Episode173 海棠鳳②-忍の不安-

『薔之院さん、確かに責任感は強いんだけどさ。年々危機感っていうか、危険察知っていうか? 俺からするとそういうのが薄くなってると思うわけよ』



 珍しくも麗花が自分に気づかずに非常口から去って行った日、逆にいつものように気づいていた秋苑寺くんが口にしていた、それ。


 隣を歩いている彼女の友達である、例のかっちゃんから貰った修学旅行のお土産の話を聞いていたらまたもや新田さんには飛び退かれ、その少し後ろではまたもや中條がハンカチをギリギリしているのを目撃する。毎度のことだが、よく飽きないものだ。


「それで、本当にあの子のセンスはいつも斜め上なんですの。何を買って帰ったと思います? 鹿せんべい渡されましたのよ? 普通食べ物なら、生八ツ橋とか奈良漬あたりでしょう? 何ですの鹿せんべいって。理由聞いたらあの子、『一応人も食べれるから。こんな時じゃないと買って食べようと思わないし。私は食べたけど、やっぱり鹿さんのおやつだなぁって思ったよ』って言ったんですのよ!? 自分が食べてそんな感想を抱いたものを、人にもお土産で渡します!? 今度奈良へ行って、鹿におせんべいあげなくてはならなくなりましたわ!」


 麗花は麗花で彼女を見つめる視線に気づかず、かっちゃんから貰ったお土産の話でブツブツ言っている。ブツブツ言ってはいるものの表情は楽しそうに笑っていて、本当は嬉しいんだなと思う。


 次いで、チラリと視線を他所へ向ける。新田さんと中條からではない、反対の校舎から向けられている視線。女子に囲まれて談笑している――城山。


 会話をしているように見えるが、目線は女子らの間を縫ってこちら側を見ていることが判る。嫌な視線。


 影が薄……気配を消しているので、かっちゃんの件が終了してから一度城山の付近で偵察したことがあったが、やはりコイツは麗花に対して自分とは正反対の感情を持ち合わせていた。


 小さいことだった。


 はっきりと麗花に対して悪口を言うようなことはしないが、相手にマイナスの印象を与えて密やかにそれを周囲の力で大きくさせていた。それは小さな雪の塊を転がして、大きな雪玉を作るが如く。


 一体何がそんなに気に入らないのか。麗花はただファヴォリとしてその責任と存在の意味を理解し、見合うように振舞っているだけだ。


 注意をする言葉だって受け取りようによってはキツイと感じるかもしれないが、正論で間違ったことなど言っていない。相手のことを考えているからこそ、真っ直ぐな言葉が向けられている。


 向けられた相手がそこの理解ができていないからこそ、マイナスの印象が生まれる。高位家格でファヴォリでトップの存在だから逆らえずそれが先だって高慢だと、麗花の気持ちを理解しようとしない。



『よく彼女のこと見てもなくて知りもしないヤツらが、知ったように言ってんじゃねーよ!って』



 同感だ。


 女子によく囲まれて会話する秋苑寺くんだから、本人も言っていたけどやはり耳に入ってしまっていた。処世術に長けている彼なので、きっと耳にしても表では笑っていたのだろう。


 彼がそれに対しどう動くのかまでは分からないが現在は麗花に対して、あの日の宣言通り頑張っている。麗花はそんな秋苑寺くんに初めは胡散臭げな顔をしていたものの、何だかんだで徐々に受け入れてはいっていた。


 これには影ながら、何とか麗花に気づかれないように自分も頑張った。自分としてはファヴォリ、それも影響力の強い四家の御曹司の一人である彼が麗花を守るために動いてくれるのなら、とても助かる。


 打算的かもしれないが、自分では人に気づかれないことで、いつかはデメリットなことが発生するかもしれない。そう考えたのだ。


 だから麗花がサロンに来る日は情報を秋苑寺くんに横流しして、彼女との接点が作れるように取り持った。二人が会話している場から、気づかれないようにそれとなく離れようともした。しかしこれだけは上手くいかなかった。


 油断もせず神経を尖らせて忍び足で後退していたのに、「どこに行くんですの、忍」と必ず制服の端を掴まれていた。どうしてだ! あの日は気づいていなかっただろう! 解せない!


