Episode134 天蜻蛉⑧-決戦 後編-

 スクリーンが近くに降りてきて長谷川さまが右側へと避け、私と水島兄が左側へと避けて離れる。


 映像を映すために会場の照明が落とされ薄暗闇に包まれる中、私の隣にいるヤツの手がシースルーの薄い生地の袖越しに、腕を撫で擦ってきた。


「……」


 薄暗闇のため最早取り繕う必要もなくなった私は、嫌悪も顕わに無言で隣のヤツの足の甲を、思いっきり力を込めて踏みつける。


「つっ……!」

「学習能力がありませんね? 前にも踏みつけたでしょう? 意外とお転婆だとも仰っていたと記憶していますが?」

「……期待してたんだろう?」

「ハッ、本当にそういう意味でお取りに? おめでたいことですね。“こんなこと”をされて、あの時のように黙っていると思っていたのですか?」


 互いにしか聞こえないような声量で告げ合う。

 薄暗いながらも、水島兄のニタリと笑う表情の動きだけは嫌でも分かった。


「あの百合宮家でさえ、何の動きも見せなかった。それはそういうことだろう?」

「何がそういうことなのかどうなのか、私としてはさっぱりですが、っ!?」


 グッと腕を引かれて、急に水島兄から引き離された。

 たたらを踏むと肩に腕を回されて転ぶのを防がれ、トンとその身と触れ合う。



「お前如きがコイツに触ってんじゃねーよ……!!」



 密やかに、低く唸る声が耳の少し上から聞こえる。

 距離があった筈なのに、いつの間にこちらまで来ていたのか。


 周囲はスクリーンに何が映るのかと見つめており、私達の様子までは気がついていない。


「……いいの? こっちに来て」

「こんな暗がりで、誰も俺らのことなんか見ない。ここでコイツに何かしようたって、そんなことさせるか!」

「太刀川くん」


 肩に触れている手にそっと手を添えて、彼を見上げる。


「大丈夫です。さっきも、見ていてくれていたでしょう?」

「っ……!」


 近いから分かる。

 深く眉間に皺を寄せて、口を引き結んでいる表情。


 彼にふわりと笑い掛けて、そうして少し距離の空いた水島兄へと顔を戻す。


「先程の続きです。本当にあの時我が家が動いていなかったか、今から流れるそれで全てが明らかになります」


 確固とした口調で告げたそれに再度首を傾げる、その時。パッとスクリーン画面に映像が出た。

 そうして流れ始めるそれに会場内がどよめき、その映像の意味を理解した水島兄の顔も愕然とする。


 リアルタイムで流れるニュース速報。

 内容は、水島不動産ハウスサービスが百合宮コーポレーションにその経営権を買収されたということ。


 株主総会が開かれ特別決議を行使したその中で、四年もかけて着実にその手を伸ばしていた。


 少しずつ、少しずつ。

 百合宮の人間ではない人間を経由し、売買し集めていった株。


「あれでも大きな会社ですから、すぐに制裁を下すのは難しいとのことでした。何年もかけて準備をしていたんです。私も最近まで知りませんでした。準備が完了して、それでもどうするかは私に聞くつもりだったそうです。潰すのならいつでも可能と」


 スクリーンに向けていた目が、無表情の私へと向けられる。


「反省し、更生されていたらよろしかったのに。“こんなこと”をされなかったらよろしかったのに。美織さままで追い詰めて。貴方だけでなく、一族総出で腐っているとは思いませんでした」


 待ち構える記者たちに、会社から出てきた水島の親族たちの顔色が悪い。

 その中にはもちろん目の前にいるヤツの家族もおり、何もコメントすることなく車に乗り込む姿だけが映し出されている。


 この後はお父様が記者会見を開いて、今後の経営に関することを説明される。

 ウチは生花を中心に取り扱っている会社なので、不動産は畑違い。そこはちゃんとした専門家を雇い、提携しながら運営をしていくこととなる。


「……女という生き物は、男の言うことを聞くものだろう? 僕はお父さんやお祖父さまと違って、可愛がっていただけじゃないか」


 ボソリと暗い声で落とされた言葉に、目を細める。


「お母様に命がけで産んでもらっておいて、その言い草ですか。女性は男性の玩具ではありません。守るべき愛する女性がいるからこそ男性は女性を守るために頑張り、また、愛する男性のために女性も頑張ることが出来るんです。だから結婚し、子どもを産み、後世に自分たちの生き抜いた証を残し継いでいくんです。決して、決して良いように弄ばれるために存在しているんじゃありません……っ!!」


