Episode138 天蜻蛉⑫-終幕-

「あれ? 幻??」

「誰が幻だ。誰もいない中で土門と二人って、早速浮気かお前」

「冤罪! 濡れ衣! すぐ疑うの良くない! ダメ、絶対!!」


 ていうか、えっ。待って。

 本当? 本当に!?


「何で。学校終わったのに」

「何で最初に聞くことがそれなんだよポンコツ。……まぁ、暫く学校来てなかったしな。何となく」


 いる。


 喋ってる。


 動いてる。


「……泣くなよ」

「……だって、一週間っ。長いっ、遅い!」

「俺だってこんな掛かると思ってなかったんだよ。せいぜい三日くらいとか。あー泣くな泣くな。ほら」


 ポケットから出して渡された、紺色のハンカチを両目に当ててグスッと鼻を鳴らせば、ポンポンと手が頭を撫でてくる。


 どれだけ待ったと思っているんだ。

 毎日婦人が学校に連絡してこなきゃ、監禁を疑ったぞ。


「やれやれ。まさかこの僕が空気扱いとは」

「「あ」」


 そういえば居た。


 ハンカチを下げて土門少年を見ると、言葉通りにやれやれと首を振って肩を竦めている。そして私を見てから、裏エースくんへと視線を向けた。


「まぁ君がここにいるということは、無事大ボスに勝利したということだね。何よりだ。まったく、君がいない間の百合宮嬢と柚子島くんは本当にジメジメっ子でね! 教室に雨雲を呼び込む勢いのジメジメしさだったよ! 教室にキノコが生えてきたらどうしようかと思ったね!」


 空気読め、上から毒舌ナルシーザ・失礼。

 というかなに暴露しているんだ!


「え? あ、悪い」

「何を謝っているんですか。現場を見ていないのに認めないで下さい」

「ふむ。……なるほど? 無自覚ランデブーが遂に自覚ランデブーになったようだ。間の柚子島くんが大変なことになるね」


 上から毒舌ナルシーザ・失礼!

 何のどこを見たらそんな正確に分析できるんだ! たっくんは大変なことになりません!!


「ただでさえ無自覚ランデブーの時もアレだったのに、自覚ランデブーとなるとどうしようもないね。やれやれ、こんな空気に当てられ続けるとさしもの僕も砂を吐きそうだよ。では邪魔者はこれにて退散しようではないか! 二人で積もる話でもしたまえ! ハッハッハ!!」


 ハーハッハッハ!と高笑いしながら去っていく背中を、二人ポケッとしながら見送る。


 あれ? 空気読んだの?

 読んでないの? どっちなの?


「何か土門、ちょっと違ったか?」

「あれが彼の素です。ウザいのに変わりありません」

「あっそう……」


 言って、ベンチに座ってくる。


「……ちゃんと、勝ってきたんですか」

「おう。あっちの家行って、兄貴の顔見た瞬間にとび蹴りしてやった」

「物理攻撃!? え、そういうケンカ!?」


 そりゃ怒ったらとび蹴りするの知ってたけど!

 てっきり口ゲンカかと思ってた!


「でももっと蹴ってこいとか気持ち悪いこと言い出したから、最初の一発でやめた」

「うわー」


 物理攻撃したら変な扉開けさせちゃったのか……。

 半眼になったのが目に浮かぶ。


「まぁ、俺だけじゃなくて、事情知った母さんも親父に往復ビンタ喰らわしてた。何してんだこのダメ男が!って罵倒しながらな。親父は気持ち悪いくらい幸せそうな顔してたけど」

「婦人強い。そしてお父様の血筋は変態の血が流れてるんですか。……えっ」

「何でそこで俺を見る」

「だって、足踏n」

「違うって言ってんだろうが! とにかく! 蹴っても叩いても気持ち悪いから、色々四人で話した。俺の気持ちとか、母さんの事情とか、親父の考えとか。一週間もかけて話して、兄貴も……反省、したんだと思う」

「何ですかその中途半端な認識」


 裏エースくんは遂に半眼になった。


「これ以上俺から周囲の人間引き離すつもりなら、一生兄貴と口利かないしこっちの家にも来ない、催会にだってもう出席しないっつったら真っ白になってた。息もしてなかったからその時だけ軽く蹴ったら、足にかじりついてきてもうしないって。俺に執着してんのは知ってたけど、あんな感じで気持ち悪いヤツなの初めて知った。それが俺の兄貴とか、ちょっとショックだった」


