Episode174 海棠鳳③-萌の逃走-

「――ええ。じゃあそれで皆さん、あの時そうされたの?」


 にこやかに笑う城山さまの周囲には、数人の女生徒が同じテーブル席に着いている。


 六学年の上の階にある休憩スペースにて、城山派閥の生徒が現在会話を楽しんでいるその中に私はいた。座っている席は丁度、彼女の隣。

 どうも私はこの派閥内では、城山さまに近しい立ち位置として認識されているらしい。


 皆が会話しているのをなるべく話に入らずに耳を傾けていたら、フッと城山さまが私を見た。


「そう言えば新田さま。ここ数日は教室に伺ってもいらっしゃらないことが多かったですけど、お忙しくされていらしたの?」

「へ? あ、いえっ。そういう訳じゃないんですけれど。あの、ご用事が?」

「用事という程のことでもありませんけど、こうして世間話くらいはしたいでしょう? お友達なのですから」


 ねぇ皆さん?と彼女が首を巡らすと、首肯しゅこうする他の生徒たち。

 こういう城山さまに対する皆の態度を見ていると、彼女の意見に対して、けれど自分はこう思うというような口を出す生徒はいない。城山さまを囲むすべての近しい友人は彼女のイエスマン。そんな気がする。


 ちなみに城山さまが言うように、私はここ数日彼女のところへと行けていなかった。


 どうしてか? ……秋苑寺さまが追い掛けて来るからだ!!


 席を立つと必ず新田さ~んと呼ばれた。おいでの仕草をされるのを無視する訳にもいかず、周囲の視線を感じながら行っても特にご用事はない。

 それが毎度のこととなり、視線に棘が混じり始めた二日目からはもう聞こえなかった振りで教室を出た。


 それでも「新田さーん? あれ? 新田さーん!」と何故か私を追って来られる!

 さすがにそんな状態では城山さまのところへ行ける筈もなく、クラス外での何事かという視線もあったので、女子トイレに立て篭もるしかなかった。


 もういないかと顔をソロリと出して、にこやかな顔と出会った恐怖を私は絶対に忘れたりしない……。


 城山さまと周囲が再び雑談し始めたのを遠くに、膝に置いている手を強く握り合わせる。秋苑寺さまがそんなことをなさり始めたのは、あの翌日から。


 ……尼海堂さまだ!

 尼海堂さまが秋苑寺さまにチクッたんだ!


 最早そうとしか思えなかった。

 だってタイミングが合致している。


 あの組織名はどう考えなくても薔之院さまを表していることは明白で、「こんなヤツが麗花を守れる訳ないだろ。気持ち悪いな」って思われたんだ。


 あの顔は絶対そう言っていた! だから秋苑寺さまにチクッて、身動きを封じようとされているのだと思う。

 何とか今日ここに来れたのも、中條さまが察知して秋苑寺さまを足止めして下さったから。


 もう怖い、怖すぎる! どうチクられたのか知らないけれど、あの秋苑寺さまを動かせる尼海堂さま本当に怖い!!


「……新田さま。あの、新田さま?」

「一年生の頃から怖かったですけれど、年々怖さが増して……!」

「まぁ、新田さままで」

「え?」


 思わず口に出してしまった言葉に苦笑交じりの反応が返ってきてキョトリとして見ると、密やかに頷き合っている女子たち。

 何となく嫌な予感がして口をつぐんでいたら、待っていましたとばかりに声が小さいながらも上がる。


「この間の話ですけれど。私、見てしまいましたの。薔之院さまが秋苑寺さまの襟首をお掴みになり、引きずられていくお姿を!」

「まぁ!」

「秋苑寺さまはお優しいですから、いつも笑って受け止めていらっしゃいますけれど。いくら何でも同じファヴォリだからと言って、あのような振舞いはどうなのでしょう?」

「そうよね。近々親交行事もありますし、あのような振舞いをされて、低学年の子達にどう思われるかしら」

「特に今年入学した中には百合宮家のご令嬢と、白鴎家のご令嬢もいらっしゃいますのに」


 ヒソヒソ言いながら最後には城山さまの顔を見る。彼女は微笑みながらも困ったように頬に手を当てて。


「そうですわよね。白鴎さまの妹さまもご入学されたのですよね……」


 憂いの含んだ声で視線を落とす。


 ここにいるメンバーは、城山さまが白鴎さまのことをお好きなことを知っている。

 だからその言い方と態度だと好きな人の妹から見て、自分たちの学年がどう思われるのか――マイナスであると、悪い印象を浸透させる。実際に友人たちは薔之院さまへの不満を口にし始めた。


 私も聖天学院に通う令嬢の端くれ。居心地の悪さに顔を顰めたくても、何も喋らず微笑んで聞き入る。


 やっぱり城山さまは、はっきりと止めない。


 前はどうすれば薔之院さまと仲良くできるのかと周りに相談されていたけれど、相談するだけで薔之院さまに向かって行くことはなかった。


 あれだけのことを言われて行き辛いのだと最初は思っていたけれど、美織ちゃんへの悪口を聞いてしまってからは違うのかもしれないと、そう思うようになってしまった。


 中條さまだって、言ってらした。



『ですからそんな彼女から仲良くなろうと頑張っていたのに、薔之院さまからひどく振り切られてしまったと聞かされて、余計に薔之院さまに対する苦手意識は強まっていったの』



