Episode172 海棠鳳①-萌の困惑-

 六年生と一年生がパートナーとなって行われる親交行事。

 私が一年生の時はA・Bクラスと同じ江の丘自然パークへと行って、その日は天気もよく晴れていて楽しく過ごしたことを覚えている。


 パートナーの六年生に手を引かれて歩いている最中、薔之院さまが川のせせらぎをジッと見入っていらっしゃるのをふと目撃して、綺麗な横顔と一瞬見惚れてしまったのは今では良い思い出。まだ苦手だったあの時はそれからすぐにハッとして、慌てて顔を戻したのだけれど。


 現在私は6ーCに所属していて誰と同じクラスかと言うと、代表的なファヴォリで言えば秋苑寺さまと中條さま、そのお二人と同じクラスになっている。


 薔之院さまと同じクラスではないし、ファンである春日井さまとも初等部では一度も同じクラスにならなかった。少し残念。……残念なこともあるけれど、ホッと安心していることもある。


 まずは尼海堂さま。いつもいつも突然現れて消えて、あの人だけは本当に心臓に悪い。同じクラスになんてなったらどこにいるのかと、毎日気を揉む羽目になっていたと思う。

 だって席にいる筈なのに、姿が見えなかったら怖すぎる。しかも何か言い方も怖い。何か圧が掛かっているように思うの、私だけだろうか?


 だからクラスが違ってホッとした。隣だけど。

 そして尼海堂さまと思い出して。



『城山さん。信じ過ぎない方が良い』



 あの時彼から言われた、注意の言葉。


 あの頃の美織ちゃんは様子が変だった。白鴎さまを好きな筈なのに、無理をしているように見えた。

 そんな中トイレで聞いてしまった、城山さまの美織ちゃんへの悪口。


 好きな人に近づかれることを面白く思わないのは分かるけれど、それでもあれは言い過ぎだと思った。動揺して混乱して、思わずあの尼海堂さまに相談してしまった程に。


 信じ過ぎない方がと言われたけれど、でも私にとっては城山さまも幼い頃からの友人だ。そう簡単に割り切れなかった。それに、城山さまは一般学生の中ではしっかりした考えを持っている子。

 誰にでも分け隔てなく接し、現在では彼女のクラスの学級委員までしている。明るくて、些細なことでも気にして声を掛けてくれたりして。


 だから薔之院さまにも酷く袖にされたあの時までは、彼女はよく薔之院さまに自分から向かって行って会話をしていたのだ。……正直、彼女とも同じクラスにならなくて、ホッとしている。


 ――何を信じたらいいのかが、分からなくなっていたから。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 今日も今日とて、薔之院さまは凛とされている。

 お見掛けした時は必ず足が止まって、ほぅ……と見惚れてしまう。年々薔之院さまは輪をかけてお美しくなられているような気がする。


 彼女を象徴していると言っても過言ではない巻き髪縦ロールの髪型は、毎日ツヤツヤと輝いていてとても不思議。どうやったらあんなに艶が保たれるのか、ケア方法を真面目に知りたい。恐れ多いけれど。


 そうして前を向いて歩まれていた薔之院さまが、不意に横へと顔を逸らした。――すると。


「ひぇっ!?」


 今まで居なかった筈なのに、尼海堂さまが彼女の隣に忽然こつぜんと姿を現されていたのだ! 怖い!


 居なかったよね!? 居なかったよね!?

 何でいまそこに居るの!!?


 驚愕に慄く私にいつも何故か気づかれてしまい、眉を寄せて目を細められたらもうガクブルして飛び退くしかない。


 薔之院さまが大体いつもお一人なの、絶対尼海堂さまがバリア張っているからだと思う! あの人のせいで多分皆怖くて余計に近づけないんだと思う! だって私がそうだもの!!


