Episode183 海棠鳳⑫-忍の衝撃-
真っ赤な顔をした麗花が新田さんを連れて行くのを見て、防御壁を見事に粉砕したのだと理解した。
AとCの間に挟まれているクラスだから、彼女が通る姿は注意して見ていれば分かる。通った時点で自分も教室から出てAクラス寄りの廊下で待機していれば、新田さんによる麗花への大告白が始まった。
何ともまぁ率直な物言いで、ドストレートな内容。麗花にとって好印象の人物からの公開告白は、さしもの彼女も耐えきることができずに陥落した模様。
うん、絶対に麗花はストレートな物言いに弱いな。
前に秋苑寺くんの言った告白モドキの意味もあまりよく解っていなさそうだったしな。ぜひとも緋凰くんには見習って貰いたいところである。
そして彼女たちが去った後の教室近辺では、今しがたの出来事に話が咲き乱れていた。
どういうことなのかと混乱する者。憧れなのか恋愛なのかどっちだと興奮する者。
取り敢えずマイナスな面が表に出るどころか、麗花に対する印象としては好奇なものもあるが、
一人が表立って憧れていると大々的に口にしたのなら、隠れファンは意外に多いと緋凰くんが言っていたことが真実であれば、後に続く者は少なからず出てくる筈である。あの中では目を輝かせていた人間がそうだろう。
恐らく中條派は頂点の中條がアレなので、問題は……多分ないが、城山派ではないその他の生徒が入隊してくれれば、より彼女の安全は強化される。
……新田さんはちゃんと麗花と向き合い、心からの言葉を伝えた。なら、今度は。
後ろを振り返る。
Aクラスと対極の位置にある、Eクラス。
一度も直接言葉を交わしたことはない。相手が自分のことを知っているかも不明。……後からでは遅い。
動き方次第で結果は変わる、変えることができる。
「……」
今度は、自分が伝える番だ。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
「忍」
「……」
放課後すぐに教室を出てそのままEクラスへと向かおうとしたところ、後ろから聞き覚えのあり過ぎる声に呼び掛けられて振り向けば、麗花が仁王立ちしてそこにいた。
昨日と同じく拗ねた表情をしており、それを目撃した生徒たちは何やら頬を赤らめながらも、そそくさと立ち去っていく。
……新田さんのことだろうか? どうせ、知っていて教えてくれなかったとかいう文句を言いに来たんだろうから、ちゃんと後で聞くからとサロンに向かうように誘導しよう。そうしよう。
「……話なr」
「また今からコソコソと動こうとしておりますわね!?」
だから何でいつもそういうのは分かるんだよ!?
自分顔に出してなかったよな!?
ツカツカと歩いてきたかと思ったら、グイッと袖を掴まれて引っ張られる。
「私の問題に私を除け者にするとか、あんまりでしてよ! 私が原因なのであれば、原因たる私こそがそれを断ち切らなければなりませんの! 私だって……私だって守られるばかりの、弱い人間ではありませんわ!!」
「!」
「助けを一方的に享受するばかりがお友達という関係ではなくてよ! そうでしょう!?」
「……」
相変わらずの、ド正論。
まさかそのド正論を自分が受ける日が来るとは思わなかった。
……守りたいと思うばかりで、対象の気持ちを置き去りにしていた。そうだよな。いつも言っていた。仲間外れにするなと。
伝わったことを悟り、麗花の表情も幾分か緩くなる。
「Eクラスに……、城山さまのところへ?」
「そう」
「一応伝えておきますけれど。新田さまは朝に彼女とお話しして……決別されたそうですわ」
「……そう」
話をすると言っていた。
先に、城山の方を整理していたのか。
「あら……?」
疑問の声に彼女の見る先を向くと、話をつけようとしていた城山が教室から出てきていた。それだけなら別に何もおかしくはないだろうが、麗花が疑問の呟きを溢した理由を視界に収めて、自分も同様に感じた。
何故なら、春日井くんが城山の隣に並んで歩き始めたからだ。
歩きながら二言くらい彼が話し、城山が頷いて二人、どこかへと向かい始める。
「何故かしら」
そう思うのも当然のこと。
女子に対してはフェミニストで丁寧な姿勢を崩さない彼だが、変な勘繰りや噂が立たないよう、女子と一対一で行動することは避けているようだったのに。それもこのタイミングで、である。
……緋凰くん関係か? いや、親友の恋愛相談を蹴っているくらいだし、親友の意中女子が嵌められたからと言って、彼がこの問題に加勢するとはちょっと思えないが……。
