Episode233 引いたトリガーの終着点

 明るく元気な彼女が私に見せている笑みは、彼女に請われて私が伝授した淑女の微笑みそのもの。

 時間を置いたので彼女の方も混乱は幾分か落ち着いているようだが、私に抱いている気持ちの整理まではついていないのだろう。


 『香桜華会継承の儀』までの時間が差し迫っているのですぐにでも本題を切り出すべきではあるが、一応屋台で購入してきた物もあるので、まずはお昼を摂ったかどうかの確認をすることにした。

 一歩、一歩と彼女に近づいて行く。


「お昼ってもう食べた?」

「……あー、うん。おむすび三つ」


 意外と食べていた。この焼きそばの処遇はどうしたら……。

 そしてそんな問い掛けをしてきた私の手に屋台のロゴが入った袋があるのを見て、察したきくっちーが淑女の微笑みから一転、苦笑を漏らした。


「それ、もしかしなくてもアタシにか?」

「うん。食べてないかと思って。……きくっちー、」

「わざわざありがとな! ごめん、あんな場の離れ方して。変な感じにならないように、あれでも気を付けて出てったんだけど。あ、そうだ。撫子は? アタシあいつ置いて来ちゃ…」

「きくっちー」


 強く呼んで遮る。

 私の顔を見て、ふいと視線が逸らされる。


「ちゃんと話そう、きくっちー」

「何を」


 分かっている癖に。


「私、こんなことできくっちーと仲違いしたくない」

「……こんなこと?」


 再び視線が交わる。複雑なものが見え隠れしているその中で、一等煌めいたのは――怒り。


「こんなことって何だよ。アタシがどうして香桜に来たのか、そのために努力してきたのを見ていてそう言うのかよ」


 当然だ。そのために私だって彼女に協力してきた。

 彼女が一番に頼ってきたのは私。数いる女子生徒の中で私が彼女の目指す、ご令嬢の一番の理想像だったからだ。


 女の子にしてくれと、いきなりそんなことを目の前で叫ばれた私の心境をぜひ考えてみて欲しい。現実問題、は?となったわ。

 それ以前に入寮初日で桃ちゃんとのトラブルもあったから、その時の彼女の言動であの子には近づかないようにしようと逃げの姿勢でいたのに、蓋を開けてみたら同じクラス。


 叫びの内容に対しその場では曖昧に濁して逃げれば負けず嫌いに火を点けてしまい、事あるごとに絡まれて同じことを叫ばれる私。

 例えるならば優等生がチンピラに目を付けられたようなものであった。ちなみに私が当時悪目立ちをしていた理由にこれも含まれている。

 麗花は桃ちゃんとコミュニケーションを取るのに集中していて、私を助けてはくれませんでした。


 そんな諦めの悪さに根負けしたし、結局とっ捕まってしまったのもあって、「アタシを女にしてくれ」以外の言葉を聞こうと思い初めて耳を傾け、ポツリポツリと明かされる理由に思わず脱力してしまったのは今もよく覚えている。

 ……だから分かっているよ。誤解したきくっちーが、告白をどうしようとしているのかなんて。



「諦めるの?」


 一言問い掛ける。何をなんて明言しない。

 見つめている瞳が細まって、ふっと吐息を溢す。


 トルソーが纏っている衣装へと向き直った彼女は、キリリとした横顔に自嘲の笑みを浮かべていた。


「何かさ。結局アタシはどうあっても、アイツの特別にはなれないんだなって思った」


 手を動かし、その指先がエンパイアラインのスカート部分をつまんで持ち上げたことで、切り替え部分で始まるインディゴからパールホワイトまでのグラデーションがその動きに併せて、サラ――……と揺れる。


 ドレスの切り替えまでの上半身は白い小花の刺繍で覆われているもので、スカート丈はくるぶしの少し上くらい。青の深みが全体を引き締めて、上品さをかもし出している。

 ドレスの型自体は可愛らしいタイプだが、彼女が試着した時の印象は甘過ぎない、スッキリと落ち着いた少女の姿へと変身させていた。


「本当にさ、アタシに見せる顔と全然違った。初めて会って試合に負けたあの時から、ずっとアイツ……郁人のこと見ていたけど、あんな顔したの、一度だって見たことない。アタシ以外の道場に通っている女の子にだって、いつもニコニコしていて、あれが女の子への普通の態度だって思っていたんだ。けど、違った。特別な子にだけは……、花蓮にだけは全然違ってたんだよ……!」


 震える指先がスカートから離される。


「…………そんなのもう、アタシ、無理じゃん」


 支えるものがなくなったスカートが落ちて、元の形に戻る。触れたという事象さえ、初めからなかったかのように。


「無理ってなに?」

「いいよ、もう」

「ダメ。ちゃんと教えて」

「……アタシの女の子のイメージって、柔らかくて優しくてか弱い、守ってあげたいって感じなんだ。花蓮は本当、初めて見た時からアタシの理想だった。お嬢様って、女の子ってこんな感じだって。アタシもああなれたらいいなって。そんな理想の女の子が、アタシの目指している人間が、アイツにも特別だったなんて誰が思うんだよ。無理だよ。花蓮には、敵わない」


