Episode208 桃ちゃんの葛藤

 大きく目を見開き薄らとお口を開ける桃ちゃんを見て、小さく笑う。


「好きな、人?」

「うん。小学校に入学してからずっと一緒にいた人でね。最初は同じクラスだったんだけど、クラス替えで離れても教室まで来てくれるほど、仲の良い人で。お互いにお友達って思っていたんだけど、色々あって、途中でその人のことが恋愛の意味で好きなんだって気づいたの。その人も私のこと、同じ意味で好きだって言ってくれて。でも、色々あったことが原因で、お互い中学は離れて過ごすことになったの」


 本当は離れたくなかった。過程を思えば仕方がないと、どうにか自分を納得させて。


「だから、桃ちゃん。私、香桜にいるのは中学の時だけ。ここにいるのは、あと二年だけなの」

「!」

「約束したの。また、三年後って」


 三年経ったら、また会える。

 そう思って今日まで過ごしてきた。


 どうしてこんな話をし始めたのか理解したのだろう。桃ちゃんはキュウゥと眉を下げた。

 言葉を発しない静かなその間は、必死に心にある何かを整理しているように見えた。


「……花蓮ちゃん、いなくなっちゃうの?」

「うん」

「花蓮ちゃん。好きって……どんな感じ?」


 俯けていた顔を上げてこちらを見つめてくる表情には、小さく疑問が浮かんでいる。質問を受けて色々と思考を巡らせた私は、こう告げた。


「好きって、色々あると思うんだ。家族に対する好きとか、お友達に対する好きとか。ペットや食べ物とかも、色々。好きって言葉は一緒だけど、意味や深さは全然違う。……私の彼に対する好きは、温かくて、苦しくて、それでも――幸せで。この好きはね、何にも他に代えることができない、唯一の『好き』なの」


 聞き逃さないよう、静かに聞いていた桃ちゃん。

 彼女は一筋涙を流して、そして笑みを浮かべた。


「……そっかぁ。とっても。とっても好きなんだね、その人のこと。桃とは、全然違う……」

「桃ちゃん」

「あのね、花蓮ちゃん。桃ね、最初はアイツのこと、嫌いじゃなかったんだよ?」

「え……?」


 笑みを浮かべて、でもどこか苦しそうなものを滲ませて、昔のことを話し始める。


「会ったばかりの頃は、桃に優しかった。桃の嫌がることなんて一つもしなかったの。お父さんに次はいつ会えるの?って、楽しみにしていたくらい、好きだったの。許嫁って、その時はまだどういうものなのか分かってなくて、ただ、大好きなお友達って思ってた。違う学校に転校するってお父さんに言われた時は、お友達と離れるの寂しいって思ったけど、でもあの子がいるんならって、少し楽しみにしてて。でも……転校して、数日だけ。優しかったのに突然、優しくなくなった」


 息を吸って、吐いて、続きを言う。


「何かダメなこと、しちゃったのかなって。最初は桃のせいだって思って、何がダメだったの?ってちゃんと聞いたの。でも教えてくれないどころか、当たりが強くなっていって。アイツ、カースト上位で生徒に影響力がある奴だったから、他の生徒もアイツに倣って皆桃のこと無視するの。……最初が仲良しで始まったから、だからお父さんも真剣に聞いてくれないんだって思うの。ただの子ども同士のケンカの、延長戦でしかないって。だからもうどうすればいいのか分からなくて、でも同じ中学に行くのは絶対に嫌だったから、逃げることしかできなかったの」


 恐怖と怯えが滲んだ瞳。

 けれど桃ちゃんは真っ直ぐに私を見つめている。


「桃、アイツがいない女子校って分かっていても、怖い。無視されて、助けてくれないって、そんな思いがずっとあるから。優しかったのに、豹変されたらって」

「……」

「……麗花ちゃんは、誰とも違った。桃の話をちゃんと聞いて、馬鹿にしたり、否定したりしなかった。ここを受験したのは逃げじゃないって、そう、言ってくれた。頑張ってるって、言ってくれたの……っ。麗花ちゃん厳しいけど、言ってくれるのは桃のためって、ちゃんと解ってる。あの時桃ができること全部やったけど、それでもダメで、怖くて。でも、麗花ちゃんだけじゃなくて、花蓮ちゃんや葵ちゃんとも話せて、今までで一番、一番楽しかったの! ずっと、一緒にいられたらって……!」


 ずっと一緒にいられたらいい。傍で見守ってあげられたら。

 けれど時間は有限で。一瞬一瞬、過ぎ去っていくもので。人の命にだって、限りがある。


「中学も高校も桃がずっと成績上位にいたら、大丈夫。でも卒業したら、分かんない。この前の冬の帰省でね、お父さんに言われたの。高等部を卒業したら家に戻りなさいって。向こうは絶対に話を白紙に戻したりしないって、突っぱねられたって。今まで全部帰省は、お祖父ちゃん家に行っていたから」

