Episode217 情報収集・春日井 夕紀 後編

 僅かに歪んだそこから滲み出るものは、一体何なのか。


「僕が陽翔の人間関係に口出ししなかったのは彼自身が気づくこともそうだけど、彼なら自分でどうにかできると思っていたからなんだ。自分から行かなくても、周りが付いてくるカリスマ性がある。実際、やる気減退前の陽翔は最善で、効率的な選択をして行動していた。僕が助言したのなんて、ほんの少しに過ぎない。そうして彼が行動している中で……」


 言葉を切り、俯いて顔を伏せる春日井。

 表情が分からず、けれど話しながら彼自身がそこで葛藤しているのが分かったので、敢えて言葉を掛けることはしなかった。

 暫くして、ポツリと落ちる。


「……その中で、真っ直ぐと。前向きに行動できる彼を――――初めて妬んだ」


 その時、小さく風が吹いた。

 温かな温度を纏う風はお互いの髪を浚い、ほんの数秒でも時を止めることを許さない。

 言葉を掛けるタイミングかどうか迷い、それ以前にどう言葉を掛けていいのかすら迷う。


 予想外に深い問題だった。晴れたと思っていたものが実は奥底でまだうごめいていたことに気づき、気づいた時の彼は。

 けれど私がそうして迷っている間にも、春日井が吐露を続けてしまう。


「僕がずっと迷っている間に、彼はそうと決めたら短い時間ですぐに行動した。始まりが違うのにそう考えてしまうのは、可笑しくて理不尽なことだって分かっている。そう、ちゃんと分かっているのに、人とのコミュニケーションのことは助言できても……もう一つのことだけは、どうしても助言できなかった。したくなかったんだ。他のことには協力できても、それだけは絶対に」


 絶対、とまでの明確な拒否を紡ぐ。

 一体何をそんなに……。


「……それは春日井さまにとって、どうしても譲れないものなのですか?」


 そう問うと、フルフルと力なく首が横に振られた。


「譲れないものが何なのか、分からない。どうして陽翔に協力することができないのか。彼を妬んでいるからなのか、それとも別の感情からきているものなのか。僕の中で名前をつけることのできない感情が渦巻いている。幼い頃からの親友で、僕が陽翔に協力できることならしたいし、応援したいと思う。けど純粋な気持ちで応援できない。だから僕は、そのことだけは彼に対して何もできない」

「だから緋凰さまを応援できない代わりに、瑠璃ちゃんを?」

「……百合宮さんは全然失礼じゃない。僕の方が失礼なんだ。純粋に応援なんて、どの面を下げて言っているのかって自分で思ったよ」


 俯けていた顔を上げ、自嘲の笑みを浮かべる。


「人のためと言っておいて、自己満足も良いところだ。けど、ごめん。そんな動機だけど臨時コーチは最後まで続けさせてほしい。僕のためじゃなく、米河原さんのために」

「……」


 そう言われて、少し考える。

 私から頼んだことを、それを都合良く利用された。


 けれど不在中の一年と数ヵ月の間、彼は約束通り瑠璃ちゃんを傷つけることはなかった。それに麗花がジェラるほど指導内容もちゃんとしていた。

 動機は決して良くないものだけれど、彼は真剣に取り組んでくれていた。


 人間誰しも完璧に、物事を考えて行動できるものではない。

 間違うからこそ。失敗するからこそ、そこから学んで成長していくのだから。


「続ける、続けないは瑠璃ちゃんが決めることです。私からそのことで彼女にどうこう言うつもりはありません」

「……ありがとう」


 私の返答から察し、微笑んで礼を告げられる。

 ……やれやれ、今年も鉢合わさせないように頑張るしかあるまい。私は種をばら蒔き過ぎである。


 お互いカップを手に取り紅茶を飲んでいると、不意に口から言葉が滑り落ちた。


「名前をつけることのできない感情、ですか……」

「ん?」


 拾われて視線を向けられたことに気づき、苦笑する。


「いえ。身近にいる友人で、つい最近似たような言葉を聞いたものですから」

「香桜で?」

「はい。その時は色々と重なって、深く思うことはなかったのですが」


 『花組』が皆、心を揺さぶられて誰かに思いを告げ合ったあの夜。麗花が静かに明かした気持ち。



『ただ、私も。今日の葵の話と花蓮の気持ちを聞いて、振り回されている、と思いましたわ。気持ちを揺さぶられて、どんな名前で呼べばいいのか分からない感情を生み出させた、原因となった方に。こうして姿を見ることも声を聞くこともない今、振り回されることはない筈ですのに』



 その前に、変わることはない友情と言っていた。それはきっと忍くんのこと。

 だけど別の人物について語られたことの、誰かという見当はつかなかった。



『消えませんの。あの日に生まれた、名前のない感情が。……結局は私も、振り回されておりますわ。だって貴女たちの話を聞いて、私の心に浮かんだのは――――その方の顔だったんですもの』



 見当はつかなかったけど、麗花が分からないと言った感情の名前は分かった。


 私もきくっちーもお互い『恋』のことで悩み、あの夜耐えられずに吐露した。その二人の話を聞いて、心に誰かの顔が浮かんだのならそれは――『恋』という名前がつく感情。

 寂しいかと聞いて寂しいかもと答えた彼女の顔は置いて行かれたような、途方に暮れた顔をしていた。


 相手は緋凰でないことを願いたいが、幸せになってほしい。儚くなってしまう未来なんか、無くなってしまえばいい。


 『恋』とは、『好き』とは、決して優しいものばかりではない。

 相手を慕うからこそ、気持ちが温かくなる。苦しくなる。振り回されてしまう。


 何が正しいことなのか、いけないことなのか。

 許されることなのか、許されないことなのか。

 その境界線さえ間違わなければ。


「その子はまだ、『答え』を見つけていません。きっと時間をかけて、思い悩んで、そうしてその子自身の『答え』を見つけるでしょうから。私が彼女の傍にいられる内は、ただ見守ろうと。そう思います」

