Episode244 そこでなければダメな理由

 秒で撥ね退けられてしまったものの、はいそうですかと諦める訳がない。

 もし空子が紅霧学院の方に入学を果たしたらと思うと……! 麗花の平穏無事な人生は私の受験結果に掛かっているのだ!!


「先生! 生徒が諦める前に先生が諦めたらダメなんですよ!!」

「誰が先生だ! 自分の運動音痴さ加減を穴が開くほど見つめてから物を言えや!!」

「お願いします後生です一生のお願いです! 絶対に絶対に紅霧学院に行きたいんです!!」

「こっち来んな! クマ面引っげて迫って来んな!!」


 ソファから立ち上がってズンズンと向かって行ったらマスク越しに手で顔を掴まれて、後ろにぐいぐいと押し退けられる。

 か弱い女の子に向かってなんて仕打ち!


「貴方を守護するガーディアンズと私で何が違うと……!」

「誰もクマ面してねぇんだわ!! ……あークソッ」


 グギギと一歩も引かぬ攻防戦はお口の悪いクソの一言で終止符を打ち、顔から離した手でそのままソファを指差してきたので話を聞いてくれるのだと思い、そそくさと座り直した。

 面倒くさそうな顔をしながらも、緋凰もちゃんと座り直してから口を開く。


「……自分で解かってんだろ。クロールでさえまともに泳げるようになったのは小学校最後の年。平泳ぎは三年の頃から始めたにも関わらず、蜘蛛の断末魔から何もなってねぇ。それが水泳だけの話ってんならまだ良いが、夕紀から聞いた話じゃ、他の種目でもてんでらしいからな。お前クラスの鈍くさが一ヵ月程度何かしら鍛えたところで、合格基準に達する点を取るのはハッキリ言って絶望的だろ。希望観測の話でどうこうなる問題じゃねぇ。無駄に時間を消費すんなっつってんだ」

「そ、そこまで言いますか……」

「お前の兄貴、どっち通ってる」

「え。ぎ、銀霜学院です。今はもう卒業して大学生ですが」


 脈絡のない質問に何だと思うが、返答を聞いてフンと鼻を鳴らされた。「銀霜な」と呟いてから。


「聖天学院付属校の受験はお前がさっき言ったように内部生にとっちゃ、あってないようなモンだ。元々一つの所に通っていた生徒が半数近く減るんだから、外から集めるのは自然な流れになる。それでも外部から入ってくるヤツには初めから聖天にいるヤツらからしたら、赤い血に黒ずんだ血が混じるようなものだと感じるらしい。プライドだけは高ぇヤツらばっかりだからな。学院側としては能力に秀でた将来性のある人間を捕まえたいのもそうだろうが、内部生にも外から入れることに納得できる要素としてもあったんだろ。だがファヴォリっつー、生粋の聖天生の中にも特権階級制度があんだ。ンなの推して然るべしだろ。……ま、今のところその意識は完全にとは言えねぇけど、改善されてるがな」


 知っている。お兄様が自ら進んで動かれて、改革を積み重ねてきた成果であると。

 そして話を聞いて、どうしてこんなことを言ってきたのかを理解する。


「内部生からの風当りは心配して頂かなくても大丈夫です。ある程度察しはついていらっしゃるでしょうが、私も高位家格の生まれですので」

「……兄貴がいるんなら跡継ぎでもねぇし、割かし自由とは言え中学は受験させられた。香桜女学院と言えば、国内有数のお嬢様学校で有名でもあるが、あそこは女学院の中では全国でも学力トップの学校だとも聞く。実技点の心配しかしてねぇお前の態度で、ペーパー上の成績は問題ねぇんだと分かった。けど合格したとして、入学するのが外部生にとってのゴールじゃねぇ。入って付いていけなかったら意味ねぇぞ」

「はい」


 言外に止めとけと遠回しに言われても、それらを承知の上で迷いなく答えを返す私に緋凰の顔が顰められる。そんな彼のする態度と対応に、マスクの内側で思わず微笑みが溢れた。


