Episode182 海棠鳳⑪-萌の決断-
6ーEは私が憧れている春日井さまと、城山さまのいらっしゃるクラス。廊下から確認したけれど既に目的とする彼女は登校しており、その周囲に派閥の子がいて何事か会話をしていた。
教室の前で一呼吸し、一声掛けて入室する。
人を避けて真っ直ぐ彼女の元へ向かうと話していた子が私に気づき、何か言ったことで城山さまも振り返って私を見た。
にこやかに微笑まれる姿は、いつもの彼女と変わらない。――自身の取り巻きとなった、大沼さんのことがあっても。
「おはようございますわ、新田さま」
「おはようございます、城山さま。皆さんも」
挨拶を交わして、すぐに城山さまへと向き直る。
「城山さまと二人でお話したいことがあるのですけれど、今からお時間大丈夫ですか?」
「私にお話?」
緩く首を傾げたと同時、白いリボンで結ばれた髪が揺れる。
初めて出会った時、その髪は何に結ばれることもなく下ろされていたのを、不意に思い出す。思い出が幾つか浮かび始めたけれど、不思議と心は凪いでいた。
城山さまは教室の壁掛け時計を見て、ホームルームまでの時間があることを確認して頷く。
連れ立って教室を出て、そうして先を歩く私が向かったのは美術室だった。中には誰もおらず、薄暗い室内のカーテンを開ければ、朝の日差しが柔らかに差し込んで薄く照らす。
「新田さま。どうしてこちらへ?」
疑問の声を発する城山さまへとカーテンから手を離して振り返り、その問いに答える。
「親交行事の前。ここで私は、薔之院さまの絵のモデルを務めさせて頂いておりましたから。ご存知ですよね?」
「……ええ。知っていました」
「私、城山さまにお聞きしたいことがあるのですけれど」
「何かしら?」
薔之院さまのお名前を出しても、特にご様子は変わらない。微笑んで私を見つめている。
ずっと、あの時から疑問に思っていたこと。
変わってしまったのか。
それとも、元からだったのか。
「城山さま……ううん、
目を見開いた城山さま――紗綾ちゃん。
その名前で呼んだことか、質問内容に対してか。どちらにしても驚いたと思う。
私だって最初は美織ちゃんと同じように、彼女のことを下の名前で呼んでいた。彼女だって私のことを『萌ちゃん』と、下の名前で呼んでいた。
けれどいつからか……美織ちゃんと仲良くなって数日後くらいには、彼女からの呼び方が『新田さま』へと、そう変わっていたのだ。周囲の子もそう呼んでいたし、ご令嬢としてはその呼び方の方がいいのかなと思って、私も『城山さま』と呼ぶようになった。
そういうものなのかなって、思ったから。
「紗綾ちゃん、小さい頃に言っていたよね? 薔之院さまと仲良くなりたいって。他の子にもどうしたら前のように話して下さるのか、仲良くして頂けるのか。そう言って相談していたの、私、覚えてるよ。でも……相談するだけで、行動してはなかったよね? 何でなの?」
直球でぶつけた言葉。果たして、どう答えるのか。
戸惑うように私を見てきたけれど、少しして答えが返る。
「皆さんからは、アドバイスをたくさん頂きましたわ。けどいざ行動しようとしても、あの時に言われてしまったことが浮かんで、足が
「うん。私も聞いていたから、そうなのかもって思っていたよ。行き辛いんだろうなって。でも、紗綾ちゃんは本当に薔之院さまと仲良くなりたかったの? じゃあ、何で他の子が薔之院さまに良くないことを言っていた時、止めなかったの? そんな人じゃないって、どうして否定しなかったの?」
口を噤んで眉を下げているその姿は、何故そんなことを言われるのかと雄弁に語っている。
「どうして、そんなことを仰るの? 新田さまも他の子と同じように、怖いと仰っていたじゃない」
「うん、ごめんね。私があの時怖いって言っていたの、薔之院さまのことじゃないの」
「え?」
目を瞬かせる彼女にはっきりと告げる。
「確かに私も、紗綾ちゃんがキツイことを言われている場にいた。聞いていた。私も他の子と同じように、怖くて苦手だった。でもね、今はそうじゃない。私、薔之院さまに憧れているの。尊敬しているの。――彼女のことが、大好きなの」
「っ」
息を呑む様子に、ああ、やっぱりと思う。
お互い様なんだと思った。
私が彼女のことをよく見ていなかったように、彼女も私のことをよく見てはいなかった。周りから近しい存在だと思われていても、実態は表面上の薄っぺらいものでしかなかった。
