Episode175 海棠鳳④-忍の拘束-

 図書室に居たのは本当に偶然だ。


 小学校教職員の伯母から、「忍ー。最近の子供ってどんな本が人気か分かるー?」と聞かれたので、だったら図書室の司書に訊ねようと思って行ったのだが例の如く気づかれない。

 というか伯母も自分の学校の生徒に訊ねれば良いものを、何故自分に聞いてくるのか。やっぱり伯母は抜けている。


 仕方がないので、生徒の手に取っている本を確認して傾向を把握しようと室内を歩いて回っていたら、人気の全くない隅のテーブル席に新田さんが座っているのを見つけた。


 何だかぼんやりとしているようで、自分の存在にはまだ気づいていないようだ。まぁ気づいたら気づいたで飛び退くのだろうが。毎度のことなので、彼女の自分に対する行動パターンも読めている。


 しかしながらテーブルの上には本の類はなかった。ノートや筆記用具も見当たらないので勉強をしに来たという訳ではなさそうだが、では一体あんなところで何をしているのか。


 麗花のことについてか、城山のことについてか。

 表情が沈んでいるので、多分そこら辺のことで何か悩んでいそうだと思考する。


 ……まさか赤薔薇親衛隊ローズガーディアンズで碌に動けていないことに対して、ということについてじゃないだろうな?


 多分新田さんは中條に巻き込まれた形だろうが、触発されて暴走される可能性は大いにある。


 だから秋苑寺くんに手綱を握って欲しいという意味で伝えて、彼もその意図を把握して城山派閥にいる新田さんの方の足止めをしてくれているのが、現状ではあるが。



『ひえぇっ! 過去四家の皆様をお守りできなかった私ですけど、今度こそはと思っておりますううぅぅ!』



 ことごとく四家の御曹司に助けを邪魔されていた過去のことを、不意に思い出す。


 あの時も麗花の言葉に感銘を受けて、新田さんは誰かを助けたいと行動しようとしていた。それができなくて、彼等の規律違反も新田さんのせいではないのに何故か彼女のせいだと落ち込んでいた。


 そんな新田さんの言動から、正義感が強くて頑張り屋であることは見てとれる。だから彼女があの城山と友人関係なことがどうにも……どうにも…………言葉が出てこない。

 不満で気に入らないことは分かるが、ぴったりそこに嵌る単語が出てこない。語彙力!


 そんなことを考えて自分もその場で悶々となっていたら、「……うっ」という嗚咽が耳に入る。


 えっ、と思って見たら、どういう訳か新田さんがポロポロと涙を落として泣き始めてしまった!


 そして思い出す。秋苑寺くんに邪魔されて助けられなかった後の中庭で、ベンチに座って泣いていた時のことを。状況はあの時と酷似している。


 もしかして秋苑寺くんに邪魔されて思うように行動できなくて、麗花を守りたいのに守れないと自責の念に駆られているのか? えっ、もしかしてこれ自分のせい!? 元を辿ってまたやらかしたのか!!?


 たまに覚えのある種類の圧に思考が止まりかけて――ハッとする。


 ……待て、また置物になりかけているぞ自分!

 それにまだ自分のせいだと決まった訳じゃない! 空気を読め!!


 ポケットに手をやりかけて止まったのを、そこにハンカチが無いからだと推察する。ならば自分のものを貸そうと思って声を掛けたら彼女はギョッと目を見開いて、椅子ごと飛び退こうとしたものだからバランスを崩して倒れそうになってしまった。


 咄嗟に腕を掴んで引き込めば椅子だけが倒れて、反動的にその身を抱き留める。あっという間の一連の出来事に、バクバクと心臓が高鳴り始めた。


 やらかすところだった。今度こそやらかすところだった! 自分の存在に気づかれた時の行動パターンも失念していたし、咄嗟過ぎて引く力も強くなった!!


 身体を離して怪我の有無を問うも、向こうも混乱しているのか変な返事をしている。

 取り敢えず見たところ外傷は本当になさそうだったので椅子を直したら、慌てて謝ってきた。


 いやうん、これは自分が悪い。

 空気読めてなかったな、多分。


「いい。自分が急に声を掛けて驚かせてしまったせい。……また、泣いていたから」

「え?」


 驚いた衝撃でなのか、涙は止まっていた。

 ならもう必要はないかと、持っていたハンカチを仕舞って再度顔を上げたら……何やら新田さんの顔が赤くなっている。どうしたんだ?


 大丈夫かと思って口を開く前に、「失礼します!!」と素早い動きで去って行った。


「……」


 結局彼女がどうして一人でこんなところにいたのか、何に悩んでいたのか、どうして泣いていたのか。まったく何一つ分からなかった。


 ……本当に大丈夫なんだろうか?

 まさか中條、追い詰めたりしてないだろうな?


