Episode200.7 幕間 月や、汝が見入るは誰そ
ふと目が覚めれば、そこは辺り一面の闇。
彼はその景色を見て――――ああ、またかと思う。
また、とそう感じることができるのは、この暗闇に包まれている間のみ。本当に目覚めてしまえば、ここで見て聞いたものは全て消えてしまうのだと、ここにいる彼は知っていた。
「……また現れるのか」
落ちたのは、
見たくて見ている訳じゃない。
聞きたくて聞いている訳じゃない。
否が応にもこれから起こることから逃れられないことを知っているからこそ、最早
どれだけ嫌だと叫んでも。
どれだけ消えろと願っても。
消えることのない“彼”は、いつも、いつも彼の柔らかな心をズタズタにし、血を流させるのだから。
――おい
その声が聞こえたことで、彼はその時が訪れたことを悟った。
――まだ、逢えないのか?
彼と同じ声。
聞こえたそれには、どこか苛立ちが滲んでいる。
「まだ、とはどういう意味だ」
幾度、同じ問いを返しただろう。
幾度、その姿を目にしたことだろう。
彼から少し離れた場所に現れたのは――数年後、彼が成長しただろう姿。自身の敬愛する兄くらいの歳の。
問い掛けた言葉は、現実では自身が浮かべることなどない嘲笑にその怜悧な顔を歪ませた。
――解っているだろう。逢いたいのに会えていない、 “オマエ” の運命
運命。
そう聞いて思い浮かぶのは、今よりも幼い時に出会った、清楚な白い衣装を身に纏った儚くも可愛らしい姿。名を告げることなく別れ、その後も偶然出会い、そして最後に体調を崩して泣いていたあの子。
『四度目。本当に会えたら、それって運命みたい』
笑ってそう言葉にしていた。
彼のことを彼女の運命だと、そう――……。
「運命なら出会っている。約束した。四度目に出会えたらと」
彼の言い放った言葉はしかし、“彼”の表情を嘲笑から嫌悪の混じるものへと変化させた。
――そんな悠長なことを抜かしているから、奪われる。俺の者だったのに。俺が早く“彼女”を見つけなかったから、アイツに奪われた……!!
彼を見つめながらも、憎悪がありありと宿っている“彼”のその瞳には、目の前にいる者など映っていない。何を見つめ、何に対して“彼”が憤っているのか、彼にはいつも理解が及ばなかった。
だから彼は自身が感じる、当然のことを相手にぶつける。いつまでもこんな場所に居たくはないから。
「お前が間違えたから奪われてしまったのだろう? 間違えたお前の責任だ。何を俺に訴えているのか知らないが、お前のそれに関係のない俺を巻き込むな!」
――関係のない?
彼ではないものを見つめていた目が、真実そこに居る者へとヒタリと定まる。激しい憎悪を浮かべていた瞳に侮蔑が混じった。
――……最初は、確かに俺が間違えた。“彼女”を見つけた時にはもう遅かった。“彼女”が見つめる先にいたのは俺ではない。俺にはいつも、いつも同じあの作り笑いを浮かべるだけ……っ! “彼女自身”を見せてくれたことなどっ…………ああ、いや――……
切れ長の瞳を見開き、歓びに歪む唇。
――あった。俺が、見つけた時
『……? ……、…………』
ふと彼の耳に、“彼”ではない別の声が聞こえた。その声を耳にした瞬間、彼の心には言い様のない感情が溢れ出す。だがそれは温かでふわりとした類のものでは、なかった。
――もう会うことはないと、そう思っていたのが判る顔をしていた。当然だ。二度と目の前に現れるなと、俺がそう言ったのだから。……そう、言わされたのだとも知らずに……っ!!
ギリリ、と歯の軋む音が鳴る。
――どうしてだ! 俺はちゃんと――――だっただろう? ――――ようにしていただろう!? 君は俺の運命だろう!! どうして俺じゃなく、――――なんだ!!!
「やめろっ!!」
“彼”が叫ぶたびに、彼の心にも渦巻くものが生まれる。同一の存在であることを知らしめるように。叫びと連動して心が悲鳴を上げる。
望んでいる存在に受け入れられない悲しみ、苦しさ、怒り――――渇望。
「いやだ……っ! もう、やめてくれ……!!」
両耳を塞いでその場にしゃがみ込む。
それなのに、聞こえてくる。
――……関係はある。“俺”は“オマエ”なのだから
「……がう」
――受け入れろ。運命は変わらない。“オマエ”は“彼女”と結ばれなければならない
「……ちがう……」
――俺が“彼女”を早く見つけていれば。“彼女”が“彼女自身の言葉”で、あんなことを言いさえしなければ
「ちがう……!! 俺は“お前”じゃない! 俺は“あの子”にあんなことはしない……っ!!」
その時が近づく。
もう見たくない。もう聞きたくない。かつて“あの子”に、“彼”がしたことを。
望むのは“あの子”の笑った顔。泣き顔などではない。失う訳にはいかない。この気持ちをもう二度と手放してはならない。それなの、に。
――二度も、判断を誤った。今度こそ“オマエ”の運命から目を逸らすな。そうでなければ
“彼”が顔を彼から逸らしたのが気配で判った。力を込めて瞼を閉じていても、何かの強制力で開けさせられてしまう。
そうして彼の視界に――――力強い意志を宿した瞳で、彼をまっすぐと見据える“彼女”が現れた。
「……めてくれ」
幾度も幾度も繰り返し見せられた。それを聞いてしまったら、またあの地獄が始まってしまう。
けれどどれだけ必死に強く願っても、“彼女”は彼に告げるのだ。
『――して下さい! 私は――――ければ、――――せん……っ!』
ああ、と。
絶望の嘆きを落としたのは、彼か、“彼”か。
虚ろとなった視界には、様々な感情が通り過ぎ去った果ての狂気をその瞳に灯す“彼”がいる。
その瞳から一筋の涙を落とし、壊れ、“彼女”によって壊された“彼”が、彼へと最後の戒めを巻きつける。
薄く開いた唇から吐き出されるのは。
――そうでなければ、また―――――てしまう
“彼”の手が“
地獄が、始まる。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
パチッと、目を開いて見える空間は真っ暗なまま。
ハァッ、ハァッと走りきったかのような忙しない呼吸音に何の音か最初は認識できなかったが、暫くしてそれが自分の空気を取り込んでいる音だと気がつく。
起き上がって顔に手を当てると、汗だけでなく、目から溢れているものの感触もした。時折同じ状態で目を覚ます彼は、またかと独りごちる。
幼い頃はまだ何かしら覚えていた。
恐らく悪夢を見ていたのだろうが、汗をかいて涙まで流すほどのことを見ていたようなのに、まったく何も思い出せない。何を見ていたのかは覚えてもいないのに、いつも心は酷く乱されている。
この不可解なことは誰にも……敬愛する彼の兄にさえ告げてはいなかった。ただでさえ健康に関しては敏感なきらいのする家。兄の患う病は回復していっているが、それでも原因は不明。
おかしな状態で夜中に飛び起きるくらいのことで、家族に心配をかけさせる訳にはいかないという心理が彼の中で働いていた。
汗で湿った前髪を後ろへとかきあげ、未だ荒い呼吸を整える。そうして状態を落ち着かせると、闇しかなかった部屋の中に薄く光の筋が入り込んでいるのに彼は気づいた。
何を夢に見ていたのか、彼はいつも覚えていない。
覚えていない筈の記憶。
「か、れん」
窓の向こうに輝く月を見つめ――――するりと、彼にとって意味を為さない言の葉が闇の中で木霊した。
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