 けれど薔之院さまがお隣の尼海堂さまに何事かを話して笑っていらっしゃるのを見ると、普通に尼海堂さまが羨ましいなぁと思う。ただどうしてもやっぱりあの人は学院生憧れのファヴォリだから、お姿を見た時は少なからず何らかのオーラを感じている。


 歩き去っていくお二人の姿を見つめて、サロンで薔之院さまとよりお話できる立場を獲得しているファヴォリ生が羨ましいなぁと思っていたから、私に近づいてきていた人の存在に気付いていなかった。


「――新田さん」

「え? ……えっ、中條さま!?」


 そのままボーッと立っていたら名前を呼ばれたので振り向くと、何故かそこには同じクラスのファヴォリである、中條さまがいらっしゃった。


 珍しいことにお一人だ。いつもは数人の女生徒と一緒にいるのに……ん? どうしてハンカチを手にされているんだろう?


 少々よれているように見えるハンカチを握りしめているのを見つけて首を傾げていたら、再度新田さんと呼ばれてしまった。


「は、はい。何でしょうか?」

「これからお時間よろしいでしょうか?」

「えっ」


 短く切り出された一言に飛び上がりそうになりながらも、ジッとこちらを見つめる視線に圧を感じてしまいコクリと頷く。呼び出し確定の言葉にドキドキとしながら、中條さまが先導して行くのを怖々と後ろに付いて歩いた。

 他の生徒と一線を画しているファヴォリとは言え、彼女は比較的話しやすいタイプの人だ。同じクラスだから何度か私もお話したことがあるけれど。


 ……中條さま、真顔だった。私、クラスで何かしてしまったんだろうか……?


 嫌な想像が膨らんで胸の辺りがキリキリして押さえている内に、随分と人気のないところまで連れてこられてしまった。絶対的呼び出し確定いぃ!


 何が原因? 朝は挨拶を交わしただけで、何もお話なんてしていない。さっきだって、ただ薔之院さまを見つめていただけ……ハッ!


 まさかの思い当った原因に愕然とする。


 ――中條さまは薔之院さまを気にされている。


 胸を押さえ、キラキラした眼差しを注がれている現場を見たことがある。というか私が薔之院さまに見惚れて尼海堂さまの出現に慄いている場に、高確率で中條さまもいらっしゃった。


 わ、私のような一般学生がファヴォリでもトップの薔之院さまを見るなど頭が高いと、遂に注意されてしまう域にまで行ってしまっていた……!? あっ!


 尼海堂さまのあの表情も、「なに見てんだコイツ、気持ち悪いな」ってこと!? もしかして私、ファヴォリ内で要注意人物化されてるの!?


「新田さん」

「ひえぇっ! あああっ憧れているだけなんです! ブラックリストに載せないで下さいいぃぃ!」

「え? いえ、ブラックリストって何のお話?」

「え?」

「え?」


 ポカンと中條さまを見れば、彼女もまたポカンとされている。それから少し間をおいて中條さまはコホンと一つ咳払いをし、改まったご様子で私をひたと見つめた。


「新田さんのことはずっと見ておりました。いつも薔之院さまを見つめて、見惚れていらっしゃる姿を」


 直球で指摘されてドキリとする。いえ、私が中條さまに気づいているのなら、その反対もあることは容易に分かるけれど!


 胸を押さえたまま、私は認めた。


「はい。年々増す薔之院さまのお美しさには、とても目が抗えませんでした……。お美し過ぎて……」

「やはり」


 確信するように手に持ったままのハンカチを握り締め、中條さまは力強く頷かれる。


「以前からそうではないかと思っていましたの。新田さん、私達は徒党を組むべきですわ!」

「へ?」


 聞き慣れない言葉に目をパチパチさせるも中條さまは興奮されたように瞳を輝かせ、興奮したかのように頬を紅潮させている。え、興奮されてる?


