Episode135 天蜻蛉⑨-黒幕-
『最後にもう一つだけ、ヒントを出そうか。これは君にしか解決できない。この僕でも柚子島くんでもなく、他の誰でもない君にしか。黒幕というのは、得てして表舞台には出てこないものさ。この意味を、よぅく考えてくれたまえ』
考えた。考えて考えて、すっごく考えても、結局分からなかった。
どうして私にしか解決できないのか?
百合宮家という意味かとも考えて、けれどだったらあんな回りくどい言い方するか?と思った。
塩野狩くんの話を聞いて、今回の黒幕が水島だと分かって。だけど土門少年は、黒幕は表舞台には出てこないと。
だったら、水島じゃない他が関与しているのかと考え始めたら、そこがどうにも分からなくて打ち止めになってしまったこと。
今日の裏エースくんの様子を見て、はっきりした。
彼は水島兄を、敵意を持って睨みつけていた。
そして四年前も敵意しかなかった。
水島兄はあの時裏エースくんの存在に対して、自分から退いた。だからおかしい。
上流階級である水島兄に対して、とび蹴りをかましたことのある彼。正義感が強ければ家格なんて関係なかったのかもしれない。
けれど、例え塩野狩くんの家が絡んでいた事情だからと言って、正義感の強い彼が恐れをなして黙って受け入れるだろうか? ならば――。
――水島ではない、別の。その背後に隠れているものに対してだとしたら?
裏エースくんが私を厭う態度をやめない。
それは即ち、裏エースくんの中で事態はまだ終わっていないということ。
どうして終わらないのか。
他の誰でもない君にしか。私にしか。
――――私が原因だ
「私はご存知の通り、百合宮家のご令嬢ですよ? そう簡単に、誰かが手出しできるとお思いですか?」
「…………アイツが、そうだったじゃん」
「ぐっ。あ、あの時は私もちょっと他に色々あって……ええい四の五の言わずさっさと吐きなさい! 例え誰が相手でもケチョンケチョンにしてやっつけてやります! もうあんな醜態は……っ!?」
グッと腕を取られたと思ったら壁を背に、掴まれた両腕を顔の真横に押し付けられて張りつけにされる。
「逃げてみろよ」
「えっ? えっと、ぬ、ふぬ~~!」
拘束を解こうと腕に力を込めるも、相手も力が入っているためプルプル震えるだけで微動だにしない。
何という非力。さすがか弱き薄幸の乙女。
「……ほらな。どうにもできないだろ。お前一人なんて、こんなに簡単に捕まえられる。アイツじゃなくても、誰かに同じようなことをされるかもしれない。こんな風に」
「え、ちょ、ぎゃわっ!?」
右腕を離されたと思ったらスルリと彼の左手が、足首まで隠れている筈のプリーツスカートの上から明確な意思を持って太ももを触ってきた。
セクハラ! セクハラです!
真っ赤になりながらペチペチ腕を叩くけれど、ずっと離れずにゆっくり撫でている。
「足くらい踏めよ」
「な、まっ、だ、ダンスでもないのに足なんて踏め、や、ちょっと!」
側面を上下に往復していたそれが内側まで入ってこようとして、叩くのをやめて咄嗟に手を掴んだ。
撫でる動きはそれで止まったものの、未だにその手は太ももに置かれたまま。
「逃げられないのに、これ以上されたら?」
囁く声に、まともに顔が見られない。
……耐えに耐えて、耐えきろうとしていたのに。
俯いて何もできない私をどう思ったのか、拘束していた手も太ももに置いていた手も離して、距離が開いたその瞬間。
「わ!? ちょ、お前っ……!?」
油断した隙を見計らって力一杯腕を引いて引きずり、大人三人は余裕で座れる長ソファへとあらん限りの力で押し飛ばす。
突然の暴挙に受け身も取れず、ソファの上に押し倒された状態の彼の上に馬乗りになって乗った。
「何し…」
私を見上げて固まった顔に、ポタリと、水滴が落ちた。
「……うっ、うぅー……」
「かれ…」
「な、で。なんで、傍にいてくれないの……?」
突き放さないでよ。
突き放そうとしないでよ。
「言ったのに。大事って、言ったのに! どうして、あの時だって許すって言った! どうして離れるの!? 離れて守るくらいなら、いつもみたいに傍にいて守ってよ! 嫌だよ、何でそんなこと言うの? 太刀川くんの足なんて踏めるわけないじゃんか! 嫌じゃないもん。太刀川くんに触られるの、嫌じゃないもん……!!」
ペチッ、と肩を叩く。
どうして届かない。
ずっと、ずっと言葉にしてきたのに。
「私の好きを甘く見てっ。無視されても、どうやって仲直りしようとかそんなことばっかり考えてたのに! あんな私のどこを嫌いかも分からないことばかり言って! あんなので貴方を諦めると!? 馬鹿にしないでよ!!」
「……西川に、もう近づかないからって」
「何で信じてるの!? 馬鹿なの!? 出来過ぎ大魔王のくせに!」
ペチペチ叩く手が囚われる。
苦しそうな顔がそこにある。
その瞳に映る私の顔も、泣き濡れたひどい顔をしている。
「お願いだから、一緒にいてよ……」
――クン、と引かれて倒れ込み、背に腕を回された。
彼の胸に触れている手が、トク……トク……という音を刻むのを感じる。
「……あーあ。結局泣かせてんじゃん。何やってんだ俺」
耳に触れる声は穏やかで。
ずっと、ずっと聞きたかった声。
「怖かったんだよ。またお前が、あんな風に泣かされたらって。傷つけられたらって。嫌だった。許せなかった」
「……うん」
「前から、そうじゃないかって思ってた。俺が仲良くなりたいヤツ、俺から行ったヤツ、いつの間にか離されてた。拓也のことにしても、他のことにしても。何となく薄ら感じてた。ほら、一年の遠足の時に、花蓮が巻き込まれて転ばされたヤツいただろ?」
「太刀川くんをポールに突き飛ばしたヤツのこと?」
「……おう。奏多さんからソイツが転校したって聞いた時、すぐにアイツの仕業だって思った。俺が、やられたから」
彼がやられた。
傷つけられたから?