おかしいなと思った時点で、私がちゃんと本音で向き合って話せば良かったのに。そうしていたら、きっとこんなことにはならなかった。
「去年ね、紗綾ちゃんが美織ちゃんの悪口をトイレで言っていたの、聞こえたよ」
「……個室にいたの?」
「うん。ショックだった。まさかって思った。だって紗綾ちゃん良い子だし、あんなこと言う訳ない、私の聞き間違いじゃないかって。でもトイレから出て……ある人に、どうして城山さんと一緒に行かないのかって言われて、本当に紗綾ちゃんが言っていたんだって教えられた。どうしたらいいのか分からなくて、でも、それからかな? 紗綾ちゃんの薔之院さまに対しての言動が、何かおかしいって思い始めたの」
彼女の言動が周囲にいる子達へと、薔之院さまの悪印象を植えつける。
否定しない。曖昧な表情を浮かべて濁す。
被害者だと、傷ついている姿を見せる。
涙が浮かんできそうだったけれど、耐える。
「大沼さんがやったこと。あれ、もしかして紗綾ちゃんが何か言った?」
「……」
「休憩スペースで一緒に話している時に、分かったよ。親交行事で薔之院さまに何かするつもりだって。ねぇ、私が薔之院さまに近づいたの、利用できると思ったの? 私が貴女のために動いたって、そう思ったの? 私を……薔之院さまを嵌めるために、利用したの?」
「……違、うわ」
首を横に緩く振り、悪くなった顔色をして私を見つめてくる。
「だって、言っていたから。年々怖さが増しているって。それなのに、連れ回されて、断れないのだと思ったから。だから私……」
「私のせいにするの? 私のためにそうしたって言うの? 違うでしょ。自分のためにそうしたんじゃないの?」
「どうして私が」
「紗綾ちゃんだけじゃない、皆が知っていること。私の教室に訪れるのは、薔之院さまだけじゃなかった。いつも白鴎さまも一緒だった」
それぞれが違う人物に会いに来ていても、関係なかったのだろう。好きな人が嫌いな人と一緒にいる。美織ちゃんの件があって、そう思い至れた。
「……私、紗綾ちゃんのこと、好きだったよ」
震え出す唇から、想いを紡ぐ。
「誰にでも分け隔てなく接して、明るくて、些細なことでも気にして声を掛けてくれて。いっぱい、いっぱい話して、楽しかった思い出もある。例えそれが紗綾ちゃんにとって見せ掛けのものだったとしても、私は、紗綾ちゃんが好きだった……!」
「新田、さ……」
「でも、もう違う。誰かを唆して誰かを嵌めようとする、そんな子とは友達でいたくない。そんな紗綾ちゃんなんて嫌い。もう話したくない」
だからちゃんと。私の気持ちが貴女に届くのなら、ちゃんと真正面からぶつかって。
――もう誰かを、陥れようとしないで
「さようなら――――城山さん」
微動だにしない彼女の横を抜けて、扉へと手を掛け開ける。室内から一歩を踏み出そうとした時。
「萌ちゃん」
振り返らない。
別れの言葉を告げた私は、もう振り返れない。
「私はずっと、薔之院さまが嫌いよ。大嫌い」
――はっきりとした嫌悪の声音に、息を吞む。
「でもどうして嫌いなのか……、萌ちゃんにだけは絶対に言わないわ。私のことを忘れてしまった、萌ちゃんには」
思わず首を動かそうとして、けれど。グッと一度扉に掛けた手に力を入れて、私はそこから一歩を踏み出した。
数歩歩いて、目尻に滲んだ涙を手で払い除ける。
後悔なんてしない。私にとって、そして彼女にとっても、これが一番良い選択なのだと決めたのだから。
「――ねぇ、萌ちゃん」
だから知らない。そこから居なくなった私がいた場所を見つめ、彼女が呟いた内容なんて。
「でも。私、待っているわ。思い出した貴女が、私の元へ帰ってくるのを――……」
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
昨日と同じようにバクバクと鼓動を鳴らし、お昼休憩である現在、6ーAの教室前へと陣取っている私。
今までにない速さで給食を食べ終えて真っ直ぐ向かえば、ちゃんと教室内に薔之院さまがいらっしゃるのを確認した。
珍しくも今日は教室内で読書をされるらしく、席でブックカバーの掛かった本を手に目を通されていらっしゃる。その横顔の、なんと素敵なことか。
……違う! いや違わないけど、今はそういうことじゃなくて!