「ええ、ええ! そうなんです! 薔之院さまは年々そのお美しさも所作も磨きがかけられておりますの! 未熟であった私を諭すようにご忠言下さった時から、結衣はずっと貴女さまを憧れの眼差しで見つめてきましたわ! あの方のお美しさを例えるのならば、そう! 凛と背筋を伸ばされるそのお姿は、大振りだけれど華やかで、上品なアマリリスの花頭をまっすぐに支える茎のようですわ……! 前に秋苑寺さまの首根っこをお掴みになられていらっしゃったのも目撃しましたけど、一体どこにそんな引き摺れるお力があるのかと疑ってしまうような、シデコブシの花弁の如したおやかさを感じさせる指先ですのに! スラリとされていらっしゃいましたわ! 加え、周囲の視線など無きにも等しくご自身の意思を貫かれる様は、まさに、まさに……!!」


 口を挟む間もなく怒涛の熱弁をうっとりと奮っていた彼女が、そこで私と同じように胸を押さえて壁に凭れかかった。


「だ、大丈夫ですか中條さま!?」

「ああ、辛いわ……っ!」

「何が辛いんですか!? 持病があるんですか!?」

「思い出してしまいましたの! 一年生だったあの頃、聞かずともあの方は全てを把握されていらっしゃったのに、未熟な私はそれを知りもせずにオタオタと説明しようとしましたわ。あの方の頭脳明晰さは、神童たる百合宮先輩にも劣らないでしょう……!」

「え? いえ、百合宮先輩は行き過ぎでは? あの完璧超人さは人間じゃn」

「新田さん!」


 比較対象がどうかと思って思わずポロッと本音を口にしてしまったそれを遮られ、カッと目を見開かれる。ま、不味いことを言ってしまった??


 何だか発言内容も様子もちょっと怖い。中條さまが薔之院さまを気にされているのは知っていたけれど、まさかここまでの突き抜けた想いを秘められていたなんて知らなかった。

 教室で見る彼女は欠片もそんな……あ、たまにご自身の席で唐突に息切れを起こされていた。


「新田さん!!」

「はいっ!」


 力強く呼ばれて若干逃げ出したい気持ちで返事をすると、予備動作もなくガシッと両肩を掴まれてしまった!


「その通りですわ!」

「何がですか!?」

「百合宮先輩と比較など、おこがましいにも程がありましたわ。彼の御方は百合の貴公子であらせられ、薔之院さまは気高き真紅の薔薇! 畑違いもいいところでした!!」

「何か色々と間違ってませんか!?」


 ファヴォリに対してこんな方向で逃げ出したいなんて初めて感じた。


 尼海堂さまへは純粋な恐怖だけど、中條さまには入っちゃいけない扉に引きずられるような恐怖を感じる。……ブラックリストは絶対中條さまな気がする!


「徒党を組むと言う話に戻りますが」


 急に真顔になってテンションも戻られた! 怖い!


「と、徒党とはどういうことでしょう? ちょっとあの、私辞退さs」

「――尼海堂くんと、城山さん」


 静かに、しかしはっきりと告げられたその名前にハッとする。あの時からずっと分からなくなっている、二人の。


 両肩から手を離され、ジッと見つめられた。


「実は私も、以前は城山さんと親しくさせて頂いておりました」

「え」

「意外ですか? まぁそうですわね。学院に入学して薔之院さまに憧れを抱いてからは、彼女とは疎遠になっていますもの」


 そう、学院で二人が会話をしている姿は見たことがなかった。中條さまがフッと笑う。


「最初は私も、周囲と同じように薔之院さまを苦手としている一人でしたわ。未熟な私は薔之院さまの醸し出されている圧倒的な雰囲気に呑まれて、とてもじゃありませんけど近づくことさえ憚られておりました。そんな中で真っ直ぐと彼女に向かっていく城山さんの姿を、あの頃の私は尊敬の念さえ抱いて見ていたのです。ですからそんな彼女から仲良くなろうと頑張っていたのに、薔之院さまからひどく振り切られてしまったと聞かされて、余計に薔之院さまに対する苦手意識は強まっていったの」


