番外編② 200話到達記念SS ~秘書菅山、ビデオカメラ没収事件の裏側~

 百合宮コーポレーション。

 そこは旧華族の末裔の一族・百合宮家が興し、現在ではその会社名を耳にするだけで「ああ、あの会社ね!」と道を通りすがる十人に聞けば、十人ともにそんな言葉が返るだろう大企業である。


 そしてそんな大企業の代表取締役社長の秘書である彼、菅山 典親のりちか。彼は社長室と隣接する秘書室にて、一枚の書類と絶賛睨めっこ中であった。


 コツ、コツ、とペン先で叩く音が専用デスクから小さく鳴り続ける。彼はどうにもその書類の内容に違和感を覚えており、自身の記憶と照らし合わせてみてもやはり不審に感じていた。


 そんな菅山氏が手にして睨んでいる書類の一番上に印字されている――『社長日報』。


 彼は社長日報を手にして、ずっとデスクにペン先をコツコツ響かせている。




『菅山、今まで私には余裕がなかった。仕事を覚え会社の成績を維持することに必死になり、従業員の細かなことにまで気を配れていなかったと思うのだ。それを反省し、自分に余裕を持たせるにはどうすれば良いのかを考え、そして思いついたのだ。だからこそ菅山、私は今日からお前に社長日報を提出することにする!』

『どういうことですか社長』



 部屋が隣にも関わらず、そして居るも関わらず、社長から内線で呼び出されて社長デスクと向き合う形で自信満々に宣言されたのがそれだった。秘書である私、菅山は頭痛を覚えた。


 奥様とじゃなく仕事と結婚したのかという位、いつ家に帰っているのか不明なほど鬼気迫る気迫でもって仕事に没頭していた男。


 しかも彼はいくら己が完璧にスケジュール調整をしても、取引先にアポ電して彼から目を離さざるを得なくなる隙に、勝手に設定していない仕事を自分がした方が早いからと従業員からかっぱらってくるという、とんでもない悪癖を持っていた。


 誰のためにもならないから何度やめてほしいと進言しても、「分かった」と一言発するだけで聞きやしない。分かったって言ったんだからやめろ!


 しかしそんな仕事と結婚したらしい男は一体何があったのか、ある日突然憑き物が落ちたかのように大人しくなった。言い方としては少々語弊があるかもしれないが、結婚して数年後、やっと自分が結婚した相手は仕事ではなく奥様だと思い出したらしい。


 秘書が完璧に調整したスケジュール通りに動いてくれるようになり、彼は定時に帰るようになった。社長に連帯して残業させられていた社長秘書も定時に帰れるようになった。


 大人しくなった男は従業員から仕事をかっぱらわなくなり、優秀な人材であるにも関わらず社長に仕事を取られる従業員たちのメンタルヘルスケア業務生活(秘書業務の管轄外)も終止符を打った――そんな矢先のことである。


 お前のスケジュールを完璧に調整している私にケンカ売ってんのかと、そんな暴言を吐く寸でのところで何とか押し止めた私、菅山の頭を誰か撫でて褒めてあげて下さい。





 ――と、結局すったもんだの末に社長秘書である私、菅山は社長直筆の社長日報を就業終了時刻の十分前に提出され、自身が作成したスケジュールと照らし合わせるという、それこそ非効率としか言いようがない二重チェック業務を追加された。


 前日に確認するのならまだしも、終わってから本当にその通りに行動していたかの間違い探しのようなチェックすることに、本当に意味などあるのだろうか?


