Episode183.7 side 新田 萌① 一難去ると、一難元気にやって来る

 今日も私は拳を握って、気合いを入れてから教室の扉を開ける。

 すると室内にいたクラスメート(※ほぼ女子)から次々に、「おはようございます、新田さま」と挨拶をされるので、私もにこやかに挨拶を返した。


 私が薔之院さまへの大告白をした日以降、あまり話をしたことのなかった生徒からも話し掛けられるようになった。そして話す内容と言えばもちろん、薔之院さまのこと!

 どうも私のように密かに彼女に憧れを抱く生徒は多かったようで、中條派でも城山派でもない、主に中立の子達がそれに該当していた。


 薔之院さまに面と向かって言い、彼女の可愛らしい赤面を引き出すという偉業(?)を為したということで、そういう子達から私は羨望の目で見られるようになったのだ。


 私もあの日以来色々と吹っ切れたので、そういう隠れ薔之院派の子達を大々的に赤薔薇親衛隊ローズガーディアンズに入隊させるために、彼女に憧れている女子たちで輪を作り、日々積極的に薔之院さま談議に花を咲かせている。


「薔之院さまの使用されているハンカチなんですけれど、小振りのプリムローズが刺繍された、とてもお可愛らしいものをお持ちなの!」

「ご自身は凛とされていらっしゃるけど、持ち物はお可愛らしいものが多いですわよね! 可愛らしいものを身に付けられている薔之院さま、何てお可愛らしい……!」

「たまに秋苑寺さまと口論されていらっしゃるお姿は、本当に気高く高貴な薔薇のようですわ。男子にも臆することなく立ち向かわれるお姿、見ていてとても痺れますわ!」

「それすごく分かる!」


 こんな感じで教室の片隅できゃいきゃいしていたら、秋苑寺さまに見られていることがたまにある。

 女子人気が高くファヴォリで四家のお一人である秋苑寺さまだけど、例のトイレストーカー事件以来何かもう彼には恐怖しか抱けなくて、目が合ったらサッと他の子の身体で姿ごと遮っている。


 ……尼海堂さまへの長年の誤解は解消したけれど、秋苑寺さまはダメ。


 突然現れては消える且つ、睨まれていると思っていた尼海堂さまよりも、笑いながら名前を呼ばれて、いつまでもどこまでも追い掛けて来られる秋苑寺さまの方が怖かった! 別次元の怖さだった!!


 今はもうそんなことはされていないけれど、一度身にみ込まされた恐怖は消えない。つい秋苑寺さまからされた所業を零してしまった時、尼海堂さまは『え……』って顔をされていた。


 それで追い掛ける妨害内容は彼からの指示じゃなく、秋苑寺さまの独断だったことが私の中で判明。


 本当に怖かった……。早く中等部に上がってクラス離れたい……。尼海堂さまはもう怖くないのに、今度は秋苑寺さまを見掛けたら飛び退くことになるって。もしかして私、何かに呪われているんだろうか……?


「私、常々考えておりましたのだけど。皆さんは薔之院さまのお隣は、誰が一番お似合いだとお思い?」


 一人の子が密やかに発したその内容に瞬間、ハッと静まり返る女子生徒の輪。けれど息を呑んで一人、また一人と推す声が上がる。


「わ、私はやはり、緋凰さまではないかと。堂々たる薔之院さまには、これまた堂々とされていらっしゃる彼の御方がお似合いだと思いますわ。不死鳥親衛隊フェニックスガーディアンズも緋凰さまのお相手が薔之院さまでしたら、文句など言えないでしょう。というか言ったら潰しますわ」

「秋苑寺さまは? よくお言葉を交わされていらっしゃるのは、四家の御方の中でも秋苑寺さま一択になりましてよ。薔之院さまの素を引き出されるのは、秋苑寺さましかおられないのではなくて?」

「そうかしら。Aクラスの薔之院さま派から聞いた話ですけれど、白鴎さまとも度々会話をされていらっしゃると。ほら、サロンではどうなのか私達では知りようもありませんわ。もし誰にも見えないところで、密かに愛を育まれていらっしゃったら……」

