Episode138.5 side 水島 美織の悔恨③ 守りたかったもの

 白鴎さまとずっと同じクラスなのは、都合が良かった。いつ彼から百合宮さまの話がその口から発せられるのか、見ていられる。


 けれど白鴎さまは、普段女の子とは会話なさらない。日常生活において必要最低限。会話を交わしても一、二行くらいで終了してしまう。


 お聞きしたい。彼女の話は誰からも聞かない。

 貴方しか、彼女への繋がりがない。


 ……でも微笑まれていたのに動かれない貴方は、彼女をどうでもいいと思っているのかもしれない。


 怒りとか悲しいとかの感情なんてもうよく判らないのに、萌ちゃんを守りたいのと、百合宮さまに関わることだけは深く根付いている。


 これは一種の、執着、かもしれない。




「美織」


 お兄ちゃんに呼ばれる。

 声を掛けられて振り向いても、道具の感情なんて無いに等しいと思っているお兄ちゃんは、表情が何一つ動いていない私の顔を見ても用件だけを口にする。


「白鴎くんが好きなの?」


 ……どうしてそう、見えるのか。どうしてその汚い口から、そんなおぞましい言葉が吐き出せるのか。


 何も答えず見つめる私に、悪魔はニタリと薄く微笑む。


「今どうも水島の経営が停滞しているようでね。僕と美織で、立て直すお手伝いができたらと思うんだ」


 知らない。

 壊れてしまえばいい、こんな家。


「少しばかり取引をしてね。ほら、僕と同じ中等部一年でファヴォリでもある――――くんだよ」


 家名を言われても知らない。

 覚えがない。覚えが……。


 違う。覚えはあった。

 あの子の家。


 百合宮さまのために唯一動いてくれた、あの男の子の。


「彼が白鴎くんに美織を紹介してくれる。だから美織。白鴎くんに近づいて、彼の恋人になりなさい」

「……どうして」

「好きなんだろう? そして僕は、百合宮を得るから」

「!!?」


 何を言った。

 この悪魔はいま、何を。


 ニタニタと、悪魔が口を開く。


「同じ学校みたいでね、彼の弟と花蓮ちゃん。あぁ、覚えてないかな? 四年前にすごく気に入った可愛い子と、途中で邪魔してきた子だよ。ずっと一緒にいるみたい。彼はそれが気に入らないみたいで、二人を引き離せって。それで考えたんだ。花蓮ちゃんを得れば、百合宮も手に入る。あの子以上に可愛い子なんていない。ついでに美織のこともお願いしたよ。妹思いの兄だね、僕は」


 どの口が。どの口がほざく!


 同じ学校。だからあんなに仲良く話していて、ずっと一緒にいた。今も、ずっとあの二人は一緒?

 彼は、彼だけは百合宮さまのことを守ってくれているの? ……途中?


 守ってくれた? 汚されていない?

 純粋で、きれいなまま……?


 引き離すってなに。

 守ってくれているのに。どうして離そうとするの。



 ダメ。


 ダメ。


 ダメダメダメダメ!!



「好きじゃない」

「うん?」

「白鴎さまなんて好きじゃない。触らないで。あの人に、百合宮さまに触らないで! 汚い手で触ら……っ」


 パシン、と頬を張られた。


「美織。いつからそんな悪い子になったの?」


 痛くない。

 こんなの全然痛くない!


 沸き上がった憎悪全てを悪魔に向ける。

 睨みつけたその先で、けれど、悪魔は。



「新田家を取り込んでもいいんだよ?」



 新田家。

 萌、ちゃん。


「……ど、う、して」


 何で悪魔から、その、名前が。


「分かるよ。僕の妹だから。好きじゃなくても別にいいよ。……美織、分かるよね?」



分かるよね?分かるよね?分かるよね?分かるよね?分かるよね?分かるよね?分かるよね?分かるよね?分かるよね?分かるよね?分かるよね?分かるよね?分かるよね?分かるよね?分かるよね?分かるよね?

