Episode138.5 side 水島 美織の悔恨④ 呪縛が解き放たれる時
「ぁ…………」
「麗花」
「席に座りますわよ」
震える手を引かれて、連れて行かれそうになる。
いや。
いや。
いや、いやいやいやいや!!
「いやっ。いやです! 汚れっ、汚れちゃうっ!!」
足を踏ん張って手を強く引いて、薔之院さまから自分の手を取り戻す。驚かれる薔之院さまの顔を最後に今すぐここから出ようと、来た道を戻ろうとすれば。
「美織さま! 私との約束を覚えていらっしゃいますか!?」
「!?」
大きな声にビクリと肩が揺れる。
約束。約束? 何の……!?
「戻ったらまた二人でお話しましょうと。あの時、お会いせずに帰宅してしまいました。太刀川くん……私の居場所を貴女が教えて下さった男の子。彼から、貴女が泣いていたと聞いて。約束を守れなかったこと、すみませんでした」
な、んで。どうして、百合宮さまが、謝るの。
私のこと、どうして!
「……て」
「え?」
「何で、何で百合宮さまが謝るの!? 私がっ、全部っ! 悪魔の道具で汚い私が全部全部悪いのに!! どうなるか知ってた! 知っていて、でも怖くて、ダメで、結局置き去りにしてしまった! 汚い! 汚い道具なの!! 謝っても許されないことをしたのは私なのに! 何で。何でっ!」
分かる。私を見て微笑まれた瞬間から。
百合宮さまは汚れていない。
純粋で、美しくて、きれいなまま。
だったら近づいちゃいけない。
汚れた私が近づいたら、今度こそ汚れてしまう!
「美織さま」
椅子が動く音が聞こえた。
百合宮さまが移動する音。
「こな、来ないで下さ……っ」
「美織さま。座って下さい。“被害者”の私が、“加害者”の貴女に対してお願いしているのです」
「……あっ……」
被害者と加害者。
百合宮さまの、お願い。
真っ青になりながら恐る恐る振り返れば、真っ直ぐに見つめてくる瞳と出会う。
どうして私に拒否権があると思った。許されない私は、百合宮さまの言うことを聞かなければ。
幽鬼のようにフラフラと覚束ない足取りで、指し示されたガゼポの椅子へと座る。どこを見ていいのかさえ分からずに、白く美しい木目のテーブルを見つめた。
私が座ったのを確認して、百合宮さまも、薔之院さまも椅子へと座られる。
「……まず、今の状況をお伝えせねばなりませんね。取りあえず、私とこちらの薔之院家の麗花さんは、昔からの友人です。麗花さんにお願いして、今日お話させて頂くために連れて来て頂きました」
「はい……」
驚くべき繋がりも、今の私の頭には入って来ない。
「麗花さんから道中、お聞きになっているかもしれません。美織さま、貴女のお家である水島不動産ハウスサービス。貴女の一族に経営権が失われたのは、もうご存知でしょうか?」
「はい。お聞き、しました」
「そうですか。貴女の一族から経営権を奪ったのは、我が百合宮家です」
「!!」
バッと顔を上げる。
百合宮さまも、薔之院さまも、静かな眼差しで私を見ていた。
「百合、宮、家が」
「どうしてか、理由は分かりますか?」
理由なんてそんなの。
「悪魔が。悪魔がまた、百合宮さまに触ろうとしたから……っ」
「……自分のお兄様のことを、悪魔と呼んでいるのですか。それも一つの理由としてはありますが、私が何より許せなかったのは、私の大切な人を貴女のお兄様が傷つけたからです。貴女が泣いていたと教えてくれた、あの男の子のことです」
