Episode196 鈴ちゃんがやらかした件

 小学校最後の夏休みも終了し、学校では受験組の子が普段以上に勉強に取り組んでいるのに感化されて、皆の集中力が増すようになった。

 受験組が必死に取り組むのはそうだが、持ち上がり組でも中学に上がれば内容が難しく膨らむのは理解しているので、疎かにはできないのだ。進学して環境が変わった途端、環境に付いていけなくて成績が落ちる場合もある。


 日常としてはそういうお受験生独特の空気感が漂いながらも、平穏な日々を送っていたとある秋の日――事件は起こった。




「ただいま帰りました…………あれ?」


 学校から帰宅して玄関をくぐれば、先に帰宅していていつも駆け寄ってくる超絶可愛い姿がない。暫く待ってみてもやって来る気配がなく、首を傾げながら靴を脱いで洗面所へと向かい、一通りのことをしてからリビングへ行く。

 しかしそこでも小さな姿はなく、比較的この時間帯はリビングで過ごしているお母様の姿もない。


「?」


 二人で買い物にでも出たのかなと思い再度玄関に行って靴棚を確認すれば、靴はあったので家にはいる。……と、確認している中でお兄様の靴も発見。

 委員会で先輩後輩の立場など関係なく色々指導しているが故にお兄様の帰宅時間は私よりも遅くなっているので、彼の靴までがあることに再度首を傾げる。


「お帰りなさいませ、お嬢さま」

「あ、ただいま帰りました。あの、今日って何かありましたっけ?」

「はい?」

「いえその、鈴ちゃんが来ませんし、お母様もリビングに姿がなかったものですから。あと、珍しくお兄様も早めに帰宅されていらっしゃるようなので」

「ああ……」


 私が帰宅したことに気づいたお手伝いさんに挨拶されたのでこの不思議なことを聞いてみたら、何やら困ったような顔をされた。


「……その、奥さま達なら、歌鈴お嬢さまのお部屋に」

「鈴ちゃんの?」


 お母様とお兄様が揃って?


 取り敢えずどういう状況になっているのか、私も荷物やら服の着替えやらがあるので階段を登り、自室へ入る前に抜き足差し足で妹の部屋に忍び寄って閉まっている扉に耳を当てて、様子を窺うと。


「……で…………せん。いくら……」

「まず…………して…………ね?」


 扉からは二人の何か話しているような声が聞こえるものの、鈴ちゃんらしき声は聞こえない。内容も聞き取り辛くてどんな話をしているのか不明だが、何処どことなくよろしくない雰囲気がする。……この状況、何となく覚えがあるような。

 そう、確か私が何かやらかして、二人から懇々懇々懇々懇々理詰めに説かれて怒られている、あの時のような……。


「!? わっ!」


 そんな風に嫌な思い出が頭を過ぎっていたら、ガチャッと耳を当てていた扉が内側から開けられ、突然のことにバランスを崩して床に転がってしまった。

 ひっくり返った状態で上を見ると、そこには瞳を潤ませた鈴ちゃんが……。


「うううっ、お姉さまああぁぁぁ~~!!」

「ぐふっ!?」


 ひっくり返った私の上に鈴ちゃんが泣きながらダイブし、潰された私から潰れた声が漏れた。


「花蓮ちゃん……」

「花蓮……」


 中に居た二人から「またコイツは……」みたいなニュアンスを含んだ声で名前を呼ばれたが、すみませんちょっと苦しいので鈴ちゃんを剥がして下さい。お願いします。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 その後一旦はお兄様の手によって私から剥がされた鈴ちゃんだったが、私が傍にいないと嫌と言って大泣きする彼女に負けて、現在その場に残って話を聞く態勢の私の背中にへばり付いている。


 今もまだ鼻をグスグス鳴らして泣いている。

 明日は替えの制服を着なければ。


「えっと、一体何が……?」


 何やら鈴ちゃんが怒られているということしか分からないために聞くと、お母様は難しい面持ちとなり、お兄様も眉間に皺を寄せてはぁ、と息を吐いた。


「……お前の心配が当たった」


 ただ一言、そんな言葉がお兄様から発せられたがよく分からない。


「私の心配ですか?」

「歌鈴がやらかすかもしれない件。やらかした」

「えっ」


 驚いて背中のへばり付き虫を見ると、涙に濡れながらもぷぅと頬を膨らませた。


「りっ、鈴は悪くありません! だって、だって……っ!」

「だってじゃありません。理由があるにしろ、その取った行動がよくないからこうして注意しているのよ」

「ううう!」


 厳しい声でお母様が言っても、納得のいかない反抗のうなりを上げるのみ。

 ……というか、鈴ちゃんが素直にお母様の言うことを聞かない!? いつもは聞いているのに!?