教室から出てくる生徒から向けられている不審そうな視線にも気づかない私は、今一度言うべきことを頭の中で整理する。言い訳をあれこれダラダラと喋っていたら、きっと昨日の二の舞になってしまう。
伝えることは率直に。簡潔に!
重要なことだけを!!
大きく深呼吸し、両手を拳に握って気合いを入れる。
今が薔之院さまの私に対する印象のド底辺。なら、ここから更に落ちることなんてないわ! だって今が地の底なんだもの!! よし、行くのよ萌!!
「失礼します!!」
気合いに比例して大きな入室の挨拶をした私に、一斉に集まるAクラスの生徒たちの視線。その中にはもちろん薔之院さまのものもあって。
スッと目が細まったけれど、一直線に彼女の席へと向かってピタリと止まる。
鮮やかな血色の唇から言葉が紡がれる前にと、ご挨拶も何もなく私は重要な一言を薔之院さまへ放った!
「――薔之院さまのことが大好きです!!!」
……目を細めたまま、動きが止まっている薔之院さまからの返答はない。少しざわめいていた教室内の声が聞こえなくなったのも、気のせいではない。自分が何をしているのか、ちゃんと分かっている。
二人きりで話すと信じてもらない。ならば大勢の証人……人のいる場所で伝えれば本気だと受け取ってもらえるのではないかと、ない頭で必死に考えた。
「いつからお慕いしているのかと言うと、一年生の時からです! 運動会で助けて頂いたあの頃からです! それからずっと薔之院さまのことが気になって気になって、いえ、気になっていたのはそれよりも前からでしたけれど!! いつも髪の毛巻かれているのに艶々していてすごいなとか、背筋を伸ばして綺麗な姿勢で歩まれるのも、一令嬢として憧れます! あとスケッチブック! 感想いまお伝えしますけど、とても素敵です。所々タッチも変えていらっしゃって、陰影も細かくてとても平面に見えず立体的でした。間でとても繊細なカブトムシの絵とかもあって、すごい才能をお持ちだと思いました!」
「繊細なカブトムシ……?」
「はい!!」
思わずと言うように呟かれた言葉に力強く頷き返しながら、更にありったけの想いを吐き出す。
「あと私は隠れ……違う、薔之院さまを頂点とする
ずっと薔之院さまだけを見つめていたから、その表情の変化がつぶさに見てとれた。と、いうか。
これはもう、私だけじゃなくて他の生徒から見ても分かると思う……。表情は目を細めたものから変わってはいないけれど、色が。
とても、とても――真っ赤になっていらした。
それに瞳も潤んでいらっしゃる。
「え、可愛い」
「~~っ!! ちょっと! ちょっと来て下さいませ!!」
「えっ、あの!?」
ガタリと席を立たれて腕を引かれ、多くの視線を浴びながらも教室から連れ出されるその間際に――尼海堂さまが廊下にいて、私達をジッと見ていらっしゃるのを見つけた。
『違う。睨んでない。また麗花を見ていると思って見ていただけ』
確かに私は薔之院さまを見ていたけれど、でも。
怖かったから。……怖かったから、尼海堂さまもいるかどうかを、いつも探していた。
目が合って。睨まれていると思って飛び退いて。
真っ赤な薔之院さまに連れられていく私を見つめて、初めて――――微笑まれた。
「っ」
その瞬間、バッと顔を逸らしてしまったのは。
――それは一体、どういう感情からくるものだったのだろう
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
連れられた先は、何故か非常口だった。
真っ赤だったお顔も移動している内に元の美白へと戻られていて、惜しいような良かったような……。
引かれていた腕は既に離されており、正面から見据えられている。私は教室で率直に簡潔且つ、重要なことを言い切ったので薔之院さまからの発言を待っていると、ようやく口火が切られた。
「どういうおつもりですの?」
……え? おつもりと言われましても。
「教室でお話ししたことが全て、なのですが」
「だっ、だから! あ、あんな大勢の生徒の居る前でこ、告白紛いのことを仰って! ご自身が大変なことになるかもしれなくてよ!?」
「え?」
どうして私が大変なことになるんだろう?
