Episode186 夏休み恒例行事と臨時コーチ

 夏の暑さにはクーラーで対抗し、快適に授業を受ける日々を過ごして小学生最後の夏休みに突入。

 ラブラブ勉強合宿の日程はたっくんの塾講習スケジュールを鑑みた結果、八月に入ってからとなり、まだ夏休みの七月前半(こよみとしては後半だけども)の本日は、瑠璃ちゃん家にて彼女のダイエット訓練を見守っている。


「ふぅっ、ふぅっ、ふぅっ」

「ふぅっ、ふぅっ、ふぅっ」


 さて、見守っているので上記の呼吸音に私は含まれない。薔之院家から貸し出されたランニングマシンで走っているのは、瑠璃ちゃんと蒼ちゃんの米河原姉弟である。


 夏休み恒例行事と化したダイエット訓練は薔之院家で本格的にやるものの、自宅でも何かしら行うということで米河原家にある倉庫の一つを改造して、瑠璃ちゃん専用トレーニングルームが造られた。

 この米河原版トレーニングルームは基本的に器具を設置することはなく、室内をランニングしたり、縄とびをするためのスペースとなっている。うん、逆に器具があったら走るのとかに邪魔だよね。


 今年は薔之院家でやらないので見守りには西松さんも田所さんもおらず、米河原夫人が見守っている。ついでに何故か去年与えられた私専用ブルブル器具に足を乗せて、私もブルブルしながら見守っている。


 私は隣にいらっしゃるご夫人へと話し掛けた。


「あの、どうして今年は蒼ちゃんも参加しているんですか?」

「前からお姉ちゃんと一緒にやりたかったみたいなの。まあ、瑠璃子がやり始めたのもこの歳からだったし、なら大丈夫かしらっておじさんとも相談して決めたのよ」


 丸い指をふっくらとした頬に添えて、おっとりと柔らかに教えて下さる夫人。ちなみに夫人の言うおじさんとは、瑠璃ちゃん蒼ちゃんパパのことである。


「蒼ちゃん、瑠璃ちゃんが大好きですもんね」

「ふふ。花蓮ちゃんと麗花ちゃんの影響もあるのよ? 本当に二人が蒼佑に良くしてくれているから、お姉ちゃんっ子になって。……瑠璃子のことも」


 ぽてっ。ぽてっ。ぽてっ。と走っている瑠璃ちゃんへ、眩しそうに目を細めて夫人が彼女を見つめる。


「二人と出会ってから、瑠璃子も随分と性格が明るくなって。それまではあの子、どこか暗い表情でパーティに参加したりしていたの。私も昔からこういう体型で、周囲……それも同年代の子からよくからかわれたりしていたから、あの子がそのことで悩んでいるのは、分かっていたわ」


 昔、瑠璃ちゃんは言っていた。彼女も麗花と同じように友達なんてできなくても、一人でいいって。そんな未だ根っこにあるものを断ち切ろうとして、こうして今も頑張り続けている。


「私は……多少人よりふくよかなのを、どうしてからかわれるのか本当に不思議で、歯牙にもかけなかったわ。だって親からは可愛いって言われていたもの。動物にも例えられたりしたけど、どうしてそれが面白いのかしらって、言ってくる人に反論したわ。ピンクで丸くて可愛いし、食べても美味しいじゃないって」

「私もそう思います!」


 全くその通りである。体型が遺伝するらしい米河原家でご夫人も同じようなことが昔あったものの、彼女の場合は精神面が強かったから悪口なんて屁のカッパだったようだ。


「おじさんもそういう人でね。私達の考えがそうだったから生まれた娘も、きっとそんなの気にしないと思っていたの」


 そこで一つ、溜息が落とされる。


「……可愛いって言っても、嬉しそうにしてくれなくてね。試食会もよくするし、人前に出ることも多いから、そんなことで負けてはダメだと教えたのだけど。……間違っていたのだと、あのハロウィンパーティで気づいたわ。私達は私達で、娘は娘だってことを。そんな基本的なことを忘れてしまっていたの。歯牙にもかけていないと思っていたけど、本当は私、からかわれることに対して意地になっていたんだわって。気にしていないって、強く見せたかったのよ。それを娘にも同じように強要して……。ごめんなさいね、こんな話を聞かせてしまって」


 眉を下げて謝罪を口にする夫人に首を横に振る。


「いえ。何か、米河原家のことが深く知れた感じがして嬉しいです」

「そう? ありがとう。……これからも、瑠璃子と蒼佑のこと、よろしくね」

「はい! あ、私からもよろしくお願いします! 今度妹がお世話になりますので!」


 満面の笑みで頷き、続けてそう言うと「ふふふっ」と笑われた。


「そうね、本当に嬉しいわ。蒼佑のことを好きになってくれる子がいてくれて。……あら? もうこんな時間なのね」


 視線の先に目を向ければ、壁に設置されてあるクラシカルな振り子時計の針がもう少しで十一時になろうという時間だった。ちなみに本日の訓練は十時三十分からスタートしている。


