Episode170 修学旅行の終わり

 はい、一泊二日の修学旅行も佳境です。


 宿泊ホテルからバスに乗って出発し、奈良県に入って興福寺を見学。彼の有名な五重塔を皆で首を上に向けて眺めました。


 そこから徒歩で春日大社へ向かい、そこは藤の名所という通り、丁度季節として開花の時期に差し掛かっていたので鮮やかな藤の紫が木々の緑と春日大社の朱を引き立たせていて、とても景観が美しかった。


 生花を取り扱う会社の娘としては、万葉集に登場するとされる草花の数を全部ではないけれど、観察できたのは勉強になりました。やはり有名なところにも行った方がいいと、帰ったら進言しなければ!


 お昼はお店で手配されているお弁当を食べ、皆で奈良公園へ。生徒達全員分の鹿せんべいを鹿に食べさせるわけにもいかないため、エサやりはなしだったがそこで暫しの休息を取る。


「修学旅行、二日とも晴れて良かったよね。雨が降ってもここには来る予定だったのかな?」

「さぁ、どうなんでしょう? 一応折りたたみ傘も荷物には入れてくるようにとはありましたけど。その場合は別の観光ルートになったのでは?」

「雨の中で傘さしたまま三十分もいれないよね」


 裏エースくん曰く、二個一な私とたっくんは二人で辺りを散策していた。


 人慣れしていて寄ってくる鹿に、手を振るくらいの対応をして歩く。ここは別に班で行動する縛りはなく、本当に自由行動。まぁ奈良公園も広いので、ある程度の範囲には限定されているが。


 丁度いい気候で、散策には持ってこい。

 普段アスファルトで舗装されている道を歩いているので、足が草土を踏む感触は柔らかく感じる。


 時折風が吹いて煽られ、ザァー……という木々の枝葉からなる摩擦音が奏でられた。


「そう言えば拓也くん。昨日、太刀川くんからお聞きしました。心配させてしまったみたいですみません」


 二人になるのは本日この時が初めてだったので告げると、彼は苦笑した。


「新くん、僕が教えたこと喋ったの? 何で言っちゃうんだろ。言わなくても良かったのに」

「それが太刀川くんの良いところです」

「そうだね。……僕、もうあんなことは御免だからね」

「それ私に言います? どちらかと言うとそれ、太刀川くんの方じゃないですか?」

「だって花蓮ちゃんも何かやりそうだから」

「拓也くん!?」


 土門少年もたっくんも、どうしてそう不吉なことを言うの!?


「ちゃんと新くんに話した?」

「えっ。もちろんですとも!」

「何でえって言ったの今」


 言ったよ! 土門少年のせいだってちゃんと!

 だってそもそもこの世界が乙女ゲームの世界だとか、私がヒロインを裏から陥れるライバル令嬢だとかそんな荒唐無稽な話できるわけないもん。


 それに裏エースくんにまで思考回路宇宙人とか言われたら、それこそ立ち直れないかもしれない!

 ……たっくんジト目でこっち見ないで下さい。


「花蓮ちゃんは一人で考えてたら突拍子のない答え出すんだから、ちゃんと人に相談とかした方がいいよ」

「どうして二日連続で同じことを言われるのか」


 それもいつも一緒の二人から。待って、私そんなにいつも変な答え出してるの? あれ?


 頭を捻らせる私からたっくんの視線が逸れて、「あ」と音を溢した。


「やっぱり桜、綺麗だね。満開になったと思ったらすぐに散るの、寂しい気持ちになるけど」


 彼の視線の先を見て、確かに淡い桃色の花をつけている木を見つける。しかし疑問に思った私はその花木の傍まで行き、やはりそうだとクスッと笑った。


「花蓮ちゃん?」

「拓也くん、この木は桜ではありませんよ。花海棠はなかいどうです」

「花海棠?」


 隣に並んだたっくんに微笑みながら説明する。


「桜と見間違ったのも、花がよく似ているので仕方ないです。開花の時期も近いですし。分かり辛いですが、桜はその名の通りサクラ属です。花海棠はリンゴ属で、花が咲いた後に小さいですけど、リンゴのような実をつけることもあるんです」