「……」


 何となく、腕を掴んでいた方の手を見る。


 あまり人に気づかれることのない自分は、早々誰かに触られることも逆に触ることもない。

 強いて言えば麗花か秋苑寺くんくらいで。あ、それも触られる方か。


 何と言うか、不思議な感覚だった。


 不可抗力とは言え、あんなに誰かと距離が近づいたのも初めてのこと。忍者は静を好み、パーソナルスペースも広いものである。

 だから自分からは近づかないし、触れたりもしない。……あんなに細くて軽いんじゃ、スパイとか言って立ち向かって行っても跳ね飛ばされるのが関の山だろうに。


 ハァ、と一つ息を零す。


 情報は多いに越したことはないが、考えることが多いとその分何かを取り零してしまう。


 新田さんのことは彼女には可哀想かもしれないが、変わらず秋苑寺くんに足止めしてもらうことにし、自分は城山たちの動向を監視して何事も起こらないように注意しておかなければ。


 頭をふるりと振って、図書室を出た。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 特にそれからは城山達に関しては何の動きもなく、日々は実に平穏に過ぎて行った。このまま過ぎていけば万事万々歳であったのに、問題はおかしな方向から突如としてやってきた。



 ――現在放課後。


 一体どうしてこんなことになった。今まで何の動きも見せなかったから特に警戒していなかったのに、いきなり過ぎる。本当勘弁してほしい。


「……その、だな。尼海堂はその……」

「……」


 同じクラスなのが災いしたとしか言いようがない。


 何か妙に一日中視線感じると思った。いつもは麗花が来た時にしか見てこないのに、いなくてもずっと見てくるのおかしいと思った。まるで自分を見失わないようにというくらい、ずっと今日視線が剥がれなかった。


 目の前には緋凰くんが座っている。


 状況としては教室の自分の席に自分が座っていて、その前の席の椅子に緋凰くんが座って向かい合っているという態勢だ。帰りたい。


 嫌な予感がしたからすぐさまサロンに避難しようと思ったのに、席を立つ前に不死鳥親衛隊フェニックスガーディアンズに包囲されて逃げられなかったのだ。ただの取り巻きだと思っていたのに、あんなにキッチリと統率が取れているとは。考えが甘かった!


 そして親衛隊の奥から緋凰くんが出てきて、彼等に帰宅を促しこの二人以外は誰も残らないというトンデモ室内空間を作り出したのだ。自分も便乗して帰りたかった。


 彼から自分に話など、最早麗花に関しての何かしか心当たりがない。会話する時はハッキリ言う彼が、口籠ってチラチラ自分を見てくるような状況になんか陥りたくなかった。



『緋凰くん。あんだけ薔之院さん見てんのに、肝心の見られている本人が全っ然気づいてないの、どうなの? まあ俺がああやって迫ってもアレだったから、普通に鈍感なのかなとは思うけどさぁ。友達としては矢印向けられている恋の手助けとかも、した方がいいと思う?』



 あの時は衝撃で完全に思考が停止したが、後からなるほど、視線を感じたのはそういう理由だったのかと納得した。確かに彼等は一、二年の頃は同じクラスだったし、緋凰くん、その頃から麗花のことを好きだったようだ。


 と秋苑寺くんからは後、続けてもう一つ聞かれた。



『忍くんはさ。そーいう恋愛って意味では薔之院さんのこと、どうなの?』



 純粋な疑問として聞かれたそれに対し思ったのは――――恋愛とは何ぞや?である。


 確かに麗花は可愛いし不整脈を起こすこともあるが、泣くのを見たくないし守りたいとも思うが、それが恋愛の感情から来るものかと聞かれると……違うような気がする。


 人間観察をしていると、そういう感情を芽生えさせている生徒に見られる特徴が分かる。


・頬が赤くなる。

・挙動不審になる。

・思ったことと違うことを言って落ち込むことがたまに起こる。

・何か触りたそうにしている。


 上記列挙したことで、自分が麗花に対して当て嵌まっている項目はないように思う。


 最初の二つは友達成り立ての頃はあったかもしれないが、五年も経てば麗花という存在に慣れて、普通に友達だと思っている。


『……麗花と自分は友達。秋苑寺くんと同じ』


 耳にした彼はおかしそうに、『でも俺はまだ(仮)だけどねー』と笑っていた。


 と、いうか。


「尼海堂はしょ、薔之院とよくいるが、す、好き、だったりするのか」


 何なんだろうか。秋苑寺くんにも、こうして緋凰くんからも聞かれるほど自分はそう見えているのか。

 自分は頬が赤くも挙動不審にも、残り二つに関してもそういうの、今は麗花にしていない筈だが。


 それに何かイメージ違う。普段の緋凰くんのイメージだと、堂々と「お前のことが好きだ!」とか面と向かって言いそうなのに。取り敢えず返事しよう。


「……友達として好き。恋愛ではない」

「本当か」


 本当です。何で疑われる。


「友達は友達。むしろそれは緋凰くんのh」

「き! になって、いる、だけ、だ」

「……」


 言葉がだんだん尻すぼみになっていく緋凰くんの耳は、真っ赤である。


 絶対好きだよな。間違いなく。察した。


 どうするべきか。緋凰くんも完全に麗花の味方のようだし、もう彼の不死鳥親衛隊引きつれて赤薔薇親衛隊に入隊したら、もう城山なんて一気に吹き飛ばせるのでは?

