Episode178 海棠鳳⑦-忍の死角 後編-

 学院内で行われる今年の親交行事は、校舎全館使用してのスタンプラリー。


 入学した一学年と面倒を見る六学年で協力して一つのことを成し遂げることは、行事の目的としても理に適っている。ただ場所を探して自分たちで台紙にスタンプを押していくのではなく、動物の着ぐるみを着用したスタッフから出題される謎解きに正解すれば押してもらえるという仕様。


 そのため五クラス×二の結構な人数でも校舎のあちこちに別れて行動するため、かなり移動範囲は広いだろう。自分もパートナーの子と一緒に回っているが、今のところ十個集めるのに四個しか見つけていない。


 そしてさすがの企業力と言うか、会社規模と言うのか。校舎内がまるで植物公園かというくらいに様変わりしている。セッティングするのにどれだけの人員を要したのか、考えるだに恐ろしい。だって普通に授業があった、昨日の今日である。


「尼海堂。この壁にある記号が表していることを推測するに、次は2-Dの教室じゃないかと俺は思う」

「……」


 どうしてだろう? スタンプラリーが始まってから、緋凰くんはずっと自分と行動を共にしている。しかも謎解きにおいて彼の推測は必ず当たっていて、別行動しようとは微妙に言いにくかった。


 ……四個しかと言ったが周囲のうんうん悩む様子を見るに、相当難易度が高いのだろうか? まぁもし百合宮先輩が企画に関わっているのだとしたら、そりゃ難易度も高くなるな。


「緋凰せんぱいすごい!」

「すごいよね!」


 パートナーの一年生はそれぞれファヴォリと一般学生だが、暗号と出題される謎をスラスラと解いていく緋凰くんにキラキラとした眼差しを向けていた。


 パートナーと相談しながら親睦を深めなければならないのに、何故彼は自分と親睦を深めようとしてくるのか。おかしいだろう。しかし一年生同士は緋凰くんを軸に仲良さそうにしているので、文句は言えない。


 彼の推測に異論などなかったのでそのまま四人で次の教室へと向かうが、その途中で新田さんが一人キョロキョロと、まるで誰かを探しているかのように慌てているのを見掛けた。


 パートナーの子とはぐれたのだろうか?

 自分もこの行事でパートナーとはぐれた思い出がある。……うっ、トラウマが!


 嫌なことを思い出し掛けたし、何となく気にしている人物なので声を掛ける。


「……新田さん」

「え? え、ひょわぁっ!!」


 自分をまず見、次いで隣にいる緋凰くんを見て普段よりも遠くに飛び退いた。自分はいつものことだが隣はどうかと確認すれば、おかしなものを見る目で彼女を見ている。パートナーの子達は不思議そうに目を丸くしている。うん、だろうな。


「……パートナーの生徒は?」


 取り敢えず聞けば、ハッとして顔を歪めた。


「わ、私が気もそぞろになってちゃんと見ていなかったから、はぐれてしまって。色々な場所を捜してはいるのですけど」

「はぐれた生徒の名前は?」


 聞いたのは緋凰くんだ。状況が状況だからか、普段なら親衛隊に守られていて碌に女子生徒とは話さない彼が自ら話し掛けたことに新田さんも驚いていたけれど、すぐに生徒の名前を告げる。


「同じCクラス編成の子で、米河原くんという子です!」

「米河原くん?」

「知っているのか?」


 自分のパートナーが呟いたそれに緋凰くんが反応すると、コクリと頷く。


「はい! 一年生の中では有名な子です!」

「有名?」

「Aクラスの百合宮さまがDクラスにみずから足をはこばれて、『そーちゃん! 会いに来ました!』と満面の笑みでおっしゃったというので」


 あの百合宮妹が?


 数時間前まで一緒にいた彼女を思い起こしても、想像し難いものがある。緋凰くんも自分と同じ感覚なのか、首を傾げている。


 自分が把握している限りでは、確か食品製造業界の重鎮・米河原家の長男。姉はいるが別の私立女学院に通っており、絶対味覚を持っているとか。

 同学年では百合宮・白鴎には劣るが、それでも一学年では高位家格だろう。


 ……新田さんよりも高位家格の後輩の筈だが、気もそぞろになるほど何に気を囚われていたんだ?


「緋凰く…」

「俺も捜す」


 自分は捜しに行くからここで別れようと言いたかったのに、またもや先手を打たれた。そしてパートナーの子達はそんな緋凰くんの発言に、


「緋凰せんぱいかっこう良い!」

「かっこう良いよね!」


 と瞳をキラキラ輝かせている。溜め息吐きたい。


「どこら辺で見失ったんだ」

「え、えぇと、気づいたのはこの階のトイレ辺りです。手を繋いでいたのですけれど、いつの間にか温もりが消えていて」


 新田さんの記憶を元に、連れ立って歩く。


 一人で歩いている一年生を見つけようと視線を遣りながらも、どうしても先程感じた気掛かりが気になってしまう。……秋苑寺くんからは大丈夫じゃないかと言われたが、何か引っ掛かる。


「……新田さん」

「はいっ」


 さすがに飛び退かれはしなかったが、ビクビクとされる。だから何もしていないだろう!


