Episode183.5 side 薔之院 麗花⑫ 海棠鳳-そして少女は約束を交わす 前編-

 嫌われていた。一人でもいいと、友達なんてできなくてもいいと思っていた。……けれど。


 花蓮と、瑠璃子と出会って。


 彼女たちと出会って友達になれて。私を好きになってくれて。両家のご家族も私のことを好きだと言ってくれる。私の両親も、そして薔之院家で働いてくれている手伝いの者たち。西松も田所も、皆。


 好きだと言ってくれる私のことを、そうして少しずつ自分でも好きになれた。だから学院に入学しても、私自身を見てくれる誰かを探すことを諦めなかった。


 サロンに一人でいる姿を初めて見た時、周囲を観察しているように見えて、けれど観察しているのに誰にも関心はなさそうに感じた。そこから動かず視線だけを巡らせていて、ただただ様子だけを窺っていた。


 不思議な子だと思った。それに視線を巡らせているのに何故か私とは視線が合わなくて、この子も私を避けてそうしているのかと、最初はそう思った。けれどよくよく見ていると、ただ単に関心がないだけなのだと判った。


 “私だから”避けているのではない。この子は“私でも”関心がない。なら……、初めから印象がゼロからのスタートだったら、私自身を見てくれる可能性があるのでは?


 そう考えて、だからこそ話してみたいと思った。


 今日こそは勇気を出して声を掛けて、あの子の隣に座ろう。そんな決意を秘めて入室したサロンでは問題が発生していたわ、秋苑寺には捕まるわで散々だったが、緊張してキツくなってしまったけれど何とか声を掛けて隣に座ることができたのだ。


 忍はきっとあの時隣に座っていた私が、もの凄くドキドキと心臓を鳴らしていたことなんて、想像もしていなかったでしょうね。



 ――――本を読む振りをして次に何て声を掛けたらいいのかと、グルグルと悩んでいたことなんて





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





「私のせいだったあああぁぁぁ!! ごめんなさいいいぃぃぃ!!!」

「……」


 歌鈴から伝言を聞いていたから家にいるとは知っていたけれど、自室に入ってまさか土下座でそんなことを言われて出迎えられるとは、さすがに思わなかった。何だってこう、この子の行動はいつも突飛でトんでいるのか。

 いくら何度も来ていて知れた仲だとは言え、余所様のお宅で土下座なんてするんじゃありませんわよ!


 素早く自室の扉を閉めた後、思わず小さな溜息が溢れた。


「何なんですの一体。何が貴女のせいなんですの?」

「お正月におみくじ引いたんです。今年の運は中吉だったんです。【争事】の内容がアレでした。『友にあり』ってありました。ちゃ、ちゃんと手順に従って厄落とししたんです。それなのに麗花に争事が起きちゃって。そのことをさっき来る途中に思い出して、これはもう全面的に私が悪いのだとキノコが生えるコンマゼロ秒……」

「何を言っているのか分からなくなっていましてよ。いいから普通に座りなさい」

「はい……」


 しょんぼりとした彼女はノロノロと体勢を起き上がらせたものの、次の瞬間には近くにあったクッションを抱えて、へにゃりと床に転がり始めた。


 座れイコール転がれ、ではなくてよ!? ……転がると言えば。


「貴女、緋凰さまとはお知り合いでしたの?」

「えっ。いや、知り合いって言っても、顔見知り程度の認知度だよ? それって厳密に言っても知り合いじゃないからね!?」


 この子はたまに緋凰さまのことを口にするが、知り合いではないと言う。けれど私と同じようにパンダの着ぐるみを着用した彼女と接した言動で、自身が知る人物に該当すると彼はハッキリと断じていた。


 ……お母様の世代は百合宮家含め、四家の家とも同世代と聞いている。親同士の関係であったのなら、催会には出ずとも知り合う機会は多少あるのかもしれない。白鴎さまのことは別として。


「……麗花ぁー」


 鞄を机の横に掛けて荷物を整理していると、間の抜けた声に呼ばれた。振り向くとクッションに顔半分をうずめながらも、私を見つめる瞳の中に心配の色が滲んでいる。


「どうして手紙のこと、すぐに言わなかったの?」


 あの場にいた時から、何か言いたそうな様子は見せていた。必死に表情を取り繕っていたけれど、私が電話の声を聞いてこの子の様子が変だと判るように、この子も私の取り繕ったものなんてお見通しなのだろう。


