Episode136 天蜻蛉⑩-慕情-

「友達?」


 疑問に満ちた声が鼓膜を震わせる。

 押し黙る。


 うん分かってる。今、そういう感じの話じゃなかったってことくらい。


「……ちゃんと伝わってなかったか?」

「友達です。私と太刀川くんと拓也くんと相田さんと下坂くんとn」

「あー分かった。はいはい俺も好きだよ、皆友達だしなー」


 グスッと鼻を鳴らすのに気づいて、押さえていた手がポンポンと頭を撫でてくる。ギュッと縋りついて、頬を裏エースくんの頬と擦り合わせた。


「……お前さ、だから俺にまで頬ずりすんなって。前に言ったの忘れてんのか?」

「何年前の話ですか。もう髪の毛チクチクしてないこと分かったんです。頬ずりくらいします」

「すんな馬鹿。ポンコツ。鈍感」

「その言葉そっくり返してやります」


 自分だって、まだ私のこと痛いくらい抱き締めてるくせに。


 土門少年の嘘つき。何が私にしか解決できないだ。

 言ってる意味が分かっても、これじゃ私からは何も動けないじゃないか。

 

 離れるしか道が――…………?


「太刀川くん」

「ん?」

「お母様と一緒に、百合宮家ウチに来ませんか」

「は?」


 バッと顔を上げて見下ろした顔は、何言ってんだコイツに満ちている。


「そうです。今住んでいるお家から、我が家に引っ越せばいいんです。お父様とお兄様とは、一緒に暮らしてはいないのでしょう? 大丈夫です、我が家にはお部屋が沢山あるので二人くらい余裕です! あっ、お仕事場はどこですか!? 遠かったら大変なので送迎とかも考えませんと!」

「おい待て。待て! いきなりどうしてそういう話になるんだよ!?」

「ちょっと今思いつきました。というか離れることばっかり考えていて、どうしたら一緒にいられるのかを考える方が、建設的で有意義だと思いませんか!? というか何で私が襲われること前提なの!? おかしくない!? 百合宮家のご令嬢よ私!? そんな頻繁にポンポンポンポン襲われて堪るものですか!!」

「口調混ざってるぞ」

「ええい、今は私の口調なんて些末なことはどうでもよろしい!」


 そうだよ、何で気づかなかった。


 私ってば百合宮家のご令嬢じゃん。

 超高位家格のご令嬢じゃん。


 上流階級でも中級の水島家でもどうにかできる家の娘よ? そう簡単にやられる訳がない。


 それに四年前の時にああなってしまった、思考能力低下の原因は白鴎だ。あのパーティに参加していた白鴎が完全に悪い。


 絶対的根拠として、私という存在は乙女ゲーにおいてライバル令嬢。ヒロイン(空子)とヒーロー(白鴎)の波乱万丈な恋愛劇を盛り上げし、重要で絶対的な悪役(私)なのである! ならないけど!


 そんな絶対的悪役が、舞台にも上がらずに消される訳がないのだ。恋愛劇が一番盛り上がるライバル令嬢への断罪劇が行われない限り、私は無事である! 断罪なんてさせないけど!


「太刀川くん! 私は高校卒業まで無事確定!」

「何言ってんだお前。どっから出てきたその期限と自信」

「私が無事となると問題は太刀川くんです。いくら高校卒業まで私が無敵とはいえ、貴方を盾に取られるとさすがに二の足を踏みます。ですから敵が手出しできない安全地帯と言えばそう、我が家です! お父様は耐久性皆無ですがウチの大黒柱ですし、お母様はウチのヒエラルキー最上位。頭脳派でオールパーフェクツなお兄様もおりますし、鈴ちゃんは超絶可愛いマスコット! どうです!?」

「いやどうですって言われても。ドヤ顔されて言われても」


 何だと!? まだ足りないって!?


「何年経っても丁寧なハンドルさばきの坂巻さんもいます! お兄様の専属運転手の本田さんだっています! あ、お父様が張り切って何かしてくるようなら、秘書の菅山さんにチクってお母様までチクらせて下さい!」

「秘書を経由する意味。つかいま何を提案されてんだ俺は」

「無敵な私は貴方の傍で見張っています! いくら見た目が吹けば飛びそうなか弱い私だって、自分の好きな男の子くらい守っ…………あ」


 我が家お引越し案を推しまくるのに力入り過ぎて、何か言っちゃいけないことまで言ったような……?


 それまで半眼になっていた裏エースくんの顔が、目を見開いて固まった状態になってしまった。……緩々な私のお口健在いいぃぃぃっ!!