「米河原家は新田家より家格が上。他に何を気にしていた?」

「っ!」


 聞いた途端、ビクリと肩を竦ませて口許を震わせる。


「……しょ、薔之院さまからお預かりしていたスケッチブックを、な、失くしてしまって」

「薔之院のスケッチブック」


 緋凰くんがボソリと呟いているが、自分はどういうことかと眉を潜めた。


 ……いや、スケッチブックなら見たぞ。サロンで預けた麗花の鞄にちゃんと入っていた。戻ってきた時の彼女の様子も特に変わりなくて、心配はなかったなと改めて安堵したのを覚えている。


「今日、麗花と会った?」

「いえ。私、登校してすぐに……城山さまに呼ばれて。彼女のクラスにずっといました。ちゃんと鞄に入れて来たので、家に忘れたということはないです。しゃ、謝罪しなければと、ずっとそのことばかりが頭にありましてっ」

「……麗花と何か約束したことは」

「え? な、ないです。強いて言えば、スケッチブックの感想をと」

「……」


 麗花は確かに『新田さまと約束していることがある』と、そう言ってサロンを出て行った。スケッチブックは持ち主の元に戻ってきていて、けれど預かった側の新田さんは失くしたと青褪めている。それに朝から城山に呼ばれて、ずっと相手のクラスにいた?


 何だ? どうして当事者の二人がそれぞれ違う認識をしている? 約束をしていないのなら、どうして麗花は彼女と約束があると…………スケッチブック?


 ――――まさか



「っ、薔之院」


 ハッとした瞬間に緋凰くんの僅かに上擦った声が耳に届いてそちらを見ると、丁度階段を降りてくる麗花と百合宮妹、そしてぽちゃっとした一年生男子の姿が視界に入ってくる。進行方向としては自分たちがいる廊下は階段から直進なので、自然と向こうも気づいてこちらに進んできた。


「あ、新田せんぱい!」


 男子はそれまで百合宮妹と手を繋いでいたが、彼のパートナーである新田さんを見つけてパッと放し、ぽてっぽてっぽてっと走り……走っているのか? 一応動き的に走ってくる。もしかして彼が探し人か?


「米河原くん!」


 そのようだ。


 無事に見つかったことにホッとしていいのか、嫌な考えが過ぎった今では難しい。百合宮妹がショックな顔をしていることは今気にするべきじゃない。


「麗花」

「忍。……新田さま」


 麗花の口から緋凰くんの名前が出なくて、彼がどんな様子でいるのかを気にするべきでもない。


「米河原くんがパートナーの六年生とはぐれたと言うので、捜しておりましたの。聞けばお相手は新田さまだとか。はぐれる前までどこを歩いていたのかを辿って、こちらに来ましたわ」


 自分に向けて言い終えた後、視線がスイと新田さんを向く。向けられた彼女は涙目になりながらも、麗花へとまっすぐに視線を返していた。


「しょ、薔之院さま。わ、私っ。しゃ、謝罪しなければならないことが!」


 新田さんが意を決して麗花へと告げたが、その時麗花たちが降りてきた階段から一人、男子生徒が慌てた様子で駆け降りてきた。


「あ! ひ、緋凰さま!」

「津雲か。どうした」


 麗花には呼ばれなかったが、同じクラス兼、不死鳥親衛隊員の彼には呼ばれた緋凰くんが眉間に皺を寄せて応える。麗花にも頭を下げ、彼は早足に近づいて緋凰くんへと報告し始めた。


「それがあの、三階の多目的室が荒らされていまして! 先生か行事関係者に報告しに行く途中なんです」

「荒らされた?」


 物騒な内容に一学年と新田さんが驚いた顔をするが、麗花は「多目的室?」と呟いた。そして何故か彼女も眉間に僅かに皺を寄せ、新田さんへと視線を向ける。


「それで、不審な人間……着ぐるみがいたので、逃げないように何人かのその場に居た生徒たちで、いま入り口を塞いでいます!」

「……不審な着ぐるみ」

「え、わぁ!? に、尼海堂さま居たんで……えと、はい! その着ぐるみだけ他のスタッフより小さくて、パンダなんですけど、見つけた時はもう既にひっくり返っていたんです!」

「……」



 荒らされた多目的室に、小さい不審な着ぐるみパンダがひっくり返っていた。



 この情報を聞かされても誰も言葉を継ぐことができなかったが、麗花と緋凰くんの顔が一瞬真顔になったのだけは、自分は見逃さなかった。

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