 ドクリと、一つ鼓動が鳴った。


 私はその現場を見ていた。あの場はどう見ても一方的に薔之院さまが城山さまを家格が下だからと、嫌って切り捨てていた。そうでしかなかった、けど。



『貴女とどこかでお会いしたこと、ありましたかしら? 記憶になくて。よろしかったらお名前を教えてくださる?』


『あら、そうでしたの? でしたら、特に気に留める必要のないような、下らない内容でしたのね』



 あんな言い方をされたのを耳にしたのは後にも先にも、城山さまに対してだけだった。



『春日井さまにも言いましたけれど、格下の家の子の話なんて私にとってはつまらないものばかりでしたわ。不要なものを、わざわざ覚える必要があって?』


『当たり前でしょう。名乗って下さった方を忘れるなど、失礼極まりないことですわ』



 あんなことを言われて、けれど一年が経つ頃にはそれが当然のように言われた。


 普通、そんな短い期間で変わるもの? まして薔之院さまのような厳しい教育を受けられていらっしゃるだろう、高位家格のご令嬢が。簡単に前言を翻すようなことを。

 思えば私が城山さまのことを口にするまで、彼女はあのお茶会でも普通なご様子だった。最初にお声を掛けただけでは、不機嫌そうではなかった。


 ――城山さまに、対してだけ。



「……私も、初めは薔之院さまが苦手でした。怖くて、勇気を出して言ったことにもピシャリと返されて、言葉なんて出てこなくなりました。でも、今は違います。皆の手本となるように行動されて、本当に、凛と真っ直ぐに立つ、真紅の気高い薔薇のような方で……」


 尼海堂さま、城山さま。


 どちらを信じればいいのかなんて分からないけれど、でも何故か薔之院さまだけは。



『助け合うのに家格なんて関係ありまして? むしろ、その時助けられる人間が助けた方が、現実的ではなくて? そう思っておりましたの。だからスッキリしましたわ。そんなにお気になさらなくてもよろしいですわよ』



 薔之院さまのお言葉だけは、信じられる。



「新田さんは城山さんと、今でも親交がお有りですわね?」

「……はい」


 問われたことに、キュ、と下唇を軽く噛む。

 それだけで中條さまは私がいま城山さまをどう思っているのか、察せられたようだった。


「現在の女子の派閥を確認しましょうか。隠れファンが少数ですが密かに存在している薔之院さま派。それを除けば六年生の女子は半々でフォヴォリの私、中條派かもしくは―― 一般学生の中心となっている城山派の三派閥ですわ。そして親交がお有りなら、その城山派が最近コソコソと囁いている話もご存知ね?」


 何を信じたらいいのかが分からない。目で見えているものは、確かに彼女は優等生だと思えるものなのに。耳で聞いたこと。城山さまの周囲にいる子が……薔之院さまを貶める陰口を広めていること。


 本人はそれとなく注意するだけ。本気で止める素振りが見られない。考えたくない。だって、それではまるで――……。


「だからこそですわ、新田さん」


 力強い言葉に俯けていた顔を上げる。


「だからこそ?」

「ええ。中條派の主でもあり隠れ薔之院派の私と、城山派だと認識されている隠れ薔之院派の新田さん。憧れの薔之院さまを影ながらお助けするのに、打ってつけの二人ではありませんか!」

「え? あの、どういう」

「スパイですわ」

「ええ!?」


 何だか壮大な単語が出てきて、余計に意味が分からなくなる。


 スパイって、でもそれ私だけじゃ? だって中條派の子は安全圏だもの!


「城山さんに近い新田さんにしか出来ないことですわ! 彼女の狙いを探り、もし薔之院さまに害が及ぶようであれば私達で徹底的に潰しましょう!」

「潰す!?」

「剣山に刺した一本のダリアの頭を、チョキンと落とすが如く!」

「華道で例えるのやめて下さい! 怖すぎですそれ!」


 あああっ! 城山さまの首と頭が離れる想像をしてしまった! 薔之院さまをお助けするのは賛成だけど、中條さまがまさかこんな方だとは思わなかった!


 そしてまたもやガシリと両肩を掴まれてしまい、思わずひえぇっ!と小さく悲鳴を上げてしまう。



「我ら二人、薔之院さま派。またの名を――――赤薔薇親衛隊ローズガーディアンズ、ですわ!!」



 瞬間――緋凰さまの周りを囲む、男子生徒の塊が脳裏を過る。


 え。まさか、双璧を為すおつもりなんですか……?


 そうして私は中條さまによって、入っちゃいけない扉に拒否する間もなく有無を言わさず引きずられてしまったのだった。

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