Episode254 緋凰家の内情
合宿初日の本日は身体を環境に慣らすため、運動メニューは行われない。
緋凰家に訪れたのはかつて一度強制連行されて訪問した時以来だし、一ヵ月の宿泊ということもあって、色々といま屋敷の案内を受けている。私だけ。
お兄様は私の保護者兼付き添いと言う名目で来ているが、要はプンプンお父様を宥めるための必要措置である。恋愛云々に関してだと厳しくなるお兄様は何故かお母様同様、私が緋凰家に単独長期宿泊することについては特に反対していなかった。お兄様にとってダメな基準が何なのかよく分かりません。
部屋で一人のんびりとしているだろう彼の姿を頭に浮かばせながら、サングラス&ジャージという出で立ちのまま緋凰と並んで歩く。緋凰はお兄様が傍にいないからと、現在演技は解除していた。
「まあ普段はやること決まってっから、特にあちこち出歩くこともねぇだろうけど。取り敢えず何かあったらウチのモンに聞け」
「分かりました。それとあの、これからお世話になる身ですし、ご帰宅されたらご挨拶に伺おうと思っているのですが、大丈夫でしょうか?」
一通りの案内が終わって部屋へと戻る間にそう聞いてみるが、ご両親へのご挨拶をと口にしたところで緋凰が鼻白んだ。
「帰ってこねぇから気にしなくていい」
「え? あ、そうですか。でしたらご当主は明日明後日になりますかね? ご夫人はまた海外公演のお仕事ですか?」
「お前がいる間は……つか、どっちも住んでねぇ」
どっちも? ん? 住んでない?
ご職業柄夫人は分かるけど、ご当主も??
思考してすぐに返答できず沈黙していたら、「ちょっと来い」と言われ、大人しく付いていく。すると辿り着いたのは過去一度だけ過ごしたことある、緋凰の私室だった。
中に入っていく緋凰を見送っていると、振り返った彼から怪訝そうな顔を向けられる。
「何してんだ。入ってこい」
「え。お、お邪魔します……」
どういう訳で緋凰の部屋まで同行させられたのか不明だが、戸惑いながらもドアは少し開けたままにして、そっと静かに足を踏み入れた。
お友達が長らく同性の春日井しかいなかった緋凰には考えが及ばないようだが、普通は交際どころかお友達でもない異性の部屋に二人きりになることが分かっていて、意気揚々と入る女子はいない。
まあ幼い頃から知っているし、緋凰に好きな人がいることも知っているし。
ただ単に話があるのだと、何となくその口振りと態度から察した。
数年振りに訪れた部屋は多少家具の配置が変わっていたが、印象は基本的にそう変わらない。全体的にモノトーンな色合いでシックな感じ。
見覚えのあるコーヒーテーブルと、こっちは買い替えたのか以前と違う座ソファに「座っとけ」と言われたのでそうして待っていると、自分は座らずに本棚から本を一冊手に取った緋凰が戻ってきた。
近くでよく見ると、それは本ではなくてアルバムのようだった。
隣に座ってきて、何も言わずに差し出される。
「……見てもいいってことですか?」
無言で頷くので仕方なく受け取ってページを捲ると、恐らくまだ学院にも通っていない頃のものなのだろう。出会った時よりも幼い緋凰が、ムスッとした顔をして写っていた。
顔立ちは可愛いのに、態度がまったくと言っていいほど可愛くないわー。
一通りパラパラと見てみたが緋凰が一人で写っているものが大半で、中にはご夫人と思われる美しい女性と撮られているものもあるけれど、写真の中の緋凰はどれも不機嫌そうだった。辛うじて春日井と写っている数枚だけは、比較的穏やかな表情をしているけど。
――何故か父親と思しき年上の男性との写真は、そこに一枚もなかった。
「詰まんねぇアルバムだろ」
素っ気ない言葉が耳に届いてアルバムから顔を上げて隣を見れば、どうでも良さそうな顔をした緋凰が開かれたままのアルバムへと、視線を落としている。
「詰まんねぇ顔した俺が写ってるだけの、詰まんねぇ写真ばっか」
