Episode137 天蜻蛉⑪-解答-

 水島兄に引導を渡して、最後の心配事も翌日には無事に解消した。あれから学校生活は特に何事もなく、平穏に過ごしている。


 授業を聞きながらも何だか頭に入ってこず、何となく窓の外へと視線を向けた。

 もうすっかり梅雨は明けて、空は隅々まで晴れ渡る雲一つない快晴。まるで、何の憂いもないような。


 ……早く戻ってきてよ。花は天から降り注ぐ陽の光がないと、萎れちゃうんだよ。


 油断すると目に涙の膜が張りそうになるのを、グッと眉間に皺を寄せて抑え込む。何事もない。


 ……たった一つのことを除いて。



 あの日から数えて、丁度今日で一週間目。


 裏エースくんはずっと、学校に来ていない。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





「西川くんに聞いたんだけど、お母さんから毎日先生宛に連絡は入ってるって言っていたから、大丈夫だよ」

「……はい」


 たっくんには大まかに説明した。

 どうして裏エースくんが私にあんな態度を取ったのか、塩野狩くんのことにも少し触れて。


 裏エースくんのお兄さんが引き離そうとしていたことも伝えると、彼はどこか納得した顔をしていた。



『そっか。だから下坂くんと西川くん』

『あの二人がどうかしたんですか?』

『うん。幼稚舎の時に、僕が二人から色々言われてたって話したよね? 仲直りしてすぐの頃に下坂くん、言ってたんだ。「ずっと一人で本を読んでいるような子、太刀川くんには似合わないね?」って。年長くらいのお兄さんに言われて、それがきっかけになったって。多分その人が新くんのお兄さんだったんだ』



 ……そんな小さな頃から始まっていた。


 自分の手は汚さずに人を唆して操って、傷つけて。

 まるで“百合宮 花蓮”のように。


 裏エースくんには父方の姓の確認はしなかった。

 私が聞いてもすぐに分かるような、有名な家だって言っていたけれど。家なんて関係ないけれど。


 私が私なように、裏エースくんも裏エースくんだから。それを聞いて何かが変わる訳じゃないけれど、何だか今は知らない方がいいような気がして。

 

 変わらない。

 私の気持ちも、何も。



 ……と感傷に浸っていたら、頭上からぬっと影が降り注いだ。うん、このパターンはアレです。


「やぁやぁ二人とも暗いね、ジメジメってるね! 外はこんなにもお天道てんとうさんだと言うのに、雨乞いでもしているのかい? やめたまえやめたまえ!!」


 本当、影降ってくるまで気配なんて感じないんですけど。どういうこと?


「ウザ絡みやめて下さい、ウザナルシー」

「ウザナルシー!?」

「どうしたの花蓮ちゃん!?」


 たっくんが驚くのは分かるが、何故お前まで驚いているんだこのナルシーは。

 あんな本性見せられた後じゃ、こうなるのも仕方ないだろう。それ相応の対応はする。


 放課後の人もまばらな下校時、中庭で話していた私とたっくんの座るベンチに断りなく、勝手にたっくんの隣に座ってきた。


「全く、太刀川 新は太刀川 新で頑張っていると言うのに、それを待つ君達が暗い顔をしていちゃ彼も浮かばれないね! 無念でならないだろう」

「なに勝手に亡き者にしているんですか。はよ帰れあ、間違った早くお帰り下さい」

「花蓮ちゃん……」


 麗花と瑠璃ちゃんに対する口調も当たり前になっているたっくんは、私の言い間違いにも名前を呼んだだけで何も言うことはなく、別のことを言ってきた。


「でも土門くんの言う通りだね。塩野狩くんだってクラスの皆に、本当のことを勇気を出して話してくれたんだし」

「そうとも!」


 そうなのだ。

 裏エースくんのこの不在時、私がフォローしてもモヤついていたCクラスは、塩野狩くんの重大発表によって元の色を取り戻している。


 そしてあんな態度を取ってまで私のことを守ろうとしていたことを知って、裏エースくんは今やCクラスの中で英雄扱いになっている。ただでさえ元から高かった裏エースくんの好感度は爆上がりだ。


「あとは太刀川くんが学校に来てくれるだけなんですけどね」

「本当にね」

「まぁ時間は多少掛かるだろうね。何てったって、彼にとっての大ボスと戦闘を繰り広げている最中だからね!」


 そう言いながら髪をかき上げる土門少年へと、ジトッとした視線を向ける。本当にこのナルシーは……。


「土門くん。貴方は一体、何をどこまでご存知だったんですか?」


 その問い掛けにニコリと笑う。


「言っただろう? 暗躍は得意だと」


 バチッと私達の間で見えない火花が散り、間に挟まれているたっくんは何か感じ取ったのか、ベンチから立ち上がった。


「拓也くん?」

「僕はもう帰るよ。それに土門くん、花蓮ちゃんに話があって来たみたいだし」

「えぇ!?」

「花蓮ちゃん、土門くん。また明日ね」


 不満な私の様子を気にすることなく、手を振って歩き始めたたっくんの背中に手を伸ばすも、届かない。


 本当たっくん私に厳しくなった……!