「きゃああっ、嫌ですわ! 耽美たんびですわ!」


 確かに薔之院さまもお美しく、白鴎さまも目に毒なお顔だけれど。顔を真っ赤にして首をイヤイヤと振る彼女の頭の中では、一体どんな想像が繰り広げられているんだろう? とっても気になる。


「新田さまは?」

「え? あ……そうですね。私も緋凰さまかな、とは思うのですが……」


 一年生の頃は確かにそう思ってはいたけれど、最近はちょっと別の方のこともお似合いじゃないかな?と思い始めてきていた。


「春日井さまもお似合いかな、と」

「「「え?」」」

「え?」


 驚いたような声に見回すと、恐る恐ると。


「……新田さまは、春日井さまファンでは? よろしいのですか?」


 言われて、なるほどと思った。

 そして道理で春日井さまのお名前が上がらないとも思った。本当はそう思っている子もいるけど、私に気を遣ったらしい。


「ファンだからこそ、です。女子ばかりでなく、男子にもお優しい春日井さまであれば、薔之院さまをスマートに導かれるだろうなぁ、と。微笑み合う薔之院さまと春日井さまは、とても素敵な一枚絵だと思いまして」


 好きな人が好きな人と共にいる姿を想像して、ついニヤけてしまう。うん、絶対素敵!

 と、そんな私達薔之院派の輪の中に、新たな人物の影が差した。



「そのお話。私も混ぜて頂いても、よろしくて?」



 その人の登場に、周囲の子達がハッとなる。


「な、中條さま!? おはようございます!」

「おはようございますわ。ふふっ。朝からこのように薔之院さまのお話が聞けるだなんて……、正に耳の一花一葉いっかいちようですわ!」

「耳の一花一葉?」


 恐らく華道に掛かっているのだろうが、ちょっとよく分からない。

 華道を習っている子からは、「まぁ、その通りですわ!」と賛同を得ているので、多分そうに違いない。


 ちなみに中條さまも薔之院派で赤薔薇親衛隊ということは、既に学年では知られている。何なら親衛隊長ということも。

 何故ならあの日、薔之院さまとお話をさせて頂いてから教室に戻った時に――



『新田さま新田さま! よくぞ! よくぞ我々の存在を表に周知して下さいました!! 薔之院さまの赤面をこの目に焼き付けることは叶いませんでしたが、これからは表立って活動が可能ゆえ、目にする機会もございましょう! 私の目に狂いはありませんでしたわ。さすが薔之院さまの元に集いし、赤薔薇を守護するエリンジューム! 丸く可愛らしい花の下に棘をたずさえ、強き芯を持つ貴女を、赤薔薇親衛隊発足人として誇りに思いましてよ!!』



 ――と、午後授業が始まる五分前に、興奮しきりで両肩を掴まれて大々的に言い放たれたのだ。

 淑やかで真面目な生徒であると印象付けられていた彼女のその姿を見て、クラスメートが呆気に取られていたのはいい思い出(?)である。


 そしてそんな中條さま。中條派の生徒にはどう思われているのかと言うと。



『やはり……。薔之院さまが視界に入った時にばかりお話が饒舌じょうぜつになるのも、時々発作の如く息切れを起こされていらしたのも、本当に発作でしたのね……』

『まあ中條さまは例の彼女の一件があってから、薔之院さまをずっと。それはもうずぅっっっとお気にされていらしたものね……』



 本人は一派閥の主ということもあって一応隠していたようだが、バレバレだったらしい。


 隠していたものが正式にバレて如何いかんなく発作を起こす中條さまを、何とも理解ある仕方がなさそうな表情で、小さい子を見るようなとても優しい目をして見守っている。うん、今もこちらを見て微笑まれていらっしゃる。


「それで、中條さまはどなただと?」

「確かに皆さまが仰るように、四家の方々どなたともにお似合いだとは思いますわ。けれど私は……悔しいですが、今のところは尼海堂くん一強だと感じております」

「「「尼海堂くん?」」」


 首を傾げて視線を交わせ合う様子は一体誰のことだと言っていたが、私は中條さまのその発言にドキリとした。


「ええ。一年生の頃より見ておりますが、薔之院さまは秋苑寺さまよりも、尼海堂くんにお気を許されておりますわ。凛と気高きあの御方の、桃花とうかのようにふわりとした柔らかな笑顔が垣間見られるのは、いつも尼海堂くんがお隣にいる時だけですもの。あぁ! それを目撃しては赤きシクラメンの如く、嫉妬の炎が燃え上がって……!! …………結衣。我慢、我慢しなければ。こんな大勢の前でアレを噛む訳にはいきませんわ!」