 ……あ、麗花側が分からないな。秋苑寺くんはボロカスだが、緋凰くんのことはどう思っているのか全く分からない。話出ないし。


 本当にどうするべきか。緋凰くんが自分に聞きたいのはそれだけなのか。一旦帰っていいだろうか。


「……一年の頃から、気になってた。他のヤツと違って自分持っててしっかりしてるし、はっきりしてて」


 ダメっぽい。

 続きそうなので大人しく話を聞く。


「ずっと今まで目で追っていても、アイツちっとも俺のこと気づかねぇし。ずっと尼海堂のことばっか見て話しているからお前のこと、好きなんじゃないかって思ったりしていて」


 違うな。話相手が自分と秋苑寺くんしかいないからそうなっているだけだ。ん?


「秋苑寺くんも話している」

「秋苑寺はいつもボロカス言われているだろ。アイツは気にならない」


 秋苑寺くん……。

 彼のことを思って哀愁を感じていたら、真剣な眼差しで見つめられる。


「俺は変わろうと思っている」

「……」

「夕紀と亀……知り合いに言われた。俺は圧倒的に人とのコミュニケーションが足りていないと。女子どころか男子ともあんま話さないし、そんなんじゃ薔之院とも会話が続く訳がねぇ。親衛隊のヤツらにも、ファヴォリが近くにいたら女子でも離れてくれと言った」

「……」

「薔之院のこと、お前がそういう意味で好きじゃないなら、その。協力、してもらいたい」


 話がヤバい方向行き出した。


 考えることが多いとその分何かを取り零す!

 自分は城山の監視と秋苑寺くんのお守と、赤薔薇親衛隊の暴走阻止だけで手一杯だ! 緋凰くんの面倒まで見きれないぞ!!


「……春日井く」

「夕紀はダメだ。俺は何でもできるんだから頑張ったらできるよって言って、突き放された。アイツは俺にはちょっと厳しいヤツなんだ」


 春日井くん何でだ!


 女子にフェミニストで男子にも優しいのに! 麗花とよく一緒にいる自分にお鉢が回った! というか仲良い幼馴染にそう言われたんだったら、自分で頑張って!


 何とか断れる逃げみt「尼海堂」


「薔之院の友人であるお前だから頼みたい。薔之院とよく話をするお前と話していれば、自ずと薔之院との会話の内容も模索できる筈だ。どんな内容、返答の仕方及びタイミング他の傾向が読み取れると、俺は考えている」


 マジか。緋凰くんデータ収集反映派だった。

 感情直球のイメージだったのに。


 え、待ってくれ。いまお願いされているのって、麗花に見立てた自分との会話練習……?


「……」


 潰さなければ!

 何としてでも断り潰さなければ!!


 去年と同じで何で今!?

 同時期に色んなことが一気に重なるの何でだ!?

 もうちょっと時期ズレていてくれ、頼むから!!


 ダラダラ冷や汗を流しながら、何とか切り抜けようと膝に置いている手をグッと握り締める。


「……場所は」

「教室で頼みたい」

「人が」

「親衛隊のヤツらには言ってある。クラスメートが居なくなるまで待つ」

「忙しいの」

「俺は問題ない。尼海堂もいつもサロンに行っているから暇だろ」


 くっそ潰し返される!

 全部言い切る前に先手打たれる! そもそも四家の御曹司からの頼み事とか普通断れないだろ、とか生徒常識を考えるな!


 圧倒的敗北を抱きつつ真正面を見て、年々その凛々しさを増す野性味のある美しい顔が自分を見つめ返している。強い眼差しに、決して退かないという意志を感じ取る。

 自分を以ってしても彼の放つ圧倒的なオーラに押され、お断りの意志を捻じ伏せられてしまった。……まだまだ自分は修行が足りない!!


「……承知、した」

「そうか!」


 苦渋の返答だったにも関わらず、緋凰くんは喜色を顕わに顔を輝かせた。

 ただでさえ直視しにくい整い過ぎの顔立ちをしているのに、これ以上顔を光らせないでくれ頼むから。


 初めて間近で彼の顔を見ることになったが、オーラと相まって長時間見続けられる顔じゃない。白鴎くんも白鴎くんでヤバいが、緋凰くんもヤバかった。それを考えれば親衛隊すごいな!




 ――この日を境に、自分は緋凰くんに拘束される時間が発生する。



 それは即ち、他のことに目を向けられないということ。自分の目が逸れているその隙に悪意は確実に麗花へと近づき、絡め取ろうとしていた。


 はっきりとそれが突きつけられるのは、親交行事当日。


 守れると思っていた。

 遠ざければ泣くことは、傷つくことはないと思っていた。そのために、だから動いたのに。


 甘く見ていた。やらかしじゃ済まない。



 まさか自分の守ろうとして起こした行動が――――巡り巡って結果彼女を傷つけることになるなんて、思わなかったのだ。

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