 人が作ったその人のための予定を、「お前本当にこれで効率的だったと言えるのか? おおん?」と、本人から遠回しにケチをつけられている気分である。


 しかも始めた動機が、『従業員の細かなことにまで気を配れていなかったから、そんな自分に余裕を持ちたい』。


 社長が勝手に人の仕事を盗らなくなり、スケジュール通りの行動をするようになってからの彼は、一日として残業をすることなく定時に帰れている。

 従業員も仕事を奪われる役立たずの烙印を押されるかもしれないという精神的不安が解消し、生き生きと働けるようになった。


 お前さえ私の目を盗んで勝手に人の仕事を以下略。

 だから何度もやめろと以下略と言う代わりに、クソデカ溜息を吐き出しても許されることだろう。


 しかし……。


「変ですね」


 自身の手元にある日報と、パソコン画面に映っている自身が作成した行動予定表とを比較しても、何ら不審な点はない。確かにその通りの行動を取っている。

 けれど画面に映っているもう一つのデータに目を移すと、どうにも違和感が拭えなかった。


 百合宮コーポレーション代表取締役社長秘書、菅山 典親。

 彼は内心グチグチ文句を言いながらも、一度引き受けた仕事は徹底して完璧にこなさなければ気が済まない、所以完璧主義者であった。自身のした仕事に他人からケチをつけられるなど論外である。


 頼まれてもいない従業員たちのメンタルヘルスケア業務を率先して行っていたのも、社長のミスはその秘書のミスとして捉え、連帯責任として尻拭いをしなければ気が済まなかったからである。……損な性格をしている自覚はある。


 だからこそ非効率としか言いようがない二重チェック業務だとしても、もう一つのデータが自身の作成スケジュールと記入された日報の内容を裏付けるためには必要だったのだ。


 社長の行動記録――それは何時にどこへ行った何をしただけではなく、どこへ行くのに時間はどれくらい掛かったか、も含まれている。


 社長には専属運転手が付いている。彼にも社長の移動スケジュールを調整するのによく連絡を取り合っているがいつも移動先の最短ルートと時間、渋滞予測などを打ち合わせ、多少のゆとりを持たせるように設定していた。


 そしてその専用車は社用車。ガソリン代は全額経費。経費を申請する――『交通費精算申請書』。


 日々の走行距離をフォーマット入力し、ガソリン代が発生すれば金額を打ち込むそのデータフォーマットを閲覧できるのは、基本入力する本人と申請提出先の総務部経理課。


 そして全部署のサーバー閲覧権限がある社長のパソコンくらいだが、メンタルヘルスケアを行う上で色々と知らなければならないことが多々あったため、私、菅山使用パソコンも全部署サーバーの閲覧権限をもぎ取っている。そして本日付で保存更新されたフォーマットの記録を確認して、首を捻ることとなったのだ。



 ――どう考えても、走行距離が長過ぎる



 時間は合っているが、打ち合わせた時と自身でグー〇ル〇ップで確認したどのルートで行っても、この入力された走行距離以下にしかならない。渋滞があったとの報告も受けていない。


 不正を行うような人物ではないが…………いや。


 私、菅山の頭にはスケジュール通りの行動をするようになった社長が一度、従業員の仕事を盗る以外のスケジュールから外れた行動をしたことが浮かんだ。


 あれは奏多坊ちゃんが修学旅行から戻り、帰宅される日。事前に相談してくれていたらそれも込みで調整したと言うのに、突然思いついたサプライズ衝動に従った結果、穴だらけのサプライズになったという。


 スケジュール通りであればとうに帰社している時間で携帯にも繋がらなかったため、すわ事故か事件かと百十番する直前で社長の専属運転手の彼から連絡が入ったのだ。

 もちろんその日は共々残業することになった。


 パソコン画面右下に表示されている時刻を確認すれば、就業終了時刻四分前。

 机上にある電話機を操作して社用携帯へと連絡を入れると、一コールで相手が出た。


「お疲れ様です。秘書室の菅山ですが、就業終了間際にすみません。確認させて頂きたいことがありまして、お時間よろしいでしょうか?」

『お疲れ様です。はい、大丈夫ですよ。それで、何の確認でしょうか?』


 連絡の相手はよく知る、社長専属運転手。

 己と違ってゆっくりと丁寧に受け答えをする落ち着いた声を耳にすると、自然と肩の力が抜けていく。


 社長という奇想天外に振り回されている仲間意識が、いつの頃からか私の中に生まれていた。


「本日の社長日報をチェックしておりましたところ、不審な点がありまして。その確認なのですが」

『……ああ、そう……ですか。そうですよね……』


 用件を切り出せば、相手はとても気まずそうな答えを返してくる。

 その様子にやはり社長が予定にない行動を起こしたのだと把握するが、それと同時に彼は巻き込まれただけだとも理解している。いつも巻き込まれているのは部下である自分たちで、社長が百パーセント悪いのは承知済みだ。