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





「白鴎さま」


 女の子も、男の子でさえ見惚れる顔が、私の声に反応して見上げてくる。


「どうかしたか」

「特に用事ということもないのですけれど。今お読みになっている本って、どういう内容のものなのですか?」

「あぁ、これは――……」


 ファヴォリの先輩から紹介されたからか。

 他の女の子と違って、白鴎さまは私との会話はずっと続けてくれる。どんな他愛ないことだって。


 心配しないで。警戒しなくても大丈夫。

 だって私は百合宮さまのことを守ってくれない貴方なんか、好きじゃない。どうでもいいの。


 萌ちゃんが心配そうな顔をして私を見ていることも、知っている。


 ごめんね、萌ちゃん。私にはこうするしかないの。

 萌ちゃんを悪魔から守るには、こうするしか。



 百合宮さま。百合宮さま。

 私が百合宮さまを守れないのなんて、四年前から変わらない。あの男の子が守ってくれることを、願うしか。


 白けた目以上の、羨望や嫉妬が織り混ざった視線を向けられてもどうでもいい。そんなもの何も感じない。そんなものでは私の欠片は音を立てない。



 ――あぁ、早く


 嫉妬がそのまま膨れ上がればいいのに。

 膨れ上がって弾けて、それが直接私に向かえばいいのに。


 早く壊して。罰して。

 四年前も今も、何もすることが出来ない私を。誰か壊して――……。



 嬉しそうな振りを。楽しそうな振りを。

 はしゃいでいる振りを。


 私が普通に息を吸うことが出来るのは、萌ちゃんの傍にいる時だけ。その時以外の私は、壊れかけのパペット。


 誰かが壊してくれなきゃ自分で壊せもしない、ただの。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 淡々と、白鴎さまに近づく振りを続ける日々だった。それがある日、白鴎さまからの動きが変わった。


「水島。移動、一緒に行こう」

「……え?」


 教室内がザワつく。

 ずっと私の方から行っていた。それが。


 机の上に準備していた教材を手に取られ、教室の扉の前まで移動されて。


「置いて行くぞ」


 そう口にされても、律儀に私を待っていてくれている。


 女の子は信じられないという表情で、男の子はそんな白鴎さまの態度に戸惑うように。一応気になって薔之院さまを見るけれど、彼女はこちらを気にすることもなく同じく教材の準備をしていた。


 予想外の行動をされてオドオドするか嬉しそうにするか迷う間にも、「水島」と再度呼ばれてしまい、どういう振りをするかも決まらずに、席から立って彼のところへ行った。

 白鴎さまは手に持った教材を返してくれることなく、私が来たのを確認して共に教室から出る羽目に。


「白鴎さま?」

「可能な限り学院では俺の傍にいろ」

「え……」


 どういう意味なのか。


 涼やかな視線で射抜くように、潜めた声で告げられた言葉に無意識に眉根が寄る。それを見た白鴎さまは、一つ息を吐いて。


「……なるほどな。信じよう、尼海堂」


 そう言って足を踏み出される。

 教材を返してもらえないままなので、仕方なく付いて行くしかなく。


 そんなことがこの時を皮切りに、何度も何度も続いて。私から白鴎さまへ向かっていたのが一転、白鴎さまから私へと向かうようになった。


 何をお考えなのか。他の女の子が言うように、私に好意を持ってくれている訳ではないのは理解している。じゃあ、どうして……。


 そして遂には。


「今日は俺の家に泊れ」


 そんなことを、言われてしまった。


 俺の家? 白鴎家? 何を言っているのこの人は?

 何で私が泊らなきゃいけない。


 どういうことなのか知らないが、私に関しては悪魔の思惑通りに事が運んでいるというのに、微塵も望んでいないことを言われて考える間もなく、同じ車に乗せられた。


「分からないか」


 ……もう、何かこの人の前で振りをするのも通じない気がする。


「分かりません。白鴎さまは私のこと、どうとも思っていない筈です。どうしてこんなことをされるのですか」


 淡々と言えば、淡々と返事が返って来る。


「頼まれた。君を害する者から君を守ってほしいと」

「守る……?」


 ジッと、白鴎さまの横顔を見つめる。


 守る。誰を?