「歌鈴」

「お姉さま! お姉さまは鈴の味方ですよね!?」

「え? いや、ちょっとまだ何とも言えな…」

「お姉さまが押して転ばせるのは良くないって仰ったから、鈴、ちゃんと考えたんです!」

「んん!?」


 何か私の責任もありそうな感じで匂わせてきたその発言に一体どういうことだと目を白黒とさせていたら、詳しい事情が語られ始めた。


「目撃者他、関わった当人達や教員から聞いたことだけど。端的に言うと、歌鈴がある男子生徒に向かって足払いして転ばせた後、足蹴にした」

「足払い!? 足蹴!?」

「“百合宮”は聖天学院生でもトップクラスの家柄。何か常識に外れた行動をすれば、すぐさま話は広がる。まあやったのが“百合宮”の令嬢だからね。身内だからこそ僕のところにもすぐに回ってきたんだよ。で、歌鈴。姉の反応を見たよね? 花蓮だって足蹴と聞いて驚いているよ」

「……足げじゃないもん。逃げないように、ちょっと足止めしただけだもん」

「軽くても重くてもちょっとでも思いっきりでも何でも、人間を足で踏むな、と言っている」


 背中でボソッと呟いたことに対して冷えを纏った声で咎めを受けた鈴ちゃんが、ギュウゥと私の制服を握り締めてくる。

 俯いている妹の頭を見つめ、どうしてこんなにかたくななのかと、私からもやった理由を聞いてみることに。


「鈴ちゃん。どうしてそんなことをしたの?」


 チラ、と恐る恐る上目遣いに見上げて、小さな声でポツリ、ポツリと口にする。


「……満月ちゃんとお友達になってから、満月ちゃんが鈴のクラスに来るので、鈴はそーちゃんのクラスに行けてなかったんです。だから今日は二人のクラスで、そーちゃんと満月ちゃんと一緒にお話したくて、鈴のクラスに来た満月ちゃんと一緒にCクラスに行ったんです。そうしたら……」

「……そうしたら?」


 一度言葉を切ったので続きを促すと、またその瞳から涙がポロポロと零れ落ちる。


「そうしたら……っ。そーちゃんのこと、悪く言う子がいたんです! 鈴が会いに来なくなったのは、そーちゃんのことをもう飽きたからだって。そーちゃんがぽっちゃりしているのとか他にも、鈴を出して悪口言っていました! 鈴はその子のこと知らないのに、まるで鈴のことよく知っているかのように言って、鈴を理由にそーちゃんを傷つけることばかり言っていました!! だから鈴頭にきて、もう二度とそんなこと言えないようにしてやろうと思って、乗りこんでお説教しました!!」

「お、お説教」

「説明が足りない。教室に乗り込んで、蒼佑くんに悪口を言い続けているその子を後ろから足払いして転ばせて、何が起こったか混乱しているその子のお腹を軽く踏みつけ、上から見下ろして罵詈雑言を浴びせた、と正確に言いなさい」


 兄からの補足を聞いて愕然とする姉の顔を見て、自分の不利を悟った鈴ちゃんが更に自分の主張を言い始めた。


「だって鈴に気づいた教室にいた子達、逃げてったんです! 鈴に気づいたら悪口マンだって逃げます! 前にお姉さまが押して転ばせるのは良くないって仰ったから、どうすれば逃げないか短い時間で考えて、じゃあ手じゃなくて足だったらって。手はダメだけど、足だったら言われてないから大丈夫!って思ったんです!」

「大丈夫じゃないよ!!」


 全く以って大丈夫じゃない!

 これあれだ、屁理屈ってやつだ!


「あのね鈴ちゃん。手でも足でも頭でも身体でも、誰かを転ばせるのは悪いことなの。確かに蒼ちゃんに彼の悪口を言っていたっていう、その子が悪いけど。鈴ちゃんだって、相手に怪我をさせるようなことをしたんでしょ? 相手に怪我をさせるようなことはやっちゃダメなの。あとその子が悪口を言ったからって、鈴ちゃんも同じことをするのも良くないよ。蒼ちゃんが傷ついたのと鈴ちゃん、同じことしているんだよ?」

「……っ、ひっく」


 私にも注意されて、嗚咽を零す。


 ……うーん、どうしたものかな。自分をダシにされて仲良い子の悪口を言われているのを聞くの、一年生の時のたっくんと下坂・西川くんのことを思い出すぞ。私は呼び出してあれこれ言ったが、手はおろか足だって出していない。