 そして麗花が意地を張って素直になれなかった時、秋苑寺くんが泣きつく先は自分になった。白鴎くんが居ても自分になった。春日井くんが居てもだ。


 というか成長したんじゃなかったのか。何でそこ後退した。

 そして自分に泣きつかれると、麗花は怒った。「忍に低脳が移るじゃありませんの!!」と。


 これが最近のサロンでの日常だ。どんな日常だ。


 まぁとにかく、麗花に忍び寄ってくる悪いものに関しては自分も目を光らせているし秋苑寺くんもいるので、早々に本人が気づいて傷つくことはないと思う。



 ――――もうあんな、泣くのを耐えている姿など見たくはない。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





「尼海堂くん! 今日こそはっきりと物申させて頂きますわ! 薔之院さまのお隣を独占するなど、許されることではございません! 自分の姿が他の生徒に見えないことを良いことに、いつもいつも薔之院さまのお隣にはべって、太陽に輝くヒマワリの如し笑顔をも独占するなど。羨まし過ぎるにも程がありますわ!!」

「えっと、えっと。わ、私もバリア張るの、良くないと思います!」


 とんだ言い掛かりをつけられているのだが。



 情報収集と観察のためにサロンに向かおうとしていたら、その途中で中條とその後ろに顔を出す形で隠れている新田さんに捕まった。ちなみに今日は麗花がサロンに来ない日だ。


 よりにもよって麗花に好意的だと見受けられる二人に、どういう訳か変な誤解を受けている。何故だ。おかしいだろう。というかバリアって何だ。


「……意味が分からない」


 真面目に正直に言ったら中條にはキッと睨まれ、新田さんには悲鳴を上げて飛び退かれた。解せぬ。


「よくもまぁ抜け抜けと! 私が悔しい思いをしてハンカチを噛みしめているのを見て、いつも鼻で笑っているくせに!」

「えぇっ!?」


 違う。やめろ。新田さんがまた変に誤解するだろう。訳分からんこと広げるんじゃない。


 何が中條にそう思わせたのかを考え、……いや、ただハンカチギリギリしているのを何度か目撃しただけだ。いつ自分が鼻で笑ったと言うのか。


「姿が見えないことで気づかれていないと思って!? 私は薔之院さまを影ながらお見つめする時、必ず貴方もいることを知っていましてよ! サロンで秋苑寺さまが薔之院さまに近づこうとされていらっしゃる時、貴方はお二人の壁になって邪魔しているじゃありませんか!」

「えぇっ!!?」


 違うやめろお前には一体何が見えている!?

 新田さんが信じられないという顔をしている!!

 意味分からんデメリットがここで発生した!

 何故だ!!


「……中條も麗花と話せばいい」


 中條が行けば、それで彼女自身の変な誤解も解けるだろう。


 そう思って言ったが何故か彼女は目尻を吊り上げ、新田さんはショックを受けたような顔をした。


「まあぁぁ!! ファヴォリの私でさえ高貴で気高いあの方においそれと行けませんのに! 四家の御方でしたら許せますが、貴方も私と同じただの一般ファヴォリでしょう! なに普通に平然と肩を並べて歩いているんですの!?」

「しょ、薔之院さまを下のお名前で……っ!!」


 内容で二人とも羨ましいのだと分かるが、大分麗花に対してこじらせている。


 新田さんはまだ軽度かもしれないが、中條、お前はダメだ。憧れが過ぎて、それは麗花を孤立させる考えだぞ。それに一般ファヴォリというのもどうかと思う。確かにファヴォリの中にも家格差はあるが、それは一般学生に対してひどいだろう。


