Episode161.5 side 薔之院 麗花⑪ 始まりの狼煙 後編

『……やっぱり、違うなって。お友達の好きと、そういう好きって、なんて言うか。…………あああっもう恥ずかしいいぃぃ!!』



 頬どころか顔を真っ赤に染めて、そう言葉通りに恥ずかしそうにしていた彼女。その様子はこちらも心が浮き立つような、ドキドキするような甘酸っぱい気持ちにさせられて。


 彼女が誰のことを好きなのかも知っている。

 たった一度だけど、会ったことがある。


 そしてあの時、例の水島の件で彼女が本気で怒り、守ろうとした人物も。



 百合宮家と白鴎家。百合宮のご家族はきっと、彼女の意に染まない決定はしない。けれど同家格に加え、白鴎さまのあの子へ向ける感情の強さ。


 それらが向こう白鴎側で、“あの子”だと知った時の動きが不安に繋がる。奏多さまのご親友の弟であるならと、むしろ安心するかもしれない。


 ……中学受験で家の下した決定を受け入れた彼女が、もしそれをも受け入れてしまったら?


「……ん? え、薔之院さん……?」


 自分のことなど二の次で、相手のことばかり考える彼女が自分を殺して、を優先してしまったら。



「ちょ、あれ? 待っ」

「そ、そんなのは、嫌なのですわっ! うっ」

「ええええええ待って待って!! どうした!? 何で!? 泣かないで!?」

「泣いてなんかいませんわ! ひっ、どこに目がついておりますの!」

「いや泣いてるって!」


 うるさいですわ! 私が泣いてないと言っているのですから、泣いてないのですわ!!


 ギッと秋苑寺を睨みつけると、珍しくも狼狽した顔と出会う。そしてポケットに手を突っ込んだかと思うと、ハンカチを取り出して差し出してきた。


「ほら。これで拭きなよ」

「……」


 睨みつけたまま受け取って、そっと顔に当てる。

 ……泣いてないですわ!


「あーもう、調子狂うなぁ。いいよ。泣くほど教えるの嫌なら聞かないから。アイツも前よりは言わなくなったし。……薔之院さんにとってその子って、そんなに大事?」


 どこか感情の凪いだ声に瞬く。


「……大事かと聞かれたら、大事ですわ」

「俺と忍くん合わせたら?」

「貴方なんて爪の先程もありませんけれど、あの子も大事ですし、忍も大事ですわ」

「正直過ぎる返答キター。薔之院さんの中の俺の存在価値、上がらなさ過ぎじゃない?」


 それは貴方が毎度毎度、デリカシーのない発言をぶっ刺してくるからですわ!


「あのさ、俺は薔之院さんのこと好きだよ?」

「私は苦……嫌いですわ」

「いま言い直す意味あった? んー。俺そんなに友達として不適格?」


 そう言われてしまうと、少し口籠ってしまう。


 ヘラヘラしながら言われたことだったらいつものように遠慮なく言い返せたけれど、今のような真面目なトーンで言われたら真面目に返さなければならない。


 いつもいつもヘラヘラして絡んで来るけれど、それでもこの男だけは皆が避ける私に向かって来ていた。


 ……本当は分かっている。

 それがどれだけ、ありがたいことなのか。


「……私は、」

「だったらさ」


 ハンカチを渡してくる時に近づいていた距離を一歩、また一歩と詰めてくる。

 それが範囲一歩の距離から更に進めようとしてきた時点で、反射的に後ろへと下がった。


「しゅ、秋苑寺さ……っ!?」


 トンといつの間にか今度はこちら側の背が、壁に当たる。両腕を顔の両側につかれ、いつになく近い距離にある顔をまっすぐと見つめる。


 ヘラヘラ笑いではない。初めて見る――こちらを挑発するようでいて自分へと誘い込むような、そんな艶を纏わせた笑みを浮かべていて。


 相手の吐息が肌に触れる程の近さで、互いの視線が交わった。




「――――友達じゃない関係に、なる?」




 は。



 は?




 は!?




「なに寝惚けたことを抜かしているんですのっ、この低脳がああぁぁぁぁっ!!」

「ブッ!?」


 ハンカチを持っていた手で、ハンカチごと手の平で顔面へと押しつけ押しのける!

 首からグキッとか音が鳴りましたけど、そんなのコイツの自業自得ですわ!


 後ろに下がって「首痛った!」と喚く秋苑時に、フンッと鼻を鳴らす。


「やっぱり低脳ですわ! みだりに女子に触れるなと何度言えば理解なさるの!? と言うか(仮)で友達ではありませんのに友達じゃない関係とか、全く以って意味不明で低脳の極みですわ!!」

「低脳の極み!?」

「友達じゃない関係を目指す前に、初志貫徹なさったらどうですの!? 中途半端な殿方は、殿方の風上にも置けなくてよ!」


 そう。殿方の理想と言うのなら、まさに百合宮 奏多さま。ファヴォリを返上し、自ら風紀委員会へとその身を投じられ、着々と成果を残されていらっしゃる素晴らしいご人格者ですわ……!!


