Episode184 尼海堂 忍の正体と、“誰か”の記憶

 麗花にあんなことが起こってしまって、私は太陽編のことを今一度頭の中で整理した。


 現状、麗花は緋凰と婚約関係ではない。麗花は緋凰のことアウトオブ眼中だし、その緋凰には好きな人が存在する。どうにもあの時の緋凰の態度はおかしかったが違う。絶対に違う筈。誰か私に賛同してくれ。


 もし。いや万が一……足りない、兆が一ヤツが麗花を好きだとして、何かの強制力が働いて婚約を結んだとする。しかしその後ゲーム通り彼女のことが鬱陶しくなって振り払うとかになったら、クソ最悪である。


 ダメです。絶対に許容できません。そんなことになったら私がヤツを闇討ちしに行く未来しか見えない。


 緋凰ランデブー計画、一旦白紙。

 そして次に春日井。


 春日井に関しては取り巻きである二人との関係が重要になる訳だが、現状取り巻かれてはいない。親交行事で中條家が関わっていたから怪しく思ったけれど、直近ちょっきんの令嬢の行動を裏ルート経由で調べれば、全くのシロであった。ちんぷんかんぷん。


 それに結局、犯人はゲーム上にはまったく名前も上がらない無関係の生徒だったみたいだし。そのことは行事後にお兄様から聞いた。ならばどうしてあんなことが起きたのか。


 麗花は自分が犯人ではないと証明できる手紙のことを話さなかったのを、『傷つけたくなかったから』だと言っていた。そのことから忍くんの他にそれも女の子で、仲良しの子ができたのだと分かる。


 それ自体はとても喜ばしい話だし、安心材料の一つになる。……気になったのは。



『自身のお友達を利用してまで、嵌めようとしてくると思い至らなかった、私の……!』



 人を、誰かを利用する。

 そうして誰かを陥れようとする。


 それはまるで――“百合宮 花蓮”のよう。



 何故? 私が聖天学院に通っていないから、“私のような存在”が現れてしまった? けれど、そうしたらどうしてその矛先が麗花に?

 だって“百合宮 花蓮”が女子を葬り去ろうとする動機は、白鴎に近づいたから。麗花はそうじゃない。


 ……一つだけあると言えば、あるかも、だけど。



『心配を掛けましたわね。一人で来ましたの?」

『いえ、尼海堂せんぱいと』



 尼海堂。彼は――――月編の隠し攻略対象者。



 姿は見えなかったけれど彼があの件に何かしらで関わっていたのだとしたら、麗花の立ち位置が“私”に置き換わった可能性がある。


 ゲーム上での彼の立場は、銀霜学院の風紀委員長。


 パッケージの攻略対象者が学院特権階級のファヴォリのため、それ以外の攻略要素ということで存在する。一応裏設定的なことを言うと彼もファヴォリの所属ではあるが、どういう訳かファヴォリと認識されずに、普通の内部生として入ったという経緯らしい。


 白鴎・秋苑寺ルートではライバル令嬢となる私だが、尼海堂ルートの場合においてのみ、私はライバル令嬢という役割から外れる。

 尼海堂を攻略するのであれば、神出鬼没な彼を見つけて出会うことから始まり、学院生活を送る中で彼と協力して物事を進めなければならない。その協力する内容が、『百合宮 花蓮』に関することなのだ。


 尼海堂ルートでの最終攻略分岐は、百合宮 花蓮が白鴎 詩月に断罪されるかどうか。断罪されればバッドエンドとなり、されなければハッピーエンド。


 ヒロインである空子あきこの行動選択としては、遭遇した時に落とされる彼の台詞にヒントがあり、該当場所で何かアクションを起こすというもの。その行動結果次第で尼海堂側に変化が起きて、それが積み重なってエンドに変化が起きるのだ。


 しかし百合宮 花蓮は他の二ルートでは空子を陥れる悪役なのに、どうして尼海堂がそんな悪役を断罪から阻止しようとするのか、全く以って理由は不明。尼海堂という人物はよく分からないヤツである。


 そんなよく分からないヤツでも、このゲーム唯一の眼鏡キャラ。神出鬼没とか行動もミステリアス!というので、眼鏡好きにはこぞって人気のあるキャラだったのを覚えている。プレイ中、眼鏡好きでもない私は彼のことを『隠れ眼鏡』と呼んでいた。


 だからもしその尼海堂が関わっていたのなら、『百合宮 花蓮』が居ないことで同じライバル令嬢である麗花が『薔之院 麗花への断罪回避』に置き換わった且つ、春日井ルートとあわせて発生した可能性があるのではないか、ということ。


 考えれば考えるほど、そうではないかと思えてくる。

 あの場に尼海堂がいたらしいこと。麗花が取り巻きに嵌められる春日井ルート。不明なこともあるけれどそれらを踏まえれば、事象がしっくりと当て嵌まるのだ。





 断罪モドキから逃れられた麗花はあんな出来事があっても、あれからも変わらず楽しそうに学院生活を送っている。


 心配でしばらく毎日薔之院家に電話を掛けたけど、彼女は新しくできたお友達のことでウッキウキなご様子でした。ちなみにそのお友達の名前が『新田 萌』と聞いて、そこでようやくもう一人の取り巻きの名前だと思い出して目玉が飛び出そうになった私。


