Episode204 イースター行事ミサ本番

 ギャ音を歌と呼べるレベルになるまで猛特訓しなければならなかったきくっちーの未記入カード分は、自分の持ち分ノーミスな麗花と速筆な私で本番当日までには書き上げた。

 桃ちゃんも何とか声量が出るようになり、カードに関しては一人で丁寧にちゃんと書き上げることができていた。手伝ってやろうよと言っていた人間が結果手伝われているとは、これ如何に。


 本来の夜間学習の時間帯ではお姉様たちの他に、事情を知り悲壮な顔をしたチャーリー先生を巻き込んだ上で何とかギャ音から、音程がちょっと変じゃね?程度にまできくっちーは成長した。


 その特訓の期間、雲雀お姉様は通常の倍お茶を飲まれたし、椿お姉様は執念で最重要改善箇所を考察して徹底的にそこの指導をし、千鶴お姉様は三人の協力を得て己を奮い立たせて色々頑張り、ポッポお姉様はそんな同期『鳥組』をゆるーと微笑んで見守っていらっしゃった。ポッポお姉様……。


 しかしながら音痴の自覚がないきくっちーもお姉様方の集中指導で自分だけ変であることにようやく気付き、彼女自身も素直に指導を受けていた。指導後部屋に戻る途中でも私と麗花にどこがダメだったか聞いてきたし、普段でもブツブツと聖歌の歌詞を口ずさむ。


 あれほどの音痴だともう口パクでいこうか、という言葉が誰からも出なかったのは行事の成功はもちろんのことで、【香桜華会】としての矜持もそうだろうが。

 ――何より、本人の姿勢と考え方がメンバーとして相応しく、そんな彼女を応援する気持ちがあったからだと私は思っている。





「――はい。これで良いわ」

「ありがとうございます、雲雀お姉様」


 イースター行事ミサ当日の、お昼休憩。

 昼食を終えた後、生徒代表として行事に携わる【香桜華会】メンバーは会室にて、専用衣装に着替えて準備をしている最中である。


 首までを覆う黒いAラインワンピースの上に、長めの純白のケープを羽織る。そして最後の仕上げに何かの花模様を編んで作られている、白いレースのベールを被って完成。

 ベールが少しずれていたらしくお姉様に直してもらいお礼を告げると、にこやかに微笑まれた。


「緊張してる?」

「いいえ。皆さんと一緒に練習もしましたし、人前で何かをするということは苦ではありませんから」

「そうなの。お家の教育?」

「はい」


 催会出席禁止令を課されていても令嬢・淑女教育は怠れない。外では百合宮家の令嬢として相応しく、言葉遣いや所作は徹底している私である。

 けれどずっとそうなのはやっぱりしんどいし、きくっちーと桃ちゃんには仲良しになった時点で、素で接することにした。普通にご令嬢していた私が砕けたのに二人は最初びっくりしていたが、数日後には私らしいと言ってくれた。


 お姉様たちには後輩として丁寧語は崩さないものの、会室で『花組』のやり取りを聞いているので、そんな私の素は皆さんご存知だ。


「お姉様は去年、緊張されたのですか?」


 入学して最初の大きな行事だったこともあって、その時の光景はよく覚えている。


 チャペルの左右上窓のステンドグラスから自然光が差し、照明は最低限の明るさの中で行われた。学院長のお話の後、【香桜華会】が聖歌でイエス・キリストの復活のお祝いとしてその清らかな歌声を捧げ、最後に壇上でロウソクに火を灯す。

 それをメンバーは誰もが粛々とこなし、堂々たる姿で学院の代表生徒として私達に示されていた。


 できて当たり前。


 そんな空気が本人たちからも、周りからもしていた。一年後自分がそこに仲間入りするなど思ってもいなかった私は、そんな光景をただすごいなぁ……と感じながら見ていたのだ。


 当時『妹』の立場だったお姉様たちも「できて当たり前」の空気を出されていたが、そう聞かれるということは緊張されていたのだろうか?


「やっぱり合格者オリエンテーションとは違って、全校生徒の前で【香桜華会】として立つ、初めての場だったから。それにイースターって、キリスト教においてはクリスマスよりも重要とされる行事だから、失敗はできないってお姉様に直に言われたの。私のお姉様は椿みたいに厳しい方だったから。聖歌はまだ落ち着いてできたのだけど、ロウソク点灯の時にはそれでも手が震えてしまってね」

「え。私には堂々として見えていました」

「なら良かったわ。椿も千鶴も良いところのお嬢さまで、ポッポちゃんだってあの通り肝が据わっている性格だから。まさか自分がお姉様から指名されるだなんて思ってもいなくて、一年生の頃は普通に香桜生として平穏に過ごすんだって気でいたの」


 お姉様の話を聞いて、チラリと他のお姉様たちを見る。

 麗花と一緒に進行の最終確認をしている椿お姉様はいつも姿勢が良く堂々とされているが、『鳥組』で会話をしている時、厳しくされているその面持ちも柔らかに解けている。その中でもそうなる頻度が多いのは、雲雀お姉様と会話している時。


 きくっちーと音を合わせている千鶴お姉様も何か仕事で相談があれば、初めに雲雀お姉様に行く率が高い。そこから雲雀お姉様が他の二人に聞く、という流れはよく見る。


 桃ちゃんのほっぺを両手で挟んでウニウニしている……あれは一体何をしているのか。そんなことをしているポッポお姉様だって、よく雲雀お姉様に歌のBGMをリクエストしている。


 恐らく雲雀お姉様の『姉』だった先輩は、そんな個性の強い『鳥組』のお姉様方を結ぶ中間どころとして雲雀お姉様を指名されたのだろう。私達『花組』も何気に強個性ばかりだが、上手いことぶつかることなく過ごしている。……いや、私はきくっちーにぶつかられたな。

 それも今となっては良い思い出だと黄昏たそがれる。


「私もこうしていま自分が【香桜華会】でお姉様と一緒に、あの思い出深い行事を共にするだなんて思っていませんでした」

「ええ? でも花蓮さんは私達の中でも、すごく噂になっていたのよ? 花蓮さんと麗花さんを指名するのは、入学してきた時からもう大体確定していたもの」

「えっ、そんな最初の頃からですか!?」


 ぼへーと見ていたその時には、既にロックオン済みだったと!?


