Episode161.5 side 薔之院 麗花⑩ 始まりの狼煙 前編
あの子が突拍子のない考えで行動をすることは、いつものことだと思っている。
何度私からも瑠璃子からも拓也からも注意してもいつの間にか忘れ、また同じことを繰り返す学習能力に著しく欠けている同性で、私の薔之院と唯一同学年で同等家格である、もう一人の親友。
――その親友から相談された内容に心当たりがあるのは、確かだった。
「…………」
普段通りの時間で学院に登校し、席に着く。すれ違う生徒には同学年も含め、萎縮されながらされる挨拶には最早慣れてしまった。
そうした中で私に学院の生徒の中で気兼ねなく声を掛けて来るのと言えば、忍……と言いたいところだけど、あんまり彼は自分からは話し掛けて来ない。
まったく、顔にはよく出しているくせに何でいつも言い当てたら不思議そうな顔をするのか、本当によく分かりませんわ! 目は口ほどに物を言うとは言いますけれど、忍の場合は顔は口ほどに物を言う、ですわね!
そんなことを考えながら荷物をしまい終えれば、女子の色めき立つ声に誰が教室に入って来たのかを悟った。これも毎日毎日と、よくも飽きないものだと呆れてしまう。
いつもならば文庫本に落とす視線を親友の相談の件もあってそのまま入って来た人物へと向けていると、その視線に彼が気づく。さすがに同じファヴォリだからか、こちらをまっすぐに見て声を掛けてきた。
「おはよう、薔之院」
「おはようございますわ、白鴎さま」
そうして軽く頷いた彼は、自らの席で荷物をしまい始める。
サロンでたまに見掛けるくらいで、同じクラスになったと言ってもあまり会話をしたことはない。常に男子に囲まれているせいで、私の記憶では姿がおぼろげな緋凰さまと違って彼はどこか人を寄せ付けない、硬質な雰囲気を纏っている。
「おっはよー、薔之院さん!」
そう、このチャランポランな従兄弟とも違って。
白鴎さまに向けていた視線を遮るようにニョッと目の前に現れた存在から目を逸らし、鞄から文庫本を取り出し栞を辿ってページを捲る。
「あれ? 薔之院さん? おはよー! おっはっよー!!」
「ええい、うるさいですわね! 静かな朝の読書を邪魔するんじゃありませんわよ!」
段々と声量を大きくして言うことに周囲の迷惑も上乗せして睨みつければ、えー?と小首を傾げられた。
「だって本まだ読んでなかったじゃん。詩月見てたじゃん。詩月見る暇あるんだったらさー、俺のことも見てよー」
「毎度毎度面倒くさくて鬱陶しいことを仰らないで下さる!? というか貴方違うクラスでしょう! とっとと自分の巣へお帰りなさいませ!」
「ひっどーい」
ひっどーい、じゃないですわ!
なんですのそのナヨナヨしい返しは!?
「うわ、待って。そんな引いた目で見ないでくれる? 俺もさー、薔之院さんからのひどい返しの返しレパートリーを色々考えてるわけよ。毎度毎度同じパターンだったらつまらないでしょ?」
「どういう方向性の対策ですの」
やっぱり秋苑寺は斜め上の思考の持ち主である。
しかし今回は何なのか。サロンでたまに一緒になった時は毎度絡んでくるが、いくら従兄弟がいるクラスとは言え、わざわざ教室にまで入って来ることは稀だった。
「声を掛けてこられたということは、何か私に火急のご用件でも?」
「ん~?」
そう鼻に抜けたような声で傍にしゃがんで上目遣いに下から見上げられては、さすがに少しドギマギする。性格というか中身というか、反りが合わないのは確かだけれど、やはり彼も年々その容姿には磨きがかかってきているので。
あまり意識はしないようにはしているけれど、遠巻きに見ている生徒だっている。重要な用件なら教室ではなく、サロンで話すとは思うのだけれど。
「――詩月見てたから」
ボソッと言われた言葉に目を瞬く。
「はい?」
「いっつも本読んでいるか、ご機嫌伺いの女子に話し掛けられてるかなのに、詩月見てたからじゃん」
グッサ!と、またしてもデリカシーなし男の言葉が胸を突き刺した。……本当にこの男だけは毎度毎度!