 そしてまた手で頭を押さえられ、ポスッと顔が彼の顔の横に落とされる。ギュウッて抱き締められて、もう顔やら耳やら頭まで真っ赤になるしかない私。死にそう。


「……くっ」


 裏エースくんも体が震え……え、震え?

 あれ、いま何か笑い声しなかった?


 そう思った次の瞬間。


「ふっ、あっははは! 何だよそれ、お前どっちだよ!? 友達って言った矢先に口滑らしてんなよ! てか言ってる途中で止まるなよ、それマジの反応! ははっ、あーさすがポンコツ令嬢」


 うるさい! この口が!

 このいつまで経っても緩々なお口が悪いんです!!


 恥ずかしいのとドッドッドッド響く心臓の大き過ぎる音のせいで、耳元でぐぬぐぬ唸ることしかできない。最早抱き枕状態になってプゥと頬を膨らます私に、暫くは笑い続けていた裏エースくんだったけど。


「……花蓮だって、いつも守ってくれてるよ」


 ポツ、と小さく零された声にピクリとする。


「真面目な話。催会で初めて花蓮から話し掛けてきてくれた時、本当に嬉しかった。そういう教育受けてなかったからさ、いきなり行けって言われてマジで心細くて。色々話してくれて、話しやすくて。遠足の時だって、花蓮が一番に駆けて来てくれた。俺のために戦ってくれた。本当はもうその時から、多分お前のこと、好きだったんだ」

「太刀川くん」

「聞いて。水島にさっき、言ってたよな? 守るべき愛する女性がいるからこそ男性は女性を守るために頑張り、また、愛する男性のために女性も頑張ることが出来るって。あれ、俺達のこと?」


 出来過ぎ大魔王!

 一字一句全部覚えてるの何なの出来過ぎ大魔王!


「知りません。誰がそんなこと言ったんです」

「お前だろ。まぁいいよ今は。でさ、花蓮が頑張ったから、今度は俺が頑張ってみようと思うわ」

「頑張るって、え、わぁっ!?」


 抱き枕状態からいきなり抱えられたまま起き上がられ、裏エースくんのお膝の上に乗っかった状態で、真正面から向き合わされる体勢に。


 顔の距離ちっか! 近いって!


 自分から行くのは良いが相手からされるとダメらしい私がアワつくと、あの日見た、優しくて柔らかくて、すごく大好きっていう表情で私を見つめてくる。


「花蓮さ、奏多さんと兄妹ゲンカしたことあんの?」

「へ? お兄様? いえ、私が主に怒られて……って、何言わせるんですか!」

「あーやっぱな。花蓮と奏多さんじゃそうだろうな」

「納得されるの解せない!」


 突然の脈絡のない質問に思わず答えたら納得されて抗議するものの、コツンと額同士を合わせられて、ピタリと口をつぐむ。

 さすがに目線は下に落としており、私も瞬間的に同じく下に落とした。無理。無理です。


「……親父は兄貴の母さんじゃなくて、俺の母さんを愛してる。親父は兄貴を見ずに、俺と母さんばっか見てる。だから俺は兄貴に何も言えなかった。後ろめたくて」

「!」

「俺が他の誰かを好きにならなければいい。それ以上、兄貴はおかしくならない。そう思って耐えてた」

「……」

「けど、ダメなんだそれじゃ。俺も兄貴も、皆ダメになる。お前を無視して傷つけてる間、ずっとおかしくなりそうだった。覚悟してたのに」


 手に触れる。

 キュッと、握り返される。


 手の甲を確かめるように撫でられて、くすぐったくて身じろげば、合わせていた額から降りて肩に頭を乗せられる。


「痛かっただろ? すぐ赤くなってた。ごめんな、叩いて」

「痛かったです。でも、あれは自分への罰だと思っていますから、甘んじて受け入れました。私も、ごめんなさい。わざとあんなこと言わせました」

「んー……うん。そっか。あの言い方はやっぱそうか。お相子だな。嫌いなところなんか一つも浮かばなくて、突き放せきれなかった俺も」

「やっぱり私のこと大好きじゃないですか」

「だから今ずっとそう言ってるだろ」


 墓穴掘った。

 

 ダメだ。裏エースくんの長年のスケコマ経験値が、怒涛の勢いで私に襲いかかってくる!


「そうだよな。俺の中の優先順位見誤ってた。大事なものも守れずに、ずっと兄貴の影に怯えて生きんのかよ。なに自分らしくないことしてんだ俺は」

「……」


 自分に言い聞かせるようなそれに、何か言葉を掛けてあげたいのは山々なんだけど、息が。

 息が薄いシースルー生地越しの胸元付近に当たって、ムズムズする。


 は、離れてた反動が今ここにきてるの!?

 やっぱり裏エースくんはうさぎさん習性なの!?


