Episode235 『香桜華会継承の儀』
ステージ周辺で奏でられているのは、聖歌『主よ身許に近づかん』。
この曲が流れたということはと時計を見ると、丁度時刻は十四時。聖歌曲が流れ始めた瞬間にステージに集まった人々は静まり返り、ただただ正面の舞台へとその視線を釘付けにする。
ステージ壁の後ろに待機していた中・高等部の【香桜華会】会長と次期会長がステージの両端側から
高等部会長の衣装は白と赤の
その後ろを一定の距離を開けて付いて進む、先程高等部の食堂でお会いした次期会長の鳩羽先輩。
彼女の衣装は会長とは正反対の黒地が大半で、裾部分を赤のラインで彩られている軍服。帽子を目深に被っていて遠目からでは表情は分からないかもしれないが、最前列にいる人間にはそれがしかと見えた。
食堂でお会いした彼女とは、何もかもが違った。
仁保先輩といた気抜けた表情でもなく、私と麗花と話していた時の笑顔でもなく。
その面に現れていたのは、己の先を行く先導者を真っ直ぐと見据えた強い眼差し。口元をグッと引き結んだ、厳しい面持ち。
仁保先輩の言葉が脳裏に蘇る。
『性格は妹の杏梨と結構似ているけど、空気を読むのがすっごく上手い子でね。場面場面で的確な発言をするから周囲からも頼りにされて、あれよという間に【香桜華会】所属。中等部で会長をしていたから、その流れで高等部でも会長になる予定なの』
――ああ、確かに人の上に立つ器をお持ちの方だ
仲良しのお友達と一緒にいる時は気を張る必要もない。先輩に囲まれる中で後輩が気負うことのないように、態とおちゃらけた雰囲気を作り出した。
そして相談内容にはしっかりと自らの考えを口にして、真剣に答えて下さった。
香桜祭の生徒会企画で、ただのパフォーマンスの一部としてではなく、本当の“儀式”として彼女は『香桜華会継承の儀』に臨んでいるのだ。
「格好良い……」
「でしょ?」
鳩羽先輩を見つめて思わず呟くと、返事があったことに驚いて隣を見ればいつの間にかポッポお姉様がいて、他の『鳥組』お姉様たちと最前列に並んでいた。
「自慢の姉なの」
嬉しそうにニコッと笑うお姉様に笑い返し、次いで中等部の二人に視線を向ける。
去年は某夢の国のネズッキー、先日の衣装決めでは某電気ネズチュウの着ぐるみを手にしていた椿お姉様。
いま現在その身が纏っているのはブラウンの生地をベースにした、フリフリもフリフリレースのメルヘンロリワンピースドレス。頭には丸い耳がカチューシャによってちょこんと生えている。
あの時の某電気ネズチュウ(着ぐるみ)はもちろん却下され、満面の笑みを浮かべた雲雀お姉様が持ってきたのがアレである。
その衣装を一目見てとっっっても嫌そうな顔をした椿お姉様だったが、あの丸耳カチューシャを後出しでサッと差し出され。
『ほら椿。これだと私達も納得するし、何よりこれを付けることによって、某猫に追い掛けられる某ネズミーに見えないこともないわ』
『そ、そうか……? うむ……む、そうだな』
とやっぱりネズミキャラコスプレがブームになっている椿お姉様も納得し、あの衣装となったのだ。
いや、絶対某ネズミーには見えませんよお姉様と、あの場にいた雲雀お姉様以外の誰もが口にしたかったが、椿お姉様要素をすべて消去させる某電気ネズチュウ(頭付きの着ぐるみ)よりは断然マシだったので、皆口を閉ざした。
うん、登場された時に「つ、椿さま! ギャップ萌え……っ!」とか聞こえたので、雲雀お姉様のお見立ては間違っていなかったことが証明された。と言うか演劇部の豊富すぎる衣装レパートリーよ。
そして鳩羽先輩同様、一定の距離を開けて椿お姉様の後に続くのはきくっちー。エンパイアラインのドレスに包まれた彼女の髪には、白い百合の花が飾られている。
きくっちーの清楚なドレス姿に驚く生徒も多かったが、ヒソヒソ囁かれる内容の拾えるものは感嘆の言葉ばかりだった。
こちらもパフォーマンスとしてではなく“儀式”と考えているようで、いつもなら手を振るところなのに顔を上げて前だけを凛と見つめて、静々とステージに上がって行く。
四人がステージに上がりきって中央に会長、端と端に次期会長が並ぶ中、最初は中等部の継承から行われる。
椿お姉様ときくっちーが二歩前に進みお互いを振り向き、椿お姉様の明朗なお声がその場に広がった。
「中等部【香桜華会】会長、雉子沼 椿。私の後継たる者として、汝、菊池 葵を望みます。貴女は私の意志を継ぎ、この香桜を皆と共に守り、歩むことを誓いますか」
その場に膝をついて手を組み、顔を上げてしっかりと視線を交わす。
「――はい。中等部【香桜華会】次期会長、菊池 葵。椿お姉様のご意志を継ぎ、皆と共に香桜を守り、歩むことを誓います」
「私も皆も貴女のその誓い、しかと聞き届けました。では会長の証をこれより継承します。お立ちなさい」
「はい」
立ち上がった彼女を前にして自らの手を首の後ろへ回し、その胸元を飾っている首飾りを外して、継承を受ける者へと継承する者自らが対象の胸元にそれを飾る。
首飾りは香桜を表す桜をモチーフとしたネックレスで、きくっちーの小花があしらわれた白い胸元に桃色の輝きが煌いた。
「香桜の輝きは貴女の輝き。輝きを失わぬよう、仲間と共に道を歩むのです」
「貴女の『妹』であることを胸に抱き、皆の『姉』としてこれからも精進致します」
