Episode209 私たちは、振り回されている

 まさかの学校名を告げられた後、自分の部屋に戻った私。

 消灯時間も迫っていたこともあって私が戻ると同時に、きくっちーも部屋へと帰って行った。その際、「同室の子の顔がすごいことになっているけど、ケンカした訳じゃないから」と一言添えて。


「あー……」


 二段ベッドの下に寝転がり、堪え切れず複雑な思いがふんだんに込められた呟きが口から出る。そんな私の様子と呟きを拾った麗花が、ひょいとベッドを覗き込んできた。


「大丈夫ですの?」

「えー……、何がぁ……?」

「何がって。そんな状態で気にしない方がおかしいじゃありませんの。……撫子の事情、聞きましたの?」


 他に誰もいないのに、最後小さく聞かれたことに頷く。


「うん」

「そうですの。貴女はどうお思いに?」

「許嫁クソ野郎だなって」

「令嬢がクソなんて言葉を使うものじゃありませんわ」


 だってどの方角、方向から見てもクソじゃん!

 言葉遣いの注意を受けプンと頬を膨らますも、ツンと指で突かれてプスッとしぼむ。


「名前までは聞かなかった。どこの誰?」

徳大寺とくだいじ 正継まさつぐ。徳大寺 尚嗣なおつぐ現外務副大臣のご子息ですわ」

「えっ。選挙に毎回絶大な支持を受けて当選している、あの!?」


 頷かれ、うわぁとなってしまう。というか息子、自分の名前と真逆な行動しかしてない。名前負けにも程がある(※違う)。

 裏エースくんとたっくん、そんなのと同じ学校に通っているのか。大丈夫だろうか? 何か心配になってきた。


「私も聞いた時は思っていた以上の大物でしたから、驚きましたわ。バックボーンがアレですから、ここに来るまでに撫子はよく頑張ったと思いますの。相手が彼女を解放しない以上、撫子本人が意志を示し続けなければ、何も変わりませんわ」


 眉間に皺を刻みこんでそう言ってくる。


 一応補足として、父親である尚嗣氏はクリーンなイメージを貫き通している。スキャンダルを摘発されたことや不適格発言をして責められたことも一度もない。

 いくら私と麗花が国内でも有名で影響力のある大企業の家の娘とは言え、まだ中学生で学校という箱庭の中で生活している。


 水島の件は私に直接あったことだから報復措置を取ったが、今回のことは家にも私にも直接何かされた訳ではないので、外部関係で動くのは難しい。それは薔之院も同様だろう。

 尚更、だからこそ団結し束になって意志を貫き通し、声を上げ続けなければならない。


 桃ちゃんの人生が掛かっている。絶対に負けてはならない。


「桃ちゃん、まだ頑張れるって言ってたよ」

「自分から誰かに話すという一歩を踏み出せたのですもの。ちゃんと撫子は一歩ずつ前に進んでいますわ」

「麗花はどうして桃ちゃんのこと、気になったの?」


 礼儀やマナーの鬼であれば、確かに桃ちゃんの挙動不審さは目に余っただろうけど。


 長い休憩時間や生活寮への移動時なんかは私と一緒に行動しながらも、麗花は顔色の悪い桃ちゃんを度々引っ張って私と麗花の輪の中に入れてきた。

 最初はだんまりしていた桃ちゃんだったけど、少しずつ。本当に少しずつお喋りしてくれるようになったのだ。


 私もこの頃はきくっちーと色々あった時期なのでだんまり桃ちゃんでもちょこんとして可愛くて癒されてほのぼのしていたから、彼女を引っ張ってきた理由なんかは特に気にしていなかったのである。あの時の私には癒しが必要だった……。


 ベッドガードに両腕をもたれさせて、麗花は桃ちゃんへの思いを口にした。


「昔の自分を見ているようでしたの」

「昔? え、でも麗花はよく喋ってたじゃん」

「そういう面ではありませんわ。……本当に一人だった時、周囲の人間に向けていた私の態度。花蓮と出会う前のことですわ。それが撫子を目にした時に、そんな昔の私と似ていると思いましたの」