「だから焦って、私にも家が決めた婚約者がいるかどうか聞いたの?」


 コクリ、と頷かれる。


「【香桜華会】に所属して、バタバタ忙しかったから。夏の帰省前には聞きたかったの。許嫁のままで、逃げられなかったら、どうアイツと向き合えばいいんだろうって。参考に、したくて」


 状況が似ていなければ聞いても参考にはならないだろうが、しかし精神的に切羽詰まっていたらどんなことでも縋りたくなるもの。


 というか、その許嫁は一体何がしたいんだ。桃ちゃんは最初ちゃんと向き合おうとしていたようなのに、そんな彼女に陰湿な嫌がらせばっかりして。

 自分が彼女を望んだくせに、途中で気が変わったというのも、とんでもなく身勝手。嫌なら婚約解消すればいいのに、しないどころか突っぱねるとは一体どういうつもりで何様なのか!


 そう! 嫌なら穏便に婚約解消すればいいのだ、白鴎も緋凰も!


 いくら家同士の何らかの思惑があって結ばれた婚約だとしても、時代が時代だったら難しかっただろうが、今の時代相手のどういうところが嫌、価値観が合わん、とか色々本人の意志で抵抗できる時代でしょうが!

 花蓮と麗花はずっとただ一人だけを見ていたのに、アイツらは婚約関係のまま他の女の子に惹かれてイチャイチャイチャイチャと!! ゲームだし、そうじゃないと話が進まんとか知るか!!



 ――話をすれば良かったのだ。

 どう思い、何を感じ、どうして欲しいのか。


 それを相手に直接伝えもせず厭うばかりで、花蓮も麗花も切羽詰まったから……してはいけないことをしてしまった。

 ……いや。いくら切羽詰まっていたからと言って、実際に手を染めたのは本人の問題で弁解などできるものではないが、ちゃんと話をしていれば、最後に断罪などという道筋は生まれなかったかもしれないのに。


 婚約という、白鴎と花蓮の最初の始まり。


 ……私は聖天学院ではなく、香桜女学院にいる。婚約の話なんて面識もないのに出てくる筈もない。

 もしそうであったらなんて、関係ない。今は今。私達は“今”を生きているのだから。


 色々混ざってしまった思いを底に押し込め、目の前にいる大切な友人へと向き直る。


「桃ちゃんが頑張って行動したから、私や麗花、きくっちーにも出会えたんだよ。『鳥組』のお姉様たちだっている。桃ちゃん。桃ちゃんには心強い味方がたくさんいる。桃ちゃんがピンチの時は、絶対に助ける! 百合宮と薔之院のご令嬢を怒らせたら、とっても怖いんだから! きくっちーだってスポーツマンシップの範疇はんちゅう内でケチョンケチョンにするよ!」

「花蓮ちゃん」

「そのままの現状を受け入れちゃダメ! 嫌なものは嫌なんだから、抵抗しなきゃ! こっちで味方いっぱい増やして、徹底抗戦しよう! 香桜は奇しくも有数のお嬢様学校で、私達は皆の憧れ【香桜華会】! お嬢様が束になればもの凄い力を発揮するんだから!! お嬢様舐めるなって、その許嫁に平手一発ぶちかましちゃえ!!」


 強く言い切って、フンスと鼻を鳴らす。

 そんな私に桃ちゃんはポカンとして――へにゃりと表情が崩れた。


「ふふっ、あははっ! 桃、香桜を受験して良かった! 桃、もう、一人じゃない……っ」


 笑いながら、ポロポロと涙が落ちてゆく。モコモコの袖で拭いながらも、どんどん溢れ出てしとどに濡れる。


「まだ、頑張る。頑張れる! 三人やお姉様以外にも、ちゃんと皆と普通に、会話したい。できるようになりたいから……っ! もし修学旅行で会っても、桃、逃げない……!!」


 強く自分に刻むように口にする内容に頷きながらも、一部を耳にしてふと首を傾げた。


「修学旅行?」


 三年生になってからの一大限定イベントが、何故ここで出てくる?


 濡れた目をパチパチとさせて、桃ちゃんが私の疑問の呟きに答えを返してくれた。


「ここ、女学院で男の子との出会いって基本的にないから、帰省以外だと修学旅行になるんだって。それでね、修学旅行先、毎年どこかの学校とかち合うみたいなの。これ、ポッポお姉様が教えてくれたの」

「うん」

「やっぱりお年頃だから、皆そういうの、気になるんだって。何か修学旅行で知り合って、高等部に進学してこっそり付き合い出す子もいたりするらしくて。それで、そのかち合う中でもよく一緒になるのが、何か知らないけどアイツが桃に対抗して受験した男子校で」


 ――男子校?


 まさかの思いが複雑に浮かび、ゴクリと息を呑む。


「……その、男子校って?」


 努めて平静を装って聞いたことに疑問を持たれることなく、彼女はその学校名を告げた。



「香桜とも肩を並べられる、有名な男子校だよ。――――有明学園中学高等学校」



 …………お、おおう。

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