 ……もうこんな時間? 私の体感的にはまだ三十分しか経っていないけど。


「何かご用事があるんですか?」

「ええ。今日は十三時から招待されている婦人会へ出掛けなくてはならなくて。どうしようかしら……」


 困った表情を浮かべる夫人。


 私もここに着いた時に聞いたのだが、元々見ていてくれる予定だった人が風邪を患ってしまい、急遽夫人が付くことになったそう。

 だからそれほど長くはできないとは聞かされていたが、これほど短い時間になるとは思わなかった。


 姉弟の方を見ると、瑠璃ちゃんがマシンから離れて床にバタンキューしている蒼ちゃんの顔をタオルで拭いてあげている。何と美しき光景よ。


 夫人と会話をしている間にもチラチラと様子を見てはいたが、蒼ちゃんはまんま始めた頃の瑠璃ちゃん状態。

 瑠璃ちゃんの通り汗は相変わらずだが、彼女は長年の積み重ねにより持久力が付き、着々と記録を伸ばし続けている。だから休憩時間よりも訓練時間の方が年々長くなっていた。


 床にキューしていた蒼ちゃんだが起き上がって瑠璃ちゃんに笑顔を向け、次いで私達にも手を振ってきた。それに笑顔で振り返してどうするかと考える。


 夫人が悩んでいるのは、蒼ちゃんが楽しそうにしているから止めさせ辛いということなのだろう。私ももう時間だよって言って、しょんぼりさせてしまうのはとても悩ましいものがある。

 六年生が二人いると言っても、世間一般的には私達もまだまだお子様だ。まだ大人が誰かしら付いていなければならないだろう。


 ウチから誰か……本田さん辺りはどうだろうか? 確かお兄様のご予定は空いていて、けど洗車で本田さんは来ると言っていた気がする。


「ウチで誰か来てもらえるか確認します。お電話お借りしてよろしいですか?」


 夫人に許可を得てそうして連絡を取れば、誰かは不明だが来てもらえることになった。そのことを夫人に伝えると感謝されて、準備をしにトレーニングルームから出て行かれる。やって来るまでの間はマシンの使用は不可なので、休憩がてら三人でお喋りに興じることに。


「蒼ちゃん頑張ってたね~」

「うん! お姉ちゃんと走るの楽しい!」

「あら、嬉しいことを言ってくれるのね。はい、ドリンク」

「ありがとう!」


 受け取ったドリンクをこきゅこきゅととても美味しそうに飲む蒼ちゃん。あー癒される~。


「そう言えば花蓮ちゃん、お母さんと何をお話していたの?」

「ん? 瑠璃ちゃんと蒼ちゃんと、いつも仲良くしてくれてありがとうってお話」

「……お母さんったら、もう」


 指を頬に当てて夫人と同じ仕草をしながら少し恥ずかしそうにする瑠璃ちゃんに、思わず微笑みが溢れた。


「瑠璃ちゃん。仕草がご夫人と一緒」

「え? ……何かもう、花蓮ちゃん家のこと言えなくなっちゃうわ」

「前に思ったことあるけど、ウチと米河原家ってよく似てるよ。私は共通点があってすごく嬉しい!」

「僕も!」


 はいっと元気に挙手する蒼ちゃんの頭をヨシヨシと撫でる。

 多分意味分かってないけど、雰囲気的に釣られた感じかな? 可愛いことに変わりはない。


 そうして色々と話している内に、話題がここにいない麗花のことに変わる。


「瑠璃ちゃんは麗花のやりたいことって、何か知ってる?」

「え? 知らないわ」

「え? でもお姉ちゃん、おでっぷ」


 何か言い掛けた蒼ちゃんのお口を塞ぐ瑠璃ちゃん。


「……瑠璃ちゃん?」

「知らないわ」

「瑠璃ちゃん」

「知らないわ」


 知ってるな。


 ジトッと見つめるも、にこやかな笑顔を返される。

 ……瑠璃ちゃんは瑠璃ちゃんで意志が固い。それは長年のダイエット訓練が証明している。


「花蓮ちゃん。今は内緒だけど麗花ちゃんのそれは、きっと花蓮ちゃんにとっては嬉しいことよ」

「嬉しいこと?」

「うん。だから今はそっとしておいてあげて。いつか分かるから」


 その楽しそうな顔を見て、それ以上は聞かないことにした。麗花のやりたいことには何やら私が関係しているらしいが、一応それだけ得られたのだから今は我慢しよう。

 何だかまたもや私だけ仲間外れ感があるけれど、判明するまで待ってみようと思える。……親友二人が私に関わることで、悪いことなんて何もないから。


 口を押さえられたままだった蒼ちゃんがフゴフゴし始めたところで手は離され、「お姉ちゃんひどい!」とプンプンする彼を宥める姉の図が出来上がったところで、ふと思った。


「麗花が参加しないから、コーチがいないね」


 しっかり者の麗花さんは瑠璃ちゃんと同じことをしているが故、彼女の目線でどこの何を改善したら良いかと言うのを年々細かく指示していた。年々細かくなっていったのは、恐らく趣味・画伯で観察眼が鍛えられたからだと思われる。

 だから今年は画伯コーチがいないので、指摘改善ができないのだ。……私にそれができるとお思いか?