「……あ」
『同じ学校みたいでね、彼の弟と花蓮ちゃん。あぁ、覚えてないかな? 四年前にすごく気に入った可愛い子と、途中で邪魔してきた子だよ。ずっと一緒にいるみたい。彼はそれが気に入らないみたいで、二人を引き離せって』
「他にも、人を利用してその人をも苦しめました。私だけならまだしも、他の人を巻き込んで苦しめるなど言語道断です。当時、私は家族に守られました。私が傷つくことをよしとせず、この四年は報復のための準備期間でした。報復の権限は最終的に私に
「わ、たしの?」
「はい。貴女を連れて来てほしいと頼むより以前に、麗花さんには、貴女の学院での様子を教えてほしいと頼みました。ごめんなさいと悲痛な声で私に謝った貴女が、今はどのように過ごしているのかと」
薔之院さまの方を見る。
彼女は口を挟む気配もなく、話に聞き入っている。
「聞きました。他の女子生徒を気にすることなく、一人の男子生徒へ執着していると。まるで――追い詰められているかのように」
そんな。
だって、何で。
振りは、絶対に“そう”見えていた筈なのに。
「突然でしたもの。貴女の変わり様。人見知りで常に大人しい子が、いきなりあのようにご自分から行かれるのですもの。それに、その顔ですわ」
薔之院さまに言われ、手で自分の顔に触れる。
この顔が何だと。
「楽しそうに、嬉しそうにはしゃいでいた後。必ず間で表情がなくなりますわ。抜け落ちるようになくなるのです。本当にその感情通りに感じていたら、そんなこと有り得て?」
「私の表情」
あの日壊れた、日常では何も聞こえない、私の。
「美織さまご自身も先程口にされていたように、お兄様の行いを貴女は知っていました。知っていて、貴女は私をあそこに連れて行きました」
「ごめ、ごめんなさっ」
「聞いて下さい。でもお兄様に相対した時、止めて下さろうとしていた。覚えています。色々話し掛けていたのに返事もあまり返ってこない、常に青白い顔をしている。怖かったのですよね? でも逆らえずに、言われた通りにするしかなくて。安易に分かりますと口にしたくはありませんが、被害を受けた私だから言います。貴女のお兄様は異常者です。言葉なんてものは通じません。そんな異常者の妹として、ずっと身近にいた。知っていたんですよ、私も。貴女のお兄様は、異常だと」
百合宮さまはそこで、グッと苦しそうに眉根を寄せた。
「私を心配してくれる家族の愛情に甘えて、貴女のその後のことなど考えもしなかった。そうですよね。あんな異常者の近くにいて、普通の精神でいられる筈がなかったのに……っ!」
あぁ、どうしてそんなことを言うの。
違うの。初めから道具だった。
妹なんて立派なものじゃなかった。
「……いつからですか? いつから美織さま。貴女はそうなってしまったのですか?」
いつから。
いつから、私は。
言えない。答えられない。
もうこれ以上、優しい百合宮さまを苦しめることだけは。
「百合宮の調査では催会などの人の集まる場に、毎回ご夫人だけ姿がないと上がっていました。貴女のお母様は経営権を剥奪した昨日、速やかに保護しております。美織さま。私の、せいですね?」
違う。違う。
違う! 違う違う違う違う!!