「そうなんだ」


 説明を聞いて頷くたっくんは、花海棠を見つめて。


「僕、名前だけは知っていたけど、本物を見るのは初めてなんだ。そっか、これが海棠の花」

「図鑑ですか?」


 一年生の遠足の時のことを思い出して聞けば、ううんと横に首を振られる。


「小説で知ったんだ。『海棠に棲むアゲハ』っていう本なんだけど、知ってる?」

「……いいえ。初めてお聞きしました。どんなお話なんですか?」

「じゃあちょっと座ろっか」


 そう提案されて、二人で花海棠の根元付近に座る。

 今は満開の花に覆われているが、隙間から日差しが差し込んでそう寒くはない。


「この小説のテーマとしては、絆の強さを描いた物語なんだ。主人公はまだ小さな女の子でね、家の裏側に山があって、その子のちょっとした遊び場になってた。そこには海棠の木があって根元に怪我した小鳥が落ちていて、怪我が治るまで家で面倒を見ることにしたんだ。本当は付けちゃいけないんだけど、まだ幼いからよく分かってなくて、その小鳥にアゲハって名前を付けちゃって」

「どうしてアゲハなんです?」

「丁度外でアゲハ蝶が飛んでいたからだって。あんな風に、また自由に空を飛べるようにって」


 単純に見つけたからじゃなくて、ちゃんと理由もあった。中々その女の子は優しい子のようである。


「それで小鳥のアゲハと過ごしていたある日、見知らぬ同じ年頃の少年が家を訪ねてきたんだ。どうしてなのかとかそういうのは省くけど、一緒に遊ぶ内に仲良くなって、女の子はその少年に淡い気持ちを抱くようになった。でもその少年は、実は不思議な力で何百年も生きていた小鳥のアゲハなんだよ。アゲハはずっと一緒にはいられないことは分かっていたから、もう会えないって言ったけど、女の子は自分が会いに行くって約束した。その日を境に少年も来なくなったし、アゲハもいつの間にかいなくなってたんだ」


 いきなり会えなくなると言われて、理不尽に思ったかもしれない。でも私は、アゲハの気持ちが少しだけ分かる気がする。


 ――言えないことがある、苦しさは


「近所とか山にも入って捜したけど、全然見つからない。女の子は最後に、アゲハを見つけたあの海棠の木に向かって言うんだ。『絶対、絶対にまた会いに行くから。だから私のこと、忘れないでね』って。女の子がアゲハの正体に気づいていたのかは分からない。でも、ちゃんとその言葉をアゲハは海棠の花の中で聞いていた。会わなくなったら記憶も薄れて、約束したことも覚えてないだろうってアゲハは思っていたけど、でもずっと彼は同じ海棠の木に棲み続けた。女の子が忘れたとしても、自分は覚えているから」


 どこか物悲しい、物語の終わり。


「……女の子は結局アゲハのこと、覚えていて会いに行ったんですか?」


 たっくんは一度、上を見上げてから笑って私を見る。


「内緒」

「え」

「だって、全部言っちゃったらつまらないでしょ? 気になるなら本屋さんで買ってね」

「あれ。もしかして私、いま購買意欲の煽りを受けさせられていました?」


 疑惑を向けるも彼はすっくと立ち上がり、花海棠の根元から離れた。


「ほら花蓮ちゃん、皆のところに戻るよ」

「え、そんな急に?」


 しかし置いて行かれそうな気配がしたため慌てて私も立って、歩き始めているたっくんの隣に並ぶ。歩きながら、けれど一度だけ振り返って、あの花海棠を見る。それは風に緩く吹かれて、薄桃色の花弁がさわりと揺れていた。


