Episode245 紅霧学院合格への道

「守りたい?」


 疑問が多分に含まれた復唱に小さく頷いた。


「同学年で、同じく来年紅霧学院で外部受験する子がいます。その子は私と違って間違いなく受かります。ただ……周囲から誤解を受けやすく、孤立しがちなのです。強く在ろうとしていますが、内面はとても繊細で傷つきやすい子です。そしてとても優しい子です。何せ私のために大学までエスカレーター式だったところから、わざわざ同じ中学を受験して一緒に通いたいと言って、本当に実行した子ですから」


 私と一度でも一緒の学校に通いたかった我儘だと言っていたけれど、確かにそれも一つの理由ではあっただろうが、きっとそれだけじゃなかった。


 私が受験の話をした時に、麗花は何かを考えている様子だった。

 考えてはいたけれど、特にそれから変わった様子は見られなくて。――恐らく転機だったのは、あの時。


 お兄様と話して、それからやりたいことのために小学校最後の夏休み、いつもは付き合う瑠璃ちゃんのダイエット訓練に参加しなかった。

 麗花にはお友達の忍くんがいて、緋凰もあの時現場にいて彼女を疑うことなく肯定する言葉を口にしていたから、麗花にとって聖天学院は必ずしも過ごしにくい場所ではなかった筈だ。


 自分を信じてくれる人がいる。

 それだけで彼女は強く在れたと思う。けれどそうしなかったのは、きっと私のためだった。


 遠い場所にいると何かがあった時、すぐに話を聞くことができない。私の身近にいる親しい人たちの中で、彼女だけが同じ場所に行けたから。

 皆と離れてしまう私が、一人で寂しい思いをしないように。


「自惚れではなく、その子は私のことを守ろうと香桜に来てくれました。私も同じです。私もあの子のことを守るために紅霧学院へ行きます。幸いにも私は家の跡取りという立場ではなく、ただの長女です。両親は高校に関して私が行きたいところをと言ってくれています。私自身の具体的な将来と言えば、まだ何も見えない手探りの状態ではありますが、一つだけ決めていることがあります。それは、『大切な人たちと共に生きていくこと』。……ですから私にとって高校はその決め事を掴み取るまでの過程の一つであると共に、失わないための分岐でもあるのです。だからこそ絶望的だの無謀だのと言われようが可能性がゼロではないのなら、絶対に諦めません。――私のこの覚悟は、大切な人たちと共に生きる絶対の目標と、同等の重さがあるですから」


 ここまで言い切り、後は相手の反応を待つばかり。

 緋凰が言葉を重ねてきたのは、そこを受験したいというどれだけの気持ちが私にあるのかと、自分が私にかける時間を無駄だと切り捨てるか、価値があるかどうかの見極めのため。


 相手の提示してきた問いに対して求められた答えを正確に返した私に、緋凰は初めて見せるだろう、純粋な笑みをその顔に浮かべた。


「お前、老けてんな」

「……はい?」


 本気の本音を伝えて、初めて見た綺麗な笑みをして言われた内容に私の中の時が止まる。

 一瞬空耳かと思ったが、くっくっと面白そうに笑い始めた様子に、更に唖然とした。


「お前本当に俺と同じ中二か? たった十四、五年でそこまで言うヤツいねぇだろ。マジで何歳だよ。高校受験だけでそこまで言うか普通? ま、おかげで俺も覚悟決まったわ。――引き受けてやるよ、夏の特訓」

「え」


 唖然顔のまま驚きの声を小さく上げれば笑っていたのが一転、不機嫌そうなものへと変わる。


「あ? ンだよ『え』って。貴重な俺の夏をお前にくれてやるっつってんだ。泣いて喜べや」

「え、あり、ありがとうございます! 頑張ります!!」


 憎まれ口を叩かれても緋凰家の御曹司のフリー時間は確かに貴重なものであるので、素直に感謝を伝えると鼻を鳴らされた。やった!


「で、だ」


 短く発された言葉にピシッと背筋を伸ばして前のめりになる。


「何でしょうか!」

「予め言っておく。お前がいくら鳥頭でも六年もしていたスイミングで理解してんだろうが、俺は一度やると決めたら徹底的にやんねーと気が済まぇ性質タチだ」

「はい、知っています。そのせいで本当なら小二の夏に卒業していたのが、ズルズルきて六年になりましたから」

「どう見ても救助が必要な溺れクロールだったが、何とかタイムも一分以内で収まるようになった。小一から始めて小六までやんねぇとまともにクロールも泳げねぇお前が、夏休み期間のたった約一ヵ月で紅霧学院の実技合格ラインに達するのは、絶望的だがゼロじゃねぇ。お前、足だけは速いだろ」


 足だけと言われて若干引っ掛かるものの、頷く。

 転ぶこともたまーにあるが速く走れているし持久力もあるので、マラソンも体育の中ではまともどころか、他の生徒よりも秀でている自信がある。体育の競技種目においては唯一私が優秀な種目だ。