「これ、撮影者はお父様じゃ」
「ウチの雇い。母さんとのはマネージャーが撮った」
淡々と返される答えに、言葉が詰まる。
……緋凰のルートは、家に関することは出てこない。
出会って交流を深めれていれば、選択肢を間違えない限りは緋凰の方から迫ってくるし、妨害という妨害は婚約者である麗花からのものだけ。
「えっと……」
「それ、俺の思い出を残すとかじゃなくて、全部俺が父親にどういう写真を送りつけたかっていうメモみたいなモン。必要な時にしか帰ってこねぇ、父親への」
緋凰が深く座り直したせいで座ソファが揺れて、その振動が私にも伝わった。
アルバムの中身と彼の話す内容から、緋凰家の内情――緋凰 陽翔の柔い部分に触れているのだと悟る。
「別に忙しいとか不仲って訳じゃねぇよ。不仲っていう以前の関係だからな。母さんは仕事都合で帰ってこねぇけど、あっちはそうじゃなく帰ってこねぇ。だからお前が一ヵ月
何でもないような口振り。
緋凰にとっては当たり前で、至極当然のことのように告げてくる。
どうして彼は私にこんな話をわざわざしてきたのか。確かにご両親への挨拶とは口にしたけど、仕事で忙しいからとかたまたまとか、何でも言いようはあったと思うのに。
どうあっても気まずい話だが、意味もなく明かしてはこないだろう。
“話す”ということは“聞いてほしい”ということだと思って、続きを促した。
「お父様、どうして帰ってこないんですか?」
「知らねぇ。聞いたことねーし。まあ察しはついてっけど」
テーブル上にページを開いたまま置いていたアルバムの表紙を指先でつまんで、パタンと閉じられた。
「ウチは母さんが緋凰の血筋だ。父親は婿入り。息子の目から見ても、母さんは奔放で自信家で自由人だ。自分がやりたいことの道を譲らず、堂々と突き進んでいくタイプの人間。たまにフラッと帰ってきて、俺にちょっと構ったと思ったらすぐ飛行機乗ってどっか行って……父親と話してるのなんか、見たことねぇ」
ハッとした。
緋凰の話に出てくる家族像が、以前の百合宮家と似ている。仕事に掛かりきりになって家に帰ってこないお父様と、家にいて私ばかり構うお母様。
あの頃のお父様の存在は希薄で、お母様も私とずっと一緒だったから。だから会話するどころか、二人が共に過ごす姿さえ見ることがなかった。
「まだ小せぇ頃。俺の記憶の中にある父親は、いつも腑抜けた面して笑ってた。母さんがあんなんだから、緋凰は婿入りの父親が引っ張っていくしかねぇ。当時は俺もあんまそういうの分かってなくて、会社から帰ってきた父親に構いにもらいに行ってたんだ。出迎えた時に俺に見せる面は腑抜けてっけど、優しい、そんな顔をする父親が好きだったから。けどそれも……段々崩れていった」
――転機は自分の教育が始まってからだと、緋凰は言った。
曰く、息子が大した努力を感じることなく優秀な成績ばかりを残すことが、父親へのプレッシャーになっていったのだと。
共に家で過ごす中で息子は、自分の父親が気の弱い性格だと理解していた。気が弱いなりに気を張って会社で仕事をこなし、帰ってくれば息子が自分に甘えてくる。
まだその時の父親にとって息子のそれは、彼の癒しとなっていた。そしてある程度の年齢に達すれば、事前教育が施されるようになる。
自分が優秀な成績を修めれば、自慢の息子だと父親も喜ぶだろう。
幼い息子はそう単純に考え、父親を喜ばそうと教育を進んで受けた。けれど進んで受けた教育内容は息子にとっては至極簡単なもので、大して頭を悩ますものではなかった。
『こんなの簡単』
『面白くない』
『もっと難しいと思ってた』
全部嘘偽りのない本当のことだった。
父親は息子のことを本人からも、彼を指導する教育係からも報告で聞いていた。
素晴らしいと。息子の才能は、神童と名高い彼の百合宮家の御曹司と引けを取らないのではないかと。
そうして父親は少しずつ、少しずつ。
顔色が悪くなり。