「花蓮」

「ひゃい!」

「……うん。俺、兄貴と初の兄弟ゲンカしてくるわ」


 変な返事スルーされた……って。


「え。ケンカ、を?」

「一緒にいるために頑張ってくる。だから、さ」

「んっ……!」


 スリ、と鼻先が首筋をなぞるように動く。

 首を傾けている彼の口が、その吐息が皮膚に触れる距離にあって――



「キスして、いいか?」



 ――――頭が、ショートした。


「~~~~っっっっ!!! スケコマシスケコマシスケコマシイィィィ!! だかっ、だからの意味!! 何でそうなるの!? 破廉恥! 破廉恥いぃぃ!!」

「お前がずっと俺の上に乗っかってんのは、破廉恥じゃないのか」

「ぎゃあああ!? だっ、腕! 今すぐ降りるからこの腕を離しなさあぁい!!」

「やだ」


 やだ!? 今やだつった!?

 あっ、ちょ、なに更に引き寄せようとしてるんだ!

 やめ、やめなさい!!


「今更恥ずかしがるなよ。寝転んでずっと密着してたじゃん」

「あなっ貴方が引っ張るからでしょう!? 私を恥ずか死なすつもり!? 貴方こそ羞恥心をどこに置いて来て、って、待って! 待ってったら!」


 頭を上げる気配がして、咄嗟に両手でギュムと元あった肩に押さえつける。


「立ち向かう勇気くらいくれてもいいじゃん」

「他! 他のもの! お守り作ってあげるからっぎゃあ!!」


 ちょっと動かされて横から首舐められた!


 とんでもないド級の破廉恥かまされて、思わず手の力が緩んだ隙に頭が上がってしまう。顔が間近に合わさって、すごく近い距離で目と目が合う。


 最早いま自分の顔が一体どうなっているのか、カッカしているのと涙目になっているのは絶対である。


「……さっきからさ。ぎゃわとかぎゃあとか。可愛い悲鳴上げられないの?」

「うううううううるさい! スケコマ経験値のない私に無茶な要求するのはやめなさい!」

「そうか? ……まぁ悲鳴はアレでも、反応は可愛いからいいか」


 どういうことだと、抗議するため開こうとした口が震えるだけに終わった。


 あっと言う間に迫った顔が、ちゅ、と頬に落とされて、すぐに離れていったから。


 あまりの早業に今の一瞬に一体何が起こったのかと目をパチパチとする私に、首を僅かに傾けてそんな私の様子を見ていた彼は、悪びれもせずに。


「なに? やっぱ 口の方が良かったか?」


 瞬間両手で自分の口を覆った私、偉い。


「ひひはへはいひゃふ! ほほふへほひゃひゃへふひ!!」

「なに言ってんだ」


 なにを言っているはお前だ!

 やっぱって何だ。やっぱって何だ!!?


「ううう~~っ!!」

「お前が俺のこと好きなくせに友達だーお守り作るだー言うから、これでも妥協して頬にしたんだぞ。俺だって本当は口にしたかったのに」


 言うなああぁぁぁっ!! この万年スケコマシがああぁぁぁっ!!

 それより前に首舐めたくせにいいぃぃぃっ!!


「馬鹿! 馬鹿! こんっ、こんなこと勝手に! 言語道断!」

「お前、俺に触られるのは嫌じゃないって言った」


 何で私というヤツはこう墓穴を掘りまくるのか!!

 悔しい! 私ばっかりやられてる!


 目の前にある得意げな顔にひと泡吹かせてやりたくて、睨みつけた後に両手でガシッと顔を掴む。目を丸くしたその端正な顔を見据え、私はやれば出来る子!と念じながら。


 ちゅっ


 頬に軽く唇を触れ合わせて、パッとすぐに離れる。


 やれば出来たが、やってしまってから後のことなんか全く考えてもいなかったので、顔も見られない。真下に頭ごと下げた状態なう。


「……どうせなら口にしろよ」

「シャラップ!!!」


 やったのは私なのに何でダメージ返されるの!?

 解せぬ!


 くっそう。ほっぺにちゅーくらいじゃ、スケコマ経験値が上限突破している裏エースくんの牙城は崩せないらしい。あっ、頭ナデナデしてきた! まさかの余裕を見せつけられるだと!?


「もうお守り作りませんから。あれがお守りですから!」

「おう、サンキュ。充分だよ。ありがとな」

「絶対絶対、ケンカに勝ってきて下さい」

「おう、頑張る」


 ちゃんと、待ってるからね。


「……一緒にいて」

「……今度は、離さないから」



 ――手を繋ぐ。


 離れている間に、冷えたそれを取り戻すように。

 温もりだけが、この手に満たされるように。

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