追うべきかどうするか迷っていると、再度袖を引かれた。
「追いますわよ」
「何故」
聞くと真剣な表情が返ってくる。
「勘ですが。――これは、私関係な気がしますわ」
ド正論を言う彼女から、これほど根拠のないことを言われる日が来るとは思わなかった。
そうしてこっそり気づかれぬように後を付いて行けば、二人が向かった先は三階の多目的教室だった。道順から大よその見当がついたらしい麗花は、途中で苦い物を噛んだような顔をしていた。
ピンポイントでここに来たということは、もう今回の件で間違いない。麗花の勘がヤバいというのも知れた。自分に対する行動予測も含め、彼女は探偵という職業も将来の一つとして考慮したらいいと思う。
そこにいるだけで存在が目立つ麗花には、相手に気づかれないように教室側の壁に待機してもらい、そこにいても存在が気づかれない自分が中の様子を観察し、話し声が聞こえるように扉を薄く開けた。
すると、丁度春日井くんが話し始める。
「――どうして今日、君に声を掛けたか分かる?」
それはまるで世間話の一環とでも言うような、彼らしいとても穏やかな声音。
城山は緩く首を傾げた。
「私も不思議でしたわ。ファヴォリでも高位家格の筆頭であられる春日井さまが、私と個人的にお話があるだなんて。どのような内容なのでしょうか?」
「ファヴォリでも高位家格、と言うのなら。僕だけじゃなくて秋苑寺くんもそうだよね。色々考えている君なら、今日彼が来た理由も本当は分かっているんじゃないのかな?」
「……大沼さんのことなら、私は何も知りませんでしたわ。ずっと有栖川さまのことを案じていらしたのは知っておりましたけれど、まさか、あんなことをするだなんて……」
悲壮な声と表情で俯く城山だが、春日井くんの穏やかな表情は変わらない。
「親交行事より前に、教室で話していたこと。女の子同士の話に悪いとは思ったけど、不思議と耳に入ってきたんだ。確か、『新田さま、大丈夫かしら? 皆さんも聞いていらしたでしょう? どんなお気持ちで今、薔之院さまに連れられているのかしら……。有栖川さまのようなことにならなければ良いのだけど……』だったっけ? どうしてファヴォリ間でしか知られていないことを、知ったように口にしていたのか疑問だった。……色々と、教えてくれる生徒が近くにいるみたいだね?」
「流行ですとか情報を先取りしなければ、この学院の生徒としては将来に関わると思っておりますので」
「うん、僕も一理あると思う。その考えは否定しない。――けど」
彼の纏う雰囲気が、そこで変わった。
「それが初めから誰かを陥れようとして口にした言葉だとしたら、僕は共感できない」
微かな圧だけが雰囲気にも、言葉にも込められている。
「上手くその人の心理を突いているよね。自分の言動が他人からどう見えて、どういう印象を与えるのか、よく解っている。だから――――あの時の薔之院さんの言動も、君がそうして引き出したものだ」
ピクリと、麗花の肩が小さく揺れたのが視界の端に映った。
「よく話し掛けていたから、彼女がどういう人間かを君は解っていた。だから彼女の
「私が、薔之院さまに何かしたと?」
「僕はそう結論付けている。違うと言うのならそう言えばいい。それを僕が信じるかどうかは、僕の問題だけど」
「……意味がありませんわね。だって春日井さまは、ご自身で結論付けたと仰ったもの。私の言動を誤解されてしまったのでしたら、それは私の責任ですわ。信用を取り戻すべく
本質の見極め。
簡単なようで難しいこと。一度結論付けた印象がそこから
――ずっとその人のことを気にしていなければ、できないことだ。
そして城山が口にした言葉の意味。信用を取り戻すべく邁進する、ということはやはり状況が不利だと、大人しくすることを意味している。
学院内で麗花に味方が増えることもそうだが、何より特権階級であるファヴォリの……その中でもトップクラスである四家中二家の御曹司が直接言ってきたのだ。
城山は有栖川のように単純な直情型ではなく、頭の回転が速く悪い意味で賢い。相手を陥れるやり方も派閥の形成の仕方からも考えて、彼女とは長期戦になる。そう判断した。
きっと今回だけでは終わらないだろう。何故なら自分の彼女に対する印象が、一年生の頃からずっと――ハイエナだから。
麗花の制服の袖を引き、場所を移動すると伝える。話の流れから見て、同じようにそろそろ終了の気配を感じ取っていた彼女も頷き、そそくさと隣の教室へと移る。