 もし。もし相談をするという名目で、悪印象を植えつけ――。


「親交行事。もし薔之院さまとパートナーになるとしたら…………百合宮さま、でしょうね」


 思考が止まり、ハッとする。それを口にしたのは城山さま。微笑みながら彼女が友人たちを見渡していた。


 どういう意図を持って親交行事のことを仰られたのか。


 けれど所属クラスの違う友人たちが顔を見合わせて頷き合う様子に、何かしら事を起こす予感が私の胸に渦巻いたのだった。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 お昼休憩にそのことを中條さまに報告したら、彼女は難しい顔をされた。


「親交行事、ですか。確かに私達が一年生の時のパートナーは、ファヴォリでもトップクラスの生徒には家格が合うように配慮されていましたわ。そう考えると、同じA編成の薔之院さまと百合宮さまがパートナーになるのは明らかなこと」

「ですがどうして親交行事のことを仰られたのでしょうか? まだ今年の詳細は周知されていませんよね?」


 疑問を口にすれば周囲に対し視線を潜めるようにってから、中條さまは声を落として話し始める。


「……今年の親交行事ですけれど。スポンサーは百合宮家ですわ」

「えっ」

「まだ内緒にして下さいませね。中條家は百合宮先輩が華道を習いに来られていた縁で、イベント協力のお話を頂きまして。我が家もそれに賛同し、現在準備を行っておりますの。ですから私も今年の親交行事には、準主催として参加する側なのです」

「えっ、すごいじゃないですか!」


 というか、百合宮先輩って習い事されてたんだ!

 ……あ、そっか。お花の会社だから、華道も身につけておかないとってことなのかも。


 けれど中條さまが難しいお顔をされている理由は分からない。


「百合宮家がスポンサーなのでしたら、大丈夫なのではありませんか? わざわざ虎の尾を踏みに行くような真似はさすがになさらないかと思いますけれど」

「甘いですわ、新田さん。スポンサーがどこかは極秘情報で明かされていない上で、行事のことを口にしたのです。百合宮家が動いていると知らない彼女たちが行事を壊すような真似をしたら、どうなるとお思い?」

「あっ……!」


 言われてハッとする。


 そうだ。今年はあの百合宮先輩と、百合宮さまの妹さまがご入学されていたんだった! スポンサーになったのも妹さまのためで、それを台無しにするようなことをしてしまったら……。


 想像して青褪める私の様子を見て、中條さまも小さく息を吐かれた。


「恐らくファヴォリでも百合宮家と白鴎家のご令嬢という、影響力が大きい生徒の前で薔之院さまへの悪い印象を植えつけようという魂胆なのだと思いますわ。私達の学年のファヴォリは女子の方は私がおりますから心配はありませんし、男子側は秋苑寺さまも低学年の頃より、薔之院さまのお味方です。一応尼海堂くんもですが。そうしますと、低学年の子達の印象を操作する方が簡単ですわ。特に百合宮先輩の妹君は滅多にサロンに来ておりませんから、薔之院さまがどういう御方か知らないでしょうし」

「そんなっ」

「城山派へ遠回しに牽制をすることは可能ですが、それで止まるようなら、ここまで派閥勢力を伸ばすことはできなかったでしょう。下手に動けば私達が逆手に取られてしまいますわ」


 ゴクリと息を呑む。


 百合宮家が妹さまを思って張り切って準備されている、親交行事の催し。それを何らかの方法で台無しにし、その原因が薔之院さまに向かうように仕向けられてしまったら。


 間違いなく、百合宮家は薔之院さまに悪印象を持つことになってしまう。



「あの! わ、私、城山派の皆に薔之院さまへの誤解を解…」

「いいえ」


 堪らず声を上げるも遮られる。

 中條さまは首を振って、気遣うような視線を私に向けてこられた。


「……新田さん。城山さまと長らく親交がある貴女に言うのは酷だと思いますけれど、言わせて頂きますわ。彼女とのお付き合いは止めた方がよろしいです。私は一気に薔之院さまに心を奪われてしまったので、早い段階で気づけました。家同士の繋がりも多少あるのであれば難しいかもしれませんが、貴女と彼女の場合はそうではないでしょう。貴女だって彼女がどういう人間なのかはもう、気づいているのではなくて?」


 ズキンと、胸に棘が刺さった。そんな気がした。


 薔之院さまをどう思っているのかを、はっきりとその口から聞いた訳じゃない。だから違うかもしれないと、今まで自分が見て接してきた姿を信じたくて、見ない振りをしていた。


 ――――城山さまを信じたいと、そう思うこと自体がもう、答えなのに。





 広い図書室の本棚に隠れた奥の隅の席でヒソヒソ話していたけれど、報告会が終わって中條さまが席を立たれて暫くしても、私はぼんやりとして椅子に座っていた。

 同じクラスだから疑われることは低いとは思うけれど、それでも違う派閥の生徒同士が一緒にいるのはいらない火種の元となる。


 小さな、幼い頃はそんなの関係なく、友達になったのに。どうして成長すればするほど、相手を疑い、疑わなければならなくなるのだろう?