 照明が点き、徐々に明るさを取り戻し始める。

 会場が元の明るさに戻った時、目の前に佇んでいるその顔は青褪めていた。


 周囲の視線がスクリーンから、私達へと向けられる。招待客の目には、私達はどう映っているのだろうか。


 片やスクリーンで流されたスキャンダルの渦中にいる、家の元跡取り。片や買収した側である、百合宮家に縁のある家の令嬢として紹介された私。


 ほんの数分前まで仲睦ましそうにしていた私達が暗がりから明けて見れば、険悪な雰囲気で対峙しているなんて。

 そしてそんな私の傍には、私を彼から守るように、一人の男の子が離れずにいることを。


 徐に水島兄がそのズボンのポケットに手を忍ばせて、震える携帯を取り出した。


「はい、もしも……あぁ、はい、分かったよ」


 耳に当てて話し始め、短く返事をしてすぐに通話を切る。フッと片頬を上げて笑った。


「帰ってこいってさ。まぁ、こうなった以上は仕方ないか。もう何も出来ないね」


 ざわつく周囲の視線や声などものともせず、クルリと方向転換して会場の扉へと向けて歩き始める。その背に大きな声で呼び掛ける。


「水島さま!」


 顔は向けずに足だけ止めたその背に、四年前に受けたものを返すために、これが最後であると引導を渡す。


「私は、私が守るべきと判断したものはキッチリと守り抜きます。もう二度と傷つけさせませんし、私がそんなことは許しません」


 聞いてどう感じたのかは分からない。

 水島兄はそれに対して何も言うことはなく、ゆっくりと歩き始めて、会場を出て行ったから。


 自然と周囲の招待客も今のやり取りで憶測を立てるだろう。

 百合宮家に縁のある家の令嬢に何かしたために、百合宮家が水島家へと鉄槌を下したのだろうと。


 そう思ってもらって結構。

 だってそれは紛れもない事実なのだから。


 スクリーンを上げ、長谷川さまが気を取り直すように立食の飲食を勧めるのを聞きながら、私はクンと裏エースくんの袖を引く。


「水島さまは去りました。貴方はいつまで私に触っているんですか」

「え。……あっ」


 途端バッと離れていくが、掴んだ袖は離さない。


「離せよ」

「どの口が言いますか。お話があります。付いてきなさい」

「離せって」

「付いてこい」


 真顔で低く告げればピキリと固まり、引きずる形で最初に居た、ドレープカーテン越しの控室へと連れ込む。扉を内鍵でキッチリと施錠し、ようやく二人きりになった。


 不機嫌そうに顔を顰めているが、問題は解決したというのにまだを続けるのか。


「太刀川くん」

「何だよ」

「ちゃんと見て聞いていたでしょう。水島さまに関する問題は全て、完膚なきまでに解決しました。塩野狩くんのことも安心安全です。褒めなさい」

「……何で」


 それはどういう意味での何でかね?


「催会に参加したことなら、熱意を込めてお父様とお兄様を説得しました。色々な方の協力を得て塩野狩くんに辿り着き、事情を把握しました。皆様に紹介した名前のことならあれは……まぁ、アレです。とにかく! これで万事全て解決したんです。もうそんな心にもない演技などやめて、仲直り…」

「だから何でだ!!」


 ギッと睨みつけられる。


「大嫌いだって言っただろうが! 何で諦めてねーんだよ! 普通それで離れるだろ、近づかないだろ!? 何で禁止されてる催会に参加してまで……っ。わざわざアイツ呼んで触らせるし! 馬鹿か!!」

「馬鹿は貴方の方です!!」


 睨み返して大声で言い返す。


 控室は防音完備されているから、いくら大声を出しても会場までは届かない。だから外からの声を聞くために、最初に扉を開けていた。


「無視していない者扱いして! 急にそんなことされて原因も分からなくて、どれだけ私が傷ついたか分かります!? 一年生の時は色々言ってくれたから腹も立ちましたけど、何も言ってくれないからすごく悩んだんです! ずっと私が何かしたのか、やってしまったのかって。けど、こんなことになっているって分かって、その時に一番、一番傷つきました……! 何に一番傷ついたか分かります!? 私のせいで、貴方が傷ついているって。傷ついてまで私のことを守ろうとしてくれていることが、解ったから……っ!!」


 グッと拳を握って耐える。

 違う。まだここで泣いちゃいけない。


「噴水で、私が泣いて動けなかったから。人の笑い声を聞いただけで涙が勝手に出てきたから。一人になるのが怖くて、貴方の手を離せなかったから。不甲斐なかったです。立ち向かえないって思われても仕方がないです。でも、私、私はっ、自分が傷つけられることよりも、貴方が傷つけられることの方が嫌です! 絶対に絶対に、嫌なんです!!」


 だから奮起した。

 彼を守るためだったら、過去のトラウマなんて粉砕してやる。


「大嫌いって言われても、嘘だって分かりました。だって貴方、ちゃんと大事に使ってくれているじゃないですか。あの時鞄の蓋が空いていて、たまたま見えましたよ」

「っ!」

「本当は、水島さまに会う時、ちょっと心配だったんです。でも貴方は傍にいてくれません。だから、お守りに着けてきたんです」


 腕に着けてきた。あの日、私のイメージだと言って贈ってくれた、腕時計を。

 見せて、それを見た裏エースくんの顔が歪む。



 ……どうして?


 何で?


 お願いだから。


 ねぇ。





 まだ、ダメなの?



「……ちゃんと、言いました。あの時。知っているって。ちゃんと後から気づいたって。そう、言っているじゃないですか。本当に、言われるまで気づかない鈍感な人間なんです。亀のように遅くて、大事なことにもさっきやっと確信するような人間なんです。……太刀川くん。私は他に、何におびやかされているんですか……?」


 顔が、強張る。



「貴方が恐れているのは、水島さまじゃありません。本当は、誰なんですか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る