 ……あんなことをされるだなんて、全く考えてもいなかった。


 私のことに関して色々と言われていることは知っていたけれど、それこそ有象無象にどう思われようが気にしてはいなかった。私自身のことをちゃんと見てくれているのであれば、緋凰さまが仰ったように、きっとそんな話は信じないだろうから。


 整理する手を止めて、転がっている近くへと私も座り込む。


「……傷つくと思いましたの」

「ん? 傷つくと思ったって……傷ついたのは、麗花でしょ?」

「あれはきっと、なるべくして起こったことですわ。学院の中に私のことを快く思わない生徒がいることは、初めから分かっておりましたもの」


 派閥のことも頭に入れていた。女子の中では同じファヴォリの中條派と、そして――城山派の二派が抜きん出ている。


 その城山派のトップが私を嫌っている。

 教師陣は特権階級であるファヴォリであり、生活態度も成績も優秀な私を高く評価している。だから嫌いな私の足を取ろうとまだ御しやすい生徒に向けて、私の悪口を吹き込んでいるのだろう。


 どうして放っておいてくれないのか。あれから私は特に彼女に対して何も言っていないし、むしろ互いに嫌な思いをすることのないように避けているのに。


「あのように嵌められたことに関しては、私がただ平和ボケしていただけなので、気づかなかった私が悪いですもの。昔から外野に色々と言われておりますのに、今更室内を荒らした犯人に仕立て上げられようとされたところで、傷つきなんてしませんわ」

「でも」

「私があの時黙っていたのは……、予想外のところを、突かれたからですわ」


 城山さんと新田さん。


 城山さんの周囲にいる他の女子生徒と違って、いつからか私のことを、キラキラとした目で見てくるようになった生徒。

 一年生の運動会で助けたことに、特別な意味なんてなかった。あれが新田さんでなくとも私は助けに戻ったし、本当に当たり前のことと思ってそうしただけ。


 そうして新田さんがキラキラした目で私のことを見てくるようになったと同時。

 忍も、いつの頃からか彼女を気にするようになっていた。彼女もどうしてなのか、私の隣にいる忍を見ては後ろに飛び退く行動を取るのを、最初は不思議に思って見ていた。


 けれどその意味に気がついたのは、花蓮の恋愛話を聞いてから数日後。


 飛び退くのはこっそり(してはいなかったけど)見ていたことが忍に見つかって、恥ずかしかったからでは? そんな新田さんをジッと忍が見つめているのは、彼女に…………恋をしているからなのでは!?


 何てこと!と、私は衝撃を受けた。

 新田さんは最初から私を見ていたのではなく、その隣の忍のことを見ていたのだ! 私の身近にいるお友達が皆、春真っ盛りだ……!!と、そうビビッときてしまったのだ。


 自分に向けられる視線は分かると思っていたが、自意識過剰だったかもしれないとちょっとだけ恥ずかしかったのはここだけの秘密である。



 だから新田さんが秋苑寺から変態トイレストーカーされているのを助けた時に、これをきっかけに恋のお手伝いが何かできるのではないかと考えていた。


 どうも彼女は私のことを苦手そうではなくなっているようだし、忍はいつも私に関わることで(コソコソと)動いてくれていた。いつも忍が何かしら助けてくれていて、ならば今度は私が彼の恋を手助けできたらと、そう思ったのだ。



『えっと、尼海堂さまのこと、なんですけれど』



 彼女の口から忍のことが出てきて、これは!と心中で歓喜した。忍のお友達である私に彼のことを聞くのは、忍のことが気になっているから!!

 嬉しくなってつい前のめりになり過ぎたせいか、取り下げられてちょっと残念だったけれど……。


 けれど私と彼女が一緒にいれば、忍もひょっこり現れるかもしれない。そうしたら橋渡しできて、もしかしたら……もしかしたら、彼女は私とも、お友達になってくれるかもしれない。


 城山さんと仲は良いけれど、彼女の派閥ではない。

 城山さんを避けてはいるけれど。


 新田さんのことは、嫌いじゃない。





『城山さまに、あ、謝って頂けませんか』



 高位家格の家の令嬢である私に、唯一面と向かって物申してきた家格の低い令嬢。花蓮と出会う前に、初めて“私”に真正面からぶつかってきた令嬢。


 最初こそ城山さんの影響があったから酷い始まりだったけれど色々なことを経て、新田さん個人に対しては私の彼女への印象は好転していった。


 忍の恋のキューピッドと秋苑寺対策で始まった絵のモデルは、しかし後者に対しては有効だったのに、肝心の前者がまっっったく様子も見に来ないとは思わなかったけれど。何かあったのかしら……。