何かもう色々と吹っ切れちゃって、他の生徒からどう思われても別にもういいか、みたいな気持ちになっているし……あ。
頬を染めて薔之院さまを見つめる。
「もしかして薔之院さま、いま私のことを心配して下さっています……?」
「!? ち、違っ……ああもう! 貴女があの子みたいなことを仰るから、調子が狂いまくってしまいましたわ! 何なんですの本当に! 白鴎さまから耳にした時は半信半疑でしたのに、そんな緋凰さまの二番煎じみたいな組織まで本当のことだなんて……!!」
「あ。ちなみに中條さまもメンバーですよ?」
「何ですって!? 中條さまも!?? え? 中條さまはご自身の派閥がお有りでは?」
恥ずかしがられているのか嬉しがられているのか判断に迷うけれど、再びお顔を赤くされている姿はやっぱり文句なしに、とってもお可愛らしい。この反応を見る限りでは、既に私の印象は浮上しているのではないだろうか?
「あの、薔之院さま…」
「――また利用されるかもしれなくてよ」
落ち着いた声音で紡がれた内容に瞳を瞬かせる。
顔を赤らめながらも、向けられる視線はどこか不安そうなもので。
「私と親しくしていたから、彼女の派閥に利用されたのでしょう? ……離れてもう言葉を交わすこともなければ、気づかずに手を貸す形になって傷つく可能性など、無くなりますのに」
「え……」
思い出す。拒絶された時のこと。
『貴女からの謝罪は結構だ、と言ったのですわ。謝罪される必要を感じませんもの』
『今回のことでよく分かりましたわ。どんな手段を用いてでも、私を引き摺り落とそうとする生徒がいるということが』
『もう近くに寄らないで下さいませ。貴女が私の傍にいると、とても。……とても不愉快ですわ』
謝罪がいらないと言ったのは、私がやったことじゃないとご存知だったから。
城山さんが友達の私を利用してまで、彼女を嵌めようとしたから。
また同じことが起きてしまったら……私が傷つくと、思ったから? だからあんな……。
「私のために……?」
信じられないと落とした呟きに答えが返る。
「私は彼女にとって貴女は友人であると認識しておりましたから、そんな貴女を利用されるなど考えておりませんでしたの。このまま貴女が私の傍に居れば一度はそれをしたのです。もうしないとはとても言い切れませんわ。同じことを繰り返すなど、御免ですもの」
「……薔之院、さまっ」
「何です……え。えっ!?」
ポロポロと涙が溢れるのを見て慌てられても、止められない。手で拭いながら、震える唇で必死に言う。
「私、私っ! きら、嫌われたって、すごく、すごく悲しくてっ。でも、薔、之院、さまの方がっ、傷ついているって、思って! だから私っ! 私……!!」
「……だから美術室では、ああして面と向かって伝えようとして下さったの?」
コクコクと頷くと、小さく溜息を吐き出されるのが聞こえた。
「まったく。……忍ったら、知っておりましたのね。だから昨日」
「尼、海堂さまは、お話、聞いて下さって。勇気、頂きました」
「そうですの。……やっぱり」
何がやっぱりなんだろう?
クシクシ手で拭っていたら薔之院さまからハンカチが差し出されたけれど、それを固辞してポケットから自らのを取り出し…………あっ、これ私のじゃない!
「あら。忍、ハンカチも貸しましたのね」
また鞄に入れっぱなしだ!
お会いしたらお返ししようと思っていたから!!
「そのままお使いなさってよろしいんじゃありません? 返却が多少遅れたところで、忍はどうこう言いませんわ」
そう言って、差し出されていたハンカチをご自身のポケットへと仕舞われる薔之院さま。
何かちょっと引っ掛かるけど、自分のものが手元に無い以上は仕方がない。お二人からお借りする訳にもいかないし、ぺしょぺしょな顔のまま教室に戻るのもアレだし……。
そうして私は尼海堂さまからお借りしたハンカチで再度目元を拭っていたから、見逃してしまった。
薔之院さまがそんな私を、とても嬉しそうなお顔で見つめていらっしゃったことを――……。
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