 ご愁傷さまです。


「でさ。話して、親父が母さんを愛しているのは変わらないし、結局はダメ男の親父を母さんも愛してるんだと。だから籍入れて、ちゃんとした夫婦になるって」

「!」

「家もあっちの家に暮らすことになるけど、それじゃ俺が学校に通うのが距離的に難しくなる。もう五年生の夏だし小学校は卒業するまで清泉で通うけど、中学は受験することに決まったし、俺も納得してそう決めた。あっちの家に入るんだったら、進学校に通って高校受験の時の糧にしろって。で、その受験先が私立有明ありあけ学園中学」

「有明学園……」


 聖天学院は共学だけど、有明学園はそれに匹敵する学力重視の上流階級が通う進学校――――男子校の。


 ハンカチを持つ手に、手が触れる。


「俺が“太刀川”でいられるのも、卒業まで。中学生になったら、俺は違う姓の人間になる」

「……」

「一緒にいるために、頑張ったんだけどな」


 触れた手を軽く握り返す。


「……ごめんなさい。私、あの日言えなかったこと、あります」

「ん?」

「一緒にいてって言ったのに。手を離したくなくて、限られた時間しかないって分かっていたのに。怖くて、勇気がなくて、言えなかったんです……っ。また、私が狙われて。催会にも出席してない、学校も上流階級の手が内部に密やかに伸びていた。だから、」


 報告してから、日を少し置いて告げられた。

 

 私に拒否権なんてなかった。

 現実でこうなっているのなら、甘んじて受け入れるべきだと。


「中学は、こちらの付属ではなく、私立香桜こうおう女学院を受験するようにと……っ!」

「……女学院。そっか。なら共学よりかは少し安心だな」

「……怒らないんですか? 大事なこと、言えなかったのに」


 笑う気配がした。

 恐る恐る見ると、小馬鹿にしたような顔がそこにあった。……小馬鹿?


「鈍感。だから心配なんだよ。俺がいないのに共学で、花蓮めちゃくちゃ可愛いのにさ。傍で守ってやれないのに、有明受かっても心配で勉強なんか身に入らねーよ。だからむしろ安心してんだ。何で怒らなきゃいけないんだよ」

「太刀川くん」

「だから泣くなって」


 目元を親指で優しく拭われる。


 一緒に過ごせるのは、あと一年と半年。

 そこからは、離れ離れ。


「自覚するのは遅かったけどさ、五年もずっと気持ち変わらなかったんだ。少し離れるくらいで何が変わるんだよ。大丈夫だって」

「何が大丈夫ですか。香桜は全寮制だから会えなくなります」

「奇遇だな。有明も全寮制。兄貴は地に埋まる勢いだった。ざまぁ」

「……ふふっ」


 思わず笑ってしまうと、隣からも笑い声が漏れる。

 軽く握っていた手を、また握り返される。


「笑ってろよ。先のことも大事だけどさ、一緒にいる時間を俺は優先したい。離れてる間は泣いてる顔よりも、お前の笑った顔をすぐに思い出したい。多分、何となく。高校は一緒になるんじゃないかって気がする」

「いつから預言者になったんですか」

「そこは素直に頷いとけよ。花蓮らしいけど。……あー、でもお前があそこ受けるんだったら、かなり難しいか? もう一校の方だな」

「? どこの高校の話ですか?」

「何でもない。……あのさ」


 首を傾げて聞くと横に首を振られはしたが、その後真面目な顔で見つめられた。

 何か言い掛け、それでもどうするか迷うような素振りを見せて、けれど彼はそれを口にした。


「俺らの関係ってさ、どうなんの?」


 言われた意味が、一瞬頭に入って来なくて。


「関係……」

「俺はお前が好きだ。あの日もそう言った。花蓮だって、そうなんだろ?」


 止められずに溢れた想いの言葉。

 それを口に出した先で、すぐに否定した。


 別れがすぐ目の前にあって、伝えてはいけないと思ったから。でも、でも……っ。


「……言わなくていい。首をどっちかに振って教えて。俺のこと、好き?」


 涙が零れる。


 コクリと、縦に。何度も頷くから、ポロポロ落ちて制服を濡らしていく。


「泣くなって。泣き虫」

「だって、だって」

「何か理由があるんだろ? 五年も一緒にいるんだから分かるよ、それくらい」


 出来過ぎ大魔王め。

 私だって言いたいんだ。


 それなのに、どうしてかこの緩々なお口は、伝えたい時にそれを拒否する。


 好き。


 好きだよ。


 好きなの。


 ……どうして? 友達だと思っていた時は、何の躊躇いもなく言葉にできたのに。



 ――――『好き』の種類が変わると、何で言葉にできない



「言葉がなくても」



 顔を上げて見つめ合う先には、愛しさと、優しさしかない。何度も涙を拭ってくれる指は濡れている。


「態度でちゃんと伝わってる。分かってるから、もう泣くな。楽しそうに笑ってる顔が好きなんだから、笑ってくれ」


 頬に触れている手に手を重ねて一度、目を閉じる。

 そして再びその視界を開けた時、彼は私を見て笑ってくれた。


「その時まで、一緒にいます」

「その時まで、一緒にいる」



 約束する。



 もう貴方の前では、泣かないから。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 スクールバスに揺られ、隣同士で座っている私の目は泣き過ぎて真っ赤。借りたハンカチはちゃんと洗濯して返却します。