 何と言ったの。誰が、誰を守るって?


「……どうして。そんなの、望んでいない」

「君が望む望まぬまいとこう言ってはあれかもしれないが、それは俺にとってどうでもいい。が憂うと言うのであれば、仕方がない」

「彼女?」


 新たな人物が出てきて余計に混乱する。


 どうして。百合宮さまを守ってくれない貴方が、なぜ汚い私を守ると言うのか! おかしい。どうしてこうなる!?


 壊れることを望む私が、なぜ守られないといけないのか。

 私じゃなくて危険に晒されているのは、悪魔に狙われている百合宮さまなのに!!


「どうして! 貴方が守らなきゃいけないのは、私じゃなくてゆ…」

「着いた。話はここまでだ」


 車が停まり話は打ち切られ、自分だけ先に降りて向かわれる白鴎さまの背を睨んだ。

 白鴎家の手伝いの者に案内されて、その日は本当に彼の家に泊まることになってしまった。


 客室の一室だけれど、やはり白鴎家ともなると規模が違う。比べるのもおこがましいけれど、水島とは全然違う。

 この分だと明日も同じ車で一緒に登校する羽目になるけれど、どう思われようが構わない。嫉妬が、悪意が膨れ上がって私を壊してくれるのなら、何だって。


 言葉にするとヤケクソか。そんな感覚で、決して穏やかではない気分のまま就寝して。


 けれどそんな考えは、またしても白鴎さまに妨害された。




「え。私だけ休み、と?」

「はい。水島さまには今日一日、こちらの客室にてお休み頂くようにと」

「そんな」


 部屋に朝食を持って来てくれた方からそう聞かされて、強制休みが告げられる。


 人様の家を勝手に歩き回る趣味もないし、客室には一日では読み切れないくらいの本も置いてあって、仕方がなくそれを手に取って読み始める。


 白鴎さまはここに私を閉じ込めて、一体どうする気なのか。守ると言われたけれど、それはいつまでの話になるのか。別に守らなくていいのに。


 パラパラと本のページを捲るけれど、何一つ頭には入って来ない。


 ……何から守るの。害する者って誰。

 彼女が憂う。誰のこと。


 悶々とそんなことばかりが繰り返し頭の中を巡って、ぼぅ、と窓から見える青空を見つめる。



 ――梅雨は明けた。何一つ明けないのに、空だけは





 そうして過ごし、学院の下校時間まで経った頃。

 コンコンとノックされる伺いに返答せずにいたら、開いて入って来た人物を見て、その名を口にする。


「……白鴎さま」


 彼は椅子に座っている私を一瞥し、扉は少し開けたままに向かいの椅子に腰を降ろしてきた。


「迎えが来る。それまではここにいろ」

「迎えですか? 兄ですか」


 ピクリと目元が動き、そのまま見据えられる。


「迎えに来るのは君もよく知る人物だ。……聞いておきたい。四年前、“彼女”は体調不良ではなく、君の兄に傷つけられたのか?」


 ――は


 思わず噴き出してしまった。


「は。あははっ! 何ですかそれ。今更? 知らなかったって言うの? 嘘でしょ? あぁ、だから何も話なんて出てこなかった。水島が白鴎に報復されない訳だわ!」


 狂ったように笑う。笑い続ける。

 何年もこの人を気にしていたことは、無意味だった。



 ――この人は、百合宮さまに起こったことを知らなかった!



「だから守ってくれなかったの? 今も守ってくれないの? どうして。どうしてどうしてどうして!? 微笑んでいたのに! 貴方は彼女に微笑んでいたから! だからあの悪魔が汚したことを怒って、壊してくれると思っていたのに!!」


 恥も外聞もなく、目の前にいる人を睨みつける。

 自分のことを棚に上げて。


 私さえあの場に置き去りにしなければ。

 悪魔になぶり殺されてでも守り抜いていたら。


「兄は彼女を傷つけた。けど、君は。君は守ろうと……いや、のか」

「知ったんでしょ? だったら報復してよ! 壊して。水島なんか、あんな家、粉々に壊して……!!」


「――その必要はもうありませんわ」



 凛とした声に、ハッと扉の方を見ると。

 同じクラスで、学院の女子のトップで、私が白鴎さまに近づいても何も気にされてなどいなかった。


「薔之院さま……?」

「失礼致しますわ」


 サッと入って来た彼女は、向かい合う私と白鴎さまの間の椅子へと静かに座る。


 どうして薔之院さまが?

