Episode207 桃ちゃんの聞きたいこと

 スケジュール構成が鬼でしかなかった生徒総会も無事に終われば、すぐに聖母月行事がやってくる。

 イースターはイエス・キリストの復活を祝う行事だが、聖母月はそのキリストの母である、聖母マリアへの愛と崇敬を表し捧げる月とされている。


 イースターはいつの何曜日と指定があるが、聖母月は一ヵ月という期間。それにこの五月の聖母月以外にも、聖母マリアへ愛と崇敬を捧げるイベントが十月にもあり、十月ではロザリオの月と呼ばれている。

 諸説あるが、ここでは「へえ、そうなのか」という認識で留めてくれたらいいと思う。その歴史はカトリック系の学校に通っている私達が学ぶので。


 私達生徒は学業に日々邁進しているが、通常の教科授業と宗教学校ならではの宗教科授業がある。

 聖書に記載されているメッセージや日常に関わる宗教の教えや歴史を学び、より視野を広くし見識を深めるという目的だ。


 それを言うと聖天学院でも、『ファヴォリ ド ランジュ』や『プティタンジュ』など、フランス語言が元となった呼び名組織があるが、実を言うと無宗教系学校である。学校を設立運営した初代理事長の趣味だったのかどうなのか、深くは考えまい。


 話が脱線したが、聖母月行事。とある日にミサとして設けられ、イースターミサと同様に【香桜華会】が聖母マリアへの聖歌を生徒代表として披露し捧げ、今度はマリアさまの像に献花をする。


 聖歌は同じものを歌えたら良かったのだが、別の聖歌曲でないといけない決まりが学院にはあるので、鬼スケジュールの中で一番屍となっていたのはきくっちーと、彼女の『姉』である千鶴お姉様だった。




「……アタシ、そんなに歌ダメなのか?」


 聖歌練習終了後、会室から出て生活寮に夕食を摂りに戻る道中、私含む『花組』三名にそんなことを肩を落として訊ねてきたきくっちー。全く以て今更な問い掛けである。


「きくっちー。一年生の頃、チャーリー先生に個人指導された時点で気付かなかったの?」

「アタシはちゃんとできていると思ってたんだ。個人指導はアタシの歌をより伸ばすための、先生からの親切だとばかり……」

「葵ちゃん、とってもポジティブシンキングね!」


 桃ちゃんに腕をポンポンされて、微妙そうな顔になるきくっちー。

 麗花はそんな二人を見てから口を開いた。


「それでもイースターの時よりは外す音程も少なかったですし、ちゃんと身についておりますわよ。昔は昔、今は今ですわ。お姉様方のご協力もそうですけど、成長が見られるのは、貴女自身の努力もあってのことでしてよ」

「麗花!!」

「ちょっ、飛び付くんじゃありませんわ!」


 普段ムチ多用の麗花から突然与えられたアメにきくっちーが感動して彼女に飛び付こうとするも、サッと避けられている。仲良しだね~。


「花蓮ちゃん、花蓮ちゃん」


 運動神経良い組のやり取りにほのぼのとしていたら、私の袖をクイクイと引いた桃ちゃんが上目遣いにこちらを見てきた。


「どうしたの?」

「あのね、桃、花蓮ちゃんに聞きたいことがあるの。後でお話、聞いてくれる?」

「私に? いいよー」


 普段は麗花に聞くことが多い彼女だが、頼られて嬉しいので頷いて約束する。途端嬉しそうな顔をする桃ちゃん、可愛い。

 それにしても、聞きたいことって何だろう? 何か勉強で分からないところでもあるのかな?


 そう思いながら四人で生活寮へと戻り、夕食後に再び夜間学習のため校内へと戻るのだった。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 そして就寝支度も一通り済んだ、自由時間。

 パジャマに着替えた私は隣のきくっちー&桃ちゃん部屋にお邪魔して、何やらモジモジとしている桃ちゃんが話し出すのを、きくっちーのデスクチェアに座って待っている状態。


 ちなみにもう一人の部屋主は桃ちゃんに追い出されて、隣の私&麗花の部屋に追いやられている。別に二人がケンカした訳ではなく、桃ちゃんが私と二人きりで話したかったようで、


