Episode200.5 幕間 華の乙女たちの内緒話 

 そこはとある和モダンな内装の高級料亭の個室。室内では御歳**歳の子どもを産んで今なお若々しく美しい女性が二人、懐石料理に舌鼓を打っていた。

 長く美しいストレートヘアの美女が久しく口にする母国の味に、頬を紅潮させて感激する。


「んーっ、美味しぃ~! やっぱり日本人は和食が一番よね~」

「フランスにも和食を提供するお店はあるでしょう? まるで何年も食べてなかったような言い方ね」


 美女が感激したことに苦笑を交えて返すのは、本日彼女に電話で誘われてこの料亭へと赴いた女性。

 彼女――百合宮 咲子もまた、流れるような美しい箸使いで刺身を掴み、口へ運んだ。


「そりゃ、あるけど。でもやっぱりその国の食べ物はそこで食べないと! 食文化が各国に流通して色んな国の食事がその国以外でも食べられるのは、とっても素敵で贅沢な話だと思わない?」

「美麗ちゃんはファッションではそういうの気にしないのに、食べ物には独特のこだわりがあるわよね。麗花ちゃんが国の文化を大切に考えているのは、絶対に美麗ちゃんの影響だわ」


 自身の娘や息子ととびきり仲良しな、目の前にいる友人の娘のことを頭に浮かべてそう咲子が告げると、美麗はとても嬉しそうに笑った。


「皆が皆同じ年に子どもを産むとか、本当に当時はびっくりしたわー。どんだけ仲良しなの!?って」

「本当にね。でも私達の時と同じように、子ども同士が仲良くなっていくのを見ていると、何だか感慨深いものがあるわ。ふふ。ウチの娘と麗花ちゃん、とても仲良しなのよ?」

「知ってるわ。モニター通話でも貴女の娘さんと米河原家の女の子の話がほとんどだもの。……もうね、ほんっとーにあの子だけ置いて仕事するの、すっごく嫌だったの! だってお腹痛めて産んだ、可愛い可愛い大事な一人娘よ!? 国をあちこち転々させるよりも同じ国で育った方が良いからって、渋々置いてさ」


 そこで一度グラスを手にして一口喉を潤し、ふぅと息が吐かれる。


「……モニターで顔を見て話しているから、どんな様子でいるのかすぐ判るの。西松さんからも定期連絡受けてるし。友達ができなくて、悩んでいて。そういうの、本当はちゃんと傍にいて聞いてあげなくちゃいけなかったのに。娘も大事だし、従業員の生活も守んなきゃだから、仕事も放り出せないし……。旦那とも色々相談したりしたんだけど、良い解決策が浮かばなくて、時間ばっかり過ぎちゃって。それでね、樹里から雅がお茶会を開くって聞いて、行かせてみようと思ったの。雅の息子さん、女の子には優しいらしいから。麗花ちゃんとも仲良くなってくれるんじゃないかしらって」

「息子さんが優しいって、それも樹里ちゃんから? 彼女とはよく話しているのね」


 お互い仕事関係で忙しい身な上に、自分とはこうして会うのも何年振りかというくらいなので、咲子はそう思って口にした。


「ああ、うん。彼女、よく行く先々で会うことが多いのよ。樹里が所属している劇団って、よく海外公演もしているから。私もあちこち飛び回るから、バッタリとね。それに彼女たちの息子が親友同士で、樹里も息子からその親友の話を聞いたりするんだって」


 それを聞いて、咲子は学生時代の自分達のことを思い出す。

 当時、自分達は周囲の学院生から『華の乙女』と呼ばれていた。そこに含まれるのは自分と目の前にいる美麗と、春日井家に嫁入りした雅、そして今は距離を置いている幼馴染の白鴎 静香の四人。


 もう一人の仲が良い緋凰家の一人娘であった樹里はキリリとした顔立ちと快活な性格で、男子からよりも女子からの人気が高く、憧れの度が過ぎて樹里に近づこうとする男子から彼女を守るための親衛隊がファンの女子らで作られていた。

 彼女にはそんな独自の組織があったため、『華の乙女』には含まれなかったのだ。


 ――そう、色々。色々なことがあった。




「咲子」


 いつの間にか箸を止めて見つめていた料理から顔を上げて美麗を見ると、彼女はどこか憂いのある表情を浮かべて、相対する者を見つめていた。


「……あれから静香とは、どうなの?」


 恐る恐ると訊ねられた内容に、それが本題なのだろうなと彼女は感じた。


 雅とはよく会うが、静香とは会っていない。

 当然だ。彼女は、咲子が大切に思っている存在を傷つけようとしたのだから。

 幼い頃からともに過ごし、よく知っていると思っていた。あのようなことをしようと――していただなんて、思いもしなかった。


 近くに在りすぎたから気づかなかった。いつも自分の後ろを付いて回り、その名前のように物静かな子だった。他の人間がいても自分から離れたがらず、そんな様子を可愛いと、守ってあげなければと思っていたのに。


