Episode220.9 幕間 華の乙女と一人の内緒話

 それは薔之院家の娘が同級生、または母親の友人の住まう家から出て行った後のお話。

 家族で集まっていた客室から場所を移した別室にて、女性陣のみがそこで顔を突き合わせていた。

 

 優雅な所作でカップの柄を持ってコーヒーの香りを楽しむ緋凰 樹里に対し、その真向かいに座ってジト目で彼女を見つめているのは、彼女と同級生で長年の友人でもある薔之院 美麗。

 そんな美麗の元にもコーヒーが置かれているものの、湯気とともに香ばしさを鼻腔へ運んでくるそれは、可哀想なことに未だ手つかずの状態であった。


「……ったく。単純単細胞がやってくれるわね。どうすんの。陽翔くんショック受けてたじゃない」

「そう? でも本人言ってたじゃん。自分の力で振り向かせるから心配しないで下さいって」

「言ってはいたけど! 知らなかったわよ、まさか陽翔くんが麗花ちゃんのことを好きだなんて! 知っていたら…」

「知っていたら、こんな話受けなかった? そう言うと思っていたから黙ってたんじゃない」


 何てことないように肩を竦めて返す樹里に、美麗の眉間にギュッと皺が刻まれる。


 娘の麗花が部屋から慌ただしく退室した後、場の空気は想像するまでもなく非っ常に悪かった。

 緋凰家側の……というか、目の前に悪びれもせず堂々と座っている樹里の思惑にまんまと嵌められた薔之院家側は、懸想していた娘にお断りされた相手の反応に戦々恐々。友人の旦那は固まっている息子をオロオロと心配し、樹里に至っては。


「てか、『あーあ。断られちゃったな、陽翔。ドンマイ!』なんて、目の前で失恋した息子によくそんな身も蓋もないことが言えたわね!? ホント信じらんない!!」

「えー、断られたのは婚約だけじゃーん。失恋はまだまだ確定じゃないしー」

「ああもうっ! お友達のことでずっと悩んでいたから、恋愛がどうのなんて話、全然してこなかったわ! 婚約って聞いた時のあの子の反応、絶対誰か他に好きな人いるじゃないの!!」

「私に当たられてもねー」


 美麗も父親も、あの時の娘の変化は予想外だった。

 しっかりしている娘がああも感情を乱すほど、あの話に衝撃を受けるとは思ってもみなかったのだ。


 異性から向けられる煩わしい下心からお互いを守るための、期限付きの婚約関係。娘ならその利点を理解して頷く筈だった。

 けれど実際そこにあったのは、泣きながら拒否する娘の姿。

 娘はどうして自分があんなことを口走っているのか解っていないようだったけれど、あんな風に泣いていること自体がこの婚約は嫌なのだと、もう態度がそう言っていた。

 そんな風になるのは娘の心に誰かが既に居座っているからだと、あの時に美麗も父親も理解した。


 ……だがしかし! それがまさか話を持ち掛けてきた相手側に、思いっっっきり下心があったとは!!


 相手は明らかに娘に好意を抱いている。娘は彼に対して終始戸惑っていたが、誰がどう見てもアレは娘に恋をしている。


「いやでも、私もまさか泣くとは思わなかったな。陽翔の話ではいつも凛としていて、サロンでは友達と楽しそうに笑っているか、友達にちょっかい掛けられて怒っているかって聞いていたのに」

「ああ、うん。それは本人からの話にも出てくるから分かる」


 どっちも男の子、というところが母親の心境としては難しいところである。


 樹里は一気に半分ほどコーヒーを飲んでから、静かにカップをソーサーに置いた。

 息子の恋路のために……またを含んで画策したことではあったが、彼女もまた今回の件で思うところが出てきてしまったのだ。


「よくよく思ったよ。やっぱり女の子の気持ちは難しいものだって」

「何それ」


 美麗からはお前も生物学上は女なのに何を言っているんだという視線をもらったが、樹里はにんまりと笑って彼女に返す。


「これでも今まで色んな役を演じてきたけど、やっぱりさ、女心ほど複雑で難解なものはないよね。いやーウチの息子って結構思考が単純だからさ、何考えてんのか解りやすくてねー。そっちには隠していて申し訳なかったけど、母親としては生意気だけど可愛い息子の恋の応援をしたかった訳さ。あの子大した努力もせずにポンポン何でも出来る子だけど、挫折ざせつってあんまり経験ないのよね。旦那はアレだし。だからまぁ、どっちにしても陽翔にとってはいい経験になったよ」