「一々ご機嫌伺いとか仰る無神経、いい加減手術して取り除いてもらいなさいませ」
「反応するのそっちなの? まぁいいけど。だって気になっちゃったからさ」
「別に視線を少し向けるくらい、そうおかしなことではないでしょう」
女子からよく視線を向けられている彼に、私の視線一つ混ざったところで何を気にすることがあるのか。
しかし秋苑寺は目を細め、小首を再度傾げてくる。
「薔之院さんは別じゃん」
一体何が言いたいのか、意味がよく分からないことを言ってきた。本当にこの男の思考回路はあの子並みにトんでいる。
「どういう…」
「“その人”を見てる人だからさ。もしかしてアイツのこと、そういう目で見てんのかと思って」
更に声量を落として言われたことに、眉間に皺が寄った。
ぼやかしまくった言い方で、しかも何故か責めているような口調にイラッとする。
本当に反りが合わない。言いたいことがあるのなら、はっきり言えばいいでしょう!
「秋苑寺さま」
「なーに?」
「表に出るがよろしいですわ」
「え?」
ギンッと睨みつけて言えば、細めていた目をパチクリと丸くさせている。
「丁度よろしいですわ。私も貴方に確認したいことがありますの。さぁ行きますわよ。売られたケンカは買って差し上げますわ!」
「え、待って。何で? 何でそうなるの??」
「長年の私に対する挑戦状、今この時を以って受領して差し上げます!」
「え? そんなもの叩きつけてないよ!?」
「お黙り!!」
秋苑寺には長年のヘイトを蓄積していることもあって遠慮する人物に値せず、首根っこを掴んでズルズルと引き摺っていく。
周囲の生徒はトップクラスのファヴォリ同士のやり取りということで遠巻きに様子を窺っているものの、癪であるがこの男と同じクラスだった時はこれが日常茶飯事だったためにあまり驚かれない。
どうして忍とではなく、秋苑寺と同じクラスになったのか、本気で学院側に問い詰めたかったですわ!
あの時の衝撃は計りしれず、この世の不条理を垣間見たものである。
道を開ける生徒の中を目を吊り上げて突き進みながら教室を出る中で、首根っこ掴んでいる人物がヘラヘラ笑いながら従兄弟に手を振り、その従兄弟が呆れた目で見送っていたことなど、終ぞ私は知らなかった。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
「えっへへ。薔之院さんに呼び出されちゃった!」
「ウザいですわ」
「シンプルにひどいこと言ってきた!」
比較的忍もよくいる非常口へと連行すれば、着いた途端にそんなことをにへら~と笑いながら言ってきたので、普通にイラッとした。
忍がいれば多少の癒しにはなりますのに、目論見が外れてしまいましたわ……。
「私は貴方と違って面倒くさい物言いはしませんわ。はっきり用件だけをお聞きします。よろしくて?」
「うわー本当清々しいよね。いいよ? なに?」
笑いながら頷く彼に、昔の記憶を引っ張り出して口を開く。
「貴方が初めて私の家に訪ねてらした時のこと、覚えていらっしゃるかしら?」
「随分とまあ昔の話だねぇ。もちろん覚えてるよー。仲良くお話ししたもんね?」
「記憶改竄も甚だしいですわ」
思考回路どころか、記憶でさえもトんでいるだなんて。この男は社会に出て生きていけますのかしら?