「移動時間は合っていますが、移動にかかっている走行距離が疑問です。社長はまたどこに寄り道をされたのですか」


 その現場で何かしていたのなら、社長秘書の自分が尻拭いをしなくてはならない。そんな思いで確認していることは長い付き合いである相手も承知のことで、余すことなく事実を報告してくれる。


 口を挟むことなく黙って聞き、お礼と謝罪を口にして受話器を置く。

 置いて、秘書である私、菅山は頭痛を覚えた。



 ……確かに社長は優秀な人物であることに違いはない。植物に関する知識は社の誰よりも造詣深く、経営に関する知識はゼロからのスタートだったにも関わらず代替わりしても企業成績は落ちることなく、右肩上がりを叩き出している。自分で言うだけあって確かに、かっぱらった仕事を終わらすのは早かった。



「それが何故、お嬢さまのお部屋にビデオカメラを隠す思考となるのです……?」


 何しに家に戻ったか聞いた運転手に、社長は恥ずかしげもなくドヤ顔でペラペラと喋っていた。

 ドヤ顔で喋るなそんなこと。対象が娘であってもアウト。盗撮、ダメ、絶対。


 ダメだ。ウチの社長は社長としては一応優秀だが、一家の父親としてはダメダメな人間だ。これは仕事と結婚していた弊害か?


「奥さまに報告した方がいいのでしょうか……」


 社長の憑き物が落ちた頃くらいに突然花蓮お嬢さまから電話がかかり、奏多坊ちゃんにただのイタズラ電話だと言われて結局何だったのか不明な電話を受けて以来、ご家族から社長に関わる報連相が入り始めた。


 憑き物が落ちても突然思い付いて一人で突っ走るのは変わらずに、尻拭いの対象が従業員からご家族に変わっただけである。

 けれど常に鬼気迫る顔で仕事をしていた男は、穏やかな顔をして周囲に目を向けるようになった。社長が変わった確固たる原因は分からないが――ご家族が関わっていることだけは判る。


「……」


 親指と人差し指で眉間を揉み込む。


 今回も社長が百パーセント悪いことには違いないが、日報チェックで余計且つ知りたくなかったことまで知ってしまったが、何故かこの時ふと全てを投げ出したくなってしまった。


 思えば社長はこの菅山に甘え過ぎなのだ。自分が何かやらかしても私が何とかしてくれるとか思っているから、この私作・完璧なスケジュールを外れた勝手な行動をしまくるのだ。一度本気で私以外の誰かに怒られればいいのだ。もう知らん!

 と言うか部下に気を配ると言うのなら、その最優先は尻拭いをしまくっている私であるべきだろう。減るどころか負担が増えていく一方なのはどういうこと?



 百合宮コーポレーション代表取締役社長秘書、菅山 典親。入社して初めて、彼の耳に悪魔が囁いた瞬間だった――……。





 ――悪魔の囁きから後日。その日社長秘書室の電話機に、一本の連絡が入った。


『もしもし菅山さん? いつも主人がお世話になっておりますわ。昨日秘書室宛に小包を一包速達で郵送させて頂いたのですけれど、そちらが届きましたら主人の手に触れぬよう、厳重な管理をお願い致しますね』


 悪魔の囁きに負けた結果、秘書業務管轄外が発生してしまった私はしょっぱい顔となり。


 その後ビデオカメラを取り返そうと社長室から社長秘書室に突撃してきた社長へと、いつも見せている表情に切り替えて――



「お断りします」



 ――今日も笑顔でノーを突きつけるのであった。

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