 いや、それよりも。


「必要はないって、どういう」


 特に何の感情も読み取れない、静かな眼差しで見つめられる。


「貴女の家……水島不動産ハウスサービスは昨日、経営権を剥奪されましたの。一族で役員に就かれていたせいで、ご家族は皆職なしになりましたわね」

「経営権、剥奪」


 なくなった? 会社が? 壊されたの?

 ……そう。そう!


「ふ、ははっ。やっと、やっと天罰が下ったのね! ざまあみろ。ざまあみろ!!」


 家がなくなった。悪魔はもうどうにも出来ない。

 あとは。あとは私が壊れるだけ……!!


「水島さま。私、貴女を迎えに来ましたの」

「迎え? なぜですか? 帰る家なんてもうなくなったのでしょう? どこにでも捨てて下さい、こんな私なんか」


 捨てて。いらない。私なんか。


 けれど顔を顰めた薔之院さまが、椅子から立ち上がって私の手を掴む。


「貴女が捨てると仰っても、それをよしとしない人物がおりますわ。きっとあの子はそんな貴女を見て、どうしてもっと早く動かなかったのかと後悔しますわ。遅くても、貴女を守ろうとしているあの子の思いまで踏みにじるのは、例え貴女本人だとしても許しませんわよ!」


 掴む手にグッと力が込められる。

 呆然と薔之院さまのその様を見つめていると、「薔之院」と白鴎さまが呼び掛けた。


「俺は尼海堂に、水島を守れと頼まれた。君から見て、俺は守れたか? “彼女”の憂いは、取り除けそうか?」

「忍がそのようなことを? 何かコソコソしていると思っておりましたら。……学院内の害から、という意味であれば守れていると思いますわ。貴方の指す“彼女”が私の思う人物であるとは限りませんが、私の思う人物であれば間違いなく取り除けますわ」

「そうか。それならいい。憂いが、晴れるのなら」


 二人の間でそんな会話がされて、手を引かれるまま客室から退室し、そしていつの間にかまた私は車に乗せられていた。


「田所。出して下さいませ」

「かしこまりました」


 緩やかに走り出す車。

 昨日は白鴎さまで、今日は薔之院さま。

 

 何で私なんかに、立て続けに学院のすごい家格の人達が関わってくるのか。


「……どこへ、行くんですか」

「私の家ですわ。そこで貴女のことを待っている人物がおります」

「……そうですか」


 あぁ。でも、もうどうでもいい。


 家が潰れた。悪魔はもう百合宮さまにも、萌ちゃんにも手出し出来ない。

 私ももう、振りなどしなくていい。


 ただただ運ばれる。……この中途半端に壊れた道具は、最後はどこに捨てられるのだろう?


 車から薔之院さまが降りる。私も降ろされる。

 薔之院さまの後に付いてお屋敷に足を踏み入れ、彼女の向かう先へと何を思うこともなく付いて行くと、廊下から繋がるベランダの開き扉の前で立ち止まる。


「私の家のベランダガゼポですわ。ここに、貴女を待つ人物がおります。私の親友ですの」


 薔之院さまの、親友?

 そんな人がどうして私を。


「長年の憂い。貴女がずっと抱えていたものは、彼女がきっと降ろして下さいますわ」


 そう言って開かれた、ベランダの扉。

 ガゼポへと近づくにつれ、その人の姿がはっきりと見えてくる。



 どう、して。

 

 いるの。いるの?


 目の前に。何で。何で。



 気づいた彼女の顔がこちらを向く。

 そして四年前と変わらず、そのとても可愛らしい顔に、美しい微笑みを浮かべて。



「お久しぶりですね、美織さま。私のこと、覚えていらっしゃいますか?」



 ――百合宮さま

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