「それで、その時に仰っていたお話の件ですけれど。ハロウィンパーティでどうのと仰っていたでしょう。天使の仮装をした子、見つかりましたの?」
「……本当随分とそんな昔の話、よく覚えてるね?」
薄らと、彼のヘラヘラ笑いの質が変わった気がする。
「貴方のお話では従兄弟がちょっと、と言うことでしたけれど。その従兄弟、私と同じクラスの白鴎さまのことですわね?」
「まぁ俺の従兄弟って言ったら当時は佳月兄か詩月の二択だし、絞り過ぎれるほど絞れるけどね~」
「今更ですけれど。心当たり、いま出てきましたわ」
「……ふーん」
気のない返事をして腕を組み、壁に背を預けて秋苑寺が笑う。
「それで? どこの誰かわざわざ俺に教えてくれるために、ここまで連れてきたんだ?」
「教えるかどうかは今から訊ねることへの、貴方からの返答次第ですわ」
「えー取引ってわけ? それ俺に不利じゃない? だって返答次第じゃ教えてくれないんでしょ?」
「私は白鴎さまより、天使の子の味方をしますわ」
ピクリと彼の片眉が微かに上がった。
「……なーんか分かっちゃった。薔之院さんがしたい質問、当ててあげよっか? 天使ちゃんが誰か分かったら、詩月はどう動くのかって?」
軽薄さを湛えた笑みに、言い当てられた内容にこちらも目を細める。
本当に読めない。ヘラヘラ笑っていても秋苑寺の本心なんて見えないけれど、そういう笑い方をしても全然こちらに考えを読み取らせない。
……だから苦手なんですのよ。
「だから詩月見てた訳ね。ふぅーん、そっか。へぇ。……でもさ、それも薔之院さんの中ではもう答え出てるんでしょ? 俺に聞くのはその確信を得るため。違う?」
「……その通りですわ」
学院の女子生徒には淡白な白鴎さま。
そんな人が、女子が嫌いなこの従兄弟が彼のことを気にして探すほどに気を向けただろう女の子。
――それに。
『それはないね。どんな感情であれ、アイツが家族と俺以外に強く関心を持っている人間は、文通相手の天さんと、あともう一人だけだから』
『なるほど』
あの時の、忍と秋苑寺の会話内容。
その時は繋がらなくてあまり気にしなかったけれど、今なら分かる気がする。私があの子からの相談を忍にも確認した時に、忍から秋苑寺に唐突に確認したそれ。
あの子が他校訪問禁止令を出される原因となった運動会で、忍は彼女と面識ができている。
私の親友のあの子のために、忍はずっと何かしら動いてくれていた。普段は周囲の様子だけを観察して特に動くでもなく、どうでも良さそうな感じの忍が。
そして水島という女子生徒のことで忍が白鴎さまに何事かを伝え、それをすぐに了承したと言う彼。
『俺は尼海堂に、水島を守れと頼まれた。君から見て、俺は守れたか? “彼女”の憂いは、取り除けそうか?』
どことなく影を落とした仄暗い顔で、そう言ってきた。
あの件で彼もまた、あの子と何かしら関わりがあるのだとは察したけれど、敢えて詳しく知るようなことはしなかった。
奏多さまと彼のお兄様との仲は学院では周知のものだし、その縁であれば不思議はなかったのだけれど。
――あの子から、白鴎さまの話は聞かない。名前が出ることもない。
奏多さまも佳月さまのお話を彼女にはしていないようだし、白鴎家に長女が生まれていることも彼女は知らなかった。
「秋苑寺さま。白鴎さまがご使用されているハンカチのブランド、どちらのものですの?」
「うん? え、これまたどういう意図の質問? ヤッバい、全然分かんなーい」
「確信を得るためですわ」
そうはっきり告げると、暫く首を傾げていた秋苑寺は結局彼の中で意図が繋がらなかったらしく、肩を竦めてその答えを口にする。
「フランスの有名どころ。『Luxury D』のヤツ。学院入学前によくフランス行ってたからさ、気に入ってずっと使ってる」
「……そうですの」
聞いて思うのは、やっぱりという諦念の思い。
ハロウィンパーティ、聞いても他の人間が知らない天使の仮装、水島家の会社設立パーティ。符号は一致し過ぎる程に一致していた。
あの子はただ純粋に、ハンカチを元の持ち主に返したいだけだろう。けれど白鴎さま側に引っ掛かりを覚えて、あの子のことを伝えるのを躊躇ってしまう。
文通を長年続ける程、特定の人間には関心を持っている。それが、あともう一人。
誰のことを言っているのか一致してしまった今では明白で、あの時の白鴎さまの。
『そうか。それならいい。憂いが、晴れるのなら』
仄暗さが薄れた、柔らかなあの眼差し。
こんなことがあるのか。
兄君同士の仲は良好、下はまだ分からないとはいえ同家格の入学者がいない以上、きっと兄君同士のような関係になると予測できる。
同じ学校ではない、社交で出会いもしない。お互い誰かも知らないのに、不思議な縁で結ばれている。
「――秋苑寺さま。私、やっぱり誰かを告げることは、できませんわ」
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