息子に笑い掛けることができなくなり。
玄関を開けることに躊躇いを感じるようになり。
会社にいる時の方が、楽に呼吸ができるようになり。
――――別に住まいを持つようになり、息子の待つ家に帰らなくなった。
「自分とは正反対の母さんに、劣等感抱いてんだ。母さんは自分のやることに口出ししてこない人間を俺が継ぐまでの中継ぎに据え置いただけで、父親への愛なんてねぇんだよ。……あの人は俺が自分のようであって欲しかったんだろうなって、今なら何となく解る。母さんの要素しかない俺といるの、嫌だったんだろ。もう滅多に顔合わさねぇから、本当のところはどうなのか知らねぇけどな。婚約の件で去年揃って帰ってきてた時だって、母さんが話進めるばっかで一言も口挟んでこなかったし」
「……何か、お父様とお話はしなかったんですか?」
「さっぱりな。あんな感じで終わったんだからちったぁ声掛けてくるかと思ったのに、全然。雇いの人間に伝言残して、母さんが帰ったらさっさと出て行った」
肩を竦めて返される。
……そんな父親の行動が彼にとっては最早普通のことだと認識化していても、それでも何も思わなくなる訳じゃない。
何も思わなければこうして
「今も写真、送っているんですか?」
「頻度は減ったけどな」
何となく、解った。どうして心の柔いところを明かしてきたのか。
本音で語り合った時間があったからだ。今まで彼には、春日井以外に本音で語れる人がいなかったから。
何てことはない。私が先にそうしたから、向こうも返してきただけの話だ。
自分に助けを求めてきた私に彼もまた、私に助けてほしいのだと。
そうか。そう言うことか。今まで誰かとのコミュニケーションは自発的に『取らなかった』んじゃなくて、『取れなかった』のか。
取ろうと……喜んでもらおうとして、大きく失敗しているから。そのせいで大好きな人が自分から離れていってしまったから。
どうすれば良いのか。会いに行くことができないから自分の成長写真を送り付けることくらいしか、きっと幼い子どもには思いつかなくて。
――顔を逸らされ、向けられた背中に手を伸ばそうとして躊躇う……そんな幼い子供の姿が浮かぶ
「……写真、この一ヵ月でいっぱい撮りましょうよ」
ほんの少し思考してそう提案すると、相手は訝しそうな顔を向けてきた。
「は? 何でだよ」
「だっていっつもあんな不機嫌な顔で送り付けてこられても、見せられるお父様だって詰まらないでしょうに。わざとそうしているのでしょうけど、たまには違う顔して写ったらどうですか。というか訴えが遠回し過ぎて、逆に相手に伝わっていないと思います」
「……」
「春日井さまと一緒だと穏やかな顔してるんですから、もっとそういうので行きましょう! 『一人だと詰まらないからこんな顔になる』は、昨日で営業終了です。――これからは笑って、『今もこんな顔を送って貴方に見せるくらい、貴方のことが好き』ってことをアピールするんです!」
面倒くさがりで、やる気が出ないと動かないヤツ。
そんな緋凰が頻度は減っても、ずっとやり続けていることなのだ。失敗しても立ち止まらず、諦めることなく前向きに。……根はずっと素直な人間だから。
笑って告げれば緋凰が目を見開いて――――プイッとそっぽを向く。
「いつまで経っても帰ってこないヤツのことなんか、別に好きじゃねぇし! 写真のことだって習慣づいちまっただけで、別に……。けど、まあ、そこまで言うなら、お前の特訓記録も兼ねて撮ってやってもいい」
「素直にものを言えるお口が欲しいですね、緋凰さま」
「うるせぇ鳥頭」
憎まれ口を叩いてくる緋凰にいつもならカチンときてクソミソの応酬が始まるところだが、耳を真っ赤にしている彼を見ていたらそんな気も起こることなく、ほんわかした気持ちになるしかなかった。
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