴方の言動を図れればと思いますので、貴方から見たお相手の方のことをお伺いしても構いませんか?」

「……そう、だな。分かった」


 そうして語られたのは以前に聞いたことにプラスして――――何やら引っ掛かる内容を告げられた。


「待って下さい。いま何と仰いました?」

「あ? だからサロンで一緒になっても、全然視線も合わねぇような感じだったって」


 サロンは学院生の中でも特権階級のファヴォリしか入室は不可となっている、特別室の筈である。


「その方、ファヴォリなんですか?」

「ファヴォリだが」

「……同学年の方、ですよね?」

「そうだが」

「…………?」


 私の頭の中は今こんがらがっている。


 ファヴォリ? ファヴォリでしっかりしていて? 責任感も強くて? 笑った顔がとにかく可愛くて?

 傷ついても強く見せようと踏ん張ろうとする健気なところがあって? 紅茶が好きで? 利害による婚約もキッパリと断れるくらいの気概がある??


 それ、え。待って。待って? 同学年のファヴォリ………………麗花しかいなくない???


「あの。本当にその方、いま海外留学中なのですか……?」

「アイツの友人がそう言っていたし、本人とそれ関連の会話もしたけどちゃんと通じたぞ」


 恐る恐る聞いてもそんな答えを返されて、余計にこんがらがってしまう。

 大きく違っているのは海外留学という、そこだけ。いや、紅茶に関しては私が好きなだけで麗花も頻度的にはよく飲んでいるけど、彼女にとっては特に好物という訳じゃないしな……。


 それに麗花からは緋凰のことも、婚約の話があったことも何も聞いていない。いやあってもさすがに言わないか。

 去年の夏。緋凰はお相手の方に号泣されたと言っていた。そしてホテルのトイレまで来てくれたあの時の麗花は、確かに泣いた後みたいな顔をしていて。


「…………」


 私が緋凰に敢えてお相手が誰かと聞かないのは、あれでも緋凰に余計な疑念を持たせたくないからだ。私がお相手の方に何かするとか、余所に話を漏らす可能性とか、そういう感じで。

 そしてそこまで私が踏み込んでこないからこそ、緋凰も私相手に相談しようと思ったのだろう。


 まだ判らない。麗花っぽいけど麗花とは本当に別人の、中身が似ているだけの人物だという可能性は彼女と一致していない項目がある以上捨てきれない。うん、強く気を持つのだ私!!


「はい。まぁ何となく、お相手の方に近い思考で考えられると思います。お話して下さりありがとうございました」

「そうか。じゃあ場所は…」

「あ。すみません、そのことに関してちょっとご相談があります」

「……何だ」


 遮られたことでムスッとした顔をされるも、これは私と緋凰にとってとても大事なことなので許したまえ。


「ホテルレストランも玲隴美術館も、葦舘臨海公園も問題ないと思います。ですがそれはお相手と行かれる場合のお話で、私といま行っては不都合が生じる可能性があるかと」

「不都合だと?」

「今は夏休みです。人が、特に学生が一番出歩く時期と言っても過言ではないでしょう。そんな中で特に上流階級……それも聖天学院生がよく行きそうなところに二人で行ったとして、オーラがあり過ぎな緋凰さまなんて変装していてもすぐにバレます。そうなった場合、常に男子の壁に守られているプリンセスが、滅多に会話もしない筈の女子と二人で出掛けていたと知られれば、有りもしない推測が即座に駆け巡ることは必至です」


 有りもしない推測の中身がどういった内容であるか、緋凰も思い至ったらしい。驚愕の面持ちで私を見つめている。

 そうだ。それは一緒に出歩いていた私にとっても不都合極まりない、すこぶる迷惑な内容なのだ。


「ですから緋凰さま。シミュレーションならば、学院生が行きそうもない場所で行わなければなりません」

「当てはあるのか」

「……そうですね。私達が二人で行っても何ら問題ない場所……」


 アート系施設はほぼ難しいだろう。見晴らしの良い景色で有名なところなんて、それこそ人がいそうだしな。

 やっぱり隠れ家的な、ちょっとしたお食事処くらいが妥当…………あ!

 ピンと閃き、それと同時に気分も高揚し始める。


 今年は受験勉強と、この実技試験対策のために連絡を取っていない。中学三年生ということで向こうも察して下さっていることだろうが、顔を見せれば元気に過ごしていると証明できるし、それと同時にお店の売り上げにも貢献できる。

 ……何て素晴らしい一石二鳥! それに事情をお話すれば、そう問題もないほどの関係を私とあの人たちは築けているのだ。さすが私、天才だ!


「緋凰さま、この私を褒めるがよろしいです」

「は?」

「ふっふっふ……、ホーホッホッホ!!」

「やべぇ。人選間違えたかもしんねぇ」


 こうして私の夏休みの貴重なトレーニング外休日は、緋凰の特訓のお供をするために消費されることとなったのである。

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