Episode138.7 side 尼海堂 忍① 絡み合った糸の先

 部屋の構造と配置物と、誰がどこの席を頻繁に利用するかは、既に頭に叩き込まれている筈だった。


 忍者たる者、己の陥っている状況も把握できないなどということは論外である。ただ現在の状況を踏まえて導き出せる言葉はというと――――扉開けなかったことにしたい、に尽きる。



「……」


 視線を感じる。影が薄……気配を消すことに長けていて、入室しても気づかれることなどほぼない自分。だのに何故。


 麗花は分かる。

 彼女はずっと自分のことが見えていた。


 秋苑寺くんも分かる。

 よく声を掛けてくれるし、いつの間にか友達になっていたし。


 緋凰くん……。

 まぁ、彼は見える範囲で麗花と一緒にいたら見られている。


 白鴎くん…………ダメだ、彼は分からん。

 あの鋭い視線浴びた時、一瞬トラウマ思い出しそうになった。


 春日井くんは参考書に視線を落としている。


 四家の御曹司と麗花がサロンに揃っているという、非常に珍しい光景。その中で四家の御曹司四人中、三人がこっちを見ているのはどうしてだ。


 もう嫌な予感だけしかしない。

 帰っていいだろうか。


「忍」


 呼ばれると思った。逃走を図ろうとすると絶対感づかれるの何なんだ。


 無心。無心であれ。

 忍者たるもの心を簡単に乱すようでは、それは立派な忍者とは言えない。


 足音を立てず、進級して高学年のスペースでも自分の定位置である、隅のソファへと慎重に進もうとしていたら。


「忍く~ん」

「!」


 ピョッと、目の前に秋苑寺くんが飛び出してきた。


「あれ? どうしたの忍くん。もしかして驚かし、成功しちゃった?」


 目を丸くしたと思ったらおどけたように言ってきて、声は出さなかったがまるで新田さんのような反応をしてしまった。


 ……くっ、無心を唱えている間の接近に気づかなかった! 不覚!!


 と、己の未熟さを嘆いていたら。


「忍を呼んだのは私ですのに、何で貴方が横から沸いてくるんですの! しかも行動が低脳ですわ!」

「ひっど! 俺低脳じゃないし! 授業の成績とかメチャクチャ良いんだけど!?」


 麗花がわざわざこっちに来て、秋苑寺くんにボロカス言い始めた。

 そして低学年の頃は白鴎くんに泣きついていた彼も、あんな風に言い返すようになっている。これぞ人の成長……。


「忍、行きますわよ!」

「待って待って~」

「きゃああ! なに忍の手を取っているんですの! 忍に低脳が移ったらどうしてくれますの!?」

「本当ひどくない!?」


 麗花に袖を引かれて、何故か秋苑寺くんに手を繋がれて。


 間に挟まれた自分は秋苑寺くんを病原菌扱いする麗花を止めるべきなのか、それともグイグイ自分を引っ張ってくる秋苑寺くんに待ったをかけるべきなのか。……あ、向こうで中條がハンカチギリギリしてる。


「尼海堂」


 え。うわ、どうしよう白鴎くんまでやって来た。

 帰りたい!


 白鴎くんがこっちに来たことで、麗花と秋苑寺くんの口争いも止み、彼へと視線を向ける。


「えーなに詩月、忍くんに用事? 忍くんに話なら、まずは俺を通してからにしてくれる~?」

「何を言っている低脳。尼海堂が迷惑しているだろう。手を離せ低脳」

「お前までどうしてそうひどいこと言うの!? 俺低脳じゃないし迷惑じゃないよね!?」


 いや、手は離してほしいと思っている。

 両方塞がれているのは落ち着かない。


「……」

「「ほら」」

「忍くん!?」


 あ、言う前に何か誤解させてる。低脳は否定しておかなければ。


「手だけ離してほしい」

「え、迷惑なの? 忍くん俺低脳なの!?」


 何故だ。余計なことは言わなかったのに、どうして言わなかったことで誤解させている。


 秋苑寺くんは「三人ともひどい!」と泣き真似をして、何故か春日井くんのところへと泣きつきに行った。人の成長とは。

 そしてそんな秋苑寺くんを冷めた目で見ていた白鴎くんが自分へと向き直る。従兄弟にも冷たい。


「礼を言わなければと思っていたんだ。君が教えてくれなければ、俺はずっと水島の本心に気づかずにいた。……人のことを、あれだけよく見ているとは思わなかった。君はすごいな」