 ……困ったな。城山以外に、暴走という意味では中條も気をつけて見ておかないといけないっぽい。どうしよう。


 同学年ファヴォリの他の女子は大体が麗花を遠巻きに、中條を中心にしていることが多いから心配していなかったのに。中條がこんなだと他のファヴォリ女子も怪しく見えてくる。


 どう誤解を解こうか思考を働かせるも答えを出す前に、ビシィッと指を突きつけられた。


「貴方がどういうお考えで薔之院さまのお隣に侍っているのか知りませんけど! 気高き真紅の赤薔薇である薔之院さまを侵食しようとしている数多あまたの害虫は、この私、中條 結衣と新田 萌さんで駆除します! そう……この赤薔薇親衛隊ローズガーディアンズが!!」

「あ! 中條さま、それ人前で言わないお約束でしたのに!」

「あっ、ごめんなさい。つい気が高ぶってしまって」


 新田さんが中條の袖を引いて文句を言い、ファヴォリである中條が彼女に対してシュンとする。一般学生とファヴォリの関係においては珍しい光景である。いつの間に仲良くなったんだこの二人。


 そして何やら変な組織が設立されている。


 何だ赤薔薇親衛隊って。思わず緋凰くんが頭を過ぎったぞ。……しかしながら、拗らせてはいるが自分と彼女らの利害は一致していそうだ。


 害虫と言い方はアレだが、最近の女子周辺のことをかんがみて、恐らくその言葉は城山たちを指している。自分も含まれていたらどうしようとか考えるな。


 自分とこの二人との関係性は微妙だが、麗花のことを考えれば味方だと判断する。ただそう考えると、心配なのは。


「っ!?」


 だから見ただけで飛び退くのは何故だ。

 何も言ってないだろう。


「……新田さん、城山さんとは?」

「ひえっ。わた、私も城山さまには思うところがありまして! 薔之院さまの悪い噂なんて聞きたくありません! だからその、スパイというお役目を」

「スパイ?」

「ひえぇっ! 過去四家の皆様をお守りできなかった私ですけど、今度こそはと思っておりますううぅぅ!」


 思わず眉間に皺が寄った。

 また何かいらん勘違いをしているようだが、そういう意味で言ったんじゃない。


 トイレで水島さんの悪口を聞いたと言われて、信じ過ぎない方がいいとは言った。けれどその後も彼女は、城山と当たり障りなく付き合っていた。仲が良いし長年の付き合いなら、たった一度のことではやはり彼女も迷ったのだろう。


 だからこそスパイのようなことをして新田さん自身の気持ちは大丈夫なのかと、そう言う意味で言ったのだが。……多少は関わったからだろうか。


 新田さんが傷つくことになるのも、何となく避けたい。麗花に対して好意的なのなら尚更。水島さんが、傷つけたくなくてずっと守っていた存在。


 そのまま見つめていると何故か新田さんの顔が青褪めていき、「しし、失礼しますぅぅ!」と中條の手を引いて、慌てて背中を向けて去って行った。

 中條は「えっ? に、新田さん!?」とそのまま連れて行かれている。


「……」


 果たして何と思われたのか。


 新田さんの中で自分という存在が得体の知れない、未知なる存在と認識されているような気がしてならない。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 サロンへと入室して部屋の中を見渡す。


