Episode187 神様の理想

 これはどちらと先に話をするべきなのか。他家の子息……御曹司が同じ場にいる中で我が家の喧騒けんそうを見せる訳にはいかないと考えた私は、先にトレーニングルームに向かってもらうために場所を春日井に伝えようと、口を開きかけ――


「先程ご子息に聞いたが、ジャージで来てほしいと連絡をしたそうじゃないか。花蓮、私もジャージで来た方が良かっただろうか?」



 ――たら、空気の読めない発言がお父様から飛び出した。


 春日井がこの場から離れたら、「どうして貴方が来たのか」と目を三角にして問い質そうと思っていたのに、これはもう無理ぽそうである。


「……私が頼んだのは、見守って下さる大人の人です。運動器具を使用する際はまだ大人の人に見守ってもらわないといけませんから、そのためにお願いしました。間違っても会社のお仕事でお忙しい筈のお父様をお呼びしたつもりは、私にはありません」


 おかしい。春日井の時と違って、ウチの人にはちゃんとそういう経緯で説明していた筈だ。


 真顔のままそう告げたのに、危機管理能力が夏の暑さでやられているらしいお父様。私の醸す不穏な空気に気づくことはなく、飄々ひょうひょうと理由を話してくる。


「書斎へ向かう途中、北見きたみさんが電話で話しているところに通り掛かったのだ。聞けば花蓮が米河原家へ人を向かわせてほしいと頼んできたと。父親ならば娘の頼み事には応えなければならないだろう。丁度仕事もキリの良いところだったし、歌鈴も近々こちらにお泊りしに行くし。ならばここは、二人の父親である私が保護者代表として行かなければと」


 出たよ! 張り切りが!


 親交行事では鈴ちゃんが恥ずかしい目に遭うことは特になかったそうで、穴は多目的教室のアレだけだった。私とお兄様関連の学校行事が終わればいつも私達から何かしら言われるのに、鈴ちゃんの時はなかったからと最近えらく上機嫌だったのだ。


 長男と長女で受けた反省を末っ子に活かす。

 何だこのサイクルは。


「お母様には言って来たんですか。お兄様に見つからなかったんですか。鈴ちゃんは反応しませんでしたか」


 今日は珍しくも家族全員が家にいる日だった。

 聞けばドヤァとされた。


「咲子には気分転換に外に出てくると告げた。奏多は部屋で何かの問題集作成に取り掛かっているのを、こっそり確認した。歌鈴は可愛い寝顔でお昼寝中だったのだ!」

「何てこと!!」


 お母様には止められる可能性を危惧して本当を混ぜた嘘を吐き、恐らく遠山少年の受験対策問題集制作に集中しているお兄様の隙をつき、鈴ちゃんのセンサーが無効化中を狙っての即興計画的犯行! メーデー! メーデー!!


「……えっと、あの。僕はどうすれば?」

「すみません春日井さま。私もこの事態は予想外でした。ええ、取り敢えずご案内します」


 我々はまだしも、こんな暑い中で神様兼臨時コーチを外に立たせたままにはしておけない。

 母親同士の仲は良くとも、父親同士の仲は不明。春日井からしたら滅多に相見えることのないお父様を前にいきなり呼ばれたこともあって、対応に大変困った筈だ。私はやらかしていない筈。