「会っていないわ」

「もう、あれから何年も経ったわ。私も、樹里も……気にしているの」

「どうして? 美麗ちゃんと樹里ちゃんが教えてくれたから、悪いことは何も起きなかったのに。まさか私とあの子の仲を裂いてしまったことで、罪悪感を覚えているの? 感謝こそすれ、貴女たちを責める理由が私にはないわ」


 あれが最善だったと今でも思っている。

 自分たちは遠く離れなければいけなかった。ほだされて許してしまえば、あの子は変わらない。きっと同じことを繰り返す。


 今度は咲子がグラスを手にし、口に含んだ。


「――けど、それも潮時かもしれないわね」


 ポツリと零されたことに美麗が反応する。


「許してあげるの?」

「美麗ちゃんが言ったように、何年も経ったわ。それに……息子と末の娘が、あの子の子どもたちと友達になっているの。親がギクシャクして、それが子ども同士の仲にまで影響を及ぼすのは、本意ではないわ」

「え? 静香、また子ども産んだの?」

「あら、知らなかった? いま小学一年生よ」


 咲子がきょとりとして返すと、美麗は目を瞬かせた。


「え、だって……咲子のところとだけ、学年揃い過ぎてない? それに子ども同士が友達って、それ、偶然なの?」

「……まぁ、娘と麗花ちゃんのこともあるし。息子と末の娘の学年には、白鴎家以外に対等の家はないし。なるべくして成ったようなものね。友達の件に関しては偶然だと思うわ。だって上の娘とあの子の下の息子さんとは、何も交流なんてないもの」

「そう……。あの、ね。私、またこうして話せたらって思っているの。皆、学院を卒業して結婚してから、滅多に会わなくなったでしょ? あの頃のように本音で話せて、楽しかった頃のように戻れたらなって」


 ポツリ、ポツリと語られる。

 美麗の言うように、結婚してから自分達は疎遠となった。自分と静香が仲違いしたのも理由にあるかもしれないが、何より結婚して環境が変わったことが一番の要因だろうと彼女は推測した。


 こんなことを話し出したのも、きっと娘同士の繋がりがあるからだろう。娘から友人の話を聞く度に昔を思い出して懐かしく思うのは、咲子も同じだった。


 私達は、子どもに絆されている。





 好きな人と結婚して、幸せになれるのだと思っていた。

 どうしてもあの人しか目に入らなくて結ばれたいと強く願い、諦められなかった。けれど世の中はそんなに甘く出来ていなかった。何かを得れば、その代わりに何かを失う。


 結婚したことで咲子は恋慕う人を得たが、その代わりに――――恋慕う人から夢を奪ってしまった。


 夢に向かって突き進んでいた道を否応なく変えさせられて、初めから学び直す。最初は新婚ということもあって彼は自分に目を向けてくれていたが、次第に仕事へと傾倒するようになっていった。


 朝も、昼も、夜も。


 会社へ食事を届けに行った日もあったが、追い掛けていた頃は驚いた顔をして口角を上げてくれていたのに、書類に視線を落としたままでこちらを見もしなくなった。

 自分を見てくれないことが辛くて、足を運ぶことも少なくなっていって。長男を身ごもり出産しても、あの人は自分に目を向けてくれなくて。それどころか、より一層仕事第一になった。



 ――どうして。どうして、あの頃のように私を見てくれないの?



 その頃はあの人のことばかり考えて、産んだ息子のことは頭になかった。気づけば一人で成長していて、何事もこなせる手の掛からない子どもとなっていた。

 なら、このままでも大丈夫。私が接して、一人で何でもできる息子の妨げになってはいけない。


 夫とのことがあるから、だからそうして息子のことは避けた。息子も、そんな母親のことを大して気にしていないように見えた。


 そうしてある日、また子どもを授かった。

 跡取りの長男がいるからと消極的なのを、どうしても欲しいと私が強請ねだったから。その時には孤独過ぎて、長男にはああだったから、もう一人の子にはあの人たちに注げない愛情をめいいっぱい注ごうと。


 けれど何にも興味のなさそうな息子は、生まれてくる娘のことをどうしてか気にしていた。


「花蓮、という名前なの。この子と仲良くしてね、奏多お兄さん」


 目を輝かせている息子にそう言ったけれど、本音ではこの子に構って欲しくなかった。


 仕事に夫を取られ、私が愛情を注げられるこの子までもが息子に取られてしまうと、もうどうすれば良いのか分からない。だから常に娘から離れなかった。そうしていたら成長していく娘を見た息子は、次第に自分の妹への興味を失っていった。