「だって麗花さんはあの聖天学院から、わざわざここに受験してくるんだもの。それが世界的に有名なファッションブランドを展開している、薔之院家のご令嬢でもあるし。あと入学式の時の新入生代表挨拶がダメ押しね。それで椿がもう一目惚れしちゃって」


 そう。私と麗花が入試成績トップツーだったが、トップワンは麗花だった。自己採点したら、私は一問だけミスっていた。

 入学式の時の凛として立つ美少女麗花の姿に誰もが目を逸らさず注目していたのも、良い思い出。私の場合も百合宮家のご令嬢だからということだろうかと思って訊ねると、軽く横に首を振られて。


「それもあるのだけど、花蓮さんって催会にまったく顔を出していないでしょう? 『あの百合宮家に長女がいた!』って皆興味津津でね。百合の貴公子で神童と名高い兄君に対して、私達の間では百合の掌中の珠リス・トレゾールって密かに呼んでいたの。知っていた?」

「し、知らなかったです……。私、そんな呼ばれ方されてたんですか……」


 愕然とする。ゲームでは白百合の君と呼ばれていたが、それよりもグレードが上がっている気が。ていうか皆あだ名付けるの好きだな。


「普段の生活態度を見ていても良好だし、椿が一目惚れした麗花さんとも仲良しだし。成績はもちろん、クラスでもまとめ役を結構こなしていたのも知っているわ。その二人とよく一緒に行動している葵さんと撫子さんも、だったら間違いないんじゃないかしらって。運命の巡り合わせか『花組』の条件にも合致していたし。私もそうだけど、三人も『妹』が彼女たちで良かったって、そう思っているのよ」


 ふわりと笑みを零され、それに私も嬉しくて笑う。

 色々と雑務雑務で忙しく大変な【香桜華会】だけど、仲良しの三人と素敵なお姉様たちと一緒に協力して日々を送り、過ごせることはとても楽しくて毎日が充実している。


「――皆さん、準備はよろしいですか?」


 とノックがあってから開かれた扉の先には、【香桜華会】顧問である六十谷むそたにシスターがいた。六十谷シスターはシスターであるが教員も兼任しており、私達『花組』二学年の学年主任も勤められている。

 黒の修道服に身を包み、銀縁の眼鏡を掛けていて学院規則に厳しく、彼女の名字と合わせて密かに生徒からはロッテンシスターと呼ばれている人だ。


 彼女は眼鏡のブリッヂをクイッと軽く押し上げ、会室で着替え終えて準備万端の私達を見渡す。それまで和やかだった会室の空気に緊張感が漂うのを、肌で感じた。

 ロッテンシスターの言葉を受けて他のメンバーを一度視線で確認してから、椿お姉様が答える。


「はい。『姉』から『妹』への、最後の仕上げも終えています」

「そうですか。貴女方は他の生徒よりも早くチャペルへ向かわねばなりません。参りますよ」

「「「はい」」」


 全員で揃って返事をし、縦に一列で並んで移動を開始する。

 シスターを先頭に並んで歩く私達へ、途中ですれ違う生徒たちからキラキラとした眼差しで挨拶をされる。にこやかに「ごきげんよう」と返すのは、最早この一年で慣れたものだ。


 ロッテンシスターが近くにいるから今はしないが、きくっちーが手を振って返すと途端、アイドルを目にしたファンのように黄色い悲鳴が上がる。聖天学院の運動会で攻略対象者が軒並み黄色い声援を受けていたのとまあ似たようなものである。


 チャペルに到着し、正面からは隠れている祭壇の横壁にある控室にて待機。ロッテンシスターは学院長と共に再入場するので、軽く注意事項を伝えてから退室した。

 本番がもうすぐという緊張感のある中で、先程の椿お姉様が仰っていたことが気になった私は雲雀お姉様に小声で質問する。


「あの。椿お姉様が仰っていた、『姉』から『妹』への最後の仕上げって何ですか?」

「ああ、それはね」


 顔を寄せて同じく小声で返してくる声には、溢れんばかりの慈愛が満ちていて。



「『妹』の緊張を取り除くのが、私達『姉』の最後の仕上げなのよ」





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 そうして行われた今年のイースター行事ミサも、練習と猛特訓の甲斐あって無事に成功を収めた。


 選ばれそれを受けたからには責任が伴う。生徒間だけでなく学院の象徴として、代表として。

 それは時には大きな重圧となるけれど、一人ではない。仲間がいて、助け合える環境の中で私達も色々なことを学んで成長していく。


 イースターはイエス・キリストの復活を記念する復活祭。そして冬が終わり生命いのちの芽生える春を祝う春の祝祭。

 ミサの後、『花組』には『鳥組』からイースターのメッセージカードが直接手渡された。


 先生から生徒へ渡される私達が書いた定型メッセージではなく、初行事達成までの『妹』の頑張りを見ていてくれた『姉』からの――――歓迎と、お祝いの言葉を。

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