 押しつけた際に落ちたハンカチを広い、パパッと手で汚れを払う。


「こちらは洗濯してお返ししますわ。泣いておりませんがお貸し下さって、ありがとうございますわ」

「泣いてたよ?」

「泣いてませんわ!」


 本当にこの男がモテている理由がさっぱり分かりませんわ! 皆こんなデリカシーなし男のどこがよろしいんですの!?


 更なるヘイトをまたもや蓄積し、眉間に皺を寄せて首を捻り捻りしている秋苑寺を見つめる。


「……」


 自分が素直な性格とは程遠いことは解っている。

 デリカシーはない、無神経、女子が嫌いなくせに猫被ってヘラヘラしている女子の敵で、反りの合わないヤツだけれど。


 捻っていた首をこちらに向けて、視線が合う。

 その顔には迫って来た時のような艶めかしいものは消え失せ、あるのは純粋な疑問の浮かんだ表情。


「なに? 看病してくれんの?」

「寝言は寝てお言い。むしろ自業自……秋苑寺さま」


 小さく息を吸って、吐く。


「天使の子を誰かとお伝えすることはできませんが、私も。貴方が本気でお困りの時は、手助けができればとは思っておりますわ。……お、お友達(仮)ですので」


 疑問の浮かんでいた顔が固まる。


「…………え?」

「で、ですからっ! 私だっていつも貴方に色々言っておりますが、一応(仮)くらいの仲だとは思っていましてよ!? は、話し掛けて下さるのも、本当はう、うれっ…………ですわ!!」

「大事なところ。ねぇそこ一番大事なところだと俺思うわ。薔之院さんこそ諦めちゃいけないところだよ」

「お黙り!!」


 ここまでが私の素直の限界でしてよ!

 次! 次こそやってみせますわ!


「よろしいですこと!? 次に私が貴方に感謝する時には、もっと完璧に言い切って見せますわ! 見ていらっしゃいませ!」

「ねぇ何でケンカ腰なの? まあ待ってるけど」


 呆れた声音ながらもどこか可笑しそうな表情を見せていて、それが余計に秋苑寺の余裕を感じさせられて腹が立つ。


「先に! 教室に! 帰りますわ!」

「あっははー。じゃあ昼休憩にまた遊びに行くねー」

「来なくてよろしいですわ!!」


 来たら従兄弟に押し付けてやりましてよ!


 ヒラヒラ手を振る秋苑寺から顔を背け、非常口を後にする。


 まったく、一体何なのかあの男は。本当にあの硬質な雰囲気を纏う白鴎さまと血の繋がった従兄弟なのだろうか!? 比べても似ても似つかない二人である。


「……本当に似ておりませんわ」


 片や、よく見れば分かりやすく。

 片や、よく見ても分からない。


 秋苑寺は私のことを好きだと口にするが、それは恐らくほんの少し毛が生えた程度のもの。白鴎さまの言葉には重みを感じるのに、秋苑寺の言葉にはそれがない。


 何にも固執していないのだと知れる。私とのお友達(仮)だって、彼にとっては気紛れに過ぎないのだろう。だからこそ反りが合わない。 


 私は相手とは本気で向き合いたいと思っているから、向き合わない相手とは。


「私とお友達になりたいのなら、ちゃんと私と向き合いなさいませ。……本当、面倒くさい物言いをするやつですわ」


 小さく呟き、廊下をまっすぐ歩む。

 それで向こうが面倒に思うようなら、結局はそれまでのこと。


 振り回されるのは、花蓮だけで充分――……。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





「……あ~あ。ほんっとうに一本でブレないなぁ、薔之院さん。さっすが。ていうか珍しいよねぇ。彼女、最後まで気が付かなかったよ? ――忍くん」


 首を片手で押さえたまま、彼が顔を向けた先。

 非常扉の横の壁にピタリと張りつき微動だにしない少年が一人、実のところ初めから


「……」


 何も言葉を発することなく壁から背を離した少年は、ヘラッと笑っている彼の元へと近づく。


「……首」

「あーうん。すっごい音鳴ったけど平気平気ー。すっごい寝違えたみたいなモンだからさ」


 ジットリと見つめてくる視線に、そういう意図での発言ではないことは答えた彼にも解っていた。返答を避けようとした彼に対し、しかし少年はその追求を続ける。


「……自分がいることに気付いていた上で、敢えてそうした理由」

「忍くんこそ動くかなって思ってたんだけど。動かなかったのは何で?」


 問い返され、少年は目を丸くして当然の如く。


「麗花なら普通にね退けると」

「本当二人とも俺に対してひどいわー」


 口端をヒクリと引き攣らせて、彼は緩いパーマの髪を掻いた。


「……んー、あのさぁ。薔之院さん、確かに責任感は強いんだけどさ。年々危機感っていうか、危険察知っていうか? 俺からするとそういうのが薄くなってると思うわけよ」

「……」

「周囲にどう思われてるかなんて気にしなくなったじゃん? それって彼女らしくて良いと思うけどさぁ、最近ちょっとどうかなーって思い始めちゃって。俺の言いたいこと、忍くんなら解ると思うんだけど」