 普通に褒められたのだが。


 話に行った時はトラウマ思い出しかけて吐きそうになったけど、信じてくれて本当に良かった。白鴎くんが水島さんにずっと付きっきりでいたから、さすがに城山も手だしは出来なかった。


「……白鴎くんも自分を信じてくれた。それもすごい」

「忍、そのことですけれど。私を仲間外れにしたのは何故ですの?」


 麗花が目を細めて聞いてきた。

 何故と言われても。


 だってかっちゃんに言われていただろう、何もするなって。かっちゃんが麗花に頼んだこともただの様子見で、何かしろとは言われていない。


「私に連絡があった時点で、私も関係者ですわ! それは行動しても可ということでしょう!」


 何を勢い込んで言っている。

 それはただの屁理屈だ。


「もう! 忍がコソコソコソコソしていらっしゃったから、私の出る幕などなかったのですわ!」


 何故怒られてるし。解せないんだが。

 というか何も言っていないのに会話が成立しているの、おかしくないか?


「仰りたいことが全部顔に書いてありますわ!」


 嘘だろ!!?

 そんな非現実的なことがあって堪るか!


 ……いや待て。忍者は常に覆面で顔を隠している。そうか、表情が読まれやすかったのか……!


「多分違うと思うが」

「何故!?」


 白鴎くんにまで突っ込まれた!

 一体どうなっている自分の顔!


 不可解なことにそう内心で突っ込んでいたら、麗花の顔が白鴎くんへと向いた。


「……そう言えば白鴎さま。どうしてあの日、水島さまをご自宅へ? ご存知でしたの?」

「あぁ。守れと頼まれた以上、身辺を警戒するのは当然のことだ。情報は掴んでいて、彼女単体であれば白鴎が隠すことなど容易い。だがまさか水島を潰す家が、百合宮とは思わなかったが」


 ――百合宮。


 かっちゃんは、百合宮家と縁のある家の令嬢。

 あの百合宮先輩がチラチラ気にするほどの存在なら、百合宮家が出てきてもおかしくはない。


「私が水島さまを迎えに、とお伝えした時にもあっさり頷かれましたわね。私が水島さまを害すとはお考えになりませんでしたの?」

「頼んできたのが尼海堂だ。尼海堂とよく一緒にいる君が水島を害すとは思わない。水島が俺と距離が近かった時でさえ、注意も何もしなかっただろう。それにあの時点で百合宮が動いていたのなら、薔之院。一年生の頃、君はここでたまに奏多さんと話をしていた。奏多さんからの頼み事だと予想がつく。あの人は公正明大な人だから、水島を害したりはしない」

「……なるほどですわね」


 神妙に頷いている麗花。

 白鴎くんの述べたことが合っているのかは、麗花しか分からない。


 ……自分があの時白鴎くんに伝えたのは、水島さんの兄がどういう人物で、白鴎くんが気にしていた彼女がおそらく兄にされたこと。

 彼女が知り合いに水島さんの様子を探ってほしいと頼んだことを知ったこと、水島さんの今の印象。


 そしてどうして彼女が水島さんの様子を知りたいのか、その彼女の気持ちを。

 運動会で見て話した彼女の人柄を思い、判断した。


 ――きっとかっちゃんは、水島さんのことを守りたかった。


 だから守ってほしいと頼んだ。

 全てのことに確証はなかったが、話を聞いた白鴎くんは涼やかなその眼差しに、思慕を乗せて。



『……そうだな。“彼女”なら、きっとそうするだろう』



 そう、口にした。


 取りあえずこの問題は終息した。

 多分、最善の形で。


 水島さんは学院から去ることになったけれど、麗花が難しそうな顔をしていないのも、新田さんが時折思い出し笑いをしているのを見ていたら、自然とそう思う。


 麗花が大きく影響を受け、白鴎くんまであっさり頷かせる。かっちゃんとは一体、何者なのか。



「ねぇねぇ、そう言えばさぁ~~」


 春日井くんに泣きつきに行った秋苑寺くんは、未だに彼の傍でしゃがんでいる。しかし顔はこちらに向いていて、確実に自分達へと話し掛けている声に反応して顔を向けたのは自分だけ。