 鈴ちゃんは独占欲強めで満月ちゃんというお友達ができるまでは、蒼ちゃんを中心に学院世界が回っていた子だ。鈴ちゃんに好意を抱いていて、蒼ちゃんを妬んで彼を傷つけるためにしたのだろうが、とんでもない悪手である。


「歌鈴ちゃん。お姉様が言ったこと、ちゃんと解る?」


 若干厳しさの取れた声でお母様に聞かれた鈴ちゃんは、眉間をギュッとしながらも首を縦に振った。


「……お、同じこと、したらっ、鈴も、悪口マンと一緒って、ことですっ」

「そうね。それに歌鈴ちゃんがしたのは、相手を暴力で傷つけてやり返すってことよ。例えそれが蒼佑くんを守るためにやったことだとしても、足を使って転ばせたり踏んだりするのは、やって許されることじゃありません」

「は、い」

「そうだよ。返すのなら別のやり方で返しなさい」

「ん?」


 お兄様の発言に目をパチクリさせた私だが、そんな中で扉をノックする音が聞こえてお兄様が確認しに行くと、どうも米河原家から電話が入っているそうで、受け取った子機が鈴ちゃんへと手渡された。


「蒼佑くんからだそうだよ。歌鈴と話したいって」

「そーちゃんが……?」


 子機を受け取ってもすぐに話そうとせず、涙声だけど何とか普通に会話しようとしたのか自分で自分を落ち着かせてから、彼女は通話ボタンを押して子機を耳に当てた。


「そーちゃん? ……うん、鈴。……うん」


 そのまま暫く静かに見守る。蒼ちゃんと話し始めて最初は暗い顔をしていたが、段々と柔らかく変化していき、そして電話を切り終える頃にはすっかり涙も止まって笑顔になっていた。


「蒼ちゃん、何て?」


 聞くと、パッとこちらを振り向いて。


「そーちゃんに、ありがとうって言われました!」

「ありがとう」

「はい! 僕のために怒ってくれて嬉しかったって! でもそーちゃん、悪口を言われたこと自体は全然気にしてなかったそうです。悪口マンの言っていること、そーちゃんが知っている鈴じゃなかったからって。誰のこと言っているんだろう?って思っていたから、自分のことを言われているのも気づかなかったって。だから鈴が怒っているのを見て、初めて自分が悪く言われていたのに気づいたそうです」


 蒼ちゃん、良い意味で鈍感っ子だった。

 いや、鈴ちゃんのことを良く知っているからこそ自分のことより、人から聞く彼女の話の方が気になったのか。


「けど、言われました。いくら怒っても、人を足でけっちゃダメだよって。りっちゃんの足が痛くなっちゃうからって。そーちゃん、鈴の心配してくれました」

「何かちょっと蒼ちゃんの考え方もズレている気がする」

「鈴、そーちゃんにそんな心配させたくありませんから、もう誰かをけったりしません。お兄さまが仰ったように、そうおうの、別のやり方というもので今度からほうふくします!」

「鈴ちゃん!? ちゃんと反省しているの!?」


 フンスと鼻を鳴らして宣言しているが、お姉様は全く以って安心できません!


 ――しかし。


「大事な人が傷つけられたら怒りを覚えるのは、至極真っ当な感情だわ。ただ、暴力で解決させるのは“ウチ”のやり方ではないもの」

「怒りをその場で爆発させるんじゃなく、相手を落とす絶好の機会を狙ってね。今度僕から“ウチ”流の流儀というものを教えるよ」

「お願いします、お兄さま!」

「え、えっ!? お母様!? お兄様!!?」


 どうしてそんな流れになるのかと慌てて声を上げた私に、スッとお兄様から視線が向けられて。


「入学前。ハロウィンパーティ。パンダパンチ」

「!!?」


 ギョッと目を見開けば、ニコリと微笑まれる。


「よく似ているね?」

「……」


 当時敢えて端折った部分の話を何故知っているのかと恐怖にガクブルして、ここでも上がやるから下もやる理論を言外に仄めかされてお口をつぐまざるを得なくなった。

 というかその時鈴ちゃんは見ていないどころか、お母様のお腹の中にもいなかったのに!


 しかしそんな反論は何年も前のことをお母様にバラされて、時を越えて怒られるかもしれないという理不尽の塊を前にしては抵抗できず、儚く散っていったのだった。



 こうして百合宮家の人間は着々と、物理から社会的に相手を追い詰めるという報復手段を学んでいくらしい……。

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