Episode253 緋凰式運動能力向上大合宿
「おはよう、緋凰くん。久し振り。すまないね、今日だけ僕もお世話にならせて頂くね」
「お久し振りです、百合宮先輩。いえ、身内では当然の配慮だと思っていますから。こちらこそ時間があれば今後の参考までに、ぜひ大学での先輩のお話をお伺いさせて頂きたいです」
「そう? 僕の話なんてあまり参考にはならないと思うけど」
「ご謙遜を」
本日より緋凰式運動能力向上大合宿スタート。
緋凰家に到着して一先ず応接室に通された私たち兄妹は、中で既に待機していた緋凰と対面したが、流れるようなお兄様の挨拶から始まって流れるような緋凰の返答に、私の挨拶するタイミングもどんぶらこと流れていく。
取り敢えず私はこの中だと一番下の立場であるので、ジャージ姿にスポーツサングラス越しにて、そんな学院の先輩後輩のやり取りを黙って見ていた。
ちなみに私の格好についてお兄様には、
「運動合宿でこれほど相応しい格好はない! これをかけていないと紫外線浴びて日焼けする! スイミングではゴーグルしてたから緋凰も何も言わない!」
とゴチャゴチャごねて、どうにか納得(?)させた。
「毎年のことだけど、今年の夏も酷暑らしいね」
「そうですね。無理のない程度で、色々と気を付けなければなりませんね」
「…………」
何だろう。お兄様が普通に微笑んでいるのに対し、緋凰もまた柔らかく笑って対応しているからだろうか? 私に対する態度とあまりにも違い過ぎて、緋凰のコレジャナイ感が半端ない。
お前、そんな風に笑えたのか。
未だお兄様の隣で黙したまま、よくそんなに社交辞令の挨拶が続くなと思いながら見聞きしていると、丁度一通りの応酬が切れたところで緋凰がこちらへと視線を投げてきた。
「夕紀の家で色々手を貸してはいたけど、それで俺を真っ先に頼ってくれて嬉しい。これから一ヵ月よろしくな」
――誰だコイツ
超良い笑顔でおかしなこと口走り始めたんだが。
あ、ヤバい。腕に鳥肌が……!
「大丈夫ですか緋凰さま。朝食で何か変なものでも食べ…」
「ははっ。朝はいつも同じメニューだよ。たまに付け合わせのフルーツが替わるくらいさ」
「ハハッ」
口角が引き攣って、思わず某夢の国のネズッキーの如し笑いが口を突いて出てきてしまった。
今日って地球が滅亡する日でしたかね……?
緋凰が笑顔で話し掛けてくるとかけったいなことが起こって私の腕の鳥肌がヤバいことになる中、応接室から私達がお泊りする客間へ緋凰先導の下、案内されて荷物を運び込まれる。
お兄様がお手伝いさんたちに荷物の置き場所の指示を出す間に、私はそれらを眺めている緋凰の近くにコソッと寄った。
「……ド、ドッペルゲンガーですか?」
「俺は君と違って人間だよ宇宙人」
「止めて下さい腕の鳥肌が止まりません!」
笑顔で私のこと君って言った!
笑顔で君って!! 無理いいいぃぃ!!
通気性抜群の紫外線防止長袖ジャージの袖を腕まくりして「ほら!」と見せると、緋凰が一瞬舌打ちしかねない顔をしてからパッと笑顔に戻り、お兄様に近づいて声を掛けた。
「すみません先輩。彼女から話があるようですので、少しばかり二人でこの場を外させて頂きます」
「そう」
一言了承を得て二人で部屋を出ればその途端に、緋凰は浮かべていた笑顔を消し去った。
「おい、どういうつもりだ」
「あ、良かったいつもの緋凰さまです。って、どういうつもりはこっちの台詞です! 何でいきなりあんな珍妙な態度取るんですか!? 珍妙が過ぎて今日が地球最後の日かと思いました!」
「チッ!」
クレームを入れたら、しかねることなく本当に舌打ちされた。
「お前が言ったんじゃねぇかよ、それ相応の態度と対応しろっつってな! 文句言ってんじゃねぇ!」
「はい!?」
ちょっと待て。確かに言ったけど、あれどういう意味で受け取ったの!? 私としてはお兄様の私への実の妹にするみたいな態度をそういう風に受け止めろってことで言ったんだけど!?
「……百合宮先輩は俺からしても上に位置する人だ。話術、立ち居振る舞い、リーダーシップ。どれを取っても最高レベルで、文武両道だしカリスマ性も半端ねぇ。そんな人に近くで見定められるってことは中々ないことだ。元々のポテンシャルは俺にもある。だが、人生経験の長さはどうしたって埋められねぇ。俺にとってあの人は高い壁だ」
めっちゃお兄様のこと褒めてくるんですけど。
え。いつも偉そうな俺様がこんなに褒めるほどって、本当にウチのお兄様どんだけなの?