 どこまでも下向きな発言しか口にしない。

 沸き上がってくる思いを抑え、最後の問い掛けを発する。


「ねえ。告白、土門くんにちゃんとするよね?」

「は? する訳ないだろ、アイツの特別…」

「きくっちー!!」



 バチンッ



 腕を引っ張って振り向かせた顔を、両手で挟むようにして叩いた。驚きに見開かれた瞳には、怒った顔を隠しもしない私が映っている。


「逃げるの!? 私からも! 土門くんからも!!」


 逃げられないように手でしっかり掴んで固定する。


「いつもの菊池 葵はどこに行ったの! 女の子にしてくれって毎度毎度叫んで、逃げる私を捕まえた執念は!? 負けず嫌いは!? 全部どこ行った!! それにそうやって決めつけてるけど、本当は違うかもしれないじゃん! 本人に聞かないと気持ち、分かんないじゃん!!」

「わっ……分かるよ! ずっと見てたんだから!!」

「ずっとって交流試合とか、学校終わって放課後のたった少しだけでしょ!? 私なんてね、小学校同じで高学年の三年間ずっと一緒だったんだから! 体育でたまたまミスったの、いつも毎回補助してもらってたんだから!」

「はあ!? 何だよそれ自慢かよ!?」

「私が知っている土門くんはね、女の子大好きでナルシーで本当は毒舌で、いつの間にか姿消してるし頭上に影を降らせて出現するし、変な予言もするけど、それでも頼りになる男の子だって思ってる!」

「……っ」


 手を掴まれて剥がされそうになるけれど、力を込めて耐えた。


「私が知っている土門くんはね! きくっちーみたいに葵って、貴女以外の女子を下の名前で呼んだりしなかった!!」


 ……剥がす動きが、鈍くなった。


「私は百合宮嬢。他の子にだって全部名字に嬢付け。あとね、女子に人気があってかなり告白とかもされていたけど、全部お断りしてた。前にその理由も聞いたけど、世界に僕という存在はたった一人しかいないからどうたら、ただ一人の女子に縛られる訳にはいかないみたいなこと言ってた。でもそれ、その時の話だから」

「……どういう?」

「つまりね。その時は恋愛の意味で、好きな女の子なんていなかったんだよ。きくっちーが男の子って勘違い解けたの、いつ?」


 彼女にとっては衝撃的な出来事だったからか、答えはすぐに返ってきた。


「小五の夏」

「私がそれ聞いたの、小五の春。でも学校ではずっと女子への態度は変わらなかった。きくっちーみたいには、変わらなかった。私に対してあんな感じなのは、ちょっと色々あって手伝ってもらった結果、そうなったと言うか。と言うかぶっちゃけ、私にはちゃんと想い合っている好きな人いるし、土門くんもそれ知ってるから私のことを好きとか、絶対ないから」

「えっ」

「更にぶっちゃけると食堂で私と土門くん、きくっちーの話しかしてない」

「えっ?」


 勘が良ければここで察しそうなものだが、気持ちといま聞いた情報が色々と追いついていないようで、絶賛混乱中の彼女には無理なようだった。

 もう手は剥がそうとせず、私の手に添えるだけ。私も力を抜いてただ頬を包むだけになる。


「きくっちー。恋って楽しいばかりじゃないし、むしろきくっちーには辛かったことの方が多かったと思う。でも、それでもずっと頑張ってきたじゃん。絶対に告白するんだって、頑張ってここまで来たんじゃんか。それなのに、私のせいにして最後は諦めるの? 相手にちゃんとどう思われているかの確認もせずに、きくっちーの恋、自分で勝手に決めつけて勝手に終わらせるの?」

「……」

「気持ちは。想いは、ちゃんと相手に伝えないと始まりもしないし、終わりもしないんだよ」


 好きと言いたい。ちゃんと言葉で伝えたい。

 私にはまだ、できない。


 ゆらゆらと揺れる瞳。それが閉じられて、グッと眉間に皺を寄せて静止する。

 一分にも満たない時間だったと思う。静かな声で、きくっちーから声を掛けられた。


「花蓮。手、離してくんない」


 チラリと壁掛け時計を確認して、そろそろ着替え始めないと不味い時間だったので言う通りに離して下ろす。

 するとトルソーから衣装を外し始めたので、手伝おうかと動こうとするも断られた。


「いい。一人で大丈夫だから。試着した時に着方も解ってるし。先にステージに行っていて」

「……分かった」


 声の調子は平淡で、どうするのか何も分からない。

 けれどこれ以上問答をするには時間がないし雰囲気的にも憚られたので、顔を挟む時に落とした焼きそばを拾って退室しようと、ドアへ向かって歩き出し――



「花蓮」



 ――――振り返り、振り向いている顔は勝ち気に笑っていた。



「勝負するから。アタシの勇姿、絶対見届けてくれよ!」



 気持ちが届いたのだと、知った瞬間だった。


 破顔して了承の意で頷き返せば、片手を振って再び背を向ける。

 私も足取り軽く会室から退室して、ふと人の気配を感じて横を見ると…………壁にもたれて腕を組んだ椿お姉様が、そこにいらっしゃった。


「!! すっ、すみません! あああの、話、もしかして聞いてっ!?」

「防音完備だから聞こえはしない。扉を開けたことにも気づかず、何やら大事な話をしていたようだったからな。まぁこれ以上長引くようなら入らざるを得なかったが、幸いにしてまだ間に合う。……青春、だな」

「わっ」


 ポンポンと頭を軽く撫でられたと思ったら、颯爽と扉の向こうに消えて行かれた。

 ヤバい。椿お姉様が超格好良いんですけど。


 見慣れた扉の相様を少しだけ見つめる。

 そうしてフンスと鼻を鳴らして私も気合いを入れて、『香桜華会継承の儀』が行われる野外ステージへと向かうのだった。

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