「……柚子島くんはさすがだね。では、その厚意に甘えさせてもらおうとしよう」

「なに勝手に甘えようとしてるんですか。拓也くんを帰らせてまで何のお話ですか」


 むぅとしながら見据えると、土門少年も飄々とした表情になる。


「百合宮嬢こそ、この僕と話したいことは何もないのかい? まぁいいさ、取りあえずは礼を言おう。塩野狩くんのこと、ありがとう」

「……え?」


 私が目を丸くしたことに、ツイッと片眉を上げられた。


「何だいその反応は」

「いえ、てっきりブツブツ文句を言いにでも来られたのかと」

「僕のことを何だと思っているんだい君は」

「毒舌ナルシー」

「……」


 暫く反応のなかった土門少年は、気を取り直したように再度髪をかき上げた。


 かき上げるくらいなら切れば?


「……いくら暗躍が得意と言っても、それまで。僕の家自体には何の力もない。分家だしね。色々本家の親戚から情報を集めて、やっと辿り着いたのさ。さしもの僕も驚いたよ、まさか太刀川 新が…」

「あ。それ以上は言わないで下さい。私、太刀川くんのもう一つの名前聞きたくありません」

「そうなのかい? それならそれで構わないが。まぁそれはそれ。とにかく、君は全ての憂いを吹き飛ばしてくれた。僕の最後のヒントも、無事に正解まで辿り着けて良かったよ」


 それを聞いてふと思った。


「あの、土門くん。そのことなのですが。私が原因というところまでは分かっても、結局私にしか解決できないっていう答えまでは分かりませんでした。あれって、何が土門くんにとっての正解だったんですか?」

「は? え、分からずにどうやってここまで持って来れたんだい? 何なんだい君は?」

「百合宮 花蓮というか弱き一乙女いちおとめですが何か」


 手を額に添えて、フルフル首を振りながらハァ、と溜息を吐かれた。


「う~んそうだね……。頭の足りない百合宮嬢にどう説明したものか。結局のところ、どの道太刀川 新を懐柔するとなれば、その原因自らが動くしかない。水島のことでは君達の間に何があったかそこまでは知らないが、水島を唆したのは太刀川 新の兄ということは分かった。彼が水島の行いを黙認し、それを餌にけしかけるに至ったのさ。そしてその兄は何故そうしたのか。君と弟のことを知ったからだね。ならその行いはどうすれば止められるのか。全てを知っている弟にしか止めることは出来ない。ではその弟を動かすためには? そうするとほら、自ずと答えは見えてくると思うが」


 ……そうか、あれは言葉通りだったのか。


 裏エースくん自身の、気持ちと考えを変えさせること。原因である私が裏エースくんを動かさないといけなかった、そういうことだ。


 あーもう、土門少年の言う通り本当に頭が足りないな、私。


「でも、それは客観的に見てたからです。当事者になってみれば、焦って状況なんて見えてきません」

「一理あるね」

「……それでも、色々と力になって下さってありがとうございます。土門くんがいなければ、解決できませんでした」

「当然だね。この僕が関わったのだから解決してもらわないと困るよ」


 この毒舌ナルシーが。

 上から毒舌ナルシーに改名してやろうか。


「やっぱり、塩野狩くんが貴方を動かした理由ですか?」

「……まぁね。何をしてもさせても目立つ僕だろう? 低学年の頃はあれでもこの僕を妬んで、男子からは話し掛けられないことも多かったのさ。それでも塩野狩くんだけは僕の後ろを付き、時には引きずったりしてくれてね。イケてるメンズであるこの僕を引きずるなどあってはならないことだが、彼だけは特別さ。いつも僕の傍にいてくれた。それに彼はどこぞの親戚と違って、この僕の麗しい口にガムテープを貼りつけるという、野蛮な真似はしてこないからね!」

「あぁ。ガムテープを貼りつけたくなる気持ち、分かります」

「何だって!? 百合宮嬢も野蛮人かい!?」


 鳥頭、宇宙人ときて野蛮人扱い。

 

 私につけられる肩書が不名誉なものしかないのは何故なのか。この私は大抵の令息令嬢は恐れ慄く超高位家格・百合宮家のご令嬢であるぞ。


「と・に・か・く! これからどうするんです。私にはもう上辺の美辞麗句は仰られなくて結構ですよ」

「あぁ。色々言葉遊びをするのは楽しかったのだがね。……まぁ、百合宮嬢には素の僕で接することとしようか。ふぅ。隠された新たな僕の魅力に、また女子たちが虜にならなければいいのだが」