……あ、そうか。そういう風にお兄様のことを見ているから、勝手にライバル視してるっていうあの発言に繋がるわけね……。
「正直、まだ自分で納得できるほど俺のコミュニケーション力は鍛えられてねぇ。普段の社交でも必要ねぇトコには適当か無視してっからな。だからあん時お前が助言したことをあれから考えてみて、少しだけ夕紀の力を借りることにした」
「え? まさかあれ、春日井さまを参考にしてたんですか?」
「そうだ」
マジか。言われると確かに春日井っぽい態度だった気もする。
……あれ? 私、『私に対する』ってちゃんと言ったよね? 『お兄様に対する』へと緋凰の中で勝手に変換されているようなのですが??
「……あの、私としてはですね。奏多お兄様の私への態度を見聞きしても、普通に対応して下さいってことをお伝えしたつもりだったのですけど」
「だからちゃんとやってんだろ」
訳分からんって顔をしながら言ってくるが、どう
「えー……?」
「お前ホントに学力あんのか? 普通に対応しただろうが。バカもアホも鳥頭も言ってねぇ」
「それだけのために春日井さまの力を借りる必要あるんですか。緋凰 陽翔のままだと我慢できないんですか。と言うか貴方、そんなんすんの気持ち悪ぃとか前に言ってませんでした?」
「そりゃ時と場合だろ」
「何て自分勝手な臨機応変さ」
「二人とも、こっちは終わったけど」
ガチャリとドアを開けて顔を出してくるお兄様に二人揃ってビクリとし、けれど切り替えの早い緋凰が笑みを浮かべて「寛げて頂けそうですか?」と返答して会話を始めたのを横目に、私は鳥肌が浮かぶ腕を擦った。
兎にも角にもお兄様が滞在する本日一日だけは、春日井を演じるコレジャナイ緋凰に付き合わなければならないようである。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
宿泊に関してのある程度の説明を聞いた後は、「いざ特訓!」――と言いたいところだが、その前にこの一ヵ月でどんなメニューをこなしていくのかの計画表が配布されて、緋凰による特訓メニュー説明会が開催された。
「……――という構成でこの一ヵ月、陸上コースでの実技に備えて十分に基礎を固めていく方針を採り、限定された時間に集中して行うということで計画しています」
私はそれを見て聞いて、唖然とした。
何故ならば、それはとても真っ当なスケジュール組みだったからだ。
てっきり一ヵ月ずっと丸々詰め込みに詰め込むものと想像していたのだが、何もしない休息日もキッチリと取ってある。
特訓メニューも細分化され、分刻みのタイムスケジュールで記載されているばかりか、起床から就寝までのあれやこれやまで徹底管理されている。ここまで過密に細かく練られていると、ある種の神経質を疑う。
確かにスイミングでも熱血指導という感じではなかったけれども。……いや、あの時は春日井夫人の指導法に順じていたからかもしれないが、それにしてもである。計画表だけでこの徹底ぶりときた。
何かコイツ、突き抜けたら何をするにしても極端じゃない?
管理体制が過ぎること以外には文句のつけようもない計画表は、それをジッと見つめていたお兄様でさえ何も言えないほどの代物だった。
強いて言えば、「すごいね……」とポツリと一言漏らしただけだった。
「何か引っ掛かるところがあれば、どうぞご遠慮なく仰って下さい。改善案を新たに出します」
「あ、いや……うん。僕はスポーツに関しては自分の感覚で、指導と言う点では明るくないから、まあそれも本人の頑張り次第だと考えているんだ。だからこれに関しては、初めから口出しする気なんてないよ」
お兄様の考えに同意するように私も頷く。
「ちなみにこれ、基礎固めでしたら香桜でも練習できる内容ってありますか?」
「ああ。中長距離走だと陸上トラックがあればだが、短距離走だったらどこの平地でもできるから、問題はないよ。後でチェックを付けておこうか?」
「ソウデスネ。オネガイシマス」
返答言語が自然とカタカナになった。
そして計画表の説明が終了して所用がある緋凰が一旦退室した後、隣に座っているお兄様の顔がこちらを向いて、恐る恐ると言うように。
「……どうしたの?」
「何がですか?」
今まで微笑みを浮かべていたお兄様だが、今は奥歯に物が挟まったような、痒いところに手がギリ届かないような、そんな表情をしていて。
「何か、あんな緋凰くん初めて見たんだけど。初等部に通っていた頃は挨拶も真顔でしてたし、あんな良い笑顔なんて今まで向けられたことなくて。彼が僕相手に緊張するとも思わないし、それに花蓮から聞いていた話とも全然態度が違うし。……何か辛いことでもあったのかな? 話を伺いたいとか言われたし、後で聞いてあげよう……」
「…………」
コレジャナイ緋凰にダメージを喰らっていたのは、実は私だけではなかったようである。
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