 両手で胸を押さえて軽度の発作を起こす中條さまに、女子生徒たちはハラハラオロオロとしているけれど。そんな中でも中條さまの仰られた内容が頭から離れず、私は静かに彼女たちの様子を見つめていることしかできなかった。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 あれからどうにも気落ちして、そんな私に気を遣ってそっとしておいてくれることが何だか居たたまれなくなって、教室から出て校舎を当てもなく気分転換に一人トボトボと歩いている。

 五月がもうすぐ過ぎようとしている空はとても良いお天気で、散歩には持ってこいの気候。


 ふと立ち止まって窓から空を見上げ、そんな空模様を見て物思いにふけった。



『凛と気高きあの御方の、桃花のようにふわりとした柔らかな笑顔が垣間見られるのは、いつも尼海堂くんがお隣にいる時だけですもの』



 私もそう思う。いつも薔之院さまを見つめている時に感じていたのは、尼海堂さまとご一緒だとよく笑われていらっしゃるなぁ、ということ。

 いつか、どんなお話をされているのだろうと考えたことがある。その時は想像もつかなくて、いま想像すると……してもダメだった。本当にどんなお話をしていらっしゃるのか見当もつかない。


 だって好きな人が自分との会話で楽しそうに笑ってくれたら、嬉しい。薔之院さまが笑みを溢れされるのは、特定の人に対してだけだから。


「……はぁ」


 口から小さく息が落ちる。


 薔之院さまにとって、尼海堂さまは特別で。尼海堂さまにとっても薔之院さまが特別なのは、初めから解っていたことだった。それなのに。

 改めてそんなことを考えた時に、どうして苦しい気持ちになってしまうのか。


 苦しいのは薔之院さまに対して? ……ううん。


 ――尼海堂さまに対して



「おはようございますわ、新田さま」


 凛とハッキリとしたお声に呼ばれてパッと振り向けば、薔之院さま……と、尼海堂さまが一緒に来られていた。

 ……あれ? 尼海堂さま、初めからそこにいらっしゃる……?


「……新田さま? どうされましたの?」

「えっ、あっ! すみません! おはようございます!!」


 いつもは途中で出現される人が初めからいることに驚いていたら、反応の遅い私に薔之院さまが怪訝そうにされて、慌てて挨拶を返す。彼女はふっと笑って再度、「おはようございますわ」と返して下さった。


「窓の外を見つめていらっしゃって、何かありますの?」

「あ、いえその、きょ、今日も良いお天気だなぁって見ていました!」

「そうですわね。けどそろそろ六月に入りますし、長雨の季節となりますから、惜しまなくてはなりませんわ」


 今日も艶々と素晴らしい巻き具合の縦ロールを揺らして顔を傾けて空を見上げる横顔は、いつまでも飽きずに見ていられる。


 聖天学院で晴天に一時の別れを惜しむ。

 さすが薔之院さま。風流だわ……!


 溜息を吐いて鬱々としていたのも、どこか彼方。思わず変に緩みそうになる頬を微笑みの形に維持していると、そんな私を見つめている視線があることに気づく。


「あ……」


 見られている。

 尼海堂さまに。


 怖い人じゃないと認識して、初めて相見あいまみえる。

 怖い人じゃないからもう飛び退かない。尼海堂さまも飛び退かない私に、もう目を細めてきたりしていない。


 ……なに急にドキドキしているの私!? え、待って何で、どうしよ、どうしよう!? というか何で尼海堂さまは私を見ている…………あ!


 薔之院さまには挨拶したのに、尼海堂さまには挨拶してなかった!!


「おはようございます、尼海堂さま!」

「……おはよう」


 自分は無視かということだと思って、慌てて挨拶しても……視線が! 視線が剥がれない!!