 懐かしそうに、穏やかな声でそう言う麗花。

 垂らしているサラサラストレートな髪が、ベッドガードの内側に流れ落ちる。


「嫌われているのだと。そう思って、けれどお友達になってくれる子がいるのではと諦めきれなくて。私も傷つけられることが怖くて、悪意を恐れて相手を信じきれなくて、キツイ態度ばかり取ってしまったのですわ。花蓮。私には貴女がいたから、頑なな自分から一歩を踏み出すことができましたの」


 柔らかく笑みを浮かべ、寝転んでいる私に言ってくる。

 聞いている私と言えば、気恥ずかしくなって枕を抱えて目元だけを出して彼女を見た。


「……何か今日、麗花どうしたの?」

「何がですの」

「だってそんな、いつもだったら顔真っ赤にするのに、落ち着いてるし。何か今日アメばら撒き過ぎ」

「これだけ長く付き合っていても、貴女の発言の半分くらいは意味不明ですわね。まぁ、ですから今度は私にとっての花蓮のように、撫子にとっての私になろうと思いましたの。近くにいて助けることができるのなら、力になりたいですもの。そういうことですわ」

「な、なるほど」


 昔の自分と重なって見過ごすことができなかったから、手を差し伸べた。麗花の根幹はいつも変わらない。

 真っ直ぐに相手に対峙してぶつかるスタイル。それは昔キツイ態度だった時も、穏やかな今も。


「それで?」

「え? 何が?」


 聞かれて聞き返したら、胡乱気な眼差しが降ってくる。


「撫子の事情を聞いただけでは、あー……とか、宿題を忘れて授業開始三分前に気づいた時のような声なんて、出さないでしょう」

「まるで本当にそんなことがあって目撃したように言うの、やめてくれる?」


 断じてそんな間抜けなことをした覚えはありません。だって私は優等生だから!

 むーと小鼻に皺を寄せ、どうしようもない胸の内を吐露する。


「桃ちゃんがポッポお姉様から聞いた話で、来年ある修学旅行、いつもどこかの学校とかち合うことが多いんだって」

「まぁ時期を考えれば、どこもそんな感じでしょう。ない話ではありませんわ」

「そうなんだけど……でもさ。かち合う学校の中でも一番多いのが、その許嫁が通っている男子校なんだって」

「……何ですって?」


 声に滲む、桃ちゃんを傷つけている者に対する嫌悪。

 楽しい筈の修学旅行。それなのに、嫌な奴に会うかもしれないという恐怖が常に付き纏う。極悪案件である。――けど。


「前に瑠璃ちゃんと一緒にお菓子作った時、話したと思うんだけど。……私の、す、好きな、人」


 後半ボソボソモジャモジャと発したにも関わらず聞こえたようで、目を丸くしながらも話の関係性が見えないのか首を傾げる麗花。

 前に向かって踏ん張って進もうとしている桃ちゃんには、どうしても言えなかった。


「……同じ学校に通っているの。私の好きな人と、その許嫁が」

「え……」

「拓也くんも」

「えっ、拓也も!? ということはその男子校って、有明学園ですの!!?」


 卒業前に最後の女子会をして、その時にお互いどこの中学に通うのかを伝え合っていた。たっくんは麗花が私と一緒なことにすごく安心したような顔をして、「良かったね」と言ってくれた。


「麗花にも言っていなかったけど。私ね、香桜には中等部までしかいない」

「!」

「それは両親にも、お兄様ともちゃんと話してる。高校は家から通える学校を受験するって。……好きな人と、一緒にいたいから。だから桃ちゃんにも言ったよ。私に好きな人がいることと、いま話したこと」


 どういう意図で桃ちゃんに話したのか麗花はすぐに察して、「そうですの」とだけ返る。


「それで……修学旅行で、かち合うかもって聞いた時、私、言えなかったの。彼とその許嫁が同じ学校に通っているってこと。だって、言えないじゃん。桃ちゃんが苦しいことから抜け出そうと、必死に頑張ろうとしている時に。桃ちゃんは会いたくないのに、私は…………会いたい、なんて」


 言えない。言える訳がない。

 友達が大変な時に浮かれることなんて、できない。


「……本当は会いたい。だって、ずっと我慢してる。ずっと一緒にいて、声だって聞けてたのに。毎日ノートに書いてるけど。皆と一緒に笑って過ごしているけど。でも、だってやっぱり、寂しい……っ」


 抱えていた枕に顔を押し当てる。言葉に出したら余計に我慢しているものが溢れてきて、声に震えが移っていく。


 会いたい。声が聞きたい。心配。ちゃんと元気にしてる? ――笑ってる?