 それでも新田さんと二人で過ごす空間はとても過ごしやすくて、心地良かった。私の話をキラキラと瞳を輝かせて、頬を薄らと赤く染めて、嬉しそうに聞いてくれて。少しずつ、彼女と近づけていることが嬉しかった。だから――……。



「手紙のことを彼女が知ったら。私を嵌めるために自分が利用されたのだと知ったら、彼女は自分のせいだと責めますわ。気づかなかったのは私の落ち度ですのに。自身のお友達を利用してまで、嵌めようとしてくると思い至らなかった、私の……!」



 約束の場に来なかった。

 荒らされたのが呼び出された場だった。


 何事かを私に謝ろうとしてきた。その何事かはスケッチブックの件だと、問題現場名を聞いた時点で見当はついた。あの時の新田さんの様子は、本当に戸惑っていたから。

 演技などできるような生徒ではない。そんな悪事に手を貸すような生徒ではない。だって。


 だって彼女は……観察するだけで個人に関心を持たない忍が、気にしている存在だから――……。



「彼女が傷つくのを見てしまったら、傷つく人が他にもおりますの。だから私は……」

「……隠そうと思ったの? 言わなかったら。鈴ちゃんがいなかったら、手紙のことは麗花と犯人しか知らないから」


 緩慢に頷く。

 私が口にしなくても、見過ごすことなどできなかった歌鈴が口にしてしまった。


「私のせいですの。私が浮かれて、気づかなかったからこんなことに。私はただ、お友達だから手助けがしたかっただけで、彼女と仲良くなりたかっただけですのに……っ」


 制服のスカートを握り締める。


 私が気づかなくてまんまと嵌められたから。

 新田さんも、忍も。


「気づかなくて当然だよ」

「……え?」


 怒りの滲んだ声に見れば、彼女がクッションを顔から離してちゃんと座った。


「楽しく学校生活を送っていたら、そんな悪意なんて気づかなくて当たり前。そもそも何で自分が悪いって思うの? 根本的に悪いのは嵌めようとしてきた生徒の方じゃん。いい? 麗花は全面的被害者なの! 他の人のことを麗花は心配しているけど、麗花だってしっかり傷ついてるよ。そんなことを言うくらい、麗花だって傷ついているんだよ!!」

「っ」

「同じ学校じゃないから分からないけど、でも学院でどう過ごしているのかは、お兄様から聞いて知ってる。あの時お兄様が言っていた言葉は、私と接している普段の麗花と一致する。麗花は間違ってないよ。間違っているのは麗花を誤解している生徒の方! 自分が気づかなかったから、自分が嵌められたのが悪いだなんて、絶対に思わないで!!」

「花蓮……」


 スカートを握り締めている手に、温かな手が触れる。指を一本一本スカートから解かれて、きゅうと優しく握られた。


「麗花がそうやって自分を責めるくらいに、あの学校で大切な子ができたんだね」

「……お友達ですもの」

「昔は友達できないできない!って、騒いでいたのにね」

「……そうですわね」

「そうして気が緩んで楽しく学校生活を送れるのは、麗花のことを守ってくれる子がいるから。さっき自分でも言っていたけど、逆に守りたい子だって、貴女にはもういるんだよ」

「…………」

「麗花は嫌われてなんかいない。――もう、どこに行っても一人じゃないよ」


 ここにもいる。

 私を守ってくれて。私が、守りたい子が。



『……薔之院さんにとってその子って、そんなに大事?』


『俺と忍くん合わせたら?』



 どちらかなんて、そんな選択肢がある訳ないでしょう。どちらも私にとってかけがえのない――――大切な存在なんですから。



「花蓮」

「うん?」


 首を傾げて穏やかに微笑む彼女の肩に額を乗せる。ポンポンと頭を撫でてくる温かい手があることに、涙が出てくる。



 ――――もう私は、『私が嫌い』なんて言わない



「明日、奏多さまはご自宅におられますかしら?」

「……ん? え、何でお兄様? いると思うけど」


 肩から顔を上げ、目をパチクリと瞬かせている彼女に微笑み返した。



「――ご相談させて頂きたいことがありますの」

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