 緋凰はこれまでに一度も、に関してでの拒否を口にしない。

 それに「絶望的だ、時間を無駄にするな」とキッパリ言われても、本当に可能性がゼロで断る気ならそもそもこんなにゴチャゴチャと言わない。


 友達だとは認められていなかったが、それでもこんな風に言葉を尽くしてくれる程には私のことを気に掛けてくれている。

 人に対する好き嫌いもハッキリしている人物だから、自分の内側に入れてもいいと判断した人間でなければこうして話を聞いてくれることすらないだろう。


 口ゲンカばかりだったけど、嫌いではない。傍目から見ても仲が良いとはとても言えないけれど。


 ――きっとこれが、百合宮猫宮 花蓮亀子と緋凰 陽翔の現在いまの信頼関係。


 私だってちゃんと自分の能力は解っている。自分のことなのだ。その上でお願いをしている。

 不安を煽るようなことを言われて、「はい、じゃあ止めます」という弱い覚悟でここに来たりしない。


「私は入学資格があったにも関わらず、聖天学院には通いませんでした」


 いきなり飛んだ話に訝し気な顔をされる。


「緋凰さま。私と交わした約束を覚えておられますでしょうか?」

「……約束? 何かあったか?」

「私の素性についてです」


 ピクリと、僅かに眉が上がった。


「元々私は、初等部の頃から聖天学院に通う気はありませんでした。とてもではありませんが、自分の肌には合わないと思ったのです。家と家の繋がりだとか、自分の家が他の中でも上位にあるのは、幼心にも分かっておりましたから。幼少の頃はこれでも複雑な家庭環境だったんです。言われるがまま、両親に薦められるがまま入学していたら、きっと私は今のように自分を出すことなく――――自らの意思を持たない、操り人形のようにそこで過ごしていたことでしょう」



『何と言いますか、私自身、兄との出来を比較されるのはそれどころじゃなかったからと言うか、他のことで頭が一杯だったので、兄と比較されてどうこうというのはそんなに思いませんでした』



 秋を迎えるよりも少し前、ポッポお姉様とそう会話したことを覚えている。けれど、もし。

 両親が私の意見を取り入れてくれることなく、いや、一応鑑みた上でも聖天学院に行かされていたとしたら、きっと私はと思う。


 兄と……お兄様と同じ学校ではなかったから。入学する年ではまだ初等部の六年生で、学び舎は重なっていた。

 当時から神童と呼び名高かったお兄様だ。


 記憶を思い出して何とか色々なことを回避しようと学院内で動こうとしても、“百合宮 奏多の妹”の立場がそれを邪魔する。

 “百合宮家の令嬢”としてばかりでなく、私の取った行動が兄であるお兄様の評価にも直結するから。


 何が聖天学院で見せるべき正しい姿、相応しい姿かなんて。

 お兄様と違う学校だったからこそ、私らしくいられた。楽しい日々を過ごすことができた。周りにいる人たちから受け入れて貰えることができた。


 改革をされて、お兄様個人の評価は更に高まっている。鈴ちゃんも一度だけやらかしたけど、彼女も要領よく、“百合宮家の令嬢”の評価を落とすことなく過ごしていると聞いた。

 突然湧いて出る“百合宮家の長女”なんて、そりゃ確実に色んな目で見られることになる。香桜でさえ病院に入院していただの、手術してどうたらだのと言う噂が発生していたのだ。


 だからこそ余計に……銀霜でも紅霧でも聖天学院に通うのであれば、乙女ゲーのことを抜きにしても覚悟して臨まなければならない。


「例え有数の女子校である香桜女学院からの進学だとしても、内部生の方々には余所者として映ることでしょう。それは他校から外部で受験する方々も同様です。私だけの話ではありません。加えて紅霧学院で求められている条件の運動能力が低いこと。理解しています。私を知る人達からは、先程の貴方のように無謀だと言われております。ですが、それでも。――それでも紅霧学院でなければならないのです」


 麗花が言ったから。紅霧学院を受験すると。


 ……自分が儚くなるかもしれない場所に行くって、言ったから。


 目の前にいる緋凰 陽翔なら大丈夫かもしれない。けれど確定ではない。絶対に大丈夫だと言いきれない。

 知り合って過ごした六年間で接し、見てきた彼を信用していない訳ではない。

 麗花に対しての敵認定はしていたけれど、本当に彼女の敵にはなっていない。

 理由なく人を嫌うような、そんな人物じゃないと。ちゃんともう知っているのにだ。


「……緋凰さまにこうして頼みましたのは、貴方が約束を守る方だからです。素性は調べようと思えばそれが可能ですのに、お約束したあの日からずっと沈黙して下さっています。だから、ごめんなさい。甘えさせて下さい。生半可な覚悟で紅霧学院を受験すると言っていません。諦めたくないです。お願いします。受験するまでの期間でこちらに帰省できる夏休みしか、お願いできないんです」


 そこまで言って、緊張しながらジッと待つ。

 ずっと沈黙して話を聞いていた緋凰は、ハァと小さく息を吐いて。


「銀霜じゃなく、紅霧じゃなきゃダメな理由は?」


 尋ねられると思った。理由なんてそんなの。

 嘘や誤魔化しは言えない。言ってはいけない。


 誰よりも、目の前にいる彼には。


「――――守りたいから」

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