暫くすると室内ローファーのカツカツとした音が響いて、そこから離れ始めるのを耳にした。
「……私、別に嫌われていても良いと思っていましたの」
隣で並んで座る麗花からポツリと落とされた呟きに、黙して耳を傾ける。
「万人に好かれる人間なんておりませんし、私のことをちゃんと見て好きだと思ってくれる方が居れば、それだけで充分だと。あんなことを言われましても、正直今更……と思いますけれど。でも……」
キュ、と恐らく無意識だろう、袖が掴まれた。
「これは……どういう感情なのかしら。とても複雑で、難解で、グルグルと渦巻いておりますわ」
どういう感情なのか……。
『守って下さって、ありがとうございます!』
同じことが言える。違うと感じた。
麗花に抱く気持ちと、彼女に抱く気持ちが。
気になって、放っておけなくて追い掛けた。自分から近くに寄って座った。
言動が誤解されていることは薄々感じていて、どうしてそう受け取られるのか悩んだこともある。
何かが
……何か、こうした似たような内容を前に考えたことがある。あれはいつだったか。確か……。
不意に隣へと顔を傾けて――――ギョッとした。
真っ赤、なんだが。
瞳も潤んで、何もない床を睨みつけているのだが。
「グルグルして、全っ然落ち着きませんわ……! 妙に心臓がドキドキして、でも嫌な感じのものではありませんわ。何なのかしらこれ? 病気かしら」
それ前に自分も同じこと考えた。そして違った。
え。え? 待てこれ一体どういう……。
「ま、前と同じように対応できるのか、もの凄く不安になってきましたわ。ああっ、何か余計なことを言ってしまいそう! クラスが遠く離れていて、これほど幸いなことはありませんわ!」
余計なことを言わないか、挙動不審にならないかの心配? 真っ赤な顔? ……待て、まさか!!?
――ガラリ
「ねぇ、いつまでそこに隠れているの?」
バッと二人して顔を向けたら、扉を開けた春日井くんがそこにいた!!
考え事と辿り着いてしまったまさかの衝撃で全然気づかなかった! 今まで堂々と彼と向かい合っていた麗花が、初めて自分の背に隠れたのだが!? ……喋る気配がない!!
「……何故ここにいると」
仕方なく自分が対応すれば、中に入ってきた彼が苦笑して答える。
「いや、薔之院さんのように目立つ生徒に付いてこられたら、普通気づくと思うよ? 尼海堂くんだけだったら多分気づかなかったけど」
言われ、長年一緒にいることでそれを見落としていたことに気づいてももう遅い。
「尾行に気付いていたのに、話を?」
「今回のことは、僕も色々と思うところがあったんだよ。先延ばしにはできないと思ったし。……薔之院さん」
……掴まれている袖に力が入ってきた!
「今更だと思う。けど、あれが僕の君に対する答えだ。……もう覚えていないかもしれないけど、あの時あんなことを言って、ごめん。余計なお世話だったかもしれないけど、それでも。――それでも、僕があの時、君を傷つけてしまったことは事実だから。許してほしいとは言わない。これはただの僕の自己満足だから。……本当は、こんなことを面と向かって言うつもりもなかったんだけど」
「……本当に、今更ですわね」
「本当にね。何も見えていなかった僕が悪かった。見えるようになったのは彼女と、君のおかげだ。――ずっと、変わらないでいてくれてありがとう。薔之院さん」
麗花からの返答はない。自分の背から顔も出さない、らしくない彼女に再び苦笑して、春日井くんは次に自分を見た。
「本当に仲が良いよね。まさか途中で、室内ローファーを脱がせるとは思わなかった」
いや、放課後で人気がなくなるのにカツカツ鳴るローファーなんて、尾行には最悪だし。
指摘したらえって顔はされたが、背に腹は代えられなかったようで麗花は素直に脱いだ。あ、いまコソコソ履き直しているな。
「あと尼海堂くんには陽翔が迷わ……世話になっているようで、それもごめん。色々と助言して本人に任せた行き先が、何か一つに集約されたみたいで」
その集約先が自分だと? ……好きな人の情報収集と、人とのコミュニケーションが自分で
「引きt」
「でも尼海堂くんさえ良ければ、付き合ってあげてほしい。陽翔も成長しようとしているから」
あれ? もしかしていま意図的に遮られた?
……何だ!? 春日井くんのキラキラ笑顔から圧を感じるぞ!?
「……親交行事中、緋凰さまと仲が良さそうでしたわ」
どうしてここでそんな発言をボソッとする!