 樹里は思う。簡単に何でも出来、望めばそのほとんどが手に入れられる立場にあって、挫折ほど得難い経験はないのだと。

 ――――例えそれが挫折したまま助けを求めることなく、自分の価値観だけにこだわって、ずっと抱えたままでいるのだとしても。


「あと見ていて麗花ちゃん、戻ってきた時にはもう辞退するって即答してたじゃん? 多分、彼女の中で何かしらの答えは出したんだと思うけど、そっちはどう考えてるの?」


  “薔之院”として、娘がどんな相手に懸想をしているのかを調べるのか、と。

 今度は美麗がコーヒーに手を伸ばし、二口含んでから考えを整理する。


「……下手な相手には引っ掛からないとは思うけど、自覚しない程度で本人に確認するわ。あの子が好きになった相手なら応援したいのは山々だけど、親としてはやっぱり心配だもの。……ああ、私は咲子のようにドンと構えていられない……」

「咲子? 確か去年? 会ったって言ってたっけ」

「一昨年よ、一昨年」


 大して変わらんと思いながら、久し振りに聞いた級友の名に樹里は興味を示した。


「それで? 咲子が何を構えたって?」

「物理的にじゃないわよ。一応、アンタから提案されたことを咲子にも相談したの。で、あの子のところにも息子さんや娘さんがいるから、そーいう恋愛のことってどう考えてるの?って。そしたら咲子、口出しせずに自由にさせているからって返してきたの。変な相手は選ばないって、絶対の信頼があるんだって思ったわ」

「へぇ」


 樹里の頭の中で当時のことが思い起こされる。

 自分は彼女らとは別の親衛隊のようなものがあったので、そうベッタリとした付き合いではなかった。だからそれぞれの関係性を一番客観的に見ていたのは自分であると、樹里は自負している。


 華の乙女学年と呼ばれていた四人。それは常に咲子を中心としていた。

 彼女の幼馴染である静香はいつも咲子にベッタリだった。例えるなら母カルガモを追う子カルガモ。雅も静香ほどではないが一緒の頻度は多かったし、美麗だってそう。

 咲子は知らない相手には一歩線を引いているが、内側に入れた人間にはもの凄く甘いのだ。


 だからそう。“百合宮家の令嬢”としてじゃなく“百合宮 咲子”という人間に触れて接し、彼女の素を引き出せた人間は自分を含め、揃って彼女に惹きつけられていた。それほどまでに魅力のある女性だったのだ、百合宮 咲子という人間は。


 そしてそんな咲子。

 彼女は親から婚約者の選定をさせられていた時、彼女曰く運命の人に出会ったのだと瞳をキラキラとさせて樹里に報告してきたことがある。以下、原文ママ。


『あっ、やっと見つけた! 樹里ちゃん樹里ちゃん! ねえどうしようっ! 私、運命の人に出会ってしまったわ……!!』


 どうしてそれを自分一人の時(しかも探されていたらしい)にわざわざ言ってきたのか樹里はよく分からなかったが、言われた側としては


『ああ、うん、良かったね!』


 としか言えなかった。


 当時の樹里は女子の鉄壁に守られていたのと、劇で男主人公を演じることが決まっていて既に男の気持ちになりきっていたため、友達からいきなり何の脈絡もなく「運命に出会った!」などと報告された女子としての反応が分からなかったのだ。あの頃はまだ女優としてヒヨッ子だった。


 恋をした咲子は一直線で、普段被っているご令嬢の着ぐるみは一体どこに置いてきたのか、素のままの状態で猛アプローチをかけていた。

 相手の運命男は百合宮家と随分家格差がある人物だったが、能力的には優秀で素行も問題ない。咲子があんな一直線になったのにも驚いたが、何より一番驚いたのは、あの咲子に猛アプローチをかけられても相手がほぼ無視するような猛者もさだったことだ。