 繋いだ手をプラプラ揺らしながら、気になったので隣に聞いてみる。


「ねぇねぇ太刀川くん。さっきは暫く学校に来てなかったからって言っていましたけど、明日も学校ありますよ? 何でわざわざ放課後に来たんですか? 探険ですか?」

「何で五年も通ってんのに今更探険するんだよ。しかも一人だぞ。何となくって言っただろ」

「えー。つまんないです」

「つまんないってお前な」


 だって、もう少しで夕方になろうって時にわざわざ来る?

 しかも行き道にスクールバス走ってないし、お家から徒歩で来たっぽいし。不思議なことするよね。


 ……通うのも後少しって思ったら、感慨深くなったのかなぁ?


「……何となく」

「はい?」


 ポツ、と零した言葉に聞き返せば、肘かけに頬杖をついた顔がそっぽを向いて。


「何となく、お前が待ってるような気がしたから」

「え……」

「いるような気がして行ってみたけど、拓也と一緒かと思ったら土門とだし」

「えっ」

「何か仲良さそうに話してたし? 俺と同じくらい女子に人気あるヤツだし? 別に気にしてないけど?」


 めちゃくちゃ気にしてるじゃん。

 というかアレで仲良さそうに見えたの!? おかしくない!?


「ほぼウザ絡みです! ……あと、今回の協力者でもあります。土門くんのおかげで塩野狩くんのことが分かりましたので。お礼と、ちょっとした答え合わせです。土門くんの比重は女子よりも塩野狩くんに傾いていました」


 そっぽを向いていた顔が、意外そうな感じで振り向く。


「土門が? ……そっか。何か、意外なところで意外なヤツが繋がってんだな」

「思いました。こうしてみると、世間って狭いですよね」

「本当にな」

「太刀川くん太刀川くん」


 首を傾げて促される………くっ、格好良いな!


「明日、教室来てくれますよね?」


 確かめるように聞くとキョトンとして、ふはっと笑った。


「なに心配してんだよ、当たり前だろ! ちゃんと行くから安心しろって」

「心配にもなります! いきなり姿消して! 初めて無視されたあの日、私達わざわざ太刀川くんの生存確認しに行ったんですからね!?」

「つかお前らが来ないの、あの時の俺に取ったら都合良かったけど、来るの遅くないか? 行かなくなってからどんだけ日にち経ってたと思ってんだ」

「だっててっきりお昼休憩の時に顔を出せないほど、激モテ期が到来したのかと思ってたんですもん」

「本当ポンコツだよな、お前って」

「何ですって!?」


 百合宮家のご令嬢つかまえて何度もポンコツ言うな!


 プンプンして腕に抱きつく。


「……どうした?」


 疑問に満ちた声が降ってきて、間近にある顔を見上げる。


「何がですか」

「何で抱きついてんの」

「え?」


 何でとか普通聞く?


 態度でちゃんと伝わってるんじゃなかったの?

 話違うくない??


「お兄様に甘える時とか、よくしています。拓也くんにだってしています。……太刀川くんにも、したいです」


 だって好きだもん。


 ジィッと見つめていると、段々とその顔が赤く染まっていって。プイッと逸らされた。


「~~っとに! 可愛いにも程があるだろ……!」

「え? ……え? えっ」


 ボソッとスケコマ発言が飛び出し、その意味を理解して釣られて自分の顔も熱くなってくる!


 かっ、可愛い……!?

 わ、ちょ、また何か私が負けてる感あるぞ!?


「だっ! だから! 何でそう貴方はスケコマシなんですか……!!」

「お前絶対ブーメランだからな! 人のこと言えないからな!」

「私はスケコマシじゃありません!」


 そう二人と運転席の運転手さん以外いないスクールバスの中で、いつものように。


 けれどお互いの存在の大きさだけは変わって、停留所に到着するまで私と裏エースくんは言い合いながらも、ずっと会話をし続けたのだった。



 繋いだ手は、別たれる時まで離さずに――……。

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