 そこで水を向けられた少年は、とても嫌そうに目を眇める。


「……性質タチが悪い」

「え? あれ待って、それ俺のことじゃないよね? え? 俺のことなの??」

「違う。一部の女子生徒」


 自分を指して言われたことではないと彼がホッとした後、しかし次の少年の言葉に彼は動きを止めた。


「五年前のこと、知っている。女子二人が麗花の悪口を言って、麗花本人が聞いていて、秋苑寺くんも聞いていたこと」

「……」

「自分は見ていただけ。麗花は……麗花は、耐えていた」

「へぇ、そっか。居たんだ忍くん。それに知らなかったなぁ~。アレ本人聞いてたんだ。あぁーそっか、なるほどね。だから……」


 そこで言葉を一旦切った彼は、静かな眼差しを少年へと注ぐ。


「忍くん。俺さ、女の子嫌いなんだよね」

「!」

「何でかは割愛するわ。けどそんな風に思ってる俺がさ、唯一に思っているのが薔之院さんなんだ。初対面の時は何とも思ってなくて、好きでも嫌いでもなかった普通の存在。聞いた時は女の子同士であんな悪口言われるって、実はどんだけひどい子なのかっていう純粋な興味から始まった。けどさ、皆が怖いとか性格悪いって言う中で俺は、こっそり見てても初対面の時と別に印象変わんなくてさ。いや全然まともじゃんって思ったんだよね。自分の物差しで、周りに左右されずにハッキリ言う子。ちゃんと自分のこと持っていて、貫こうとしてる。だから俺の普通って、俺の中ではなんだよ。だから今までちょっかいとか掛けてたりしてたんだけど」


 少年の表情の変化を見つめ、彼は薄く笑った。


「軽蔑した?」

「……純粋に、助けたいからだと思っていた」

「だよねー。詩月にも言われた。ただの気紛れなら、薔之院にちょっかい掛けるなって」


 ただ、と小さく落ちる。


「ずっと変わんないんだよね、薔之院さん。いや良い意味で変わったけど、元の根っこっていうかさ、基本の部分は変わらない。俺が唯一女の子の中で普通って思っている子が潰れるのは、つまんないなーって、そう思っていただけだったのに。薔之院さんとよく話すからあんま俺の耳には入ってこないけど……それでも最近入ってくる。それ聞いてさ、イラッとするんだよね。よく彼女のこと見てもなくて知りもしないヤツらが、知ったように言ってんじゃねーよ!って」


 緩い口調が特徴の彼のいつになく荒い言葉に、少年の目が見開かれる。


「あと、薔之院さん。さっきさ、俺に素直になりかけてたヤツ。なれてなかったけど。お友達(仮)くらいには思ってるって言われて、何か……何だろ。でも、すっげー嬉しかった。いっつもキッツイひっどい追い払い方するのに。だからあれ、薔之院さんにとっては売り言葉に買い言葉的な感じなんだろうなって思ってたから、本当にそう思ってたんだって、何かこう、グサッときた」


 少年はコクリと一つ頷いた。

 分かるという意思表示である。


 そして頷いた後、少年は口許を緩ませてそこに笑みを乗せる。


「……ここから?」


 それを受け、彼も年相応の少年らしい表情で笑った。



「――うん。俺、こっから頑張るわ」



 本気で少女と向き合うと宣言した彼に少年も内心安堵していたことを、彼は知る由もなく。学院での少女の味方が増えたとホッとしていた少年が安堵するには、しかし些か早過ぎたようだった。


「俺さー、本気で(仮)から友達になれるように頑張ろうって思うけど、アレはどうしたらいいと思う?」

「アレとは?」

「緋凰くん。あんだけ薔之院さん見てんのに、肝心の見られている本人が全っ然気づいてないの、どうなの? まあ俺がああやって迫ってもアレだったから、普通に鈍感なのかなとは思うけどさぁ。友達としては矢印向けられている恋の手助けとかも、した方がいいと思う?」

「…………」


 思考停止する少年一人、コテリッと首を傾げる少年一人。


 少女の周囲を取り巻く少年たちの悩みは、当分尽きることはないだろう。

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