 そうして元来た道を舞い戻ってトレーニングルームに入ると、瑠璃ちゃんは目にした人物ガリヒョロに固まり、蒼ちゃんはペコリとご挨拶する。


「あっ、こんにちは! りっちゃんパパと春日井せんぱい!」

「こんにちは、蒼佑くん。おや、蒼佑くんもジャージ姿なのか。おじさんだけ仲間外れになっちゃったなぁ~」


 そう言うお父様の格好は、胸元にブランドロゴが入ったポロシャツにオーガニックコットンを使用した、肌に優しいスラックスパンツ。

 鈴ちゃんが私に付いて米河原家へ遊びに行くのと同じで、蒼ちゃんが瑠璃ちゃんに付いて我が家に遊びに来た時に面識はできている。


 ニコニコとしている蒼ちゃんに、デレデレしながらガリヒョロは近づいて行った。


「りっちゃんパパ。……ああ、そうだよね。君たちが親友なら、下もそうなるのか……」


 旧華族の末裔で古い歴史ある由緒正しき厳格(※外用)な百合宮家現当主に向かって、蒼ちゃんが『りっちゃんパパ』と呼んだことに春日井は衝撃を受けたようだ。


「米河原家とは家族ぐるみのお付き合いです」

「そう……。ご当主、あんな感じになるんだ」

「ウチの人間は米河原家の前では形無しになります」

「……うん、何か百合宮さんで分かるよ」


 ヒソヒソ言っていたら、瑠璃ちゃんがおずおずとこちらに来た。


「こ、こんにちは、春日井さま」


 瑠璃ちゃんの挨拶を受けて、御曹司としての体制を立て直す春日井。


「こんにちは、米河原さん。お久しぶり。今年の夏も暑いね」

「はい。……あの、本当に大丈夫ですか? 花蓮ちゃんがご無理を言いませんでしたか?」

「瑠璃ちゃん?」

「あーうん。相変わらず予定は空いているかと聞かれてないと答えたら、ジャージ着て米河原家にレッツゴーとは言われたね」

「花蓮ちゃん?」


 おっとり微笑んでいる中でも、微かな圧が何故か彼女から……。


「おじさまのことはまだ良いけど、どういうことなの? 説明していないの?」

「げ、現地でいいかなと」

「……やっぱり付いて行けば良かったわ。私のことだから私が話さないとって言ったのに、『大丈夫! 任せて!』って言った花蓮ちゃんの言葉を信用するんじゃなかったわ……」


 さめざめと両手で顔を覆う瑠璃ちゃんにオロオロしていると、春日井が苦笑して彼女に声を掛けた。


「いや、予定が空いているのは本当だから大丈夫だよ。それで、どうして僕を呼ぶことになったの?」


 穏やかで落ち着いた問い掛けに顔から両手を離して、瑠璃ちゃんは頬を染めた。


「あの。私、その……毎年夏には、運動をしておりまして。本当ならもう一人一緒に付き合ってくれる子がいるんですけど、その子が今年は難しくて。いつもその子から色々アドバイスをもらってやっていたんです。アドバイスは花蓮ちゃんには難しくて、だったら運動が得意な他の人に見てもらったら?って」

「うん、百合宮さんがアドバイス難しいのはよく分かるよ。なるほどね」

「スイミングの先輩後輩というよしみで、何卒なにとぞ

「ああうん。どういう経緯でそうなったのか、今の言葉でよく分かった。それ、電話で話している時に聞きたかったな」


 瑠璃ちゃんを見、奥の運動器具たちを見た春日井はこれまでの運動方法を瑠璃ちゃんから聞く。

 見てもらう以上はちゃんと伝えなければと、今までの運動遍歴を包み隠さず話す彼女からの内容に耳を傾けていた春日井だが、途中首を傾げる場面もあったりしたことは割愛。


「分かった。まずはどういう風にしているのかを実際に見たいから、いつも通りで始めてみてくれる?」

「は、はい!」

「百合宮さんは?」


 私はブルブルマシンに足を乗せた。


「去年と今年、私はこれで参加しております」

「……こう言ってはアレだけど、賢明な判断だね」


 スイミングの先輩には何も言えません。


 瑠璃ちゃんがマシンに向かって行くのを見た蒼ちゃんもテテテッと向かい、それをお父様が近くで見守る。……まぁ、蒼ちゃんに付いてくれるのはありがたい。


「来られるまでは米河原夫人が見守って下さっていたので、既に準備運動は終えています」

「そう。けど僕はジャージで来る必要あった? アドバイスだけなら、別に普段着でも問題なかったとは思うけど」


 その言葉を受けて、ハタと思う。


「ああ。それもそう、ですね。いえ、もう一人の子がいつも彼女と一緒に走ったり、跳んだりして付き合っていたので。同じことをしながらアドバイスしていたので、ついジャージ着用と口にしました」