 何も問題なんて起きず、笑ってくれていたら良い。だって貴方は、爽やかな笑顔が一番よく似合う。



「――――皆、殿方関係で色々と複雑ですわね。貴女も撫子も、葵も」



 ポツ、と落とされた呟きに枕に顔を押し当てたまま、返事をする。


「……きくっちー、麗花に話したの?」

「ええ。どうして香桜を受験したのか、貴女には随分迷惑を掛けたとか、色々と。同室だと行動も似てくるものなのかしら? お互いに抱えている事情を知らない方に打ち明けてくるだなんて。私の場合は葵に対して、あまり有益なことは言えませんでしたけれど」


 きくっちーの抱えている事情も一筋縄ではいかない。だって相手が絡んでいることだから。


「そっか。……何かこうして考えると、皆男の子のことで悩んでるって、すごく仲良し」

「『花組』が揃いも揃って殿方に振り回され過ぎですわ。……ちょっと花蓮、端に寄って下さいませ」

「え?」


 グイグイと狭いベッドの中で、身体を端に端にと押されていく。

 思わず枕から顔を上げると麗花が何故か布団を引っ張って私の下から出し、そのままの流れでベッドガードを越えて侵入してきた。どうしたマナーの鬼!?


「ちょ、麗花? 狭いよ!?」

「お互い寝相も悪くありませんから大丈夫ですわよ」

「狭いに対する回答は?」


 投げたことに対しての回答が得られないまま、「昔はお泊りした時、貴女が私の布団に入ってきましたわ」と前に私がやったことを言われてしまえば、反論も出来ず。枕を本来あるべき位置に戻して、麗花に倣い仰向けの姿勢になる。

 そしてそのまま何の時間なのか、二人で木製のベッド裏を見ていると。


「……――私も。貴女たちと一緒でも、ふと寂しく感じる時がありますわ」


 無音の中で始まった告白に、静かに耳を傾ける。


「いつも一緒にいましたもの。ふとした時に、思わず名前を呼びそうになる時がありますわ。そんな時、いつも思いますの。彼の傍は、とても安心できる場所だったのだと。この気持ちは温かくて、優しくて。けれど……これは『恋』ではありませんわ。助けたい、守りたいと思いますけれど。私と彼の間にあるものは、変わることのない友情ですの。男女で友情なんておかしいと、そう思います?」

「私と拓也くんの関係知ってるのに、それ聞く?」

「ああ、それもそうですわね。愚問でしたわ。……ただ……、」


 暫く静寂が続いて、唐突に破られた。


「ただ、私も。今日の葵の話と花蓮の気持ちを聞いて、振り回されている、と思いましたわ。気持ちを揺さぶられて、どんな名前で呼べばいいのか分からない感情を生み出させた、原因となった方に。こうして姿を見ることも声を聞くこともない今、振り回されることはない筈ですのに」


 ない筈、と続いた微かな声。


「消えませんの。あの日に生まれた、名前のない感情が。……結局は私も、振り回されておりますわ。だって貴女たちの話を聞いて、私の心に浮かんだのは――――その方の顔だったんですもの」

「麗花」


 寝返りを打って、彼女の方を向く。

 彼女もまた、私の動きに合わせてこちらを向いた。


「寂しい?」

「……寂しい、のかも」


 珍しく釣られたようにそう言った彼女の手を取り、繋ぐ。


「楽しい夢を見ようよ。こうしていたらきっと、悪い夢なんて逃げていくから」

「花蓮が追い払ってくれますの?」

「私だけじゃなくて、麗花も一緒に追い払うの!」

「他力本願も良いところですわね」


 ぷっ、とお互い笑う。


「……お休み、麗花」

「……お休み、花蓮」


 そうして傍の温もりを感じ安心しながら、私たちは目を閉じて眠りに就いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る