「あの日の貴女は青褪めて震えて、何度も泣きそうになっていました。泣きながら指を差して、私がいるところを教えて下さりました。ちゃんとその日は、そんな感情があったのに。翌日にはもう、表情が一切なくなっていたと」
「違います! そんなの嘘です! 私は、私は!!」
「気づいていますか、美織さま。言葉に感情が篭っていても、私と会話している貴女の顔に表情なんて、一つも浮かんではいないのですよ」
浮かんでいない。
どうして、よりにもよって。
「ずっと、大人しくて人見知りだと、皆そう、思っています。私があの人に話し掛けに行っていた時だって、あんなに羨ましくて、妬ましそうな目で見られていたのに」
「見る者には判りますわ。現に私だって、忍も貴女の変化に気づきましたわ。表情が抜け落ちるのは最近になってからですけれど、それほどまでに貴女が追い詰められていたという証拠ですわ」
「私。私は……」
「美織さま。私は、貴女を恨んだことなんて一度もありません」
見た顔は、けれど未だに苦しそうなのに。
「そんな優しい嘘、つかなくても」
「嘘だと思われるでしょう。でも、それなら何故あの時に動かなかったと? 傷つきましたし、事情を知った家族から見ても、到底許せるものではありませんでした。時間を掛けて家を潰す。それほどまでの怒りでした。間で何かしてもおかしくはありませんでした。けれど私は。貴女のあの『ごめんなさい』が、忘れられなかったのです」
「……あんなの、私がやってしまったことに比べたら」
「あんなに悲痛な『ごめんなさい』は、初めて聞きました」
――散らばった欠片が、音を立てる。
「何があればあんな悲痛な声を出せるのか。私の他にも、同じ目に遭った子達がいます。私と同じように迷路へ案内していた。いけないことだと分かっていたのに、異常者に逆らうことが出来なかった。怖くて悲しくて、でも、私の時には声を上げて止めて下さろうとされた。それが貴女にとって、どれだけ勇気の要ることだったか。……解ってあげられなくて、ごめんなさい。すぐに動かなくて、ごめんなさい……っ」
聞こえてくる。音が。
どうして貴女は、こんな汚くて、壊れた私にも、その手を差し伸べてくれる。私に触ろうとしてくる。
――あぁ。そうなんだ。この人は悪魔に触られても汚れなかった。私に触ったくらいじゃ、汚れる筈がなかったんだ
ポタリと手を濡らす、何か。
あの日からこんなものは出てこなかった。例え振りでも、こんなものは。
「……なさい。ごめんなさい。ごめんなさいっ。ごめんなさい! ごめんなさ…」
ふわりと、柔らかな温もりが私に触れてくる。
そっと優しく頭を撫でられて、背中をさすってくれる。
「もうそんな声で謝らないで。私は。美織さまのことは、最初から許しているのですから」
許されている。
許さないで。
でもそう言っても優しくて純粋できれいな貴女は、許さないでと言うことを許さないと言うのでしょう。
あの日から出てこなくなったものをとめどなく溢れさせながら、温もりに包まれて、ずっと。
ずっと。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
私は今、お母さんの実家で暮らしている。
お母さんと、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんと四人暮らし。お母さんにはお兄さんがいるらしいけど、海外に移住していて滅多に会うことはないそう。
――お母さんはお父さんと離婚した。
家庭内暴力と私の精神状態を理由にあっけなく成立し、都会から随分と離れた田舎だけどここは自然が豊かで、ご近所さんとの触れ合いも温かくて心地良い。
人の温かさに触れて、振りをせずとも、少しずつ表情が浮かんでくるのを感じている。まだまだ時間が必要だって病院の先生は言っているけれど、ここにいたら時間は掛かっても良くなると自然と思えた。
学校の子達も皆ご近所さんだからか、皆距離が近くて、転校生の私にも気軽に笑って声を掛けてくれる。
「じゃあ美織ちゃん、また明日ねー!」
「うん」
途中まで一緒に帰っていた子と別れ、目の前の家へと入る。玄関を開ける音が聞こえたからか、お母さんがパタパタと駆けて迎えてくれた。
「お帰りなさい、美織」
「ただいま」
「今日、届いていたわ。はい」
「!」
靴を脱ぐ前に差し出されたそれを見て、ピクリと頬が動いた気がした。受け取って胸に抱くように抱えれば、お母さんが嬉しそうに笑う。
「手洗いうがいをして。おやつと飲み物を準備してくるから」
「うん……」
ポカポカと温かいものが染み込む。
心の欠片がキラキラと音を立てる。
差し出し人が書かれている名前の部分を、そっと指でなぞる。
「……萌ちゃん」
――止まない雨はない。
――例え多くの雲が空を覆っていても、必ず隙間から、陽は射し込む――……。
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