『葵ちゃん、ちょっとあっち行って』

『あっち? 二段ベッドの上に行けって?』

『お、お隣行ってきて!』

『何でアタシ追い出されんの!?』


 と、そんなひと騒動があって今に至る。

 モジモジ桃ちゃんは可愛いのでずっと見ていても飽きないが、こうしていても刻々と消灯時間が迫るばかりなので、仕方なく私から口火をきった。


「桃ちゃん? お話があるんじゃないの?」


 切り出されてビクリとするも、彼女は一度深呼吸をしてから、やっとその小さなお口を開いた。


「……あのね。花蓮ちゃんは、あの百合宮家のご令嬢、なんだよね?」

「? そうだけど?」

「麗花ちゃんも、薔之院家のご令嬢で」

「うん」

「二人とも上流階級でも有名なお家で、いるのかな?って思ったから、麗花ちゃんには前に聞いたの。でも、いないって言われて。花蓮ちゃんはどうなのかな?って」

「……うん?」


 肝心なことが抜けていてよく分からないが、取り敢えず麗花には先に聞いたらしい。それで麗花にはいないと言われて、次に私に聞く内容とは一体。


 モジモジさせていた指を膝に置いて、柔らかな素材のパジャマズボンをギュッと握ってから。



「……あのね! 花蓮ちゃんには婚約者か許嫁、いる!?」



 振り絞ったかのような声で告げられた、質問内容。

 それを聞いた私の頭は一瞬フリーズした。


「…………うん!?」

「えっ。い、いるの!?」

「違う! 肯定のうんじゃなくて! いないよ、いない!! え、待って。どういうこと!?」


 中学。婚約。


 この二つの単語の組み合わせは、現在中学生である私にとって鬼門である! 白鴎からは物理的に遠い場所にいるのに、何でそんな話がここで、しかも仲の良い友達の口から出てくるのか!!


 慌てて否定する私を見て、何故か桃ちゃんは少し落ち込んだ表情になる。


「そっかぁ。麗花ちゃんも花蓮ちゃんも、そういう人、いないんだね……。高位家格のご令嬢でもやっぱり、いない人はいないんだ……」


 その様子と発言に少しだけ落ち着きを取り戻し、どういう訳か聞いてみる。


「えぇっと、桃ちゃん? 今の時代多分ね、そういうの限りなく少ないと思うよ? どうして?」

「……桃、許嫁がいるの」

「えっ、そうなの!?」


 コクリと頷くものの、何だかその表情は暗い。


「桃の家、政治一家なの知ってるよね? 党内に派閥があって、身内の議員さんと仲良くしなくちゃいけなくて。それで桃も、小学生になって同じ歳の子がいる議員さんと会うのに、色々連れ回されたりしたの。そこで……桃瀬よりも偉いお家の人の息子さんに……目を付けられちゃって……。桃の知らない内に、いつの間にか許嫁にされてたの」

「……桃ちゃんが聞きたかったのは、同じように許嫁か婚約者がいたら、どうなのかっていうこと?」

「うん。お父さんには仲良くしなさい、お前の将来の夫だぞって言われるんだけど、嫌なの。だって、意地悪で、髪伸ばしてたら引っ張ってイジメてくるし、ひどいことばっかり言ってくるの……! アイツのせいで桃、学校もいきなりアイツのいる学校に転校させられて! 嫌い! 大っ嫌い!!」


 ポロリと涙が零れて、ひっく、としゃくり上げる。


「お父さんに何度嫌って言っても本気にしてくれない! お母さんに言ってもお父さんのために我慢しなさいって言う! なんで? なんで桃が我慢しなくちゃいけないの!? 学校でだって助けてって言ったのに、誰も、誰も桃のこと、助けてくれなかった……っ!!」

「桃ちゃん」


 泣きながら気持ちを吐き出す彼女を、正面から腕を回して抱きしめた。頭を撫で、背中をゆっくりと軽く擦って宥める。


「香桜を受験したのは、その許嫁から離れるために?」

「……女子校なら、アイツも来れないから」

「受験するの、どうやってご両親を説得したの?」

「お祖父ちゃん家に逃げ込んで、籠城したの。お父さんの方の。お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも桃のこと、守ってくれて。それで受験も仕方なくって感じで、許可してくれて。……ただ、成績が落ちたら連れ戻すって」


 単に家が厳しいからではなくて、そんな切羽詰まった事情があった。桃ちゃんの、人に対して挙動不審になる理由が垣間見えた気がする。


 本人の望まない婚約。

 自分を守ってくれる筈の存在から、幾度となく傷つけられてきたのだろう。


 相手が望んで桃ちゃんを許嫁としたのに、彼女を虐げる許嫁。一番身近にいて、どうにかしてくれると信じて話したのに、両親は何もしてくれない。


 議員の娘である桃ちゃんよりも立場が上の家の子息なら、恐らく学校でも幅を利かせていたことだろう。彼女が助けを求めても、見て見ぬふりをされた。


 桃ちゃんは、人を信じられなくなっていたんだ。

 それでも麗花が根気よく真剣に、真正面から彼女にぶつかっていったから、信じられる相手として桃ちゃんは麗花に心を開いたんだ。



『桃、麗花ちゃんと花蓮ちゃんと葵ちゃんがいたら良い』


『……本人のペースもありますけど、可能なら在学中に、人と普通に交流ができるようになって欲しいですわ』



 ……麗花がそうも桃ちゃんに人と関わらせようとさせるのは、私達以外にも信じられる人を彼女に見つけてほしいからか。心を開いたは良いものの、依存してしまってはダメだと。桃ちゃん自身が強くならなければならないから。


 はっきりと気持ちが言える。限界だと、助けを求めて逃げ出す行動力もある。態度でちゃんと示している。

 それでも当の許嫁もご両親も変わらないのだとしたら――彼女にとっての味方を増やすしかない。


「桃ちゃん」


 撫でていた手を止めて、少し離れて顔を見合わせる。涙を流した目元は赤くなっていて、鼻の頭も真っ赤だった。


「実はね。――――私、好きな人がいるの」

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