「……そっか」


 薄く笑い、どこか遠くを見つめている。


「……僕も、時間をかけて『答え』を見つけようと思う。陽翔に対して。――“あの子”に対して」


 最後に発しただろう言葉は、突然吹いた強い風の音に遮られて届かなかった。口が動いていたので何かを喋ったのだとは分かるが、聞き返そうにも既にカップに口を付けていてタイミングを逃してしまう。

 けれど何事かを言いたくなって、つい思ったことが飛び出した。


「何か、春日井さまにも人間らしいところがあったんだなって思いました」

「なにそれ失礼じゃない? 僕だって色々悩んだりしているんだよ。本当百合宮さんは僕のことを……いや、いい。何となく分かった」

「懇々説明の神様だと」

「僕いまいいって言ったよね? 何で言うの? あと前にも言ったと思うけど、変な呼び名で呼ばないでくれる?」


 何となくって言ったから、ちゃんと教えないとと思って言っただけです。


 しかしながら春日井が自分のことを私に話してくれたのは、何だかちょっとだけ嬉しい。ゲームの攻略対象者だと思っても、ちゃんと積み重ねてきた時間があるのだと感じた。

 積み重ね、信頼関係を築けていることが感じ取れて嬉しいと、自然に笑みが浮かぶ。



 ――私達はここ現実で、ちゃんと生きている



 春日井からの文句を聞き流してマドレーヌにパクつきながら、その後も世間話などをいくつか話してから私は家に帰還した。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 その日の家族揃っての夕食後、自室に戻って携帯に連絡が入っていたことに気づき、発信元の麗花へと折り返しの電話を掛けた。


「あ、もしもし? ごめん、丁度ご飯食べてて」

『そうですわよね。私も舞い上がってしまって、時間を気にせずに掛けてしまいましたわ。ごめんなさい』

「ううん。それで何? 何かあったの?」


 聞くと、電話の向こうから上機嫌な声で答えが返る。


『ええ! 両親とモニター通話でお話ししたのですけと、何と今年はお二人とも一週間ほど、国内で休暇を過ごせることになったそうなんですの!』

「えっ、そうなの!? 良かったね! いつご帰国されるの?」

『明後日ですわ! それで色々お出掛けしたり、お食事したりしましょうって。それにお母様のご友人に両親のように海外でお仕事をされている方がいらして、その方も偶然同じ日程で帰国されるそうですの。お母様と咲子さまの時のように積もる話もあるからと、そのご家族と揃ってお会いすることにもなりましたわ』

「へぇ~」


 ウチも海外から企業提携の申し入れがあったくらいだし、国外で仕事している人って意外に多いよね。麗花のお母さんバリバリのキャリアウーマンだし、社交も強くてお友達も多そう。


「じゃあ今年の夏は麗花、予定いっぱいだね」

『そうですわね。先程瑠璃子とも話をして、また会う日を調整することになりましたの。あとダイエット訓練のことも含めて、貴女ともどうするかお話したかったのですわ!』

「あ、そういうことね。じゃあどうする? 一応ね~……」


 ウッキウキな麗花と可能な日程を話し合い、通話を終えたのは話し始めてから約一時間後。長話し過ぎてまだお風呂にも入っていない。

 慌ててクローゼットから着替えを取り出して浴室へ向かう途中、「花蓮ちゃん」とお母様に呼び止められたので立ち止まる。


「はい」

「まだお風呂に入っていなかったの?」

「麗花と電話で話していて、ちょっと長くなってしまいました」

「仲良しなのもいいけど、時間は気にしてちょうだいね」


 仕方なさそうな、けれど微笑ましいという表情で注意されて、「分かりました」と笑って頷く。


「では入ってきますね」

「あ、花蓮ちゃん。ちょっとお話があるの」


 お話? 何だろう?

 小さく首を傾げて待つと、にっこりと微笑まれる。


「香桜女学院に在学中は、こうして長期休暇にしか会えないでしょう? だからどこか一緒にお食事に行かない?」

「お食事ですか。それって皆でってことですよね?」

「私と花蓮ちゃんの二人で、よ」


 その返答を聞いて目を瞬かせる。

 家族での外食ではなくて、私と二人? どうしてわざわざ?


「何か、私に個人的なお話があるんですか?」


 不思議に思って問うと、微笑んでいたお母様のその表情が僅かに曇った。


「……ごめんなさい。本当のことを言うと、お母様に付いてきてほしいの。お母様の友人で、ずっと疎遠になっている方がいてね。その方と……向き合おうと思っているの。ただ、その方とちゃんと話せるかどうかが不安で。花蓮ちゃんが傍にいてくれたら、心強くいられると思うの」


 意外な理由を聞いても面には出さず、内心で驚く。

 百合宮直系の令嬢であるお母様は、上流階級でもご婦人方憧れの存在。所作も美しく淑女の微笑みで以ってすれば、大抵の人は好感しか持ち得ないのに。


 けれどご友人と言うからには、よくお母様の内面もご存知の方なのだろう。向き合うという発言から、ケンカ別れでもしたのだろうか?

 ……けど、母は強しと言っても一人のか弱き女性。私と一緒ならば心強いと仰って下さるお母様に、どうしてお断りができようか。


「分かりました。ご一緒します」


 微笑んで了承すれば、安堵したように息を吐き出される。


「ありがとう花蓮ちゃん。それじゃあまた、日程が決まったら伝えるわね」

「はい!」


 こうして私にも一つ夏の予定ができ、その外食する日は―――― 五日後に決まった。

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