「貴方のその女の子好きの一面は素ですか作り物ですか、どっちですか」


 目を細めて聞くと、彼はふむと顎に指を当てて考え、パッと人差し指を立てた。


「ミイラ取りがミイラになった、そういうことだね!」

「はいはい。嘘が本当になったってことですね。何ですかねこの変換作業」

「百合宮嬢と柚子島くんと太刀川 新は塩野狩くんのように、遠い目をして僕を見てくる。僕の真の理解者が増えてありがたいことだね」

「うわーすごく嬉しくも何ともない認められ方されましたー。嬉しくなーい」

「僕からも百合宮嬢には聞きたいことがある。塩野狩くんだと知った時、どうして君はすぐに動かなかったんだい? 君は一刻も早く解決したかっただろうに」


 トーンを落とされた声に、その質問内容に首をひねる。

 あれだけ頭が回っている土門少年にしては、あまりにもその質問は幼すぎやしないだろうか。


「それはだって、塩野狩くんも私にとってはお友達ですし」

「は?」

「は?って何ですか失礼な。日常で会って話せばお友達でしょうが。いえ、あの時はまだお友達なりかけではありましたが、苦難を共に越えた今ではもうお友達と言っても過言ではありません。お友達が悩んで苦しんでいるのなら、聞いてあげるのが真理でしょう」

「塩野狩くんは、君にとって友達だったのかい?」

「当たり前です! あっ! そう言えば貴方、塩野狩くん連れてきた時に無関係とか言ってましたよね!? どこが無関係ですか!」

「ふっ」

「ふっ!?」

「ふふふふふふふふ! ハーハッハッハ!!」


 何か急に高笑いし始めた。 

 引くんですけど。狂ったんだろうか?


 知り合いと思われたくなくて、可能な限りベンチの端に寄る。


「ハハッ、そうかい! 君にとって彼は友達・ザ・フレンドだったのかい! あぁなるほど、盲点だったねそれは」


 友達・ザ・フレンドって友達友達じゃん。

 

 英語使う意味ある?

 盲点だったとか失礼過ぎじゃない?

 上から毒舌ナルシーザ・失礼に改名してやろうか。


「いや、てっきり百合宮嬢はその内側に人間を入れるには、時間が掛かるタイプの人間だと思っていたからね。いやこれは僕が悪かったね。失敬失敬」

「……いえ。確かに、今のご指摘はあながち的外れとも言えません。塩野狩くんに関しては四年半もかけて、少しずつ積み重ねて来ましたから」


 元Bクラス以外の子には中々話し掛けられないし、私も話さないし。そう思えば、同じクラスにもなったことのない塩野狩くんは例外中の例外だわ。人のことよく見てるわ、このナルシー。


 ……何か私の身近に特殊能力含め、結構能力高い人いる率高くない?


 お兄様然り、麗花然り、瑠璃ちゃん然り、太陽編の二人然り。裏エースくんだってそうだし。


「うむ。これで僕の最後の憂いも晴れたよ。いやぁ塩野狩くんの話も聞かずに行動に移されていたら、僕もちょっと考えなければいけなかったからね」

「え。何ですか。私もしかして、貴方に報復される瀬戸際に勝手に立たされていたんですか?」


 あれ? おかしいな。

 高校卒業まで無事確定の筈……?


 ……良かった塩野狩くんとの仲を積み重ねておいて! こんな人のことをよく見てる、油断ならない上から毒舌ナルシーザ・失礼に敵認定されたら堪ったもんじゃないよ!


「まぁまぁ落ち着……おや? いつの間にそんなに離れたのか」

「気づくの遅くないですか?」

「まぁいいさ。塩野狩くんとクラスが離れてどうしようかと思ったが、今のクラスでも中々に充実している。太刀川 新のおかげで多少はマシなのか、それでも壊滅的運動音痴の百合宮嬢からは特に体育では目が離せないからね。仕方がないから、今後もこの僕が助けてあげるよ。感謝したまえ」

「とても感謝したくありません」

「クラスの空気が凍るより全くマシだとは思わないかい」


 くっそう、ああ言えばこう言う!

 お口にガムテープ貼りつけてやりたい!


 と、沸き上がる衝動を抱いていたら、頭上からぬっと影が降り注いだ。

 うん、このパターンはアレ……あれ?


 アレは同じベンチに座っている筈。

 と、なれば?


 恐る恐る視線を上げて見ると、そこにいたのは。


「え……?」



 私服姿の眉間に皺を寄せた、裏エースくんが。

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