 確か海棠は、中国原産の花木。

 交配して生み出された種ではなく昔からある原種のものなら、その歴史も相俟って何らかの呪いとか神秘の力など、確かに宿ってそうに思う。


 もしそんな不思議な力が海棠に宿っていて、小鳥にも影響を与えていたのならと想像が広がっていくものの、でもやっぱり物語でフィクションだしということで一旦想像は打ち切って、前を向く。


「拓也くん。ちなみにお家にその小説の在庫って、置いてあります?」

「買うの?」

「そりゃあれだけ要約されて、しかも結末内緒にされたら気になりますよ。ちゃんと初めから読んでスッキリしたいです」


 たっくんに本の予約を取りつけて二人並んで歩き、生徒も鹿も集まっている場所へと歩いて行った。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 奈良公園を出発し、最後に訪れたのは東大寺。社会の授業で必ず一度は耳にする、奈良の大仏さまが安置されているお寺である。

 もう豊島くんのテンションが爆上がりだった。興奮のし過ぎで若干眼鏡がくもりを帯びていたほどです。


 でも本当に京都もそうだったけど建立してからもう何千年も経っているのに、ずっと立派な状態のまま残されているのすごいよね。

 いや折々に修復とか修繕作業が入っているのは知っているけど、世界中で戦争していた時期もあったことを考えれば、普通にすごいことだと思う。


 それを興奮中の豊島くんに何気なく言えば、超絶な熱量でもって返されました。おおう……。


 そうして奈良での旅も終了し、バスから新幹線に乗っている帰りのこと。


「一応在庫はあると思うけど、確認して電話するね」

「はい! 明日でしたら振替休日なので、すぐにでも購入しに行きますから!」

「よくそんな元気あるね。僕はもう疲れたよ」


 やっぱり過ごす環境が違ったからだろうか、見ると遠足の時と同じように眠りに旅立っている生徒が多かった。


 私は意外とそんなに疲れてないんだよねー。

 帰ったら鈴ちゃんにタックルされるのは確実だし、ヘロヘロなままではいられまい。


「ふっふっふ。私は帰宅した時のことを考慮して、体力を温存しておりますから!」

「何があるの百合宮家で」

「そうだ百合宮嬢。君、あまり社交の場には出ないそうだね?」


 たっくんと話していたら、急に後ろから割込む声が。振り返って窓と背もたれの隙間から覗き見る。


「居たんですか土門くん」

「指定されている僕の席なのだから、居るに決まっているだろう。いやふと思い至ってね」

「何がきっかけですか。怖いんですが。まぁ私自身、幼い頃から催会には良い思い出がないので、参加しないに越したことはないと思っていますから」

「今はそれもお家から禁止されているしね」

「拓也くん!」


 敢えて言わなかったのに!


「なるほど? それはそれは大した予防策だね」

「いま失礼なこと言いませんでした?」

「一人で数百の兵は家で厳重に管理されておかなければ」

「いま失礼なこと言っていますよね!?」


 文句を言うと肩を竦める。


「まぁ冗談はそこまでとして。いや。朴念仁と知り合う機会などないのに、何故だろうと思ってね。僕もある程度催会には参加しているが、そう言えば百合宮嬢はいなかったなと」


 言い方が興味の度合い薄過ぎなんですが。

 本当にナルシーの中での私の存在位置がどこらにいるのか気になるんですが。というか。


「朴念仁?」

「……ああ。いま思えば君は知らなくとも無理はないか。一方的に知っている方が納得できるね。いま言ったことは忘れてくれたまえ」

「なに勝手に一人相撲して納得してるんですか。もうヤダこのナルシー」


 ちょいちょい不安煽るのやめてくれません?

 楽しい修学旅行、最後は気分スッキリで終わらせてくれたまえよ。


 兎にも角にもこうして六年生の一大イベント、修学旅行は幕を閉じたのである。

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