仲良くはなかっただろ! 緋凰くんが自分にグイグイ来ていただけだぞ!? 何だこれ。あれか? 前門の虎、後門の狼ってやつなのか……!?
「………………承知、した」
「ありがとう。よろしくね?」
四家の御曹司からの頼み事に屈したとかじゃない。微笑みの圧が、何か百合宮先輩を思い起こさせたからとかでもない。
緋凰くんにはもう引き返せないところまで関わってしまっているしな。うん、仕方がないよな……はは。
「じゃあ僕はこれで。またね、尼海堂くん。……薔之院さん」
「気を付けて」
「…………ごきげんよう」
顔は出さないが、辛うじて挨拶は返した。そんな麗花の様子には小さく微笑んで、そうして彼は教室から出て行った。
……自分と四家の御曹司との関係を整理する。秋苑寺くんとは友達。白鴎くんもその関係か、以前より話す頻度は増えた。緋凰くんは言わずもがな。その中で春日井くんだけが、距離が遠かった。
いやほとんどの生徒とは遠いが、何気に彼らと関わり合う中に限っての話である。男子にもフェミニストで物腰柔らかで、四家の御曹司の中では一番話しやすい人物だと……そう、思うのだが。
――自分は一度、彼から敵意のようなものを感じたことがある。麗花と手を繋いで一緒にお茶を交換しに行った、あの時。
あれ以来彼からは自分に対して何かを感じたことはなかったが、その件が引っ掛かって微妙に避ける傾向にあった。
そして麗花は未だに自分の背に引っ付いていると。
「……麗花」
「……だって。こんな顔、見せられませんもの……」
目が遠くなる。
本当に大変なことになった。どうするんだこれ。
春日井くん、ストレートな物言いだったな……。
恋愛とか自分には守備範囲外、三角関係ってなに、そういう方面に強いらしいヤツから今度は自分が情報収集しなければ。
そんなことを遠い目を継続しながらつらつらと考えていたら。
「忍」
呼ばれたので見れば真っ赤ではなくなったものの、その頬はまだ薄らと赤く。
「実は私、――――――と思っておりますの」
その発言に、つらつら考えていたものが止まった。
「ですから私、新田さまには距離を置くのが最善と思って突き放しましたの。そうなりましたら、暫くの間だけとなりますし。色々と考えて、けれど、それは今回のことが原因ではありませんの。決めるきっかけにはなりましたが」
「……」
「……新田さまから。春日井さまからあのように言われて、本当は嬉しかったんですの。決めたのに、気持ちが大きく揺らぐくらい。……けど、これだけはどうにも覆りませんわ」
そうして、どこか不安そうな目で見つめられる。
「忍はずっと、動いてくれておりましたわ。私に関わっていることであれば、ずっと」
その通りだ。
麗花の笑顔を守りたくて。泣くのを見たくなくて。
――友達として、彼女を助けたいと
「私も貴方も最初は一人でしたけれど。私にも貴方にも、いつの間にか周りに人がいるようになりましたわ。そして忍。私以外に……いえ、私以上に守りたい人ができましたわよね?」
突きつけられる問い。
瞬間、脳裏に浮かんだ姿は――……。
「わかりますわ。私達、こうして六年もずっと一緒におりましたのよ? 貴方が誰を気にしているのかなんて、お友達の私には一目瞭然でしてよ! ――大丈夫ですわ」
掴まれていた袖がそっと離される。
「言いましたでしょう、私は守られるばかりの弱い人間ではなくてよ! 強く、強くなって惑わされずに立ち向かいますわ!! また何かあれば今度こそ、私の手で彼女と決着をつけます!! ですから……っ」
……どうして“それ”が不安なのか。口にして伝えてきている言葉は、全て偽りのない本心だろう。
麗花自身が言っていたじゃないか。六年もずっと一緒にいたって。自分たちは、変わらずに。
「……ずっと私と、お友達でいて下さる……?」
不安そうで、眉を下げて。
目尻に薄らと涙が滲んでいる。
変わらない。
けど、変わるものもある。
彼女に関しては、自分の想いは変わらない。
もっと自信を持ったら良いのに。
と、そこまで思って、ハッとした。
――あぁ、そうだった
――麗花はいつも自分の時だけ、自信がなさそうにしていた
そう思い出し、つい我慢しきれずに声に出して笑ってしまった。
あまりにも変わらなさ過ぎて。そう、いつも。自分と麗花では、いつも麗花の方が先だった。
話し掛けるのも。
友達になってほしいと願ってきたのも。
そんな自分を見て目を丸くする彼女に、自分は――……。
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