 話を聞けば麗花にとって大変好印象なようで、“取り巻き”ではなく“友達”であるのならば、まぁ……となった。

 緋凰アウトオブ眼中の件もあるし、取り巻きになっていないし、何より麗花自身が嬉しそうなので様子を見ようと思う。


 まったく緋凰のことさえどうにかすれば太陽編は万々歳だと思ったのに、何だこの落とし穴は。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 六月に入って梅雨を迎えたとある休日、自室の窓から曇天より降る雨模様を見つめて、窓枠に両腕をもたれかけさせてボーッとしていた。


 色々考えたり、心配事があって精神的負担がかかった反動が今きている気がする。……上手くいったり、いかなかったり。

 今までは何とかなってきたけれど、私がそこにいないどころか、様子を知ることもできなくなる中等部。そしていよいよヒロインが登場する、乙女ゲー舞台となる高等部。


 小学生の頃からあんなことがあると、より不安さが増す。お兄様が学院の内部改革に努められているとは言え、幾つか変わったことがあるとは言え、それを掻い潜って何かが起きてしまうような。



『……何故だか予感がするよ。君たちのランデブーには受難の相が出ていそうだ』



「予感、かぁ……」


 土門少年から言われたそれが、ふとした瞬間に浮かび上がる。


 何でだろう? 出会っていないからこその不安、なんだろうか? 麗花と同じように、私だって本来好きになる筈の白鴎を好きになってはいない。


 私は裏エースくんが好き。

 一緒にいたい。いつまでも笑い合っていたい。


 そう想う気持ちは本物なのに。



「……好き」


 ポツリと、呟きが落ちる。


 気がついた。誰も聞いていない一人の時だと、こうしてすんなりと想いのままに発せられる。私がを口にできないのは本人と、誰か人がいる時だけ。


 言葉にできないから態度で伝えている。どうして言葉にできないのか。伝えたいのに。言いたいのに。


 ――――貴方のことが好きなのに


 分かっていると言ってくれる。態度で伝わっているから大丈夫だと言ってくれる。言ってくれるから安心する。私も、貴方に不安なんて感じさせたくない。

 最初に口を滑らしたようなあんな感じじゃなくて、面と向かってただ一言。「好きです」、と。



 ――けれど、どこか知らないところでささやく声が、『絶対に駄目だ』と告げてくる。


 どうして。何で。よりによって“それ”を抑え込まなければいけないの? 私は感情のない人形なんかじゃない。本人に面と向かって伝えなかったから、言わなかったから断罪された。なら伝えなくては。言葉にして、想いを間違いなく届けなければいけないのに。


 曇天から雨粒がシトシトと落ちてくる。雨は雲の中の氷の粒が大きくなって重たくなり、その氷の粒が落ちてくる際に溶けて雨へと姿を変えて地上に落下するのだと聞いた。

 一体どこで聞いた話だったか、恐らく前世で見聞きした情報が残っていたのだと思う。勉学の一環とかではなくて、違うところで人から教えてもらった話。だって、何となくだけど憶えている。


 話の延長で、『それはまるで我慢して我慢して、結局抑えきれなくて溢れ出す涙のよう』だと。誰かのその感想が心に残っているから。


 前世。そう言えば、どうして“私”はかつて二十三歳までしか生きられなかったのだろう? どうして死んだのか、不思議とその記憶がない。


 乙女ゲームをしていたこと。優等生。不良の友人。短い間やり取りをしていた文通。今と同じく自分は細身であったこと。

 そんなことを断片的に覚えているが、電車の件や料理をしたことの有無など、生活面で妙にあやふやになっている。私はかつて、“誰”だったのか――……?




『――――――とがある。――――な話。聞いてほしいんだ、――に』




「……っ」


 ポロリと、まなじりから涙が零れた。


 ブワリと心の奥底から溢れてきて、耐えきれない程の感情が渦巻いて、息をするのも苦しい。



 ――好き。大好き


 ――いやだ。連れて行かないで。どうして


 ――――手が、届かない



 これは一体、“誰の”感情なのか。


 曇天から降る雨のように、流れる落ちる涙が頬を濡らしていく。



『……だからさ、何かあるんならちゃんと俺に言えよ。一人で悩んでお守りに頼るんじゃなくて』



 分からないの。どうして不安になるのか。


 乙女ゲームのようにはならない。私は貴方が好きだから。それなのにどうして? 彼に突き放された去年と同じ時期だから、麗花のことと重なって不安定になっているのか。あの時の気持ちはどこに行った。


 絶対に諦めないという、強い気持ち。泣きたくない。泣かないって約束した。

 大きくなんてなりたくない。ずっと、ずっとこのままでいたい。卒業したくない。離れたくない。けど。



 ――太刀川くんとずっと、ずっと一緒に笑い合えますように



 神様にお願いしたのは、そのは、“今だけ”の願いではないから。きっと同じことを願った、彼も。


 出会わなければいい。銀霜学院にさえ行かなければ、乙女ゲームのシナリオは破綻する。大丈夫。絶対に大丈夫!


 逸らされることなく、真っ直ぐと貫いてくる冷たい瞳が過るも、強く首を振って振り払う。


「私は」


 震える唇から落ちたものは、まるで目の前で降り続ける雨のよう。



「『私はもう二度と、貴方に囚われない』」



 心の奥で重なり合った言葉は一体、“誰の”言葉だったのか――……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る