 最初に視界に飛び込んでくるのは低学年のスペースで、珍しいことに百合宮家の次女がちょこんと一人で一人掛けソファに座っていた。

 読書をしているようだが、ブックカバーが掛かっていて何を読んでいるのかは不明。……以前の麗花とのことが頭を過ぎったが、まさかな。


 そしてそんな彼女をジィーッと見つめている生徒が一人いる。

 いや、見ている人間は複数いるが、あんなに強い視線で見ているのはあの子だけだ。


 今日は兄の方は来ていないのかとそこで高学年の方を見たが、生憎と彼は来ていなかった。だが従兄弟はいる。

 足を向けてそちらへ行くと、自分に気づいた秋苑寺くんがヒラヒラと手を振ってきた。


「忍くーん」


 そこで何人かの低学年の生徒がハッとして自分を見た。認識されると他の人にも認識されやすくなる不思議。

 近くまで来るとタシタシと隣を叩いて勧めてきたので、丁度自分も話があったので腰を降ろした。


「……白鴎くんは?」

「今日は例の日だからさっさと帰ったよ。だから暇人の俺がお姫ちゃんの護衛~」


 なるほど。


 因みに例の日、というのは文通の返信のある日だそう。白鴎くんが白鴎先輩に通知してくれと、わざわざ頼んでいるらしい。楽しみの度合いが凄い。


 再度視線を低学年の方へ向けて見るが、やはり彼女は百合宮の次女を見つめていた。それは穴が空きそうな程で、それ故に彼女へ話し掛けたそうにしている子が話し掛けられないでいる。


 そんな自分の隣で苦笑の声が漏れた。


「気になるー? 何なんだろうねぇ。佳月兄も奏多さんと仲良くなってからメッチャ元気になったし、お姫ちゃんもミニ百合ちゃんがすっごく気になるみたいでさー」

「……呼び方」

「ん? あぁミニ百合ちゃん? あー……その方が親近感沸かなくない? あんまサロンとか来ないしさ。文字通り深窓のご令嬢だし」


 慣れ慣れし過ぎないかと思ったが、彼も従兄妹のいる学年だからと考えているようだ。こうして見ると、自分も秋苑寺くんも色々大変だなと思う。


「忍くんはさ、覚えてる?」


 唐突に聞かれたことが不明であったので首を傾げると、目線は百合宮の次女へと向けられている。


「大多数の生徒は長女って思ってるけど、本当は違うこと」


 自分がトラウマを負った出来事だ。

 覚えていない筈がない。


 聖天学院に通っていない、百合宮家の本当の長女のこと。負傷していながらも、城山や周囲の聖天学院生を圧倒していた、あの。


「思うんだよね。もしあの子がこの学院にいたら、詩月も佳月兄やお姫ちゃんみたいな感じになったのかなってさ」

「……それは」

「考え過ぎだよねー。揃いも揃って百合宮家の人間が気になるなんて。有り得ないと思うよ俺も。それに少し話したけど、俺あの子の印象ってお地蔵さんだし」


 お地蔵。待て、どこら辺が?

 ん? え、どこら辺で??


 同意できない印象を告げられて少し混乱するが、その時不意に百合宮の次女が本から顔を上げて、こちらを見て目をパチパチさせている。チラと隣を見たら彼も少しだけ驚いたようで、同じように目をパチパチさせていた。

 そしてコテリと首を傾げて何か呟いたと思ったら、立ち上がってそのままサロンから退出して行った。


 何なんだ。百合宮先輩も何を考えているか不明だが、彼女も不明だ。


「え。あれ? お姫ちゃん??」


 疑問の呟きにまた視線を向けると、彼の従兄妹は何故か頬を染めていた。どうした。ダメだ、もう色々不可思議なことが起き過ぎて自分ももう帰りたくなってきた。

 しかしまだ自分の伝えたいことを言っていないため、踏ん張って口を開く。


「……秋苑寺くん、気をつけてほしい」


 それまで従兄妹の様子を見ていた視線が細まってこちらを向いた。口端も僅かに上がっている。


「本人の耳には入らないように?」

「別件。秋苑寺くんのクラスの、中條と新田さん」


 告げた名前に彼の目が丸くなる。


「ん? うわ、意外な名前が忍くんの口から出た。待ってどういう関係? 何でその二人?」

「不安の塊。下手すると暴走する。自分一人では無理」

「何それどういうこと??」

「……ハァ」


 あ、しまった思わず。


 先人は来ていないかと見るが、今日は来ていない。少し安堵してそれを告げた。


「赤薔薇親衛隊」

「え?」

「その二人で結成されている」

「…………え?」


 同じクラスなので、ぜひとも手綱を握ってくれ。

 駆除の内訳に含まれていそうな自分では、無理だと思われる。

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