「「神のご加護が汝、共にあらんことを」」
一呼吸も乱れることなく合わさった祈りを告げ合い、互いに深く礼を取る。その際、譲渡された証が新たな先導者の胸元で揺れていた。
継承を終えた二人が所定の位置へと戻り、入れ替わるようにして高等部の二人が先の二人と同様の動きをする。
掛け合う言葉は似ているが、全く同じという訳ではない。高等部で継承譲渡される証は桜の花冠。
香桜女学院の最たる代表生徒にのみ授けられる、リーダーの証。
会長の前に片膝をついた鳩羽先輩が目深に被っていた帽子を取り、僅かに頭を垂れる。
会長が自らの手で鳩羽先輩の頭へと花冠を授ける姿はお互いが着ている衣装と相まって、まるで姫君と、彼女を唯一の主と定め忠誠を誓う気高き将校のよう。
「……――雪之丞 菜緒さま」
先輩の頭を華やかに飾る花冠から指を離す間際、その手を真白の手袋に包まれた手が取る。最前列が故に認識できる見開かれた瞳に、これが本来の流れにはないことだと知る。
目の前に在る人の名を紡いだ唇は新たな宣誓を奏でるために、彼女の視線が取った手の先を貫いた。
「偉大なる私の指導者よ。この狭き花園から広大なる外の世界へと飛び立つ、私の『姉』たる貴女へ。貴女の親愛なる『妹』、鳩羽 茉李からの祝福をお受け取り下さい」
手の
周囲から息を呑む音が聞こえる。
恐らくステージに立っている二人のように、大体の生徒が頬を染めていることだろう。私でさえドキドキと胸が騒いでいる。
間違いなくこの瞬間だけは、鳩羽先輩が意図して作り出した空気に皆、呑まれていた。
しかしながらそんな彼女の空気に呑まれることなく、祝福を受けた会長は動揺する気配も見せずに柔らかく微笑んだ。
祝福に対してのお礼を口にして立つことを促し、イレギュラーなんて無かったかのように本来の儀式の形式へと戻す。
そうして高等部の継承の儀も終わり、四人がステージから降りて退場した後。
「……ポッポお姉様のお姉様、すごい方ですね」
「アレって絶対完全アドリブだものね~。でも雪之丞会長ってば、あの姉のアドリブも軽く受け流すんだから、やっぱり会長になる人ってすごいわよね~。あんなことされて、来年のパフォーマンスは大丈夫かしら~?」
「どんなことでも他人事ですか、お姉様」
「え~?」
だからえ~?じゃなくて。……けれど確かにあんな姉とずっと比較されてきたんじゃ、ポッポお姉様が擦れたのも分かるような気がした。
真剣に儀式として臨むのも、魅せるパフォーマンスも。全校生徒の前でどちらも披露したあの豪胆さは、誰もが真似しようと思ってできることじゃない。
他とは一線を画す何かがあるからこそ慕われ、その背中に憧れを抱くのだ。
「花蓮」
麗花の方へ顔を向ければ、指を差される。その指し示された先を確認すると、まだ『香桜華会継承の儀』の余韻に浸っている生徒らの後方で、土門少年が一人どこかへ行こうとしていた。
『花組』三人で頷き合い、近くに立つ『鳥組』お姉様に挨拶して彼を追う。歩きながら桃ちゃんが土門少年と共に行動していた時のことを説明してきた。
「あのね。葵ちゃんが頑張るから、このステージだけは絶対に見て行ってって言ったの。でも葵ちゃんそのまま下がっちゃったけど……」
「けれど勝負はすると言っていたのでしょう? ステージ上のあの空気では、さすがに難しかったと思いますわ。取り敢えず彼がまだ学院から去らないように見て……あら」
「あ」
土門少年を追って人の波から出た私達の視界に、青と白の重なり合うグラデーションが揺れる。
遠目から彼女が何か言葉を発してクルリと背を向け、その後をゆっくりと彼も追って行くのを確認した。――これからなのだ、と。
二人はきくっちーが行動したことに一先ず安堵していたが、私は違った。追うために足を動かす。
「早く行きましょう。見失います」
「え? でもそれって」
「花蓮?」
もちろんこれが一般的な素敵イベントであれば、私も同様に足を止めて彼女から報告される結果を待ったことだろう。
けれど彼女は言っていたし、先程も言われた。
『アタシはそういう、長い時間一緒にいてお互いのことを知っている子に応援して欲しかったの! そりゃ他の子からの声援も嬉しいけど、仲の良い友達からってのは気持ちが盛り上がるの!』
『だから香桜祭でアタシ、もう一度挑戦するんだ。皆近くにいるから心強いし、つ、付き合うとかまではいかなくても、アイツの中に“女”としてのアタシを強く残せたらって思う』
『勝負するから。アタシの勇姿、絶対見届けてくれよ!』
ずっと応援してきた。彼女の理想の女の子になれるように協力してきた。
壊滅的音痴の聖歌だって、諦めずに投げずに練習を続けた。そこには生来の負けず嫌いがあるだろうが――――助けて支える私達の存在もあったからこそ。
自惚れじゃない。意味を取り違えてはいない。
“見届ける”ことは……近くにいて、想いを言葉にして伝える勇気が欲しいのだと。
「麗花、桃ちゃん。きくっちーの勇姿を見届けよう。彼女もそれを望んでいるから」
――察したらしい。二人の顔つきが変わった。
そうして強個性でも仲良しな『花組』は視線を交わして微笑み合い、揃って彼等が向かう先へと足を踏み出した。
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