 瑠璃ちゃんもハタとなり、けれど。


「でも、私も麗花ちゃんばかりに頼ってはいられないわ。毎年教えてくれていたし、今までの教えを振り返ってやってみようと思うの」


 何とも心意気の良い言葉ではあるが、うんと頷けない理由がある。


 何故か瑠璃ちゃんは一年ごとに、問題点を変異させる。どういうことかと言うと、一度指摘したらそこは改善されるのだが、新たな問題を一年周期で発症させるのだ。

 右腕が振れていないと言えば改善され、翌年には左腕が振れていない。両足が妙なステップを踏む、首がカクカク揺れる。


 カクカク揺れた時は場が騒然としたのをよく覚えている。あの時は皆青褪めた。「今年は何が来るんだろう……」と皆が戦々恐々としている気持ちを、瑠璃ちゃんだけが知らない。

 そんな訳でさっき会話しながらもチラチラと気にしていたのだ。今年は何だろうって。


 瑠璃ちゃんの言った今までの教えを振り返るという言葉にはある意味、意味なんてないのだ。しかし見ている分には、おかしなところはなかったように思う。


 ……ダメだ。運動神経がアレらしい私では問題難易度が高い場合、画伯コーチのように細かく見抜くことなど不可能。これは新たなコーチを模索するべきなのでは? と、なると……。


「瑠璃ちゃん。一つ提案があるんだけど」

「提案? 何の?」

「画は……麗花の代わりに、他に運動が得意な人に見てもらったら良いんじゃないかなって思うの。その方が瑠璃ちゃんも安心するでしょ?」

「え? うん、まぁ……それもそう、だけど。もしかして、奏多さま?」


 首を横に振る。


「お兄様も瑠璃ちゃんのためなら来てくれると思うけど、別の人を呼ぼうかなと。予定が空いていれば」

「誰を呼ぶつもりなの?」

「神様を降臨させようかと」

「何を言っているの?」


 私は去年の冬のような愚行はもう二度と犯さない。

 ちゃんと確認を取って召喚行動に移す!


「ほら、去年にこやかにお話して自信になったって言ってた、春日井s」

「どうして? どうしてそこでその人の名前が出てくるの? 何を思ってそうなったの? ねぇどうしてなの?」


 真顔で怒涛のどうして攻撃を喰らって、事前申告したのに何故!?となりながらも理由を述べる。


「いえあの、私、スイミングスクールにずっと通っているの知ってると思うんだけど、そこ春日井さまのところでね? ご夫人に習っていて、春日井さまとはスイミングにおいての先輩後輩という関係でして……」

「そうだったの!?」

「うん。だから教え方とか優しいの知っているし、言うところはちゃんと言ってもくれるから。それに瑠璃ちゃんと面識もあるし」


 彼は水泳関係が主だけど、スポーツ重きの紅霧学院に通うんだから大体運動関係は動けるのではないかと見当をつけている。それに去年の交流を見た感じではイケそうだと思ったのだ。


「それにほら! 瑠璃ちゃんだってダイエット成功させたいでしょ!? 有識者(?)の助言があるのとないのとじゃ、絶対に成功率も変わってくるよ! あと春日井さまで男性慣れもできる! 一石二鳥!!」

「え!? え? え、でも」

「お姉ちゃん。春日井せんぱい、やさしいってよく聞くよ?」


 私の勢いに呑まれかけてオロオロしている瑠璃ちゃんに、蒼ちゃんからの援護射撃も加わって。最終的に、


「無理言っちゃダメよ? ご予定空いていなかったら、もうそこで終了してね?」


 と念押しされて連絡権ゲット。

 再びお電話を借りて、お手伝いさんを経て保留音を聞いていると。


『……もしもし』

「あ、春日井さま! 今日これからご予定って空いていますか!? ちょっと来て頂きたいのですが!」

『僕のこと、便利屋か何かと勘違いしてない? 一度ちょっと話し合いたいんだけど』

「ご予定は!?」

『…………本当に不思議なことだけど、空いているね』

「了解です! 至急ジャージを着用して米河原家へレッツゴーして下さい!」

『え? ジャージ??』


 無事に臨時コーチの予定が空いていることも確認して電話を終え、意気揚々と二人が待つトレーニングルームへと舞い戻り、到着を待って暫く経った頃。


 リーンとルーム内にも設置されてあるインターホンモニターが反応したので、「お迎えに行ってくるね!」と出て行って外から直接玄関へと直行したら、遠目でも人影が二人いるのが確認できた。


 あ、そっか。ウチから見守りで来てほしいってお願いした人と、春日井が一緒になったのか。


 と、そのウチから来た人をはっきり認識できる段になると、私は真顔になった。


「……こんにちは、百合宮さん」


 明らかに微笑みが固い春日井と、その隣。


「花蓮」



 何で貴方が来ることになったんだ、お父様。

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