Episode200 ここで出逢えたこと

 何かあればいつもここに来た。


 まずたっくんが呼び出された先がここだし、たっくんと裏エースくんとも仲違いした時はここに避難してきた。学年が上がってもそれは変わらず。


 裏エースくんが私を守るために突き放し、その理由を突き止めるために動いて土門少年に指定された場所。下坂くんの恋愛相談を受け、集まった場所。人気のない場所筆頭の非常口なのに、沢山の思い出がそこかしこに詰まっている。


 壁に背を預けて、隣り合って座り込んだ。


「卒業したな」

「はい。卒業生の答辞、お疲れ様でした」

「おう。……何か、不思議と緊張しなかった。練習はしたけど、それでも大勢の前で言うから緊張するかなって思ってたんだけど」

「普通にスラスラ言っていましたもんね。今までのことを振り返ると、太刀川くんは本番に強いタイプですよ。失敗とか全然なかったじゃないですか」

「そうか?」

「そうですよ。不思議、と言いますと。私も卒業式、もしかしたら泣くかもって思っていたんですけど、寂しさはありましたが結局泣きませんでした」


 そう言うと、クスッと笑われる。


「花蓮の場合はさ、それまでに泣き過ぎて、今日流す分まで残ってなかったってだけじゃないか?」

「私そんなに泣いていません!」

「同じクラスだった時もそうだけど、お前は結構泣いてたぞ。……その内のいくつかは、俺のせいだけど」


 のことを指しているのだと判った。今でもその時のことを思い出すと、胸が苦しくなる。

 けどあれがなければきっと、ずっと『友達』として傍にいた。『友達としての好き』だと、自分を誤魔化し続けていた。


「太刀川くん」

「なに?」

「太刀川くん」

「うん」

「っ、……太刀川、くん」

「……」


 貴方が好きです。


 好き。


 一人の女の子として、貴方のことが。



 ――――言葉が、出てこない……っ



 もうお別れなのに。

 これが最後なのに。想いを伝える、最後の……!



「無理すんな」


 必死で言葉にしようとしているのに、ズキンとその一言が突き刺さる。


「無理なんかじゃありませんっ! 私は……っ」


 パッと隣を振り向いたその顔は笑っていたけれど、僅かに寂寥せきりょうが滲んでいるのが分かって、自分の不甲斐なさと情けなさに唇が戦慄わなないてしまう。


 言えないのは貴方のせいじゃない。

 私が悪い。そんな顔をさせたくない。


 私だって貴方に笑っていてほしい。

 それなのに、私が貴方にそんな顔をさせてしまう。


「ごめっ、ごめんなさい……!」

「おい。そこで謝られると別の意味になるだろ。やめろ」

「うぅっ」

「ったく、最後の最後までしょうがないヤツだな。……前に言っただろ。態度でちゃんと伝わってるからって。今もそうやって、必死に伝えようとしてくれている。俺はそれだけで充分だよ。だから“今”、絶対に言ってくれなくていい」


 優しい声に心までが震える。


 ダメだよ。何でそんな風に言ってくれるの。

 貴方がいつもそうやって私を甘やかすから、いつも甘えてしまうの繰り返しになるんじゃないか。


「まぁ、本音で言うと聞きたいけどな。けど何となく……今はそれでいいとも、本気で思ってる」


 やっぱりな本音を聞くが、その後に続けられた内容が解らず視線で問う。すると。


「本当は一人の女の子として好きなのに。兄貴のことが頭にあったから、花蓮のことをずっと友達の好きだって思い込んでいた。……いや。正しくないな、それじゃ。誤魔化していたんだよ。そうやって自分を。本当は気づいていて、解ってたんだ。だから……誤魔化そうとして、結局気づかれた。何か、そういうモダモダしたものをお前からも感じる」

「!」

「ちゃんと言えって言っても、まだ抱えてるものがあるんだろ」

「そ、れは……」


 言葉に詰まる私を、けれど裏エースくんは責めない。それどころか。


「俺とお前、よく気が合うからな。拓也のことを好きなのとか、エビも好きなんだろ? 俺がお前を守ろうと突き放したのと同じで、お前も俺のことを……守ろうとしてくれているんじゃないかって。それを“言わない”ことで、そうしているんじゃないかって」


 ……んじゃなくて、


 違う。だって“私”は言いたいと思っている。

 望んでいる。言葉にしなければと。



 ――“何が”、それを押し止めている?



「だから」


 一瞬沈んだ思考からハッとして意識を戻す。


「だから、いいんだ。いま無理して言わなくても。花蓮が俺に、それを言っても大丈夫って思った時に言って欲しい。無理して苦しそうな顔してまで言って欲しくない。『好き』って言葉はさ、言う方も言われた方も、お互いが温かくて幸せな気持ちにならないと、ダメだろ?」

「……」

「俺はお前が言えなくて抱えていること、無理に聞き出さない。その代わり、」


 軽く触れて、強く。痛みを感じさせないギリギリの強さで、手を握り合わせられる。

 固く、固く結んだ恋人繋ぎ。


「突き放しても花蓮が俺を掴んで離さなかったように、俺も花蓮を離さない。物理的に距離は離れるけど、“ここ”だけは離れないし、離さない」


 ここ、と握っていない方の手で示されたのは、彼の胸の中央。――心。


「俺は離そうとしてお前にめっちゃ怒られたからな。似ていてもそれだけは、お前は絶対にしないだろ? 態度でちゃんと届いて、俺に伝わっているんだよ。だから解ったか? ……泣き虫」