 それが一体どんなマジックを使ったのか、結局は猛者と言えども咲子のアプローチに屈したようで、結婚するに至っていたが。百合宮 咲子、強過ぎる。


 何かあれば常に咲子が中心にいた当時を思い起こした樹里は、そんな咲子の子どもも同じような感じなのだろうなと、美麗から話が出たためそう思った。


「咲子の子どもかぁ。あの子に似てるの?」

「え? そうね。花蓮ちゃんしか会ってないけど、見た目だけの話ならとっても似ているわ。咲子を小さくしたら、あんな感じだったんだろうなって思う! 麗花ちゃんからも良く話を聞いていたけど、とっても面白い子なのよ」

「あー分かる」

「え、分かるの?」


 美麗が不思議そうに首を傾げたことで、当たり前のように自分が同意したことに気づいた樹里は、笑って不自然にならないように話を続ける。


「咲子を小さくした感じなら、中身もそうなんだろうなってこと。ほら、私は咲子とは初等部からだし」

「ああ、そういう」


 頷く美麗に内心ホッと安堵する樹里。

 実は彼女も息子からを聞いていたから、当然の如く頷いてしまったのだ。


 息子の交友関係は極めて狭い。母親と違って人付き合いが一等苦手になってしまった息子は、堂々と友達と呼べる人間が雅のところの夕紀くんしかいない。悲しきことである。


 息子の口から人間は今まで夕紀くんと麗花ちゃんしか出てこなかったのだが、ある日突然新たな人物が出てくるようになった。

 何とその子の名前、『猫宮 亀子』と言うらしい。


 息子はグチグチ文句しか言わないが、母親の目から見ると存外その子のことが気に入っている様子。まあ雅のところで水泳を個人指導してもらえる子なら、そう警戒が必要な家の子でもあるまい。


 そう思いはしたが一応念のため、息子には内緒で調べてみたところ――――まさかの百合宮家だった。

 爆笑した。確かに咲子も運動関係はからっきしだったことを思い出した。


 そしてこうも自分たちの子どもが繋がることがあるのかと、不思議と嬉しくもなった。同年で生まれた子どもたちは彼女以外同じ学院に通ってはいるが、他校に通うその子までが息子たちと縁を繋ぐとは。


「……美麗。人の縁ってすごいよね」

「なに急に」

「いや。私達が同じ学校で出会ったのも、その子どもが出会うことも、一種の運命なのかなって」


 そう告げると、少しの間を置いて美麗も笑う。


「そうね。思ってもいないところで縁が結ばれるのは、それもまた運命なのかもしれないわね。……ねぇ樹里。咲子と静香も、また結べると思う?」

「ん?」


 僅かな不安を滲ませた声。

 またもや会わなくなって久しい友人の名を聞き、樹里は何故そうも美麗が不安がるのかと首を傾げた。


「大丈夫でしょ、あの二人は」

「えっ、何で? だって咲子の反応、すごかったじゃない! あの二人と初等部時代から一緒だった樹里だって何も言えなくて。だから私、一昨年勇気を出して静香のこと、咲子に言ったのよ!?」

「あー、あー……。うん。あの時は本当、ビビったよね……。けど、色々役をこなしてきたから分かるんだけど、多分今は大丈夫なんじゃないかなって」

「全然何の根拠にもなってない!」


 確かに根拠はなく、これは勘でしかない。けれど樹里は本当にそう思うのだ。

 ベッタリではなく客観的に見ていたから、彼女らとは違う角度から見ていた。


 咲子は、内側に入れた人間にはもの凄く甘い。例えその人間を切り捨てたとしても……内側に入れた甘さまでは捨てられない。

 そんな人間だと思っている。見捨てはしないのだ、決して。正しく縁を結び直せば、きっと咲子と静香はまた――――笑い合える。


 そして息子もまた……泣きながら必死に気持ちを告げていた想い人の姿を見て、に気付いてくれたらと彼女は願っていた。


「咲子と静香の心配もいいけど、まず美麗は麗花ちゃんのケアが一番でしょ」

「樹里それブーメランだから。しかもアンタはケアどころか、傷口に塩たらふく塗り込んだから」

「挫折って大事だよね!」

「ひっどい母親!!」



 そうして緋凰家のとある一室は暫く、女性たちの賑やかな声で満ちていたのだった。

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