 そう言えば過去に緋凰と鬼ごっこ(?)をしたことがあるが、同じくらいの足の速さだったので走者と鬼の距離は付かず離れずのままだったことを思い出す。


「お前が紅霧の方で合格する可能性がゼロじゃねぇ理由は、実技試験の内容にある」

「え、ちょっと待って下さい。実技試験の内容ご存じなんですか? ホームページに掲載されている内容には詳細なんてありませんでしたけど」


 そう言うと呆れた目を向けられた。


「毎年外部で受ける人間がいんのに、絶対漏れねぇことはねーだろ。それにこれも情報戦略だ。外部から受けるヤツで聖天内部の知り合いがいるってーのは、プラスにはなってもマイナスにはならねぇぞ」


 つまりズルじゃないってことが言いたいのであろうが、別にズルだと思っていない。

 出場するスポーツ系の大会で、個人戦であれば賞を総ナメする天才児に教わることこそズル……とまではいかないが、近道ではあるとは思っている。


 スイミングを緋凰と春日井、春日井夫人から教わっていたが、感覚でものを教えるだろうと思っていた緋凰は意外にも懇々説明型の春日井と同様、分析してどこがダメでどこを直したら良いのかをちゃんと教えてくれる人間だった。

 助言と同時にバカとアホと鳥頭という暴言が毎回付随してくるのは、最早彼の可愛くもクソもない愛嬌であると早い段階で割り切った。


「いえ、それをズルとは認識してはいません。それであの、実技試験の内容とは」

「大まかに分けると、球技・ダンス・水泳・陸上。この四種目が主で、普段の紅霧の授業も、受験の時に選択した実技種目で大体埋まるらしい。球技だとバスケやテニス、ダンスは社交やバレエとかな」

「なるほど。ではその中でも私が希望を見出せるのが、陸上だと」

「そうだ。足の速さだけは俺と同等だからな。陸上なら無いことは無い」

「おおお!」


 そこで水泳とならないのは推して然るべし。

 そして更に有益な情報が彼の口から発表される。


「陸上の試験内容で思いつくのは、タイムか記録を競うかと、あとは体力値だ」

「体力値」

「簡単に言うと持久力」

「自信しかありません」

「だろうな。水泳初期に息継ぎ忘れた宇宙人だからな、お前」


 話を聞けば聞くほど希望しかない。

 あれ? もしかしなくても私、イケるのでは……?


 しかしそんな浮き立つ気持ちも、次に発せられた内容で吹っ飛んだ。


「簡単に考えんな。重きを置いているとは言え、専門じゃねーんだ。それでも他のトコの推薦蹴って受験してくるヤツも多々存在する。それだけ聖天学院付属っつーブランドはデケェんだ。能力の高いライバルなんざごまんといる。合格するにはそいつらを蹴散らかさねーといけねぇんだぞ」

「う……はい」

「俺は一度やると決めたら、徹底的にやんねーと気が済まぇ性質だ。お前のコーチ以外に今年の夏、俺は一切他の予定は入れねぇ」

「え」

「えじゃねぇ。覚悟決めたっつったろ。陸上の実技内容が何であれ、タイムと体力値は絶対だ。そこを集中して伸ばす。俺ん家で夏の合宿すんぞ、合宿」

「合宿!?」


 大特訓じゃなくて!?

 てかまさかここに泊まるの!? 宿泊!!?


「そ、そこまでしなくても。と言うかあの、合宿って私、女の子です。いくら何でも年頃の男女が一つ屋根の下と言うのは、外聞的にちょっと」

「は? 女学院行って二年経つくせに、未だ宇宙人なヤツが何言ってる。クマ面宇宙人に男だとか女だとかの性別がある訳ねぇだろ」

「ひどくないですか!?」


 さっきは控えてやめた天誅を喰らわしたいところだが、コーチと生徒関係が成り立ってしまった今でもやはり控えなければならない。口惜しや!

 ……え、待ってよ。そういうの冗談で口にするヤツじゃないから、これ本気で言ってるやつだ。え? 本当に泊まんなきゃいけないの??


 オロつく私に補足が入る。


「毎日家を行ったり来たりするより、その方が手っ取り早いだろ。大体俺が特訓メニュー作成すんだから、休憩とかその間の食事制限とか色々考えると、もうウチで一ヵ月合宿でお前一人管理した方が早ぇんだよ」

「徹底的が徹底過ぎる!!」


 そこからはお互い……と言っても緋凰側は本人が問題ないと言い、私は帰宅後両親に何とかして許可を得なければならないのと、個人の連絡先を交換することになった。私の素性問題の件があるので、携帯番号を教えるしかなかったのだ。


 ちなみに連絡先を交換したのは、今回みたいに春日井を挟むことなく今後直接やり取りをした方が、春日井の手間も暇も取らせないからと緋凰が言い出したからだ。緋凰の春日井大好きっ子は、相変わらずの通常運転である。

 しかし春日井の存在を思い出せば緋凰が目の前にいることもあって、不意にあの時のことが浮かんでしまった。



『……その中で、真っ直ぐと。前向きに行動できる彼を――――初めて妬んだ』



「緋凰さま」


 携帯をポチポチ操作している手を止めて顔を向かせてきた彼を、ジッと見つめる。



「私が香桜に通っている間、好きな人のことで何か行動されましたか?」



 瞬間、緋凰はピシリと固まった。

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