 卒業式で出なかったものが、どうして今になって出てくるのか。笑ってお別れしたかったのに。落ち着いて、見せたくなかった顔を見せずに済むと思っていたのに。


「拓也くんは私を笑顔にさせる天才ですけどっ、貴方は私を泣かせる天才です……!」

「嫌な天才だな、それ。どうする? ギュッてす、る……!?」


 泣き止ませるためにふざけて言ったことなのは、勢いよく抱きついた私の耳元で驚く声が上がったことで理解した。いつもは腰が引けているから、今回も真っ赤な顔で逃げると思ったに違いない。


「言いだしっぺが驚くんじゃありません」

「……い、や。うん。ごめん」

「許します」


 そう言って抱きつく私の背に、片手だけを添えてくる。片手は未だ握り合わせたままだから、若干変な体勢だ。……ギュッてするかと聞いて私が自らそうしているのに、何で言い出しっぺが添えているだけなのか少し不満。


「……」


 ふわりと、清涼なミント系の香りが鼻腔に届く。

 一番好きなのはお日さまを感じる香り。温かくて、優しくて。けれど心に、記憶に強く残るのはこの香り。――包まれると幸せで安心する、貴方の香り。


「……あ」

「どうしたんですか?」


 何かに気づいたような声が上がったので聞くと、繋ぎ合った手がクンと動かされた。持ち上げて、顔の近くまで上げられたのでそちらを見ると、袖がずれての姿が露わになっている。


「今日、着けてきたのか」

「……最後、なので」


 去年のゴールデンウィークに二人で行った、藍園シーパークで買ってプレゼントしてくれた腕時計。


 大事なものだし教室に時計があるので、わざわざ学校に着けてきてはいなかった。あの時と違ってお守りとしてではないけれど、今日で彼と会えるのが最後だと思ったらまだ会えるのに、それでもその存在を身近に感じていたくて着けてきたのだ。


「俺も」


 そう言って添えていた手を背から離し、自身のズボンポケットから取り出して見せてきたものを見て、目を見開く。

 それは同じ日、私が彼にプレゼントしたキーケース。いつもは鞄にしまっているのに、どうしてそれがポケットの中に。


「……チャリンて音がするの、てっきり小銭だと思ってました」

「何で卒業する日にわざわざポケットに剥き出しの小銭入れてくるんだよ。いま思ったけど、これ入れてたから答辞で緊張しなかったのかもな」


 ニカッと笑う顔を見つめていたら、ふっと気持ちが軽くなる。なってしまう。


「本当にこれだけ気が合うなんて、中々ないですよ」

「だよな。でも花蓮と同じことを考えてたんだと思ったら、すっげー嬉しい」

「太刀川くん」

「ん?」


 無理やりではない、作りもしない。素の、自然な笑みが私の顔を彩る。


「私、この学校に通えて良かった。拓也くんにも、皆にも出会えて。何より……貴方に、出逢えたから」


 瞳が見開かれる。


「怒って、泣いて、笑って。そうして六年間をここで過ごせたこと、ずっと、ずっと大切な宝物だよ。太刀川くん。で私と出逢ってくれて、ありがとう」


 満面の笑みで告げる。今、私が貴方に伝えることができる、精一杯で最大の想いを。


 見開かれた瞳が、ゆるりと愛おしさを宿す。



 ――すごく、すごく大好きだっていうような、私の大好きな顔。



「俺も、花蓮とここで出会えて良かった。中学とか高校とか、大人になってからじゃなくて、ここで。きっとここで出会わないとダメだった。で知り合えたから、こんなに幸せな気持ちで今を過ごせているんだ。――――俺と出逢ってくれてありがとう、花蓮」


 見つめて微笑み合っていたその視界が、自然と閉ざされる。いつもは恥ずかしくて、逃げていた。

 けれど。今ならちゃんと素直な気持ちのまま、受け入れられると感じた。


 私が目を閉じたのを、その意味を彼も理解したのだと、頬に触れてくる温もりで知る。

 近づいてくる気配。強く香る清涼な香り。吐息が顔に触れ、そして柔らかな感触が――――



 ――――鼻に、落ちた。




「……」


 離れたのを見計らって目を開ければ、優しいままの眼差しが注がれている。……敢えて言うべきなのか、言わざるべきなのか。


「そこはまだお預けだな」

「何も言っていないのに先に言わないで下さい! しかもそんな優しさ満点の顔で言われて、何かすっごく居たたまれないです!」


 口にしたいとか手をどけろとかチューするぞとか今まで言ってきた癖に、何で敢えてここで外した!? 遅れて赤くなる顔を見て笑い始めたし!


「もう!」

「ははっ、悪い。でもファーストキスの場所が非常口って、なしだろ」


 あるなしで言ったら会場の控室も運転手さんのいるスクールバスでも、お友達の家も全部なしだよ!!


 プンプンする私の頭を撫でて、今度はキュウと抱きしめられる。


「大事だからさ、どっちも。だから俺もお前もお預けなんだよ」

「……! ……鼻で、我慢します」

「いっつも逃げてたヤツが我慢するとか言い始めた。成長したなー花蓮」

「シャラップ!」


 最後の最後まで、私達はこんな感じでぎゃあぎゃあと騒がしかった。


 言い合いながら、笑い合いながら。

 涙なんて忘れ去って。




 ――さようなら、太刀川くん



 ――――また、三年後――……

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