「あの時お前のこと信じきれなくて疑ったのも、元々はアイツが言ったことがきっかけだった。仲直りしたって言った時に、何でもないような顔してた。でも……目が笑ってなくて。それで確信した。全部、全部コイツが今まで裏で動いてたんだって。でも、責められなかった。俺のせいだから」
「……どうして?」
「俺がアイツの――――弟だから」
目を見開く。
回そうとした頭を、けれど動かせないように手で軽く押さえられた。
「弟の俺に執着してる。俺が誰かに見られるのは良くても、俺が他の誰かを見るのは許せない。そういう、感情重いヤツ。親父は政略結婚で、俺の母さんじゃない別の人と結婚してた。それで生まれたのが兄貴。でも親父には結婚前から好きな人がいた。それが俺の母さん。兄貴の母さんは結婚後に難病が発症して、兄貴を産んで亡くなった。だから親父は母さんを迎えようとしてたけど、母さんがそれを断ったんだ。どうして母さんが断ったのかは知らないけど、でも強い人だって思う。母さんはずっとキラキラしてる人だから」
……うん。分かる。
とても活発そうで、明るいご婦人だった。裏エースくんの内面は、きっとお母さん似。
「だから離れて暮らしてるけど、親父の家は大きな家だからさ。花蓮が聞いてもすぐ分かるような、結構有名な家。兄貴連れ回せばいいのに、催会はほぼ俺が引っ張り出されてる。息子だけど跡継ぎでも何でもないのに。おかしいだろ? 親父も兄貴も、母さんと俺を逃したくないんだよ。母さんと俺が他の誰かを好きになったら、自分たちから離れていくと思ってるから」
『俺の方から好きになることなんてねーよ』
あれは、そういう意味。
「……四年前の夏。アイツは関わってなかったけど、お前がされてること、泣いて動けなかったの見て、頭に血が上った。絶対、絶対に俺が守るって。二度とあんな顔させたりするかって。けど、塩野狩から話聞いて、後に、アイツが。兄貴が」
抱き締める力が強くなる。
「まだ……好きなのかって……聞いてきたから……っ!」
あぁ、だから。
「気付いてるんだ全部! 兄貴は俺が誰をどう思ってるのか全部! 誰かを“そういう意味”で好きになるとか思っていなかったから。俺の言動が兄貴にどう見えていたのか、考えてもなかった。塩野狩を悩ませたのも、水島がお前を狙い出したのも、全部、全部俺のせいだったから! だから離れようと、嫌われようとしたのに……!!」
本心を何も言わずに。相談もしてくれずに。
一人で。
「私が貴方を嫌う筈ないよ。それに、貴方が私を嫌うとも思ってなかったよ。だって五年も一緒にいたから。拓也くんと、三人で」
「花蓮」
「拓也くんも心配してる。拓也くんも言ってたよ、新くんは本気であんなこと言ってないって」
「……そっか」
静寂が室内を包み込む。
触れる温もりが、どこか物悲しい。
どうして。こんなに近くにいるのに。
どうにもならないのか。
まさか裏エースくんが恐れていたものが、本当の黒幕が彼の家族だなんて。ケチョンケチョンになんてできない。
引っ掛かる。だけど色々衝撃的なことが、感情が高ぶって思考がうまく働かない。何が。
……私は、何を忘れている?
「俺だって離れたくないよ」
――言葉で、態度で伝えると言ったくせに。それに気づかない振りをするのはどうしてですか?
「でもお前を守るためには、離れるしかなくて」
――本当は解っているのに。どうしてあの時、それを言葉で伝えなかったのですか?
「傷つけてでも、そうするしかなくて」
――言葉にしてしまったら、どうなるかが解っているから
「傷つけて、泣かせて。ごめんな」
――ちゃんと受け入れなければ、“アナタ”は“私”のまま
「ずっと一緒にいたかったけど」
――間違えないで下さい。そうでなければ、
「お前が、花蓮のことが好きだから。もう一緒にはいられないんだ」
好きだから。
「……私だって」
溢れてくる。
気持ちが波打って、どうしようもなくなる。
解っていた。
ちゃんと、そうだって。
私の貴方に対する『好き』は、そういう『好き』だって。
「私だって、貴方のことが。太刀川くんのことが、」
――そうでなければ、また―――――てしまう
……っ!!
「好きですっ……―― 友達、と、して」
溢れた気持ちはどうしようもなくて。
止められなくて。
けれど。
絶対に、絶対にこの『好き』だけは口にしてはいけないのだと。
閉じた瞳から零れた涙が、伝えられない想いとともに、流れ落ちていった。
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