 ――この子に愛を注ぐのは、私だけでいい


 ――娘も私だけを見て、私と一緒にいてくれる



 夫へ抱いていた愛情は見向きもされなくなったことで行き先を失い、歪んだ愛情と化して空の器へと向かってしまったのだ。




「――咲子?」


 ある日娘が転んで額にコブを作って帰るまでのことを思い出していた咲子はハッとして、疑問の声を上げた美麗を見つめた。


「どうしたの? さっきからボーッとしているわよ?」

「え。あ、ちょっと、私も昔のことを思い出して……」

「うん、色々あったわよね~。……私もね、娘から親友と同じ中学校を受験したいって言われて、昔を思い出したわ。だって皆同じ大学を受験するのに、私だけ別とか嫌!って思って猛勉強したもの。親子だなぁって。エスカレーター式で苦労しない学校に行かせているのに、そんなことを言われてもうびっくりしちゃった」


 咲子も息子から密かにその話を聞いた時は驚いた。

 そこまで娘のことを想ってくれているのかと。


「美麗ちゃんも旦那さまも、反対しなかったの?」

「もちろん反対したわよ? でも、いつも我慢させているあの子からの、親に対して願う初めての我が儘だったから。自分でよく考えて出した結論だからって言われて、あの子の意志を尊重することにしたの」

「……そう」


 こちらの場合は、娘を守るために親が下した決断。

 娘は反論することなく受け入れ、そしてその学校に合格した。


 ……知っている。娘に好きな人ができたことは。

 そしてその相手も何となく見当がついている。柚子島くんの話が八割方でたまにしかその子の話を聞かないけれど、その子の話をしている時の娘の表情は、他の誰の話をしている時とも違っていたから。恋しい人と、別れさせることになってしまった。


「麗花ちゃんが一緒の学校で、とても頼もしいわ。息子も太鼓判を押すほどしっかりしていて、良く出来た子だから」

「うふふ。花蓮ちゃんが親友で、学院でも息子さんが見ていてくれたからだと思うわ。あとウチの西松さんや田所くんたちも。私達が傍にいられなくてもそんな風に成長してくれたのは、周りにいてくれる人達のおかげだって、ちゃんと思っているの。だからありがとう、咲子」

「こちらこそ」


 ふふふ、と笑みを交わし合ったところで、料理の堪能を再開する――――も。

 咀嚼そしゃくして喉を上下させたその後、美麗から齎された話……というか思いもよらぬ相談事に、今度は咲子が目を瞬かせることになった。


「それでさ、前々から樹里に言われているのよ。『ウチの陽翔と麗花ちゃんを婚約させたらどうか』って」

「え?」


 ちょっと悩んでいることがあってーと前置きがあってからの内容が、それ。


「どうして?」

「何回かね、樹里にも娘のことを相談していて。さすがに学院で麗花ちゃんがどんな様子かは、西松さんも付きっきりじゃないから分からないでしょ? 学院でのお友達事情とかも気になるし。それで樹里が、『じゃあ私のところの息子にどうなのか聞く!』って言って、何か息子さんに頼んでるらしくて。ありがたいことなんだけど、でもそれも何だかなぁって思っていたところに、『もう婚約させちゃわない? 本当に結婚するかどうかは本人たちに任せるとして、ウチも結構大きな家だからね! お互い変な虫とかつかなくて良いんじゃない?』って言ってきて……」


 はぁ、と溜息交じりに詳細を語られる。


 そして言われたことをそのまま言ったのだろう、勝気な友人の寸分違わず言いそうなことに、咲子も思わず若干遠い目をした。


「樹里ちゃん、快活且つ単純な性格だものね……」

「ホント。どうしてあの単純単細胞からあんな繊細な演技が生み出されるのか、ホント世の不思議だわ」

「樹里ちゃん大抵何でもできるけど、演技する時だけは生き生きしていたわよね」

「ねー。あーもーどうしよ~。確かに変な虫はつかないに越したことはないけどぉ。……ね、咲子のトコは? 息子さん大学生になるんでしょ? そーいうのない?」


 聞かれ、一旦考える。


「……そうねぇ。でも友人の付き合いとか、私も夫も口出しせずに自由にさせているから。本人からはそういうの後回しで、会社経営のことを優先すると聞いているし」

「さすが神童と呼び名高い息子さん。しっかりしてるわねー」

「まぁでも、中学は全寮制で虫の付きようもないし、麗花ちゃんの意志に任せてみたらどう? ウチの娘はどうしても高校は戻ってくるって言うから内部進学はないけど、そっちだって考えているのでしょう?」


 美麗は「あー……」と声を落とした。


「そっか。そうだよねぇー……。うーん……ちょっと、旦那とも相談してまたよく考えてみる……」

「うん。そうしてあげて」


 ショボショボとした様子でき合わせのタケノコをモグモグする美麗に苦笑し、咲子も再度料理に手を付ける。


 ――――彼女自身にも突きつけられた、距離を置いた幼馴染との関係と今後を思案しながら。

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