「低脳が話し掛けてきましたわ」

「低脳が何か言っているな」

「……」

「聞こえてるんだけど!? 忍くんも何か言って!?」


 何故自分。

 何を言えと。


「……そう言えばとは」

「え、続き促す感じ? 俺のこと庇ってくれる感じじゃないの??」


 あ、そっちだったか。しくった。


 聞いた!? ねぇ今の聞いた!?と春日井くんに訴えて、春日井くんはまぁまぁと宥め、その隣の緋凰くんは気にせずカップの飲み物を口に運んでいる。確実に秋苑寺くん二人の邪魔だ。


「えぇーもうさー、低脳言われてもスルーするから! 低脳言っても低脳には反応しないからね! だって俺は低脳じゃないから!!」

「うるさいですわ低脳」

「言いたいことがあるならさっさと言え低脳」

「俺は優秀! ちょっと小耳に挟んだんだけどさ。ほら、水島家が百合宮家に乗っ取られたってニュースになったやつ」


 低脳スルーしてない。

 と、いうか。


 秋苑寺くんが口にした内容が内容なので、そこで初めて二人の顔も揃って彼へと向けられた。


「乗っ取られたとは、人聞きが悪いですわね」

「世間一般ではそういう認識って話。まぁ買収自体がマイナスなイメージあるし? で、ニュースとは別に、リアルタイムで知ることができた人達がいるらしいんだよね~。長谷川?って言う人が主催したパーティっぽいんだけど、そこのスクリーンで流れたらしいよ」

「疑問符とかぽいとか、らしいとか。随分といい加減な情報だな、晃星」


 白鴎くんの指摘に肩を竦める秋苑寺くん。


「俺も人から聞いた話だからね~。信憑性は微妙だけど、気になったからさ。で、何か特別ゲストが招待されてたみたいで。そのゲストがどうも俺らと同じ年の女の子でさ」


 ――ピクリ、と動いた。


 麗花と白鴎くんの片眉が。

 春日井くんと緋凰くんの肩が。


「特別ゲストで呼ばれるって、どんだけすごい家の子って思ったんだけど、そりゃ納得するよね。あの百合宮家と縁のある家の令嬢なんだって」


 自分もそこまで聞いてハッとする。

 かっちゃん……?


「俺が話聞いた子も、人づてに聞いたから容姿も信憑性ないんだけど、すっごい可愛い美少女だったらしいよ? 所作とかも他のご令嬢は目じゃないほどきれいだったって。ホントかな~?って思うけど、奏多さん思い浮かべたら納得しないこともないような。それで肝心の名前なんだけど、これが一番分かんなくて」


 何故か秋苑寺くんを取り巻いている空気が張り詰めている気がする。自分も含めて。


 どこか緊迫した空気が漂っているにも関わらず、それを感じていないようである秋苑寺くんは、はっきりとその名を口にした。




「その子の名前、猫宮 亀子って言うんだって」





 説明する。

 同時に事が起こった。



 麗花が瞬時に真顔になった。

 あ、普通に偽名なんだなと思った。


 白鴎くんが、「猫宮 亀子……。そうか。可愛い名前だな」と言った。信じるのか。というか感性。


 緋凰くんが丁度カップに口をつけていて、ごふっ!とむせた。予想外な名前で変な気管に入ったのか。


 春日井くんが持っていた参考書をバサッと落とした。落とした参考書が秋苑寺くんの頭に当たった。



 そして全てのことを聞いた自分はこう思う。



 ――――かっちゃんって一体、何者

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