「ふうん。……そっか」


 チラリと隣に立つ彼を見ると、柔らかに微笑んでいる。


「そのもう一人の子とは、百合宮さんも親友なの?」

「……そうです。その子含めて私達は三人、超絶仲良し女子組です」


 太陽編攻略対象者にそのライバル令嬢である麗花のことを話すのは微妙な心地だったけれど、彼はその子が麗花のことだとは知る由もない。

 変ににごすと不審に思われるかもしれなかったので当たり障りない内容で返したが、春日井もそれ以上深くは聞いて来なかった。


 例の事件のせいで春日井ルートが頭にあるので、乙女ゲー関係で油断はできない。どこに落とし穴があるか分からないのだ。……と、この時ふと思い至ってしまったことが。


 瑠璃ちゃんがランニングマシンの上で走っている。

 蒼ちゃんもスローペースで走っている。


 走る姿を見つめている中、私はその言葉を発した。



「春日井さま。学院で気になっている女子生徒って、誰かいませんか?」



 ふぅっ、ふぅっ、ふぅっと二人分の呼吸音が耳に届く中、隣からの返事は聞こえてこない。


「百合宮さん」

「はい」

「やっぱり一度ちょっと話し合おうか」

「何故!?」


 バッと見ると、キラキラ笑顔に直撃する。眩しい!


「くっ、緋凰さまばかりでなく、遂に春日井さままでが私のお目めを潰そうと……!?」

「本当に僕は百合宮さんが何を考えているのか、まるで分からないよ。いま米河原さんの運動アドバイスの時間だよね? 本当にどうしてそんな質問がいま飛び出してくるの?」

「思い至ったが吉日なので」

「空気読もうか」

「真顔!」


 キラキラ笑顔との変遷落差が激しい!


 だって“それ”が発生したってことは、かもしれないじゃん! 麗花が“私”の立ち位置に置き換わったのだとしたら、ヒロインである空子の立ち位置だってかもしれないって!


 緋凰に好きな人がいることは本人も認めているし(それが麗花だとは断じて認めない)、尼海堂ルートと春日井ルートが並立したのなら春日井にだって、ヒロインに置き換わる子がいたんじゃないかって。


「……まさかとは思うけど、もしかして僕と米河原さんをそういう風にしたいと思ってる?」

「それこそまさかです! いえ、春日井さまで男性慣れしてくれたらとは思っていますけど。……えぇっと、ほら、前にもお伝えしたと思いますが、本当に同年代の男の子と接する機会がないんです。お兄様は同年代とは少し歳が離れていますし、たっくんは意識的に女の子のようなものですし、私は女の子ですし。一応同年代の男の子代表として、どんな女の子が理想なのかと気になりまして」


 何とか瑠璃ちゃんとの話の関連性を持たせて説明すれば、春日井の中でも一応辻褄は合ったようで、考える素振りが見受けられた。


「お願いします、恋愛の神様! 何卒何卒」

「僕はそんな神になった覚えはないよ。少し前にも口にしたと思うけど、好きな子はいないから」

「理想で良いんです、理想で」


 好きな人はいないと言うが、いても素直に言うとも思わない。

 瑠璃ちゃんのランニングを見つめながら、少し時間を置いてようやく。


「……自分らしくあること、かな」


 ポツリと落とされた内容が意外なものだったので、目を丸くする。


「自分らしく、ですか?」

「そう。流されるんじゃなくて、ちゃんと自分を持つっていうこと。頑固とは違って、何て言うのか、その人らしくあり続けるっていう。浮かんだのはそんな感じかな」

「そう、ですか」


 てっきり優しいとか穏やかなとか、そういうありきたりな言葉が出てくるかと思っていた。それか健気で頑張り屋で自然体の可愛い女の子。けれど、具体的に言ってきたということは……?


 自覚があるのか本当にないのか、イマイチよく分からない。目線の先にあるのは瑠璃ちゃんの走る後ろ姿だけれど、何となく。――何となく、誰かを重ねて見ているような、そんな気がした。

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