 見つめられたまま内心アワアワとしていたら窓の外から顔を戻して、そんな私と尼海堂さまを交互に見た薔之院さまが、何故か微笑まれた。


「……ふふっ! 忍、私は先に行きますわね? ではごきげんよう、新田さま」

「えっ」


 とても楽しそうなお声で笑い、尼海堂さまを置いてこの場から去って行かれる。尼海堂さまはそんな薔之院さまの後ろ姿を眉根を寄せて見送っており、私はもう隠すことなくアワアワとしてしまった。


「な、何で薔之院さま」

「……新田さん」

「ひょえっ!?」


 思わずビクつけば、また私に目を細め……あ。


「ち、違います! 尼海堂さまが怖いとかじゃなくて! えっと、だからその、アレがあれで!?」

「……」


 自分の中で纏まっていないから、意味不明なことしか言えてない!


「……見ても、飛び退かないから」

「え?」


 ボソッと何事かを言われて聞き返すと、再度告げられる。


「自分を見た時にいつも飛び退く。この間は後ろに木があった。今日は、違う」


 よく見れば、不思議そうなお顔をされていた。


 あ、そっか。私が初めから尼海堂さまがいたことに驚いたように、私が逃げないことが尼海堂さまにとってはいつもと違うことだから……。って、ファヴォリ相手に怖くて一方的に正面きって逃げ出すって、改めてどれだけ長年失礼なことをしていたの私ぃ!


「ほっ、本当に、本当にすみませんでした! いつも薔之院さまを密かに見ていたら、だって尼海堂さまいらっしゃらなかったのに、いつの間にかお隣に現れるので! それが初めは怖くて、私を見る時いつも目を細められるので、睨まれているとも思って。だからいつも、と、飛び退いてしまいました」

「……」

「でも……睨まれていなかったんだって、あの日知って。だからその、私、もう尼海堂さま怖くありません。怖くないと言うか、むしろ……むしろ……」


 むしろ、なんて言うつもりなんだろう、私。

 何か勝手に口からどんどん言葉が滑り落ちて行っているけれど。何かだんだん顔に熱が篭っていっている気がするけれど!


 自分でも明らかに混乱しているのが判って少し落ち着こうと、スカートに触れ……あ。ポケットからそれを取り出して、彼へと差し出す。


「あの、遅くなってすみません。ハンカチ、貸して下さってありがとうございました」


 両手で差し出したハンカチを彼が受け取る際に、指先が……少し、触れた。



「っ」



 息を呑んだのは、私じゃない。


 けど、目を見開いてしまう。尼海堂さまのお顔が。

 彼の頬が――――薄らと、赤く染まっていたから。


「……っ!?」


 その反応に、何故か私の心臓もまた跳ねて。


 怖くないのに不思議と飛び退いてしまいたい衝動に駆られたけれど、彼の口元が何かを伝えようと動かされるのが分かって、動いては――逃げてはダメだと、必死に足に言い聞かせる。


 ドキドキしながら彼の言葉を待つ。

 頬を淡く染めて、真っ直ぐな眼差しに囚われる。


 見つめて。見つめられて。

 その口元が、確かな意志を持って。



「……じ「忍くんおっはよーー!!」



 何事かを尼海堂さまが発したと同時、その背後からピョッと、秋苑寺さまが出現した。


 熱く跳ねていた心臓が今度は嫌な感じで跳ね出す。顔に篭っていた熱がザアアと急激に退いていく。秋苑寺さまが――――私に気づいたぁ!!


「あれ? 新田さんもいたんだ。おは…」

「ひょわあああぁぁぁぁっ!!!」


 笑顔で名前を呼ばれながらいつまでもどこまでも追い掛けられる恐怖を前にして、失礼とか関係なく私はもう条件反射でその場から脱兎の如く逃走した。


 ダメだった! 我慢できなかった!!

 秋苑寺さま怖いいいぃぃぃぃ!!!





「え、何で逃げてったんだろ? あ……えっと。俺さ、もしかして何か邪魔しちゃった?」

「…………」



 ――――少年を取り巻く色々な悩みは、当分尽きることはない。

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