 小さい頃に仲良くなった子達は、いつの間にか皆遠ざかって行く。


 どうして変わってしまうの?

 元からそうだったの? 違うの?


 ずっと、城山さまは薔之院さまのことが嫌いだったの? 仲良くしたいと、笑って言っていたのに。どうすれば仲良くなれるのか、悩んでいたのに。


「……美織ちゃん……」


 浮かんでしまう。

 今は遠い場所で頑張っている、彼女の顔が。


 学院から他所の学校に転校すると、学院生である最後の日に彼女から告げられた。



『萌ちゃんと離れるのは寂しいけど、私、ここから離れられることにすごくホッとしているの。ずっと息苦しくて、私には合ってないって思っていたから。でもね、萌ちゃんと一緒にいる時だけは、私でいられた。普通に息をすることができたの。場所は離れちゃうけど、ずっとずっと、萌ちゃんのこと、大好きよ』



 ご両親の離婚にともない、住まいも引っ越すことになった美織ちゃんはでも、スッキリとしたような顔で笑ってそう伝えてくれた。絶対お手紙書くね!って私は泣いて言って、彼女もうんって頷いてくれた。


 ――息苦しかったなんて……知らなかった。


 白鴎さまに近づいていた時の彼女の様子に、違和感を覚えていたけれど。

 彼のことが好きな筈なのにどうしてと思っていたけれど、本当は違っていたのかもしれない。


 苦しいことから解放されるのなら良かったって、そう思った。けれど心の奥の方で、ふとした時にジクジクとした痛みを感じる。


 ……一緒にいたのに気づけなかった。

 気づいてあげられなかった。大事な友達なのに。


 いつも私は――――遅い。


 助けたいのに、助けられない。

 他の人の手で解決される。


「……うっ」


 じわ、と目に涙が滲んでポロポロ落ちていく。

 拭こうと思ってポケットに手を入れようとして、鞄に入れたままということをハタと思い出した。


 ……人を助けることもできない、約束だけでなく物も忘れる私なんて!!


「うっ、うぅ~」

「……あの」

「!?」


 間近で聞こえた声にビクリとして見れば――――尼海堂さまがいる!!??


「ひぎゃっ……きゃ!」

「!」


 衝撃のまま条件反射で後ろに重心を動かして、けれど椅子に座ったままでやったそれがバランスを崩して椅子ごと後方へ倒れていく浮遊感にザァっと血の気が引くのも束の間、腕をグッと引き戻されて椅子だけが床に転がった。


 引かれた勢いのまま身体が尼海堂さまの身体にぶつかって、抱き留められる態勢に……っ!? なに!? 待って今どういう状況!!?


 色んな事が一気に起こり過ぎて、心臓がバクバク鳴っている。


 尼海堂さまは相変わらず突然出現されるし、椅子と一緒に倒れそうになるし、怖い尼海堂さまに助けられ……って近いいいぃぃぃ!!


 心の中が大騒ぎで目の前グルグルしていたら、身体がスッと離れた。


「……無事?」

「ひょえっ。だ、だだだ大丈夫でありまする!」

「……」


 あ! また目を細められている!


 一度視線を私の頭から足まで上下に動かされた後、倒れた椅子を直して下さった。……あ、ファヴォリにさせてしまった!


「す、すみません!」

「いい。自分が急に声を掛けて驚かせてしまったせい。……また、泣いていたから」

「え?」


 ポツッと落とされた呟きに目をパチパチとさせる。


 そしてもう離されているが、腕を掴まれた方じゃないその手にハンカチがあるのに気づく。尼海堂さまは私の顔を見た後、それをポケットに仕舞われた。


 ……え。もしかして私が泣いていたのを見て、ハンカチを渡そうとして下さったの……?

 というか、またって? 泣きそうにはなっても、尼海堂さまの前で泣いたことはないのに。


 驚きの連続で涙は既に止まっていた。

 涙は止まった、けど。


 尼海堂さまは薔之院さまを見ていると、いつもいつの間にかお隣にいらっしゃって。

 笑っている薔之院さまのお隣にいらっしゃるのに、いつも目が合って私は恐怖に飛び退いてしまう。



 そう。いつも、目が合って――……。



「失礼します!!」


 バッと頭を下げて、その場から早歩きで広く大きな図書室を出て、廊下を走る。


 彼の居る場所から離れたくて、マナーよりも感情を優先してしまう。反応も見ず返事も聞かずにそのまま逃げてしまったけれど、一体どう思われただろうか。


 だってしょうがないじゃない!

 いつも見られていたんだと、改めてそう思ったら。



 どうしてだか心臓だけがバクバクと、音を立てる速さを増していったのだから。

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